46.5話 滅びを選んだ者たち
救えた命と驕る気はない。
救えなかった命を、死にゆく運命にあった者たちを、それでも誤魔化すのが俺たちだった。
だから。
せめて。
歯を食い縛る。
まだだ、まだ終わってはいない。
「禍福、追わなくて――」
「話の途中に失礼した」
緋色の声を遮って、議長へと向き直る。
ルネを、あのリーダー格を失った二頭の竜馬が落ち着きなく辺りを見回し始めた。時間がない。
あぁ、そうだとも。
知っていた。
時代は終焉へと向かっているのだ。どこに時間なんてある。ただでさえ有限の時間は、砂時計のように刻一刻と終わりを数えてきた。まるで嘲笑うがごとく、これ見よがしに。
「それで、森がどうしたと?」
「……剣閃、でしたか」
「森はどうしたと聞いている」
詮索などしている暇が互いにあるか。
今にも滅ぼうとしている矮小の国に、既に滅んだ森を想う余裕があるものか。
「その様子では――」
「答えろ」
円卓を回り込むには時間がかかる。
しかし手前の椅子を蹴り、卓上に上がれば、向こう側までは一跳びだ。飛びかかり、締め上げれば話は早いか。
幸い、議長もそこまで愚かではなかった。
「端的に申し上げましょう。森は、既に失われた後でした」
「知っているとも」
でなければイスネアが未だ滅びず、それでいて繁栄を取り戻してもいない理由が説明できない。
富を奪えず、かといって反撃も受けなかったとなれば、敵がよほどお人好しだったか、そもそも奪う前に失われていたかの二つに一つだ。
「森はどうなっていた」
「報告によれば、燃えていたと。部隊が到着した時、森は燃え尽きかけていた。木々は炭化し、降りしきる雨の中で黒煙が上がっていた。それが生き残った兵士の話です」
「生き残った?」
「魔物の話を聞きたいのでしょう? あの森は今、魔物の巣窟と化しています」
……?
どういうことだ?
緋色に一瞥を向け、判断を訊ねるも、返ってきたのは左右に振られた首だ。
「それほどに強力な魔物が出たと?」
そんな馬鹿な。
エルフは伝説において、妖精王に率いられた存在。妖精王は女神に味方し、魔王と対峙した。必然、魔物はエルフにとっても敵のはずだが。
「あなた方もオールドーズなら、魔剣の伝説……いえ、逸話はご存知のはず」
「……? それが、どうした」
「その使い手がいたのではないかと。国が痩せ細ったとはいえ精強なる軍人たちです。彼らは……ですが、たった一人のエルフに壊滅させられました。圧倒的な剣技に、為す術なく蹂躙されたと」
「本気で言っているのか?」
あまりに馬鹿げた話だ。
森に魔剣があったとして、ではエレカが携えたあれは?
メイディーイルで見た、あのエレカではない女は……?
それとも魔剣が二振りあったか?
冗談だとすれば笑えない。
だが現実だとすれば、最早笑うしかないだろう。
「時間が惜しいと言ったのはあなたではないですか、禍福。私たちが今ここで、あなた方に嘘をつく理由があるとでも? それに見れば分かることです。森は燃え、既に失われているのですから」
ふざけた話だ、何もかも。
エルフどもめ。何が誇りだ。森を焼き、命を捨て、そうまでして守るものが誇りなどと……。それこそ誇りを踏みにじる行為ではないのか。
いかに、認め難い現実を目の当たりにしようともだ。
「失礼、魔剣の使い手だから魔物だというのは、早合点が過ぎるのではありませんか?」
この場において……。
否、既にいないエレカを含めても、真実を知るのは俺と緋色だけだ。
森を燃やし、命を捨て去り、それでもなお葬らねばならない現実があったことを俺たちは知っている。誇り高きエルフがいずれ選びかねない末路だということも、想像はしていた。
だが、だがしかし、だ。
噛み締めた奥歯が軋みを上げる。
嘘であってくれ、勘違いであってくれと願ってしまいそうだった。
「死してなお、……いえ、死したからこそ兵士は尊厳を守られ、丁重に葬られるべきです。たとえ魔剣の使い手がいようと、国のために散っていった者たちの亡骸を回収すべく生き残った兵士と、志願した民間人からなる部隊を派遣しました」
議長が一瞬、言葉を探して沈黙した。
「その者たちは皆、生きて帰った。亡骸も全て回収できた。……だが」
「しかし、揃って証言しました」
老婆が継いだ言葉を、議長がまた引き取る。
最早秘するほどのことでもないのだと、紡がれる声色や議員たちの表情から悟った。国民にも知れ渡っているのだろう。
道中でエレカの耳に入らなかったのが幸いだ。
あるいは嫌われ役を演じ、演じさせた甲斐があったというものか。
「魔剣の使い手は文字通り枯れ果て、骨と皮だけになっていたと。そして燃え尽きた森からは唸り声が、尋常ならざる声ばかりが響いてきたと」
くそったれが。
唾を吐かずにいられたのは、ただそんなことをする習慣がなかったからだ。
でなければ唾でもなんでも、ありとあらゆる罵詈雑言とともに吐き捨てていたことだろう。
「あそこは既に、エルフの森ではありません。異形の、恐らくは魔物たちの森と化しています」
しくじったのだ、エルフどもは。
なんのために。
いったい、なんのために……。
「懐かしいな」
「禍福?」
「久しぶりだ、こんな気持ちにさせられるのは」
家々が、人々が、人生の全てが詰まっていた帝都がなんの感慨もなく、冬になって木々が葉を落とすかのように蹂躙されていくのを見た時、この胸に抱いた感情。
虚無感と、そして憎悪。
「魔物は、エルフの森から出てメイディーイルを襲ったと?」
そんなはずがない。
イスネアの人間が魔物だと思い込んでいる存在は、決して森から出ることはないのだから。
「いえ。ですが、他に可能性がありますか?」
「誰も見た者はいないのだろう?」
「その回収部隊には俺もいた。あんなものを聞けば悪夢を見る。聞かずとも、悪夢にうなされる家族を見れば、不気味がって近付く気も失せる」
若い男が答えた。
つまりは、イスネアにも情報はないのか。
「緋色」
「はい」
本来ならば要らぬ言葉を、見せるために言ってやる。
「この件は貴様に預けた。特命で帝都に行く手筈だったな?」
「えぇ。ですが先に、教会の支部に寄る必要が出てきました。帝都には、その後で」
「ならばイスネアの件も任せる。どうやら義賊団に物資を横流ししている支部があるらしい。そこを締め上げ、多少なりとも回してやれ」
「言われなくても」
一秒も惜しい今、こんな茶番に付き合ってやる必要があるのか。
だが、エレカは竜馬たちを可愛がっていた。名前まで付けるほどだ。それを使い潰すのは、今となっては絶対に避けなければならない。
「議長閣下」
「はっ、はい!」
「そういうことです。確約できない物資で恩を着せるのも心苦しいですが、すぐにも竜馬の餌を手配していただけますか? 馬草でなくとも、野菜屑や塩漬け肉の骨でも構いません。用意できる分だけ――」
「十五分。それで発つ」
議長が立ち上がり、しかし円卓を回り込むのが煩わしくなったのか、若い男に向けて指示を飛ばした。
その時には席を立っていた男が俺たちを見、複雑な感情を顔に刻みながらも駆け出していく。
あと十五分。
あまりに長すぎる時間、大きすぎる遅れ。
ルネといったか。
あの竜馬は、何故だか知らないが妙にエレカに懐いていた。たとえ己が朽ち果てようとも、あれは主の願うままに走り続けるだろう。
俺がここまで乗ってきた竜馬、リューオに命じても追い付けない。たとえ他ならぬエレカのためでも、俺が命じるのとエレカが願うのとでは話が違う。
策が、ないわけではないが。
「緋色」
「構いませんよ、どうせわたくしの竜馬を貸せというのでしょう?」
話が早くて助かる。
できることなら連れていきたいが、緋色は誰より教会を信奉する根っからの巡礼者だ。それを曲げろと言うのは、エレカに森を諦めろと言うに等しい。要するに不可能だ。
「竜馬の足がなくなるのは痛いですけど、彼女がいなくなった後にどこまで素直に従うか分かりませんからね。不確かな足よりは、歩みは遅くとも確かな足を調達した方がいいでしょう」
イスネアより南下したところにエルフの森があるという。
巡礼者なら誰もが知っていて、ゆえにイスネア以南に足を伸ばす者はいなかった。
今では笑い話だが、オールドーズには妖精剣を恐れていた時代がある。一騎当千の戦士たちが都合よく各地の森に散って暮らしているのだ。わざわざ刺激し、ヒュームとの戦争に駆り立ててやる必要はない。
そう考えて距離を取ってきた習慣で、未だに巡礼の旅ではエルフの森を避けてしまう。
それでもいずれは対話しなければならない時が訪れると知っていたから、緋色もエレカには歩み寄りを見せたのだろう。できることならどこかでオールドーズに引き込み、森へ帰る前に真実を受け入れさせたかったのかもしれない。
それが叶わなくなった今、進むべき道はどこにあるのか。
「禍福、そろそろ時間になりますよ」
緋色の声で我に返る。
随分と長いこと考え込んでいたらしい。
主人に置いていかれた二頭の竜馬がソワソワし始めている。リューオとフシュカ。ルネに比べて良く言えば我慢強く、悪く言えば鈍感そうだった二頭でも、やはり一人と一頭が戻ってこないことは悟ったようだ。
「リューオ」
「……」
「フシュカ」
「…………」
二頭して無視……こそしなかったものの、鳴きもせず億劫そうに視線を持ち上げた。
癪だが、そろそろ教えてやろう。
「貴様らの主人を追いかける。その背中に、俺を乗せてくれ」
途端、二頭揃って尻尾を振った。
「すん!」
「フッフ!」
現金な奴らだ。
けどまぁ、それで構わない。
「俺のためじゃなくていい。あいつのために走ってくれ」




