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五話 オールドーズ

 かつて地上には数多の人類種が存在したと言う。

 人間である私たちエルフやヒュームの他、亜人や獣人と呼ばれた種族もいた。

 伝説の時代の話だ。

 現代、地上にはエルフとヒュームしか生き残っていない。暗黒期とも称される時代の断絶を境に姿を消し、魔王だなんだという眉唾の存在と肩を並べるだけになっている。

 ゴブリンやオーク、トロルにコボルト。

 今は亡き人類種の中に、しかし、その名を聞いたことは一度たりともなかった。

「なぁ、もう一人のオールドーズよ」

 何者だ、こいつは。

 オールドーズとは、なんだ。

 町の人々は驚きこそすれ、怪訝そうな顔は見せていない。

 何故だ、どうしてだ。

 美しく澄んだ、それでいて慈悲を感じさせぬ声。

 ……いいや、違うか。

 慈悲はある。あまりに無差別的で、容赦のない、一方的な慈悲の響き。私がもう一人のオールドーズならば、この無慈悲なまでに慈悲深き声の主もオールドーズなのか?

 だが、それは……。

「なんだ、どうした? 口が利けないのか、もう一人のオールドーズ」

 その存在は、女の声を紡ぐ。

 本当に?

 焼き切れんばかりの思考に追い立てられ、私にできたのはフードの中を睨み返すことだけだった。

「巡礼者様、巡礼者オールドーズ様」

 誰かが言った。

 誰だ。

 あの男か? そういえば、聞き覚えのある……この町では珍しく聞き慣れた声だった。

「彼女は、もう一人のオールドーズ様は今しがた長老をお救いくださった。それも治癒の魔法によって。僭越ながら、信頼できる方です。今はただ驚いていらっしゃるのでしょう」

 男が言った。

 私を擁護する言葉は、同じく擁護する響きに満ちていた。とはいえ、別段その存在を疑い、あるいは恐れているわけでもないらしい。

 それが分からなかった。

 何故なら。

「治癒の魔法? だとすれば、これまた奇妙なことだな」

 女の声で笑う、その存在は――。

「貴様に分からぬはずがないだろう。そうじゃないか、なぁ? 一目見て、分かるはずだ。違うか?」

 何かを試すような声を紡ぎ、歪んだ笑みを浮かべた口元には、唇がなかった。

 否、あることはあるのだろう。ただ見えないだけで。

 その存在の、そのフードの奥に覗く顔には、地肌が見えなかった。目の下から頬、顎の先に至るまで細く短い毛で覆われている。獣毛だろうか。だが、その存在は二本の足で立ち、私たちエルフにも通じる人間共通の言葉を操っている。

 獣であるはずがない。

 だというのに、獣のそれにしか見えない毛で顔中を覆っていた。体毛の方は分からない。全身を外套で隠しているし、唯一外套の外に出ている指先も手袋に包まれているから。

 ただ、たった一つだけ。

 私を射抜かんばかりに見据えてくる瞳だけは、人間の知性と底知れなさを宿していた。

「何が言いたい」

 一言、ようやく紡ぐ。

「そこの赤子だ。……いや、赤子とは呼べんか。若き母親に抱かれ、この世の憂いを知らぬ子のことよ。貴様とて、見えぬわけではないのだろう?」

 女、でいいのだろうか。

 毛のせいで表情は読めず、瞳は覗けるもののフードの陰にあって性別までは判然としなかった。

 とはいえ声は、女の私でも惚れ惚れしてしまうほどに美しい。

 これが女でないとなれば、私はなんだろう?

「お前は、私を疑っているんだな」

「疑う? いや、まさか。俺も貴様も、ともにオールドーズよ。その身に纏う外套こそ、我らオールドーズの証。違うか?」

 フードの下で女が笑う。

 あぁ、確信したとも。こいつは私がオールドーズでないことを、ヒュームですらないことを見抜いている。

 だとすれば、話は単純だ。

 この町の者たちは、私がエルフだと見抜けなかったように、女の顔が獣毛に覆われていることも知らないでいる。だから当たり前に接していられるのだ。

「違いない」

 笑って返せば、女――オールドーズも笑顔で応じた。

 奴が私を見逃すとは思えない。それでもオールドーズとは、巡礼者とは何やら特別な存在だ。町の中で私の正体を暴き、特別な存在を貶める真似はしないと見た。

「だが、これほど人々の目がある中で言うべきこととは思えない」

「どうしてだ? また奇妙なことを言う」

 オールドーズが声を上げて笑う。

 奇妙なことを言うと笑った、その女を誰もが奇妙なものを見る目で眺めていたが、気にする素振りは見せない。

「貴様、巡礼を始めて日が浅いようだな」

「だとしたら、なんだという」

「先達として教えてやろうと言っているんだ。死は特別なことではない。誰しもに訪れる、平等の末路だ。しかしな、中には忌むべき死があり、祝うべき死がある。貴様とて知らぬわけではあるまい」

 祝うべき死など、あるものか。

 吐き捨ててやろうかとも思ったが、これは助け舟なのだろう。先達が教えてくれると言うのだ。黙って聞くのが己のためか。

「若き母親よ、喜びたまえ。そして人々よ、祝いたまえ。そこの子は神に選ばれた、無垢なる子だ。言葉は毒にも薬にもなるが、そこの子はどちらも必要とはしておらん。ゆえに拒むのだ。穢れた人の世を知らぬまま、神のもとに導かれる子よ。神のもとで戦い、我ら人類を次なる時代に導いてくれたまえ」

 私だけではない、その場にいた誰もが沈黙し、オールドーズの声に耳を傾けていた。

 ただ一人、赤子のごとき子供だけが我関せずと泣き続ける。

 堰を切ったのは誰だったか。母親だったかもしれないし、あの男だったかもしれないし、私が知らぬ誰かだったかもしれない。泣き声だけが響いていた町に、途端、狂乱じみた大合唱が持ち上がった。

 それに驚き、子供がまた泣き声を強くする。

「騒ぐな、騒ぐな。神に導かれし子が嫌がっている。静かに、厳粛に、送り届けて差し上げるのだ。子が神のもとに導かれた後、大いに喜び、祝いたまえよ。それまでは騒いではいけない」

 オールドーズに窘められ、町の人々はようやく静けさを取り戻した。

 誰もが興奮しながら、必死の思いで感情を押し留めている。奇妙を通り越し、恐怖させられる光景。その中にあって、オールドーズだけが私の目を見据えてきていた。

「それはそうと、町に入る前に外で川を見た。あれはまだ使っているのか?」

 唐突な言葉。

 だが戸惑うことなく、私を案内してくれたあの男が口を開いた。

「えぇ、あれでも浅く汲んで濾過すれば使えますので」

 逆だろう。あんな川でもどうにか汚れを取り除いて使わなければ、水不足で生きてはいけない。

「なら、下流を借りる。見たところ、この新米が来たのは今日だな?」

「はい、えぇ」

「ならば身の清め方から教えてやらねばいかん。日暮れには終えるゆえ、その間は何人なりとも町から出ることのないようにな。どうせ、この時世だ。町の外に用事があるとも思えんが。水汲みが必要なら、代わりに俺がやろう」

 オールドーズが言えば、男のみならず町の人が総出で首を横に振った。

 そんなことをさせるわけにはいかない、今日明日の分くらいは既にある、だからどうか……などと口々に異を唱える。巡礼者オールドーズとは、それほどの存在らしい。

 フードの下で、またオールドーズが笑う。

「そうか。まだ診るべき病人や怪我人がいればそちらで順を決めておけ。祈りには集中が欠かせない。途中で邪魔されては、救える命も救えないからな」

 傲岸不遜な物言いながら、今度は誰一人として異を唱える者はいなかった。

 満足げに、笑みが零される。

「よろしい。……と、そうだ、若き母親よ。貴様は、己が子が神に導かれるその時まで、常に寄り添っておくのだ。子を守るが母の務め。この世のあらゆる穢れから、その子を守るのだ。よいな?」

「はっ……はい! 勿論です、勿論ですとも!」

 何度も、何度も頷く母親の顔には、笑みがあった。

 何もかもを信じ込んだ、私やオールドーズは何もしていないのに既に救われたかのような、憂いなき晴れやかな笑みが。

「オールドーズ、話が――」

「もう一人のオールドーズ、だ。貴様も俺も、ともにオールドーズなのだから」

「……もう一人のオールドーズ、話がある」

「後で、だ。まずは身を清めるのが我らに必要なことだろう」

 町の中では話せない、か。

 オールドーズの表情は読みにくいが、瞳は雄弁に語ってくれる。存外、優しいのかもしれない。あるいは町の人々の前だから、これでも体裁を保っているのか。

「承知した。先達には、素直に従おう」

 どこまで信用できるかはともかく、ここで断っては情報を得る機会を失う上に人々の不信感を煽るだけだ。

 実質、選択権はない。

 せめてこれほどまでに人々から信頼される巡礼者、オールドーズとやらを信じるとしよう。

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