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四十六話 終焉の時代に滅びゆく

 イスネアは都市国家である。

 それは今まで旅してきた帝国と違い、広大な版図を持たず都市一つをそのまま国家とした体制のことらしい。

 一つの森で人生の全てを終えるはずだった私には、それが自然に思える。

 しかし、ヒュームにとってはそうではない。

 国力……すなわち国の武力や影響力といった存続に直結する力が強くなればなるほど、比例的に版図も広がるのだとか。

 イスネアまでの道中、暇を見つけては禍福と緋色が教えてくれたことだ。

 より多様な土地を手にすれば食料でもなんでも優位に立てるし、反対に土地を持つ地方の人々にしても強大な国の庇護下に入ることで周辺の他国から侵略を受ける危険が減る。

 とはいえ、そうした辺境の土地が必ずしも恵まれているわけではないことを、イスネアはその歴史で証明してみせた。

 辺境都市は、中央の目が届きにくいという事情から悪事を許してしまう。

 イスネアに蔓延った悪は汚職と圧政。それに耐えきれなくなった人々が反旗を翻し、武力でもって独立を勝ち取った。

 ゆえにイスネアは都市国家と呼ばれる。

 帝室が代々治め、六公爵家が絶大な権限を持つ帝国に恨みを持つことから、権力の集中を避けた政治体制を取っていた。

 その名も共和制。

 国を率いるのは評議会という十一人の代表者である。

 便宜的に議長が国の長となるものの議員には任期があり、引退する際には残りの議員の中で最も在籍期間の長い者が自動的に後を継ぐ決まりらしい。

 最初に聞いた時は、随分と面倒臭いルールを定めたものだと思った。

 だが、現実とは何より雄弁なものだ。

「どうぞ、お掛けください」

 案内された立派な建物、評議会議事堂の最奥に案内された時だ。

 広い広い、百人は優に入れるであろう広間に設えられた円卓に並んで座る五人の男女から一斉の視線を受け、思わず圧倒されて立ち止まってしまった。

「剣閃っ!」

 小声ながら鋭く緋色が言った。禍福がくすくす笑う。

「掛けろと言われても、はてどこに? 席次が決まっているにせよ、そんな穴だらけの円卓に座れとでも?」

 私の沈黙を、怯んだと取られないように助け舟を出してくれたのは分かる。

 ただ、そうまで喧嘩腰で臨む必要があるだろうか?

 私たちとは今初めて顔を合わせる五人の評議会議員がピリリと鋭い気配を発した。

「ここは本来、客人を招き入れる場所ではないのだ」

「然り。いかに教会の巡礼者であろうとも例外はない」

「それにもかかわらず招いていただいた……いえ、招かせてしまったことをお詫び致します」

「構いません」

 緋色の謝罪に、堂々たる風格で応えたのはクルス議長だ。

 彼女は円卓の奥、入り口に立つ私たちとは真反対に位置する席までぐるりと歩いていき、その唯一金色の装飾が施された椅子に腰を下ろした。

 あれが議長席なのだろう。

 そこから左右に五脚ずつ、議員用の椅子が並ぶ。

 しかし今、その半数が空席だった。急な招集に応じられた議員は、議長その人を除いて男が四人、女が一人。どれも大なり小なりシワが刻まれた顔に、更にシワを深くするような重苦しい表情を貼り付けている。

「オールドーズが終末を予言したとの噂は聞き及んでいます。ですが終末など世迷い言に過ぎぬと、伝説でしかない魔王や勇者、そして神に縋った者たちの戯言だと笑い飛ばされてきたのが現実でしょう」

 彼ら五人の代弁をするがごとく、議長席に座した金髪碧眼の彼女が凛と声を上げた。

 私たちは結局、円卓の空いた席のどこにも腰を落ち着けられないまま話を始めるに至っている。

 まぁ、あそこに座っても居心地は良くあるまい。

 むしろ目を離せるはずもなかったルネたちを連れたままなのもあり、こうして広間でも特に開けた入り口付近に三人と三頭で集まっていられるのは都合が良かった。

「時代の終焉を、今更隠し通すつもりはありません」

 彼らは座り、私たちは立ったまま。

 だとしても緋色の声に、謙る色はあっても卑屈な響きは混じらない。

「しかし我々オールドーズが、そして女神が世界を救うことも、また真実。時代の終焉に抗い、人類を救うべく集い立ち上がる者こそがオールドーズであり、今ここにいるわたくしたちなのです」

「終焉も女神も興味はない」

 毅然とした言葉に、悲壮感さえ漂わせながら答えたのは誰だったか。

 円卓を見回し、震える拳を今まさに叩き付けた男を見つける。円卓に座す六人の中で、最も若く見える人物だった。

「だが、俺たちのイスネアが滅びようとしている事実は認める他ない。ゆえに無礼者であれ、帝国の差し金であれ、世迷い言を垂れる占い師風情であれ招き入れた。礼儀を払えとは言わん。俺たちも教会の言い分など鵜呑みにはしない。その上で問おう」

 男は唸る。

 震える喉を、どうにか制する音が聞こえた。

「教会には、俺たちを救えるだけの知識が、備蓄が、力があるのか」

 迷いのない、それでいて苦悩に満ちた声だった。

 それに対する緋色の答えは、ゆえに無慈悲な響きを帯びてしまう。

「ありません」

 たった一言。

 他ならぬ緋色が、帝国の生まれでも竜馬を従えるでもない緋色が断言したことに、男は喉を詰まらせた。うぐ、と漏れた息には絶望さえも滲む。

「であれば、話すことはなかろう」

 最早、彼は何も言えまい。

 沈黙してしまった男に代わって、反対側、私たちから見て右に座す老齢の女が口を開いた。

「儂らも伊達や酔狂で国の舵取りを担っているわけではない。民草に根強いオールドーズ信仰があることも知っておる。だが、ゆえにこそ儂らが教会に傾倒し、縋るわけにはいかぬ」

「確かに、わたくしどもも所詮は人の身。今すぐにイスネアを救い、人々の苦しみを癒やす術など持ち得ようはずもありません」

「千句を語らず、それでは何を語るつもりか」

 女の眼差しが私たち三人をじろりと見て回る。

 私に限って言えば、この会話に大した意味はない。私が救いたいのはイスネアより森で、救うべき民はヒュームではなくエルフである。独り善がりの我儘だとしても、選べと言われたら迷う道理がない。

 しかしオールドーズにせよイスネアにせよ、互いを蔑ろにするなど不可能なのだろう。

 一方は世界を救うと謳い、もう一方は存亡の危機だ。どうすれば見て見ぬ振りができようか。

「既にご存知の通り、わたくしどもは帝国領メイディーイルより参りました」

「文字通りの帝国の犬を連れておる。見て分からん者はおるまい」

 犬ではなく猫だ。

 そして竜馬を知らず、魔獣と早とちりしかけた不届き者もいる。

 ただ、それを今言って何になるだろう?

「貴様らイスネアの民は知らなかったようだがな」

「禍福っ!?」

 なんてこと言うんだ、お前は。

 門での一悶着の辺りから薄々感じてはいたけど、彼女は今、どの立場で何を喋っているつもりなんだ。意図的に誤解を招いて竜馬の餌を確保するまではいい。感謝もしよう。

 だけど、これ以上に敵対感情を煽って何になる?

「帝国憎しで歴史を教えぬのは、貴様らが守り導くべき下々の民を愚鈍な阿呆どもに成り果てさせる愚策よ。それとも何か? 圧政から学んで愚民政策でも取るつもりか?」

「禍福! あなたはなんてことを――」

「愚か者には、愚か者と教えてやるのが我らオールドーズの務め。救うべき弱者と、蹴飛ばすべき愚者を取り違えるな!」

 怒号ではない、それでいて有無を言わさぬ叫びが広間に響き渡る。

 腰を浮かせ、何事か言いかけてきた議員たちも黙り、返されるかに思えた緋色の言葉を待った。

 しかし――。

「貴様らは愚か者か、あるいは弱き者か。答えてみせろ」

 緋色の言葉が返されることはなく、代わりに禍福の言葉が続けられた。

「我らはメイディーイルにて魔物と遭遇、これを打ち倒した。これが意味するところが分かるか。被害が出ずに済んだから事なきを得たものの、出ていればどうなっていたか。かの街では魔神襲来が声高に叫ばれていたのだぞ」

 魔物、それから魔神。

 似て非なる二つの存在は、ヒュームには相当の衝撃を与えるものらしかった。

 信じていいものかと疑う眼差し。それでいて畏怖せざるを得ない、圧倒的なまでの恐怖と危機感。議員は、激昂し腰を浮かせかけた者さえ黙り込むしかなかった。

 一人、最奥に座る彼女を除いて。

「イスネアの民が祈ったとでも?」

「貴様も所詮、愚か者の一匹か」

 確かめる声音に、返されたのは突き放す響き。

 黙さず、声を上げてしまえたことが却って彼女を――、クルス議長を苦い顔にさせた。

「この期に及んで、何故分からん。今この瞬間、時よりも惜しいものがあるか。ヒューム同士で腹を探り合い、帝国だ共和国(イスネア)だと叫び合い、挙げ句、我らオールドーズ教会にまで疑いを挟むか。圧政を嫌った果てで戴いた為政者が治世もできぬ愚か者とは、これほどの喜劇もなかろうよ」

 それは怒号だった。

 あまりに露悪的な侮蔑を吐き連ねながら、声音には悲しみすら滲んでいる。

 何がそうまで彼女を衝き動かすのか。教会への信奉? 違うだろう。

 救えぬことを、己の無力を知る旅だと彼女は言った。それこそが真実だ。そこに怒りが、憤りが生まれないはずがない。

「魔物とは何か。伝説において、魔王が生み出した手勢である」

「まっ、待ってください! 伝説など、しかし信じられ――」

「信じられないなら、信じなければいい。貴様の自由だ」

 吐き捨てられた声は一転、あまりに力のないものだった。

 そこに座る女よりもなお老いた、最早一刻の猶予もなく死に迎え入れられる老婆のものと言われても、あるいは信じたかもしれない。

「伝説は、虚言妄言の類いではない」

 巡礼者の外套は表情をも隠す。

 しかし今、禍福の一直線の眼差しだけは目に見えずとも伝わった気がした。

「千句を弄さず、何を語るか? 真実である。我らが知る真実、それは時代の終焉。だが、だとしても救わねばならん」

 禍福は最早、己が誰と言葉を交わしているかも忘れ去ったようだった。

 問いかけに答える者であれば、それが誰であれ視線を交え、言葉を尽くしたことだろう。

「魔物は蘇ったのか? 生き残っていたのか? 何者かが再現したのか? どうでもいい。分からぬことは、分からぬ。だが、だからこそ問う」

 その眼差しは、確かに彼女へと届いた。

「貴様らは魔物の何を知る? 何も知らぬなら構わん。だが知っていて黙すならば、それは全ての人間に、延いてはイスネアの民にも弓引く裏切りと心得よ」

 議員たちが互いに顔を見合わせた。

 私に見えた光景が禍福に見えなかったとは思えない。それなのに彼女は黙り、ただ一直線に見据え続けた。

 視線の先、クルス議長が唇を歪める。

 何かを知っているのだろう。

 他人事のように抱いた思いが、次の瞬間には粉々に砕け散った。

「エルフの――」

 何を知っているんだ、と思わず叫びそうになる。

 待てば、話すと分かっていても。

 間延びした一秒は、一瞬は、あまりに長く冷たかった。

「エルフの森が、ここより南にあることは知っているでしょう」

 何を言うつもりだ。

 世界から音が消える。

 にもかかわらず、彼女の声だけは鮮明に響いてきた。

「魔物か否か、確かめる術はありませんでした」

 待て。

 待ってくれ。

 何も聞かないうちから、本能が悲痛に叫ぶ。

「ですから、魔物については何も知りません。代わりに話せることがあるとするなら、それはエルフの森についてです」

「……よもや関係があると?」

「分かりません」

 禍福の声にさえ迷いが生じていた。

 私のためにだろうか。躊躇う気配が感じられ、腹を括った。どうあれ、聞かなければ……知らなければならない。迷う必要など、どこにもないのに。

 喉が上下で張り付いている。

 声が出ない。

「私たちも、座して死を待つほど愚かではありません。評議会の権限を用い、エルフとの共存を選ぼうとしました」

 選んだ、ではなく?

 白く塗り潰されそうになる思考を、繋ぎ止めるので精一杯だった。

「私たちがこれほどに渇き、飢えているのです。エルフになんの影響がないとは思えませんでした。ゆえに知識を、技術を分け合い、ともに歩める道がないか模索しようと考えたのです」

 考えただけか?

 そんなはずないのに、そうであってくれと願ってしまう。

 私は愚かだ。

「しかし、答えは否でした。森へと送った使者は帰らず、捜索に出た軍の部隊が彼を見つけました。首と胴体を、それぞれ持ち帰りました」

 嘘などついてはいないと。

 目を見て、声を聞けば分かるのに、信じることができなかった。

 禍福も緋色も何も言えない。

 あるいは、言わない。

 クルス議長の声と、議員たちの息遣いだけが脳へと響き、染み渡る。

「エルフの協力は得られない。それどころか敵である。……何も知らない私たちに、彼らエルフを知らなかった私たちヒュームに、他の考えは浮かびませんでした。豊かな森で、喉の渇きも飢える苦しみも知らぬまま、のうのうと生きる彼らに」

 不意に断ち切られた声は、彼女の葛藤を教えてくれた。

 だが、それがなんだといのだろう。

「苦しむ私たちに、手を差し伸べぬ彼らは悪だと」

 聞きたくない。

 そう叫び、広間を飛び出していれば、まだ救いはあったのだろうか?

 分かっている。

 時間は不可逆であり、過去は過去のまま、永遠に覆ることはない。

「エルフの森へと侵攻し、富を奪う。そこまで直截な言い分ではありませんでしたが、国民より発議されたこれを評議会は全会一致で採決。残されていた兵を総動員し、エルフの森へと進軍を開始しました」

 けれど――。

 少しでも考えてみれば、思い返してみれば、すぐに答えが見つかったはずだ。

「ですが、森に踏み入ることは叶いませんでした」

 途端、思考が落ち着きを取り戻した。

 そうだ、と我知らず心を決める。やるべきことは最早、他にない。

「森は、既に――」

「ルネ」

 打てば響く。

 それまで静かに大人しく、言われるまでもなく良い子にしていたルネがふしゅんと鳴いて応えた。

 腕が掴まれる。

「待て」

 答える時間も惜しかった。

 目を見返し、腕を振り払う。私の腕を掴んだのが禍福だったと、その時ようやく知った。今となっては関係のないことだ。

「待ってください、いったい何を……」

 何を、だと?

 議長だかが言ったが、そんなもの問うまでもないだろう。

 身を翻し、ルネを連れて広間を出た。

 胸騒ぎなんて呼ぶには明確すぎる、吐き気を呼び起こした不快感が内臓を握り潰すようだ。一歩が重い。踏み出す度に、身体が大きく揺れる。

「シフゥ?」

「構わない、だいじょう……」

 声が途切れた。

 吐きそうになり、壁に手をつく。出口はどっちだったか。分からない。思い出せない。

「ルネ」

「ふしゅ……?」

「教えて、出口を」

 私の、向かうべき先を。

 背後で声がした。禍福の声。だけど言葉は届かない。彼女は追ってこなかった。

 隣には、ただルネだけがいる。

 他に二頭は、まだ広間にいるのだろう。

「フシュッ!」

 ルネが鳴いた。

 急に元気になったと思えば、足を止めて床に伏している。

 違う。

 乗れと、そう言っているのか。

「頼む。ありがとう」

「ふしゅるっ!」

 建物の中で竜馬に跨るなど前代未聞だろうか?

 ふざけたことを考えている自分を見つけ、妙におかしくて笑ってしまう。

 そもそも竜馬を建物に連れ込んでいること自体、前代未聞なのだろう。

「帰ろう」

 森へ。

 言おうとして、そこはルネの故郷ではないと思い出す。

 でも、別にいいか。彼らの祖先が生きた北の地は知らないけど、エルフの森も住みやすいところだ。生まれ故郷にはなれずとも、第二の故郷に――帰るべき場所にはなってくれる。

「ルネ」

「ふすっ」

「行って……ッ!」

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