三十八話 オールドーズの巡礼者たち
空は晴れやかに澄み渡り。
枯れ果てた大地は、貪るように水分を吸い込んでいく。
ほんの十分、十五分ほどの降雨だったにしても、あの勢いを考えれば量も相当だったはず。にもかかわらず、大地は早くも乾き始めていた。
「この分なら昼には竜馬を走らせられるか」
「どうでしょう。朝にも乾きそうに見えますけど」
禍福が言うと、その斜め後ろを歩く緋色が応じた。
ルネは自分たちの話をされたのが分かったのか、それとも単なる偶然なのか、顔を上げてふすんと鳴く。リューオとフシュカも湿り気を帯びた地面が珍しいのか興味を見せる姿はあっても、足運びに不自然なところはない。
しかし、これから背に乗って走るわけにもいかなかった。
「朝には一眠りしたいんだがな。……貴様は眠くないか?」
隣を歩く禍福が笑い、返事も待たずに私越しに視線を向ける。
荷持持ちと化した竜馬たちが何事かと顔を上げ、なんでもないのかと察してまた各々の素の表情に戻った。同じ竜馬、どれも黒い短毛の猫に似た獣だが、表情には違いが見て取れる。
「落ち着かないなら走り回ってきてもいいんだぞ」
と言ってはみたものの、そこまで機微を汲んだ意思疎通はできそうにない。
ルネの頭をぽんと撫でるように叩き「好きにしな」とだけ呟く。ルネはふすんと鳴いて、私の隣を歩き続けた。
「まさかこんな旅になるとは思わなかった」
禍福が呟く。すると緋色もくすりと笑い声を零した。
私と禍福が揃って振り返る。
「いえ、すみません。確かにそうだな、と。巡礼者は数多くいますけど、こんな旅を経験したのはわたくしたちくらいではないでしょうか」
「巡礼者が三人なんて前代未聞だろうさ。しかもそのうちの一人がエルフで、竜馬までいるとは」
「巡礼者になったつもりはないけどな」
あくまで巡礼者の振りをしているだけだ。
ただ、そんなことを話したかったわけではないのだろう。
いきなり本題を切り出すのも不躾な気がして、また昨日の夜の緋色じゃないけど、真剣になりすぎて壊してしまうには勿体ないと思える程度には、私たちにとって今のこの空気が心地よかった。
それできっと、禍福も雑談の延長みたいに口を開いたのだ。
「エルフの森に向かう巡礼者というのも前代未聞だろうな」
緋色が黙る、というより沈黙を貫く意思を見せたのが背中でも感じられた。
「悪いな、荷物持ちをさせて」
「構わない。本当なら巡礼者は……いやヒュームは、もっと早くエルフのもとに向かうべきだったんだ」
禍福はそこで言葉を切って、遠くの空を見やった。
真っ直ぐ前ではない。少し右、私寄りに持ち上げられた眼差し。メイディーイルからイスネアに向かう、つまりは東進中の今、右側にあるのは最終的な目的地にして私にとっては始まりの地でもある、そこ。
エルフの森だ。
あの激しい雨は、森でも降っただろうか。
葉を叩き、枝を擦らせ、幹を伝う。それが森にいた頃の雨だった。雨上がりの日差しに輝く森は、いつか禍福にも見せてやりたい。勿論、緋色にも。
「俺たち巡礼者は世界を旅する。だが、エルフの土地には踏み込まなかった」
「そうなのか?」
「貴様の森は帝国領のすぐ近くだ。なのに貴様は、その外套の意味すら知らなかった」
言われてみれば、その通りだ。
ヒュームの行商とは取引があったけど、裏を返せば、ヒュームとは物のやり取りをするためにしか接触してこなかった。
他の目的で近付いてくる者は滅多にいなかったし、いても盗賊崩れみたいな輩だったから、森の奥深くに踏み入ることは叶わず、また生きて森の外に出ることもなかっただろう。
「貴様も少しは旅をしたんだ。巡礼者が旅をする目的、予想はつくか?」
旅の目的。
すぐ近く……と言われても実際にどこまでが帝国の土地なのかは知らないが、右も左も分からずに旅を始めた私が偶然に頼ってアーロンの町に辿り着ける距離だ。エルフの森は当然だが森であって、遠くからも目につくだろう。
わざわざエルフの森は避け、しかしヒュームの土地ならば国を跨いで行き来する。
その目的か。
「人助け、じゃないのか?」
「俺たちは終焉を防ぐ手立てを知らない。どうやって人を救えと?」
まぁ、そうなるか。
表面的に救った命は、確かに延命にはなっただろうが、いずれ死にゆく運命からは逃れられない。それでも救ったことは救ったことになるはずだ。
それを救いと認めないのなら、……それなら。
「求心力を高める、とか?」
オールドーズ教会の巡礼者。
その存在が持つ影響力は計り知れず、ただ外套を着ているというだけで見知らぬ町の見知らぬ者たちに歓迎されるほどだった。
「高めて、どうする?」
「それは……、分からないけど」
「まぁ、」
と肩を竦めかけた禍福だったが、そこで不意に口を噤んだ。
「緋色? 何か言いたいことがあるのか?」
「えっ? いえ、何もありませんが」
「……そうか?」
なんだったのだろう。
しかし、何もないと言われたら追及もできない。
「まぁ、そうだな」
禍福は呟き、苦笑してみせてから話を引き戻した。
「求心力は必要だろう。だが、それは旅の目的じゃない。旅を円滑に進ませるための手段だ。例えるなら馬草といったところか」
ルネたち竜馬の餌は今、緋色が乗るフシュカが持ち運んでいる。
それはルネとリューオが運ぶ調合薬と違って、私の旅の目的ではない。だからといって餌がなければ旅が成り行かないのだから、目的である調合薬と同じくらいに大切だった。
馬草に例えるのは、そういうことなのだろうか。
「俺たちの旅の目的、それは世界を知ることだ」
禍福が言う。
「……世界?」
私たちが生まれ、歩き、死にゆく世界。
あるいは、彼女たちオールドーズが全てを知ると謳う世界。
「世界中を隅から隅まで歩いて、見て、探して回る」
「探す」
「そう、探すんだ」
何を、とは問わない。
回りくどいまでの問答は、私にただ聞くだけでなく考えることをも求めている。
……けれど、悲しいかな。
「すまない。さっぱり分からない」
「だろうな」
禍福が声を上げて笑った。
背後で、緋色も声を潜めて……つまり思わず声を上げてしまう程度には笑っているのが聞こえる。
「禍福は意地が悪いですね」
「そうか?」
「現に旅をしている巡礼者でさえ、その問いに答えられる者は多くありませんよ」
なんだ、それ。
どういうことなんだ、と問う必要はなかった。
声にするより早く、答えがもたらされたからだ。
「巡礼者の旅、その本質は時代を越えることにあります」
「……は? え? 時代を、……なんて?」
急に話が飛んだ、ように聞こえたのは私の耳が悪かったからか。
しかし禍福は平然と頷き、緋色の言葉を引き取った。
「順を追って、と言っただろう」
笑い声はどこか遠く響いていた。
「オールドーズは前の時代から知識を引き継いだ。だが、前の時代は滅び、今の時代との間には深い深い、どれほどに深いのかも分からないほどの断絶が広がっている」
前の、今の、それぞれの時代。
それが早くも私には理解できない領域にあって、頭を捻ろうにも限度があった。
「断絶した時代には、ヒュームもエルフもいなかったと考えられる」
「すまん、さっぱりなんだが」
「要するに、我々は冬眠をしていたということだ。空が雲に覆われたのか、大地が氷に閉ざされたのか、どうあれマナが一切失われた世界では我々人間は生きていけない」
冬眠って、いや、待ってくれ、意味が分からない。
あまりに私の知る常識とはかけ離れていて、だからこそ、却ってよかったのだろう。
あるいは、そういう考え方もあるのかもしれない。
そう割り切り、だとしたら、と仮定してみれば理屈は想像できた。餌がなく、そのくせ寒すぎて体力を使ってしまう冬の間、穴にこもって眠り続ける獣がいるという。エルフの森は一年を通して過ごしやすい気候だから、そんな獣はいないけど。
ヒュームが暮らす土地にはそういう獣がいるとは知っている。
人間にとっての冬の時代、どこかに穴を掘って耐え凌ぐためだけの暮らしをしていたとすれば、頷けない話ではなかった。
「あぁ、そうか。探すと言っていたな」
それでようやく点と点が繋がった。
「つまり、穴を探しているのか」
「いや違うが」
繋がった、気がしただけだったらしい。
「まぁそう間違ってもいないんだが」
「回りくどいのはよしてくれ。いい加減、話が見えなくなってきた」
巡礼者の旅の目的。
滅んだ前の時代と、今の時代との間に隔たる断絶の時代。
そこに、何を見出すのか。
「繰り返すが、断絶期には人間がいなかったんだ」
「だから?」
「考えてもみろ。一つの街があったとする。その街が滅び、住む者は誰もいなくなった。そこに後からやってきた人間が、そこがどんな街で、人々がどう暮らしていたか知るには、どうすればいい?」
どうすればって。
そんなの、街を隅々まで調べ、て――。
「……常軌を逸しているぞ、それは」
「ほう? 想像がついたか?」
「前の時代の痕跡を探すってことだろう? この世界で? 広すぎる世界でか?」
私が生まれ育った森は、ヒュームが暮らす国に比べればずっと狭いのだろう。
しかし、だとしても一日で見て回るなんて到底できない。森には獣が住まう場所もあって、そういうところはエルフも近寄らないようにしている。共存と言えば聞こえはいいが、そういう場所を作ってやれば繁殖し、私たちが食べる肉になるからだ。
森の中にさえ、あらゆる環境が存在する。
人と獣の思惑が行き交い、意思なき自然が暴威を振るう――それが世界だ。
「勿論、ゼロからじゃない」
「地図があるとでも? でも、だからって――」
「違う。もっと単純だ」
熱くなりかけた気持ちを禍福の鋭い声が冷却する。
空回りする思考を制し、ただ続く言葉にだけ意識を向けさせた。
「前の時代にも、オールドーズはいた」
オールドーズ。
巡礼者の呼び名であり、巡礼者を擁する教会の名でもある。
「彼らは、時代の終焉を知っていた。自分たちが、世界の表舞台から去ることを知っていた。ならば、どうする?」
街を去る者がいた。
もし、いつかその街に人々が戻ってくるのだとすれば。
戻ってくると、信じていたとすれば。
「……前の時代のオールドーズが、時代を越えて、知識を託したと?」
考えてみれば、あまりに単純なことだった。
緋色が言っていたことじゃないか。
前の時代から知識を引き継ぐ。どうやって? 街に例えられて、ようやく単純なことだと理解できた。ヒントを貰えば、答えにも辿り着けるだろう。
街ならば、建物の中に書き置きでもなんでもすればいい。
街でなくとも、それこそ、自然にできた堅牢な洞穴にでも遺すか。紙や布なら風化するかもしれないが、鉄ならどうか。大地そのものに刻み込んだら、風化し消え失せるまでの時間はかなり稼げそうだ。
「禍福は、……緋色も、前の時代の痕跡を探しているのか?」
緋色の、その名の由来となった錫杖。
あれは遺物であると、伝説の時代から受け継がれた現代では再現不可能な技術の結晶であるという。
それと同じものを、モノだけでなく知識でもかき集めると?
「違うな」
禍福が笑う。
その笑い声は、どこまでも澄み渡っていた。
「俺たちは痕跡を探すんじゃない。痕跡を、遺すんだ」
ふと思い出す。
アーロンの町で、終焉の話を聞かされて、私はなんと訊ねただろう。
世界が滅ぶとでも? ……まぁ、そんなことを言ったはずだ。
そして、禍福は答えた。
滅ぶのは世界ではなく、時代だと。
「死ぬ気か?」
「生きとし生けるものは、例外なく、いずれ死にゆく」
たとえ時代が滅び。
世界中の人間が息絶えたとしても。
世界さえ生き残るなら。
「……常軌を逸しているぞ、やはり、それは」
「必ず死ぬ定めだ。足掻く以外に、何ができる?」
時代が滅んだ後の世界で、次の命が芽吹く可能性などあるのか。
分からない。
だが、確かに一度は、時代を越えた。オールドーズは知識を引き継いだ。
だから、もう一度。
そして全てを知ると……?
「なんのために」
「わたくしたちが――」
緋色が紡ぐ。
「わたくしが、禍福が、あなたが死ぬのは揺るぎない事実です。命ある者には、命を失う瞬間は必ず訪れます。しかしわたくしたちの全てが、人類という存在そのものが朽ち果てることは、運命などと受け入れたくありません。受け入れるわけにはいきません」
確固たる、厳然とした、妄執にも等しい叫び。
それが緋色の……否、オールドーズの覚悟なのか。
「前の時代において、人類は滅びました。今の時代においても、滅んでしまうのかもしれません」
「だが、次は――。それがオールドーズ教会という、化物どもの巣窟よ」
禍福が冷笑気味に零してみせた。
それを緋色が冷たく見据えるのも、少し首を回せば見て取れた光景である。
一枚岩ではないか。何者にも己自身の思惑があり、真の意味で一つにまとまることなど叶うまい。
「緋色が昨日、あんなに熱くなった理由が少し分かった」
「少し、ですか」
そう言って拗ねる真似をするくらいには、今はまだ冷静さを保てているらしい。
「あぁ。だから、そろそろ本題に入ってくれないか」
順を追って話すと言った。
オールドーズとはなんであり、その知識の源がどこにあり、そして旅する目的までも。
しかし、それはまだ、今の話ではない。
禍福や緋色の旅はとっくの昔に始まっていて、その時の私は、まだ森で暮らしていただろう。
森を追放された私が禍福と出会い、緋色とも知り合い、なんの因果か禁忌の剣まで携えている。
それは魔剣か、あるいは他の何かなのか。
ともあれ、ようやく本題に入れる。
「オールドーズは、つまりヒュームは、世界中に己の知識を遺した」
ならば、同じことが他の者にもできたのではないか?
左腰の剣を撫で、呟くように零す。
「緋色、お前はこの剣に魔王の遺志が宿っているのかもしれないと言ったな」
「えぇ、そうです。魔王は確かに、勇者によって討たれました」
その知識は、しかし。
「ですが、その力と知識が肉体を離れ、他のモノに宿っていたとすれば――」
伝説に謳われる悲劇の数々が、時代を越えて再現されかねないというわけだ。
だとしたら、私も覚悟を決めなければいけないのかもしれない。
「エレカさん」
「そんな声で言われなくても、ちゃんと分かってるよ」
剣を撫でる。
冷たいものが指に乗り移り、手から腕へと、首から心臓への這い上がってくる気がしてしまうのは、いくらなんでも気のせいだろう。
だけど、もし、この剣を抜いたなら。
鞘から解き放ち、守るためでも壊すためでも、その力を欲したなら。
「この剣が本当に魔剣かどうか、魔王が死んだかどうか。そんなのは関係ないんだろうな」
「えぇ」
「だったら、決めたよ。いいや、決まってたんだ、最初から」
小さく、頷く。
迷いなんて、探してみても見つからなかった。
「私はエルフだ。森長の娘だった。けど、そんなのも関係ないんだろう」
笑ってみる。
上手く笑えたのかは、鏡も水面もない今は確かめようがなかった。
けれど頬や目尻に違和感はなく、きっと普段と変わらぬ笑みを浮かべているのだろうと確信できる。
「森を守るためなら、救うためなら、世界を滅ぼすくらいの覚悟はできている」




