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59話 エレカ・アーレンハート

 プラチナムとは、本来のエレカその人。

 そもそも俺が知るエレカの方が不完全な存在であり、今のプラチナムを名乗るエレカこそ在るべき姿。

 それでもエレカを、俺が知るエレカを取り戻したいと思うのは身勝手か?

 だとしても、構うものか。

 かつて力を封印したように、今また肉体と力を分け隔ててしまえば、エレカ・プラチナム・アーレンハートは、エレカ・アーレンハートと呼ばれていた頃に戻る。

 しかし、以前と同じ方法で力を封印することはできない。

 守るべき森を失い、全ての力を己の思うままに振るえるようになったプラチナム相手に、グレイでは太刀打ちできないからだ。

 ゆえに真っ向勝負は叶わない。

 残された方法は一つ。

 失敗すれば死ぬ。

 俺たちは為す術なく殺され、エレカは……あの傲慢なプラチナムとして終焉の時代に身を投じる。

 知ったことか。

 いや、本当はそんな風に割り切るなんてできない。

 そもそもエレカはエレカだ。プラチナムだとか神だとか、何を言っているのか半分も理解できないままだった。

 でも、だからこそ。

 俺はエレカが好きだ。

 あんな風に超然と佇む化物じみた力の持ち主ではなく、背が高く髪も長い、大人びた姿をしているのに子供っぽく笑うエレカが。

 それだけだ。

 身勝手になることを、どうか許してほしい。

 見据える先で、それもまた私を見据えた。

「作戦会議は終わったか? 旧き神と到達者よ」

 プラチナムが笑う。

 答えるべきかとも思ったが、彼我の距離を考えると声が届きそうにはなかった。あれはマナに声を乗せているのだろうか。マナを読もうと思えば、声の形が見えるかもしれない。

 やってみるか。

 ……と思った矢先、プラチナムは大きく跳躍した。

 すっ、とほとんど音も立てず、俺たちの前に着地する。

 水の魔神との戦いに加勢しなかったリューオとフシュカだが、今はまたプラチナムの背後で付き従うがごとく沈黙していた。ルネが吠えようとするのを、右手だけで制する。

「到達者などと言われても分からん」

 嘲笑う素振りを見せたプラチナムが笑い声を零す前に、続く言葉を滑り込ませる。

「俺はカレンだ。カレン・アーレンハート」

「その名は今や私だけのものだ。貴様に名乗る資格はない」

「いいや、エレカから貰った。正当な名だ」

「……いや、正当も何もないのじゃ。そもそもエレカの側がお主の言葉の意味を」

「うるさい黙れ。今はそういう話をしているんじゃない」

「なんだ貴様ら、この期に及んで仲間割れか?」

 嘲笑うかのように言ったプラチナムだったが、すぐに事を構えようとはしない。

 急がずとも決着を付けるのは容易いとの判断だろうし、事実そうだとしても、だからこそ戯言に興じる俺たちに怪訝な思いを抱いたはずだ。

 ……まぁ、それは全くもって想定外の、単なる誤算なんだが。

「逃げも隠れもしないからにはよほどの過信家か、とっておきの秘策でも話し合っているものと思ったのだがな。どうした、来ないのか?」

「お主こそ、格下の儂らに警戒心剥き出しとは馬脚を現したのじゃ?」

 神を名乗る二人が真っ向から睨み合う。

 どちらも譲ろうとはしない。目を逸らせばその瞬間に斬り掛かられる……それどころか、視線以外で応じようものなら品位を失うとでも言いたげだ。

 まさか公爵家同士や教会相手にするような見栄の張り合いを見る羽目になるとは思わなかったが、嘘にせよ真にせよ、神を名乗るからには見栄の一つや二つはあろう。

 ここで折れるべきは二人のうちの一方ではなく、しがないヒュームにして到達者などと呼ばれている俺だ。

 しかし到達者ってなんなんだろうな。

 いや待て、それでいいのか。

「おい、プラチナム」

「勇者たる資格もない貴様ごときに『おい』などと呼ばれる筋合いは――」

「そう、それだ。貴様の言う勇者とはなんだ? 魔王を打ち倒した、かつての英雄ではないのか? 俺を到達者と呼ぶことと、何か関係があるのか?」

 怪訝そうな顔で言葉を受け止めるプラチナム。

 それはそうだろう、できるなら今すぐにでも殴り掛かり、その身体からプラチナムなる存在を叩き出してやりたいと願うのが俺だ。にもかかわらず関係のないことを問うたのだから、睨み合いを忘れて訝しむのも当然だった。

「到達者は到達者だ。貴様が終焉終焉と謳い続けた、私たち神と王の戦い。その時代にまで到達しうる素質を持った存在であり、勇者とは神と王の戦いに割って入る資格を得た者のこと。貴様には最早、関係のない話だ」

 なるほど、本当に関係なかったのか。

「つまり、干魃の時代を生き延びた今の人間たちは皆、その到達者とかいう名で呼ばれると?」

 随分と大袈裟な呼び名だ。

 わざわざ名を付ける必要性も感じられない。

「幸い、貴様のお陰で水の魔神もイスネアの内部にまでは攻め入れなかったようだ。幾らかは瓦礫の下敷きになっただろうが、避難できた多くの民は貴様の言う到達者に――」

「避難できた者など、一人いればいい方なのじゃ」

「……?」

 横槍を入れてきたグレイの声。

 それが意味するところを掴みきれず、まじまじ顔を見てしまった。

 グレイも俺を見返し、なんでもない顔つきのまま言い放つ。

「まともな人間が理性なき神の咆哮を耳にして理性を保てるわけないのじゃ。あれじゃ、あれ。お主のそれと同じ、ええと」

「獣化症か?」

「そう、それなのじゃ!」

 つい今しがたまで睨み合っていた二人が平然と言葉を並べる。

 だが、その違和感さえも今は遠い。

「見てみるのじゃ? まともに形を保った人間がどれだけいるか、あの壁の向こうに行って数えてみるのじゃ?」

 けろりと、まるで少女のような……否、少女そのものの笑顔とともに言うグレイ。

 そんな馬鹿な話があるか。

「待て、だが帝都は――」

「帝都なぞ知らんのじゃ。儂はジゼルの代からアーレンハートの森にいたのじゃ」

「どうせオールドーズの手先だろう? そういえば、おい、人喰い魔神」

「魔神じゃないのじゃ。グレイ・グレー・グールなのじゃ」

「ならグール、貴様も起き出してきてエルフに甘言を垂れたからには、今回こそ覇者となる気があるのだろう? ならばいずれオールドーズと、その手先たちと戦うことになる。私に力を貸すなら、この場は見逃してやってもいいぞ」

「小娘が偉そうな口を叩くのじゃ」

 見た目では貴様の方が小娘だぞ、と場違いなことを考えてしまう。

 それくらいには、二人の言葉は俺の理解を置き去りにしていた。

 オールドーズの手先? 何を言っているんだ。あの魔神に帝都が破壊され、余波を受けて実の娘の獣化症を隠すために父上は俺が教会に加わることを許した。

 だというのに、その魔神が教会側の差し金だったと?

 あまりに、どうしようもないほどに馬鹿げている。

「待て、待て、待て」

「なんだ貴様、まだいたのか」

「貴様はオールドーズの何を知っているっ!?」

 詰め寄りかけた俺に、プラチナムは鼻白んだ目を向けてきた。

 俺とエレカの、上背の差を思い出す。

 冷淡なまでの瞳に見下ろされ、強烈な恐怖が胃を鷲掴みにし、握り潰された肺は幾ら呼吸しても空気を吸い込めない。

「あれはただ滅ぼすべき敵だ。それ以上でも、以下でもない」

 凍えるような声。

 視界の端で苦笑いするグレイが、楽しそうに小さな少女の口を歪めていた。

「貴様が未だオールドーズの尖兵だというなら、今この場で殺す。答えろ、貴様は」

「今は。……今は、ただ、エレカの味方だ。それがエレカに敵するならば、なんであれ俺の敵だ」

「ふん。口ではなんとでも言えるがな」

 プラチナムはつまらなそうに吐き捨てた。

 それだけで目に見えて圧力が減り、呼吸が元通りになる。胃はキリキリと痛むままだが。

「で、どうする、グール」

「面白そうだから黙っていたが、儂のことはグレイと呼ぶのじゃ」

「で、どうする、人喰い」

「駄々っ子なのじゃ」

 やれやれ、と呆れてみせたグレイは、それから俺の方を見やる。

 何を言われるのかと思って待てば、何も言われない。ただ無言で見てくるだけ。一秒ごとにプラチナムが機嫌を損ねていくのが見えるようだ。

 そういうところは、確かに似ている。

 いや似てなどいない。絶対に。何がなんでも。

「おい、プラチナム」

「だから貴様に『おい』などと――」

「貴様の目的は反逆だと言ったな? 反逆の狼煙とは、あの水の魔神を倒したことか」

「はぁ……」

 面倒臭そうにため息を零し、プラチナムは頷いた。

「然り。この時代に我ありと名乗りを上げる。それが神としての最低限の礼儀」

「形骸化した礼儀なのじゃ。わざわざ自ら先陣を切るなど、本当に勝つ気があるのじゃ?」

「信頼なき傀儡を兵に仕立て上げ、裏から操って事を有利に運ぼうとする。そんな王の真似事をする神に神たる資格はない」

「小娘が喚くのじゃ」

「貴様はここで殺す」

「短気なのじゃ。早すぎる更年期なのじゃ」

 二人が何を言っているのか分からないことには、もう慣れた。

 一々言葉の意味を探っていても埒が明かない。そんなことより二人に倣って自分の言いたいこと言い、聞きたいことを聞くべきだろう。

「いいか」

 声を上げ、二人が口を噤んだ瞬間に続く言葉を滑り込ませる。

「貴様の反逆は、先に裏切った妖精王に対するものなんだろう? 妖精王がなんなのか、裏切りがなんなのか、そういうのはよく分からん」

「ならば黙って――」

「黙らない。代わりに聞く。それをエレカは知っていたのか? 反逆はエレカの意思なのか?」

 そんなはずはない。

 プラチナムは……なんと目を逸らした。いける。押せる。

「エレカは森を愛していた。そのくせ妖精剣も知らなかった。妖精王のことも、ただ伝説の存在程度にしか考えていなかっただろう」

「それがどうした。奴が裏切ったことに変わりはない」

「反逆は祖父の悲願だと聞いた。エレカは己の運命を知らなかったと……!」

 叫ぶ。

 そんなつもりはなかった。

 けれど気付いたら、迸る感情のままに叫んでしまっていたのだ。

「なのに貴様は、その身で反逆に身を投じるのか!?」

 プラチナムもまた叫ぶ。

「この私は、私だ。エレカ・プラチナム・アーレンハート。それが私だ」

「違う! エレカは……、エレカは森を愛し、信じていた。いずれ蘇ると。追放されてなお、森を救うんだと」

 俺は何を言っているんだろう。

 何を言いたいんだろう。

 何を、どうするつもりだったんだっけ。

 こんがらかっていく頭の中で、それでも目を瞑れば鮮明に思い描けた。

「神だとか王だとか、オールドーズだってどうでもいい」

 外套は捨てた。

 禍福の名も、ともに捨てた。

 俺はカレンだ。

 カレン・アーレンハート。

 ただの人の身ではあるが、それが神に対する礼儀だというなら、俺も名乗りを上げよう。

「約束を果たす。そのために俺がいる。もう一度、エレカと旅をする」

 プラチナムの、そのエレカと瓜二つの顔を睨む。

 よく似ていた。当然だ。だけど違う。エレカとプラチナムでは、表情が全く別物だった。

「俺はカレン・アーレンハート。エレカとの約束を果たす者だ」

「勇者ですらない、到達者ごときの口上が何になるッ!」

 細く長い腕が左腰に伸びる。

 虚空を掴み、まるで見えない鞘がそこにあるかのように、プラチナムは己の名に等しい白金の長剣を引き抜いた。

「非力な人間に何ができる。何もできぬ」

 悲しみ、なのだろうか。

 絶望か失望か、諦めにも似た声が吐露する。

「戦う力を持たぬエレカに、戦わせるわけにはいかない。だから私が――」

「今度こそ馬脚を現したのじゃ!」

 叫び声。

 誰だと目をやって、当然のごとくグレイを見つける。そうだ、そうだった。忘れていた。

「人喰い魔神、貴様……!」

「儂はグレイなのじゃ。グレイ・グレー・グールなのじゃ」

「そんなこと何度も――」

「そしてお主は、エレカ・プラチナム・アーレンハートなのじゃ」

 きっと今の俺は、プラチナムと同じ表情を浮かべている。

 困惑。

 こいつは、今、何を言おうとしている?

「お主は十……何年じゃ? まぁいいのじゃ。十年以上前、儂の力でお主は眠りに就いたのじゃ」

「眠ってなどいないッ! 全てを見てきた、この私が」

「今更遅いのじゃ。お主はさっき、お主自身のことを、お主自身ではないと示したのじゃ」

 高らかな笑い声がグレイ自身の語尾を覆い隠す。

 それは不気味なほどだった。

「きひひっ。お主が本当のエレカなら、お主が封印されていた間のエレカは、森の運命を背負わずに生まれたエレカなのじゃ」

「おいグレイ、何を言うつもりだ」

「お主は黙ってるのじゃ、獣人!」

 獣人じゃない。

 叫ぼうとしたが、そうはさせない気迫が今のグレイにはあった。

「そんなエレカは、存在しなかったはずなのじゃ」

「……っ!」

「もう分かっているのじゃ、とっくに分かっていたのじゃ、他ならぬお主には」

 一転、静かな声音。

 剣を持つプラチナムの手が震える。

 悲しみでも怒りでもなく、ただ力を込めすぎた拳がそうなるように。

「同じ親から、しかし違う運命のもとに生まれたのじゃ。同じ土地に生き、しかし違う人生を生きたのじゃ。それをなんというか、知っているのじゃ?」

 グレイが笑う。

 きひひと不気味に、それでいて楽しげに。

「お主らは最早、等しきエレカではなく、どこにでもいる姉妹なのじゃ」

 プラチナムは何も言わない。

 言えないのか。

 じっとグレイを見つめている。

「お主に一つ、とてもとても良いことを教えてやるのじゃ」

「貴様から教わることなど何もない」

「エレカは可愛いものが好きなのじゃ。特にもふもふとした獣じゃ。ほら見るのじゃ、この獣人を」

「獣人ではない」

 言ってしまった。

 言わずにはいられなかった。

 しかしグレイは気にせず笑っている。

「まだ二十年と生きていない小娘が一丁前に意地を張るのはやめるのじゃ。儂は神、願いを聞き届け、叶える努力をする存在じゃ。……して、お主の願いはなんなのじゃ?」

「きさ――」

「なるほど、了解したのじゃ。つまりお主は、自分の可愛い可愛い妹と笑って話したいのじゃ?」

「……」

 黙るのか、そこで。

 プラチナムよ。

 あれだけ啖呵を切ったエレカ・プラチナム・アーレンハートよ。

 まさか、と思った。

 無茶で無謀、どうせ無理な方法と言われ、それでも構わないと呑んだ策。

 その、作戦とも言えない無茶で無謀、どうせ無理な方針とは――、

『儂らではプラチナムに勝てぬのじゃ。だから、プラチナム自身の意思でエレカに肉体を返すよう、口八丁で頑張るのじゃ』

 それは確かに、無茶で無謀で……。

 どうせ無理だと、そう思ったのに。

「……魔神の言葉など、誰が信用するか」

「儂はお主らが言う通り、人喰いの神じゃ。そして今、儂は誰の姿を纏っているのじゃ?」

 きひひ、とグレイが笑った。

「努力をしているのじゃ、儂は。ティルの願いを叶えるために……、お主とエレカの笑顔を守るために、精一杯の努力をしているだけなのじゃ」

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