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58話 魔神覚醒

 誰が言ったか、魔神とはマナの溜め池である。

 並大抵の生き物はおろか、常人とは比べ物にならない量のマナを蓄え、そこから魔力を生み出す天導病の患者でさえ、体内に有するマナや魔力というのは限られたものだ。

 当然だろう。

 まさしく人と池の違いだ。

 頬の皮が柔らかいからと口一杯に水を溜め込んだとて、日々の生活に使えるだけの水量には到底足りない。

 人は、己どもの力では足りぬがために、世界そのものの力を借りて日々を生き抜く。

 もしも、だ。

 世界の力を借りず、ただ己の力だけで生き抜くことのできる者がいるなら、それはもう人間ではない。いいや、生き物とすら呼べぬだろう。

 マナとは万物の源だ。

 雨も、風も、世界の全てはマナより生まれ、マナへと還る。

 ならば。

 無尽蔵に蓄えたマナを自在に操り、望むままの世界を描けたなら。

 それは人ではなく、生き物でもなく、ただ神と呼ばれるモノでしかない。

 魔神。

 人の身では抗うことも叶わず、過ぎ去ることを祈るしかない暴威。

 天災に匹敵する……あるいは天災そのものと捉えるべき、生き物以上の何か。

 圧倒的な力を前に、立ち尽くす以外の何ができただろう?

「我が名はエレカ・プラチナム・アーレンハート。反逆の狼煙を上げた、新しき神である」

 エレカの声で、エレカの名を名乗ったそれ。

 プラチナムなる名が何を意味するのかは想像もできないが、己を神と称することに傲慢も誇張も感じ取れはしない。

 巨大な水の魔神を一方的に屠りながら、それは――プラチナムは息を乱すこともなく虚空に佇んでいた。

 あれだけ見ても、常人とはかけ離れた存在だと分かる。

 足場もなく空中に立つなど、マナを体外に蓄える触媒……緋色が持つ錫杖の類いを用いてようやくスタートラインだ。しかし、ただ身を浮かすだけでどれほどのマナを浪費するか。

 ほんの数秒ならまだしも、ああも当たり前に立ち続けるなど常識の埒外だ。その一分、一秒で奇跡の一つや二つは再現できそうにも思える。

 だが、あれは奇跡に興味などないのだろう。

 綿毛がふわりと浮き上がるような柔らかさで、プラチナムの身が下降を始める。

 降り立ったのはイスネアの防壁の上だ。激しい攻防にさらされて半ば以上に崩れてはいるが、踏み締めるもののない空中よりはよほど立ちやすいだろう。

 プラチナムは一度、防壁の向こうを……イスネアを見やった。

 相当な騒ぎになっているはずだが、喧騒は届かない。避難を終えたか、あるいは。それにしても人影が一切見えないのは妙だ。

 とはいえ、そこまで気を配っている余裕はなさそうだった。

 視線を前に戻したプラチナムが防壁から飛び降り、迷いのない足取りで大地を踏む。

 すると防壁の隙間、開け放たれた門戸から二つの黒い影が飛び出してきた。竜馬。リューオとフシュカか。

 ルネが吠えようとして、咄嗟に口を噤む。

「……なんだ、貴様か」

 鋭い殺気。

 それに気付いたのは、妙に暖かい風が頬を撫でるように過ぎ去った後だった。

 プラチナムの、やはり張り上げるでもない声が彼我の距離を無視して届く。

 喉元まで迫り上がってきた叫びは、紡ぐべき言葉を見つけられずに唸り声と化して口の端から漏れた。ルネも似たような声で呻く。

「到達者風情がそんなところで何をしている」

 到達者?

 言葉の意味が分からず、そうかといって問い返すこともできないでいるうちに、プラチナムは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「貴様もだ、主従を見誤った犬め。犬の一匹や二匹、いてもいなくても変わらんが、後足で砂をかけられては捨て置くわけにもいかんだろう?」

 捨て置く、わけにも……。

 あぁ、くそが。

 しまったと、そう気付いた時には何もかもが遅かった。

 視界を、白が埋め尽くす。

 身に迫る暖かさが、その直後に襲い来る灼熱を感じさせ、――次の瞬間。

「間に合っては、」

 身を貫く、寒々しいほどの風によって斬り裂かれた。

「ないようじゃ?」

 空虚な声。

 苛立たしげな舌打ちの音。

 そして白い炎を、再び鈍色が斬り捨てた。

 見覚えのある長剣。

 それを握る人物の姿を目で追おうとして、見失った。と思った時には、遠く離れた前方でプラチナムと何者かが衝突している。銀色の火花が散った。二つの人影もまた左右に散る。

 膨れ上がった白い爆炎が大地を焦がしながら突き進むも、あろうことか鈍色の一閃が炎を両断した。未だ燃え盛る白い炎を突き破り、小さな人影がプラチナムに急襲。それを迎撃したのは、細腕に握られた白金の剣。

 プラチナム。

 それが奴の名の由来かと、思った時にはまたも二人の姿が掻き消える。

 目が追い付かない。これでも獣化症で、夜目だけでなく動体視力やら何やらも常人のそれとはかけ離れているんだが。

 苦いものが胸中に広がる。

 悔悟は後だ。

 プラチナムを名乗った魔神に匹敵する力の持ち主はルネを攻撃した。それだけでエレカとは全く違う、いいやエレカの敵だと断言できる。

 だが、長剣の主を見やる。

 弾ける火花のごとき衝突の最中、どうにか目で追えた瞬間にその姿をしかと見た。

 少女と呼ぶべき姿。

 一見すると銀色にも似た、しかしエレカのそれとは全く違う、鈍色の髪。

 幼い容姿には不釣り合いの鋭い眼差しが常にプラチナムの一秒先を見定め、華奢な全身からは想像もできないほどに重い剣撃を放ち続けている。

 あれは……、

「ティル、だったか?」

 そんな馬鹿な、と笑い飛ばしそうになる自分がいる。

 一方で、あの無惨な姿に成り果てた、森で見たエルフと重ねずにはいられなかった。

 もし本当にティルなら。理性は定かじゃないにせよ、エレカを慕うエルフであれば味方と呼べる。

 ただ、見るからに別物だろう。

 身の丈よりも高く跳び上がったティル……によく似た姿をした少女が大上段から長剣を振り下ろす。プラチナムはそれを避け、ようとして寸前で足を止めた。何があったのか。分からない。

 現実に起きたのは、上下の鍔迫り合い。

 ほんの一瞬、どんなに長くとも一秒には満たなかったはずの衝突。

 それだけなのに夜闇を斬り裂くほどに白金と鈍色の火花が舞い散った。白金の炎の残滓が大地を撫で、焦がす。対する灰色の火花を追っていくと、上空に少女の姿があった。

 ただ弾かれただけじゃない、一挙手一投足を見落とすまいと目を見開いている。

 だから、なのだろう。

 煙幕と化した残滓の中から鋭く尖った白金の槍が放たれても、少女は驚き一つ覗かせずに長剣で払い除けた。その反動のままに着地し、また大地を蹴る。まるで砲弾だ。蹴った、と思った時には剣と剣の打ち合う音が聞こえている。

 敵の敵は味方。

 だとすれば少女を援護するかとも考えていたが、これは不可能だ。そもそもプラチナムがエレカとは別の何かだとしても、肉体そのものはエレカのそれ。ティルの姿をした少女が、なんの因果かエレカの命を狙っているのなら、敵の敵であろうと、結局は敵でしかない。

 あんな人間離れした、魔神級の化物どもを相手に立ち回らざるを得ないとは。

 ため息をつく。

 それで躊躇も後悔もかなぐり捨てた。

 拳届かず果てるのならば、所詮その程度だったということ。

 二人がなんのために戦っているのか、戦況はどちらに傾いているのか、探る材料はあっても断定はできない。

 少女が攻めているようにも見えるし、攻め続けて相手に防御を強いることでようやく拮抗を保っているようにも見える。

 女はどうか。あまりの激しい動きに言葉数は減ったが、時折嘲笑めいた笑い声が聞こえてはいた。

 そう考えると、少女の方が些か不利なのか。

 何度目かも分からない鍔迫り合いの末、弾かれるようにして少女が宙を舞った。

「伊達に――」

 と、呟いた直後だ。

 その頬の真横を鋭い炎が駆け抜け、ちりりと髪を焦がすのが見えた。

「貴様、何を企んでいる?」

 エレカの声で、そいつは言う。

「はて、なんのことじゃ?」

「人喰いの魔神、貴様には煮え湯を飲まされた。反逆を唆した貴様自身が私に歯向かうなど……」

 人喰い?

 まさか、と脳裏をよぎるのは、そのティルと瓜二つの姿を今まさに目の当たりにしているからだ。

「しかし今、貴様にさしたる力はあるまい? だというのに何故、貴様は……。よもや、それが全力だとでも?」

「全てはお主の知る通りじゃ。だが、お主を……エレカを殺すわけにはいかぬのじゃ。それは森の宝。ジゼルが守ろうとした森そのものであり、ティルが守ろうとした友なのじゃ」

「ほう? 尚更解せんな。私は死なない。何者にも殺されはしない。覇者とは、最後まで立ち続けた者なのだから」

 何を言い合っているのか、半分も理解できる気がしない。

 だが確かなのは、二人にとって俺もルネも、他の二体の竜馬も取るに足らぬ存在だということだ。プラチナムもつい先ほどは敵意を向けておきながら、今は何もなかったかのように少女……人喰いの、と呼ばれた魔神と対峙している。

 そこに隙が生まれやしないか。

 無謀と承知で、好機を窺うつもりでいた。

 待っていればどこかに綻びが生まれると、本気で考えてしまった。

「ヴオ、ヴオ、ヴウゥオォォゥ」

 遠く、されど胃の底までずしりと響いてくる怪音。

 反射的に出処を探ろうとして、己のあまりの愚かしさを思い知る。

 音がした方に顔を向けたその時、プラチナムが音の発生源から視線を戻し、それどころかじっと俺を見てきたのだ。

「貴様に、勇者たる資格はない」

 勇者。

 かつて魔王を打ち倒した、人類の英雄。

 なろうと思ったことも、なれると思ったことも、そもそも何かしら真剣に考えたこともなかった。

 ただ、そういう存在が過去にいたと認めるだけ。

 しかし、資格がないと言われた瞬間、さっと血の気が引いたのを自覚する。どうして。何が。

 分からない。

「邪魔立てするなよ、人喰い」

「儂にはグレイという名があって……。まぁいいのじゃ、あれはお主の獲物じゃ」

「当然だ」

 プラチナムが背を向ける。

 人喰いの魔神は剣を構えるでもなく、その背を見やっていた。

 俺は、身動ぎ一つできないでいる。

「あのまま寝ていれば次の時代まで生き延びられたかもしれないというのに、それだけの理性も失ったか」

 呟き、プラチナムが地面を蹴る。

 それは飛翔する白い炎の矢と化して、イスネアの防壁に寄りかかりながら再び肉体を形作ろうとしていた水の魔神を貫いた。だが、終わらない。白い炎が水をも包み、煌々と夜空を照らす。

 あれだけの広範囲に及ぶ、恐らくは人の身では一秒と耐えられまい灼熱の炎だ。

 人喰いの魔神の前では手加減していたか、隙を突かれるのを嫌ったか。どちらにせよ、俺の手には負えない。

「……お主は、彼我の差を見誤るほど愚かではなさそうじゃ」

 不意に持ち上がった声が皮肉に聞こえたのは、俺の性根が腐っているからだろうか。

「魔神と交わす言葉はない」

「魔神ではないのじゃ、神なのじゃ」

「不遜な――」

「オールドーズはそんなに偉いのじゃ? まぁいいのじゃ。儂の話を聞くのじゃ」

 思わぬところから飛び出したオールドーズの名に、言葉ではなく視線で応じてしまう。

 神を名乗った少女は、真っ直ぐに俺を見ていた。

「儂はグレイ・グレー・グール。人喰いの神と呼ばれてはいるが、むしゃむしゃと齧ったことはないのじゃ。儂は力と、知識と、生涯で得た全てと引き換えに、その者の願いを聞き届ける存在なのじゃ」

 むしゃむしゃだかのじゃのじゃだか知らないが、胡散臭い言葉だ。

 かといって、殴りかかる以上の愚行もないだろう。プラチナムと拮抗するだけの力を持つ以上、何をどうやったところで、向こうの気分一つで俺の首は宙を舞う。

「この姿の主を、お主は知っているのじゃ?」

 答えるべきか否か。

 逡巡はすぐさま見抜かれた。

「だんまり決め込んでいる暇はないのじゃ。言っておくが、儂はプラチナムより圧倒的に弱いのじゃ」

「……。……どうにか渡り合っていたように見えたが」

「儂の姿のせいなのじゃ。あれにもエレカの、神としての己を知らぬエルフの少女の記憶が宿っているのじゃ。妹のように可愛がっていた友の姿を、二度も焼け爛れさせるには躊躇いがあったのかもしれんのじゃ」

 グレイと名乗ったか、グレーと名乗ったか。どっちでもいいか。

 グレイの話しぶりはどこか滑稽、というより無邪気な子供のそれに見えてしまって、話が上手く入ってこない。

「待て、貴様は俺と話す気が」

「なければ今頃、お主の命はないのじゃ。わざわざ身を挺して守ってやる理由もなかったのじゃ」

 身を挺して?

 あぁ、そうだ。

 言われてようやく思い出した。プラチナムが俺たちに向けた初撃。そして最後の一撃になるはずだったあれを、この少女の姿をしたグレイが防いでくれている。つまりは敵ではない、ということで……。

「すまない」

「謝っている時間も無駄なのじゃ」

 グレイは笑うでも叱るでもなく言い捨て、けろりとした面持ちで続ける。

「まぁ、見ての通りなのじゃ。儂はティルの……覚えているのじゃ? お主が森で出会ったエルフの少女の願いを聞き届ける代わり、この姿を貰い受けたのじゃ」

「姿を?」

「人間にせよ亜人にせよ、まぁなんにせよ、溶け込むには姿を真似るのが一番なのじゃ。しかし何もないところから作れるほど器用ではないのじゃ。それでまぁ……っと、そんな話をしている場合ではなかったのじゃ」

 忙しいやつだ。

 しかし、敵意がないことは分かった。それで、と話を促す。

「エレカの笑顔を守れと、ティルは願ったのじゃ。だから儂は叶えなければならないのじゃ。叶えられずとも、そのために力を尽くさなければ神の名折れ。それはすなわち、……ほら、あそこで獣のように吠えることしかできなくなった、過去形の神に成り果ててしまうのじゃ」

 プラチナムも確か、理性を失ったとか言っていた。

 神、だったモノ。

 それが魔神? いや待て、そもそも神などということ自体……。

「いや、そんなことはいい。エレカの笑顔を守ると言ったな? なら、あれは何者なんだ、あのプラチナムとかいう――」

「神なのじゃ」

 神、なのじゃ?

「……話が見えない」

「だから、あれは神なのじゃ。それもこの時代に生まれた、新しき神。圧倒的な力の持ち主じゃ。這々の体で前の時代を生き延びた儂らには到底敵わない、覇者候補の筆頭じゃ」

 温度のない、じっとりとした汗を首筋に感じる。

「だけど、エレカは」

「あれが本来のエレカなのじゃ」

 言葉を、失う。

「エレカ・プラチナム・アーレンハート。我が友にして、エレカにとっては祖父に当たるジゼル・アーレンハートの悲願なのじゃ」

 悲願?

 祖父の?

 何を言っている。

 脳が思考を放棄しかけた、その空白にするりとグレイの声が染み込んでくる。

「あれはアーレンハートの森そのものなのじゃ。民を、自分たちエルフを裏切った妖精王に反逆の刃を突き立てるべく、森の全てと引き換えに生み落とされた新しき神、それがエレカなのじゃ」

 だが、エレカはエルフだ。

 ヒュームとは違えど、等しく人間だった。

 それが神? 意味が分からない。あんな不愉快な声で鳴き喚く化物と同じ存在だと?

「お主が見てきたエレカは、己の運命を知らなかったのじゃ」

「どうして……」

 ただ零れ落ちた声だった。

 どうして。なんで。エレカが何をした。視界が歪む。

「言ったはずじゃ、あれは森そのものだと。森には多くの命が息づく。……が、その全てを維持するのも森の力じゃ。あれは――プラチナムは、反逆のために不要だと断じた全てを燃やし尽くそうとしたのじゃ」

 言葉を探すことさえ、もうやめた。

「だから儂が縛り付けたのじゃ。エレインとの、そう、エレカを生み落とした母親との誓いじゃ。力の大部分を神樹に縛り付け、儂そのものと言ってもいい刃と鞘で蓋をしたのじゃ」

 喉が呻く。

「それが……」

「お主らが魔剣などと誤解した剣なのじゃ」

 抜けば、力が解き放たれる。

 だからといって捨て置けば……、

「エレカ・アーレンハートとは、エレカ・プラチナム・アーレンハートの仮の姿。プラチナムの全てを永遠に封じ込めようとすれば、エレカ・アーレンハートもまた永遠の檻に閉じ込められるのじゃ」

 母親との誓い、か。

 分からない。想像でしかない。

 けれど、そう、想像することはできた。

 あの魔神に匹敵する……いいや、俺たちが魔神と呼んできたそれとイコールで結ぶべき、圧倒的な力。反逆の意思。それを封じ込め、しかし危険を冒してでも普通のエルフと変わらぬ姿で生活させたということは、つまり。

 それが母の願いか。

 そして俺たちは、とんだお節介焼きだったというわけだ。

「森は死んだのじゃ。儂の力を取り戻すために、ティルに頼んで剣を神樹に突き立てたのじゃ」

「それで、どうなる」

「プラチナムもまた十全の力を取り戻したはずじゃ」

「だから、それで……ッ」

「あれは手に負えんのじゃ。少なくとも前の時代で覇者の一角を狙い、負けて逃げ隠れることを選んだ儂では、たとえ全力でも足りぬのじゃ」

 諭す声音に、思わず息を呑んでしまった。

 俺は弱い、あまりにも。

「お主は逃げるのじゃ」

「そんな話、」

「あれにお主を殺させては、ティルの願いを叶えられないのじゃ。お主もエレカを想うのならば、逃げるのじゃ」

 どうして。

 何度となく去来した思いを再び噛み締める。

「幸い、来る時にちょうどいい人間を見つけておいたのじゃ」

「……?」

「道端で死にかけていた人間なのじゃ。苦手なのだが、癒やしの術で恩を着せてきたのじゃ。あれを頼れば――」

「無理だ」

 ちょうどいい人間と言われたところで違和感を覚え、続く話を聞いて確信する。

 森からここまで、途中で倒れている人間など一人しかいない。

 オッチだろう。

「それは俺が半殺しにした男だ」

「なんでなのじゃっ!?」

「……うるさかったから」

「お主は鬼なのじゃっ? まさか本当に獣人なのじゃっ!?」

「違う。ただ少し、そう、タイミング悪くうるさくてな」

 そもそも、だ。

 あいつがエレカの前で魔神などと口走らなければ……いや、あまりに身勝手な責任転嫁なのは分かっている。

 だが混乱した頭は、手っ取り早い答えを求めてしまうものだ。

 もし今、あの瞬間に戻れたなら。

 エレカよりも、オッチよりも夜目は利くし、耳も良い。気付かれる前に接近し、声一つ上げさせずに殺して離れたところに捨ててしまえば、こんなことにはならなかったのではないか。

 妄想甚だしい。

 分かっていても、考えてしまう。

 あの時、こうしていれば、と。

「俺は。……俺は、今、どうすればいい」

 痛いほどに奥歯を噛み締め、呻き声さえ上げられなくなった遠くの魔神を……。

 あれも旧き神なのだろう。

 忘れ去られ、名前も分からぬ神を見やる。

「エレカを取り戻す」

「無理なのじゃ」

「無理でいい。方法は?」

「無茶言うのじゃ」

 グレイは少女の無邪気な笑みを浮かべ、転がる鈴の音に似た声で紡ぐ。

「一つだけ、無茶で無謀で、どうせ無理な方法ならあるのじゃ」

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