四十三話 二者択一の摂理
オルサは三度滅んだ。
一度目はイスネアの武装蜂起により、帝国に捨てられて。
二度目はイスネアが企図した前線押し上げの際、その鋭鋒に選ばれた将軍が帝国側に寝返り。
三度目は、街を牛耳った民兵崩れの無法者たちが、更なる暴力によってねじ伏せられ。
そうして街の支配者となった最後の簒奪者こそ、義賊ローゼンだった。
ゆえに彼らは、ローゼン義賊団を名乗る。
街に点在する石組みは武装蜂起後、最前線基地とするはずだった計画の名残りらしい。そもそも十全に建てられた家屋すら少なく、ローゼンの支配下に置かれた後も大半の家は石ではなく木材で補修されたとか。
しかし、何十年も前の話だ。
どこまで真実か確かめる術は、少なくとも私の手元にはない。そして知りたいという意欲もまた、私にはなかった。
帝国の、ヒュームの歴史に興味などない。
だが興味があろうとなかろうと、知らずにはいられぬ道理もある。
支配者は、いつまでも支配者でいられるわけじゃない。
暴力で成り上がった支配者に待つ未来は、同じく力で打ち倒されるか、そうでなければ暴力以外の力を手にするかだ。
支配者の系譜に並んだ男、ロベルトが選んだのは後者だった。
暴力ではなく知恵で、支配ではなく為政を行う者。
街とは呼べぬ規模だが、人が集まるところに問題は必ず起きる。それを始末するためには、否でも応でも知識を蓄え知恵を磨かざるを得ない。
「魔神も魔物も見たことねえが、それが本当だとしちゃあ妙な話だ」
夕食の後。
大釜が片付けられた広場に残るのは私たちだけで、ざっくり円陣を組むように擦り切れた絨毯に座り込んでいる。
「ここには何も異変がなかったと?」
「あぁ。あったのは一昨日の雨だけだ」
私と禍福と緋色、ロベルトと黒髪の男。
敵味方とはいかないまでも二つに分かれた私たちが囲むのは、茶でも飯でもなく互いの知識だった。
否、知識よりももっと単純な、それは知見と呼ぶべきもの。
「言っちゃ悪いが、それの何が妙なんだ?」
黒髪の男が口を挟む。
話題はメイディーイルに襲来した魔物のこと。
「魔物といえば伝説上の生き物だ。そんなやつが姿を見せたとあったら、そりゃ妙だろう。だが、それだけじゃないのか?」
それだけ、と切り捨てるには大変すぎる出来事だった。
しかし、黒髪の男は非情であり、冷酷でもあるかもしれないが、無知蒙昧とは程遠そうだ。何か考えがあるのだろう。
「魔物にはメイディーイルを襲う理由があったと?」
怪訝そうな禍福やロベルトに代わって、私が問う。
黒髪の男は何か言いたげな眼差しを向けてくるも、問いに問いで返す真似はしなかった。
「それは知らない。そもそも気にしてるのは、そこじゃないだろう?」
「癪だが、その通りだ」
彼の言葉を引き継いだのは禍福だ。
「魔物がメイディーイルを襲った、それは事実だ。だが、どうして東側から攻撃した? 東には駐屯区がある。ここオルサで異変を察知でいなかったとなると、真東ではなく北か南寄りに移動してきたことになる。だったら北の商業区や南の居住区も攻撃できたはずだ」
なるほど、と納得しかけたのは、しかし数瞬のことだった。
攻撃するなら軍が構える駐屯区ではなく、守りが手薄な他の方角を狙えばいい。道理だが、それはヒュームにとっての道理でしかない。
「魔物がメイディーイルの地形を把握していたとでも言うつもりか?」
「無論、知らずに攻撃した可能性はあるだろうな。現に、あの破壊力なら防衛軍が総力を挙げてなお厳しい戦いになったはずだ」
圧倒的な力の差があるのだから、小細工など必要としない。
相手は魔物。
人間など取るに足らぬ相手なのだろうが……、違和感は拭えなかった。なんだろう。大して知っていることもないのに、ボタンを掛け違えた感覚があった。
「反対に、だ」
話は禍福と黒髪の間で転がされる。
緋色は沈黙を貫き、ロベルトも意見はないと言いたげに一歩引く姿勢を見せた。
「魔物に知性があるか、魔王なりなんなりの指示を受けて行動したと考えれば、敢えて軍を狙った意図は想像に難くない」
「貴様の言う、強者の理論か?」
「あぁ。野生の獣と同じだ。群れの頭を叩き、庇護者に相応しい力はないと示す。魔物からすれば、軍なんてもんは己の力を誇示するための引き立て役でしかないのかもしれない」
だが、自分の力を見せつけて何になる?
それこそ黒髪が言った通り、獣みたいに群れを乗っ取ろうとでもいうのか。魔物と人間。言葉も通じない群れを乗っ取ったところで、何ができるということもなさそうだが。
「まぁ、分からねえことをグダグダ言ったところで仕方ねえ」
頷きたくはなかったけど、割り込んできた声には賛成だった。
「その魔物は死んだんだろう? じゃあ、もういいじゃねえか。そんなことより、俺は急に降った雨の方が気になる」
一度は会話から身を引いたロベルトだったが、話の着地点が見えない……というより、どこに着地させる気もないだろうと悟ったらしい。
時代は終焉に向かっているという。
異変など数えだしたらキリがないとも思うけれど、目の前に理解不能なことがあったら気味も悪くなって当然か。義賊団の男たちも気味悪がって雨水には口を付けなかったと、黒髪の男が言っていた。
「はっきり言おう。魔物なんざより、あの雨について教会の見解を聞きたい」
ロベルトの語気は鋭かった。
有無を言わさず、代わりに拒否権などないと言いたげ。
「そういう契約だったな。といっても、確かなことは言えないんだが」
契約。
禍福が口にしたのは、男たちが私たちを取り囲んだ時に交わした交渉のことか。寝床や食料と引き換えに、こちらが差し出すのは情報だったはず。
「教会全体の見解は知らないが、あくまで俺個人としては魔神が出たと考えている」
なんでもない風に言ってのけた禍福だが、ヒュームにはやはり大きな意味を持つらしい。
ロベルトのみならず黒髪までも表情を強張らせ、何か言いかけていた口を閉じた気配が見える。ひとまずの反論がないことを見て取り、禍福は言葉を続けた。
「他言無用で頼む。まぁ、わざわざ言い触らす相手もいないだろうが……この干魃は、マナの枯渇が原因だと思われる」
息を呑んだのは緋色だ。
そこまで教えますか、と表情が訴えていた。しかし禍福は一瞥もくれず、淡々と言葉を続ける。
「魔神はマナの塊だ。詳しいことは何一つ分かっちゃいないが、あれだけの力をマナの助けなく振るえる道理がない。魔神が現れ、活動するということは、その身に蓄えた魔力を発散することにも繋がる」
禍福は一旦言葉を切って、誰の目にも疑問符がないことを確かめた。
「魔力とマナはほとんどイコールだ。発散された魔力がマナへと還って、局所的かつ一時的にだが、環境が元の形に戻ったと考えられる」
マナは万物の源だ。
川から蒸発した水が雲を作り、雨を降らせるように、枯れていたマナが一時的にでも供給されることによって、雨や風、その他あらゆる環境が干魃に陥る前の姿を取り戻した可能性は否定できない。
ただ、と但し書きは付く。
「近くに魔神が現れたなら、大なり小なり影響はあるはずだ」
「分かっている。だから俺も首を傾げていたところだ。魔神が出たにしては、被害が見えてこない。だが一方で、現れた魔神が暴れなかったからこそ、雨が降った可能性もある」
どういうことだろう?
禍福の言葉に首を傾げたのは、ロベルトも黒髪も同じだった。
「どういうことだ」
「マナは無限に等しいが、魔力は有限だ。魔神が破壊へと魔力を行使すれば、長い目で見た時にはマナへと還るにしても、短期的に発散されるマナの量は限られている」
マナから魔力へ、魔力からマナへ。
双方の区別をあまりしてこなかった私からすると難しい話だ。
しかしヒュームには、感覚的に理解できる話なのだろうか。ロベルトは納得しきれない表情ながらも頷いて返した。
「つまり、マナの溜め池か?」
「溜め池……言い得て妙だな」
禍福が笑って頷く。
「確かに、そうとも言える。マナを魔力に変えて蓄え込んでいた魔神が、今度は魔力をマナへと変えて放出する。農期に備えて溜め池を作るのと同じか。問題は――」
「皆まで言われなくても分かってる。魔神に、そんなことをする理由がない」
「溜め池は人間が、人間のために作るものだからな」
ロベルトが遮った言葉を、あろうことか黒髪がわざわざ付け加えた。
唸る吐息が夜空の下に零される。
「……だが、てーことはだ」
気を取り直した調子で、ロベルトが口を開いた。
「あの雨水は飲まねえ方がよさそうだな」
「いや、構わないだろう」
どこか苦々しい声で言ったロベルトに対し、禍福が返した声のなんと軽いことか。
「けど魔神の魔力が由来とあっちゃ……」
「なに、魔神がその手足から雨を生み出したわけじゃない。気にする気持ちも分からんではないが、気にしていられる状況でもないことは、ここで暮らしていれば嫌でも痛感するはずだ」
違うか、と禍福に見据えられれば、その視線を汲み取れないロベルトも言葉を詰まらせる。
「違いない」
時代の終焉。
あまりに現実味がなく、手を伸ばしても届きそうにない遠くの話に思える。
だが立ち止まって、ふと自分の置かれた状況を見返してみれば。
それが終焉に向かう時代なのだと、言われてしまえば。
「……嫌になるな」
嫌でも痛感すると禍福は言った。
そこに特別の意味はないと分かっていても、思わず頷いてしまいそうになる。
理解したくなくても、理解できてしまうのだ。
黒髪の男も言っていた。弱者に許されたものは何か。そしてそれは弱者に限った話ではない。
あるいは、そもそも強者など存在しないのか。
生きとし生ける皆が等しく弱者であり、それゆえに限られた選択肢から妥協点を見出すしかない。
何かを手にするためには、別の何かを諦めなければいけない。
全てを叶えるなんて不可能だと、夢見る子供でもなければ誰もが知っている。
「嫌なら、やめるのか?」
一瞬、禍福かと思った。
聞き違えるはずはないのに、訊ねてくるなら禍福だろうと何故だか思っていたのだ。
違った。
私に声を投げてきたのは黒髪の男で、彼は冷たくも棘のない眼差しを向けてきていた。
「何を?」
「生きることを、だ」
「ッ……。馬鹿げているな」
叶えたい全てを叶えられないからって、じゃあ全てをいらないと投げ出すのは子供の駄々と変わらない。
「私には、やらなければいけないことがある。禍福にも、緋色にも、お前たちにもあるんだろう?」
時代が滅ぶ。
文明が失われる。
それは世界などという、強いだ弱いだ論ずる次元にすらない存在を別にすれば、全ての者にとっての破滅を意味していた。
足掻いたとて、意味はないかもしれない。
だが、たとえ『かもしれない』ですらなく、本当にただただ無意味だと知っていても、無駄だと分かっていても、足掻かずにはいられないのが人間というものだろう。生き物と、いうものだろう。
「お前は言ったな、弱者に許されるのは恭順だけだと」
黒髪の男は、今なお私を見据え続けている。
「ならば恭順するか? この世界に、この時代に」
黒髪は口を開こうとして、やめた。
何かが不意にフードを叩く。
ぽつり、と。
風で砂礫でも飛んできたかと思って空を見上げたが、風など吹いてはいなかった。
それどころか、見えるはずの星空が見えない。
ぽつり、ぽつり――。
唐突に降り始めたそれは、瞬く間に勢いを増していく。
「新入り、全員叩き起こせ」
ロベルトが有無を言わさぬ声で言った。
私の問いに答えることなく、無言で立ち上がった黒髪は走りだす。
「……これは、そろそろ分からなくなってきたな」
「教会は何を知っているんだ」
「さてな。俺も知らん」
またもバケツを引っくり返したような土砂降りだ。
干魃など忘れ去ったかのように雨を降らせるのは空か、魔神か、あるいは世界か。
「ともあれ、屋根のある建物を用意させて正解だったな」
「まさか寝る気じゃねえだろうな?」
「貴様らが総出で警戒するんだろう? なら、俺たちは休ませてもらうさ」
全てを知ると謳ったオールドーズの巡礼者でさえ、諦観とともに肩を竦ませるだけだった。
激しさを増す雨音に隠れ、ふぅ、と吐息を零す。
やっぱり、嫌だな。
自分の手が届かないどこかで何かが起きて、その度に自分の大切なものが左右される。
それが世界だと、人生だと知っていたはずなのに、今更ながらに痛感させられた。
「なぁ、禍福」
「なんだ?」
立ち上がるのも辛いほどの雨粒が外套越しに叩き付けられ、ただの人の身がどれほど無力か思い知らされる気分だった。
世界だとか、時代だとか、よく分からないけど。
「オールドーズは、どこに向かってるんだ?」
禍福は答えなかった。
緋色も口を閉ざし、ロベルトは私たちには見向きもしないで、集まりだした男たちに指示を飛ばし始めている。
「もし、この雨が魔神の仕業なら――」
零した声は雨音に浚われる。
しかし、心の中に灯った思いは、凍えるほどの冷たさにも吹き消されなかった。
雨を降らせる魔神が――、時代の終焉に抗える強者がいるなら、その者に恭順を示せば私たちは救われるのだろうか?
誇りを諦めれば、引き換えに森を守れるのだろうか?
迷いはなかった。
悩む余地もなかった。
答えは否だ。
「行くぞ、剣閃」
禍福が歩み寄り、ほんの一瞬、辺りに視線を走らせた。
「今は寝よう。貴様は疲れているんだ、エレカ」
私の名を呼ぶ声。
それが気付かせてくれる。
私は、エレカだ。
剣閃などと呼ばれる存在ではなく、エレカ。
森を追放され、既に名乗る資格もないのだろうが、受け継がれてきた森の名を背負って生まれた一人のエルフ。
今ならば、父の言葉も理解できた。
誇りか森かの二者択一ではない。
誇りと森と、両方を双肩に担ぎ、私たちエルフは生きてきた。生きていく。
恭順すれば森を守れ、抗えば誇りを貫けるとしても、そこに答えなどあるはずがなかった。
剣の柄を、そっと撫でる。
禁忌とはよく言ったものだ。
力。
それはなんであれ、きっと手にした者を狂わせる。




