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四十四話 未だ力持たざる者たち

 雨は程なく止んだ。

 義賊団の警戒の中でも――いいや、義賊団に周囲を固められているからこそ、私たちは変わらず交代で夜番を担いながら一晩を過ごした。

 義賊団も、早々に止んだ雨に肩透かしな思いを抱きながら、夜を徹して警戒を続けた。

 そして朝を迎えたが、幸か不幸か雨が降った以上の異変は何もない。

「分からねえな。気に食わねえ」

「言っても始まらない」

 ロベルトの唸り声に、禍福が応じる。

「それより、俺としては警戒を解くことを勧めるがな。持たんぞ、これでは」

「魔神との関わりを聞かされて、警戒せずにいられるとでも?」

「魔神相手に警戒して何になる。帝都ですら、何かが少し掛け違っただけで崩壊していただろう」

「帝都、な……」

 ロベルトはなおも唸る。

 朝、私たちは昨夜も足を運んだ広場に集まっていた。

 男たちは朝食などという気分でもなさそうだったが、食わずには動けない。交代で食べる義賊団の面々を脇目に、一足早く食事を終えた私たちは出立前の意見交換を交わしている最中だった。

「俺も噂は聞いた。確か七家……いや、六公爵の跡取りが死んだとか」

「帝室もかなり低かったとはいえ、継承権を持つ者が瓦礫の下敷きになった。珍しい話じゃない」

 だがな、と唸るロベルトに、禍福は嫌気の差した顔を覗かせる。

 緋色も何か言いたげではあったが、強いて口を挟むほどのことではなかったのだろう。黙って両者の言葉を待った。

「なんにせよ、魔神はまともにやり合える相手じゃない」

「あんたでもか」

「俺に何ができる? あの帝都で生き延びたと言えば聞こえはいいが、要は逃げ隠れただけだ。民を、帝室を守るために散っていった者たちには肩を並べられない」

 悔悟が滲む声だった。

 ただ我が身可愛さに逃げ隠れていたわけじゃないことは、以前に聞かされた話からも想像に難くない。加えて、そもそも立ち向かうことが無謀な相手だ。

 あの魔物よりも手に負えない存在など、どうすればいいのか。

 分からない。

 私は魔神を知らない。

 メイディーイルで魔神の襲来を聞かされた時の感情は、今でも鮮明に覚えている。だが、知らないのだ。それがどんな姿形をしているのかさえ。

「魔神も魔物も関係ない」

 難しい顔をする二人に、そんなことを言っていいのか迷わなかったわけじゃない。

 しかし胸中から滲み出てきたかのような答えに、それ以上悩む余地はなかった。

「私たちは今、目の前にあることに立ち向かっていくしかない。雨が魔神の仕業なら結構。喉の渇きで死ぬ危険性を恐れずに済んだと喜んで終わりだ」

 いくら魔神が力を持とうと、進んでしまった時計の針を逆回しにはできないだろう。

 終焉へと向かおうとしている今の時代は、誰しもに苦しく苦い取捨選択を強いる。

「全てに備え、全てを叶えることなど叶わない。認めたくはないが、あの新入りの男の言葉が真実の一端を示した。選ぶしかない。何を捨て、何を拾うか。何を試み、何を諦めるか。私は決めた。もう迷っている暇はない」

 毒を食らわば皿まで、だ。

 清きも濁りも併せ呑み、望むはただ一つ、森の未来。

 森を救い、守ることこそ私の誇りだ。エルフが時に命よりも重要視する森と誇りだが、今となっては同義に等しい。片方を失えば、もう片方をも失うのだ。

 だというのに、何を迷っていられる?

「ルネたちを連れてくる。……いいな?」

 ダメと言われても従う気はない。

 だがロベルトは肩を竦めるのみで、私の単独行動を止めようとはしなかった。もしかしたら言葉の端から見透かされていたのかもしれない。

 食事のための広場を後にし、一夜を過ごした建物へと歩を進める。

 オルサの街は未だ騒然としていた。無理もない。長く続いた干魃の時代に、立て続けに二度も大雨が降ったのだ。昨夜の私たちの会話を知らぬ者でも、多かれ少なかれ違和感や恐怖心は抱くに違いない。

 ただ、そんな慌ただしい喧騒の中でも、我関せずと特有の佇まいを崩さない者もいた。

 黒髪の男だ。

「剣閃だったか? よくもまぁ、こんな一番の厄介者から目を離せたもんだな」

 目が合うなり、失礼なことを言ってくれる。

「お前たちに敵対するメリットが私にはない。それよりルネたちを……竜馬を迎えに来たんだ。用がないなら、どいてくれ」

「別に邪魔をする気はない。ロベルトがいいと言ったなら、尚更な」

 言うと、黒髪は半身で道を空けた。

 他の男たちと違って、慌ただしく動き回っていた素振りはない。広場でも見なかったし、朝食もまだなのだろうが……だとしたら、何をしているのやら。

「お前は暇なのか?」

「そういうあんたは、昨日から見違えたな」

 話が噛み合っていない。

 そもそも噛み合わせる気もないのか。

「昨日、あんたは聞いたな」

「何を?」

「この世界に、時代に恭順するかと」

 そういえば、そんなことを言った気もする。

 そこまで覚えているわけじゃないが、問うた直後に雨が降り出したから答えを聞かず仕舞いだった。それで少し記憶に残っている。

「あんたは、できると思うか?」

「何がだ」

 言葉の足りない会話を一蹴し、緩めていた足をまた前に踏み出す。黒髪の男は横に並んだ。

「悪いが、時間がないんだ。繰り言ならロベルトにでもすればいい」

「繰り言じゃないさ。本気で聞いている」

「だから、何を?」

 足を止める。

 そこはもう目的地、ルネたちが待つ建物だった。

 鎖で繋いでいるわけでもなし、足音か声かで私の到来を知ったルネが顔を覗かせる。黒髪はそれを一瞥し、改めて私を見据えてきた。

「世界に恭順する気はない。だったら、世界にこそ恭順させるしかない。違うか?」

 無茶苦茶なことを言う男だ。

 それでいて、一蹴しようにもできなかった。

 深紅の眼差しが、あまりに真剣だったから。

「伝説において、魔王は確かに世界を手中に収めんとした」

「伝説上の話だ」

「それをあんたが……オールドーズの巡礼者が口にするか?」

 私は巡礼者ではないし、教会との関わりもない。ただ禍福とともに旅をし、緋色と出会い言葉を交わした程度のこと。

 しかし、言っても始まるまい。

「まさか魔王になるなんて言うつもりでもないだろう?」

「そりゃ、まさかだ」

 黒髪は肩を竦め、笑っていない目で笑った。

「けどな――。魔王だか勇者だか、女神だか聖女だか知らないが、世界に挑んだ者がいる。世界に挑まんとした者に、負けじと立ち上がった者がいる。だから、これが答えだ」

 彼は、私の問いに答えると言った。

 そのはずなのに、分からない。

 彼の深紅の瞳は何を、どこを見ている?

「跪けと世界が言うなら、俺様こそが跪かせる。ここに我在りと、名乗りを上げよう」

 曖昧模糊の言葉を、尊大で不遜なだけの戯言だと笑い飛ばすことは叶わない。

 私を見据えているようで、どこか遠くを見やる瞳。そこに確固たる輝きを認めてしまえば――。

「誤解するなよ、俺様にも誇りはある」

 誇り。

 偶然か必然か、それは私の心に突き刺さる。

「なぜ、それを今?」

「勤勉で努力家で矜持を持ちながら、虐げられる側に回る者がいる。弱者を嘲り、貶めるのは強者のすべきことじゃない。俺様は強者となろう。力によって、成すべきを為そう。オールドーズは、あんたらは……。剣閃、あんたはどうする?」

 強者などと驕ったことは一度もない。

 ただ一方で、尋常ならざる力を手にしているのは事実だ。

 力を持つ者が強者であるなら、私にも責務があると言いたいのか。

「私にも誇りがある。救うべきを救い、守るべきを守ることに迷いはない」

「そのために、剣を取る必要があっても?」

「……? 無論だ」

 緋色の錫杖と同様、腰に差した剣は外套でも隠せていない。

 まさか剣の正体を見抜いたわけでもあるまいが、わざわざ柄と鞘を結んでいるところを見れば何かしら察するのだろう。

「ならば剣閃――」

「おい、何をしているっ!」

 意を決した様子で何事か言いかけた黒髪の声を、別の聞き慣れた声が遮る。

「剣閃! 竜馬を連れてくるだけでどれほど時間をかけるつもりだ」

 黒髪と対峙しているのは見えているはずだが、声の主、禍福は意に介さぬ声音で言い放った。

「待て、話を――」

「義賊の若造と? 貴様も、油を売っている暇があるのか? ロベルトはまだ厳戒態勢を取り続けるつもりらしいぞ」

「禍福……帝都の生き残りか」

 二人の鋭い視線が絡み合い、隙あらば互いを貫かんとするようだった。

「何か文句でも?」

「いいや。言っとくが俺様は、あんたの女に手を出すつもりはないぞ」

 女って。

 顔や声を隠しても言葉の端々から見抜かれる覚悟はしていたが、それにしても禍福の女呼ばわりとは……。

「喧嘩を売っているつもりか?」

「待て、事を荒立てる気はない。……ただ」

 黒髪はため息を零し、ちらりと私を一瞥した。

 否。

 私ではなく、私の足……違う、腰だ。剣を見やった。

「剣閃とまで呼ばれる剣の腕なら、稽古の一つも付けてもらおうと思っただけだ」

 肩を竦めてみせた黒髪は、取って付けたような言葉で禍福の追撃を躱す。

「見ての通り、俺にはロベルトほどの体格はない。純粋な力で無理なら、技術を身に付けるしか生き残る道はないからな」

 大きさは、なるほど力だ。

 私も禍福……というか、ヒュームの女に比べたら上背がある方だけど、男に比べたら上背も肩幅も足りない。

 しかし。

「悪いが、期待に応えられそうにはないな」

 探してはみたものの、事実をありのまま伝える以外になかった。

「何事にも、近道はない。剣の腕を磨きたければ、日々何百何千と振り続けるだけだ。小手先で覚えた剣技など、命を預けられたものじゃないだろう?」

「……違いない、か」

 黒髪は呟き、雑念を振り払うように頭を振った。

「悪かったな、邪魔をした」

「いや。貴様も、貴様の言い分も気に入らないが、認めなければいけない真実もあった」

「もう出るのか」

「出る」

 と横から答えたのは禍福だった。

 昨日は堪える素振りを見せなかったが、腹の底に思うところもあったのか。普段の無関心に似た冷たさと違い、明確な拒絶と嫌悪が滲む態度だ。

「剣閃、話は終わった」

「分かっている。先を急ぎたいのは、誰より私だ」

 納得していない顔だが、不承不承頷く禍福。

 まぁ、誰しも相性が悪い相手というのはいるものだ。それが私にとってはロベルトで、禍福にとっては黒髪の男だったのだろう。

「行こう」

 呟くように言って、ルネたちを呼ぶ。

 三頭の竜馬は欠伸を噛み殺す表情で通りに出てきた。行くのか、と目で問うてくる。そんな気がするのは錯覚だろうか。

「行こう」

 今度は呟きではなく、明確な意志を乗せて言った。

 ルネがフシュルルと吠えて応える。

 その後ろにいたリューオが禍福を見つけ、のんびりとした足取りながら近寄っていった。それぞれ己の主人も覚えて、順調なばかりでもない旅にも進歩は見られる。

「禍福」

「あぁ」

 それ以上の言葉はいらない。

 旅は続く。

 まだ、もう少しだけ。

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