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三話 ヒュームの町にて

 町は、あるいは、かつて町だった集落と呼んだ方がいいのかもしれない。

 男に案内される傍ら眺めていた町には、ちらほらと生活の気配が感じられない家があった。干魃というからには飢えて死んだ者もいるだろうし、遠方に頼る者がいれば移り住むこともあるだろう。

 ただ『巡礼者様』が来たと聞き付けてか、まだ朝も早いというのに家から出てくる者の姿も見受けられる。

 にわかに活気づいてきた町を何分か歩いた頃、男が足を止めた。

「ここです、巡礼者様」

 どう頷いたものか分からず、無言で首肯だけを返す。

 男はそれさえも恭しく受け取り、静かに玄関の戸を開けた。話は既に通っていたのだろう。中では腰の曲がった老婆がランプに火を灯したところだった。

「あぁ、巡礼者様。狭苦しい家で申し訳ありませんが、どうかよろしくお願い致します」

 どうやら家々の全てから対価を貰うわけではないらしい。金銭を渡されても困ってしまうから、そこは有り難い。

 私の案内を終えた男が、今度は老婆に手を貸している。

 門番だとばかり思っていたけど、もしかしたら巡礼者を迎えるために立っていたのかもしれない。善意に溢れた青年というわけだ。ヒュームの外見はよく分からないけど、歳は二十か三十だろう。

 老婆の方は二百に迫る……と言いたいけど、ヒュームは長くても八十で死ぬ。七十かそこらといったところか。

 だから通された奥の部屋にいるのも、同じくらいの年齢なのだろう。

 老人斑の浮いた頭をどうにか持ち上げつつ、しかし苦痛は隠しきれずにいる老人。頭を下げる代わりに目を閉じる。

 再び開かれた目には、死にかけの老人とも生まれたばかりの赤子ともつかぬ、不思議な感情が宿っていた。

「巡礼者様」

 老人らしい、しわがれた声。

「申し訳ない。最早起き上がることもできず、このような姿で」

「い……いえ」

 構いません、くらい言うべきだったのろう。

 だけど私には、ただ顔を背けず、それでいて顰めずにいるのが精一杯だった。

 老人はベッドに横たわり、クッションに背を預けている。胸から上だけがなんとか起き上がっている状態だ。一日中そこで過ごしているのだろう。ベッドの脇には小さなテーブルがあった。その足元には、尿のための瓶。

 必然、部屋には悪臭が染み付いている。

「それで、病気というのは」

 無言は耐えられなかった。

 老人と案内してくれた男、双方に訊ねる。口を開いたのは男だった。

「長老、失礼しますよ」

 長老だったのか。

 言われてみれば、他より家が立派だったような……そうでもないような。

 現実逃避は、しかし何秒も続かなかった。

 男が老人のベッドに寄り、腰から下に掛けられていた薄手の毛布を剥ぎ取る。と、部屋の悪臭が一気に増した。

 ランプの頼りない明かりでも、一目で見て取れる。

 老人……長老の右足は、歪に膨らんでいた。拳大の突起と、それよりは小さなコブが膝から下に幾つもある。肌も紫に変色し、ただ見ているだけで苦痛を覚えそうだった。

「これは……」

 果たして、病気なのか。

 最初に浮かんだのはそんな思いだった。

 私の表情に気が付いたのか、男が口を開く。

「大体、一月前です。この干魃で畑はおろか、行商も来なくなっちまって。それで、男衆が何人かで狩りに出ようって話になったんです。いつもいつも荒らしに来る猪がいたもんで。東の山脈との間にある、山とも言えない丘です」

 猪狩りか。

 エルフの森では木々を食い荒らす動物を罠で捕まえることはあっても、食料目当ての狩猟はしない。ヒュームはすると聞くけど、それでも長年積み重ねた技術は必要だろう。畑と行商に頼ってきた素人がいきなりどうにかできるとは思えない。

 それでも、どうにかせざるを得なかったのだろうけど。

「だが、猪はおらんかった。いた形跡はあったが、どこぞへ逃げたか、死んだか」

 男の言葉を長老が引き継いだ。

「何もなかった。手ぶらでは帰れず、木になっていた実と川辺に打ち上がっていた魚を拾った程度。……だというのに、帰り道で足を踏み外してな。命は助かったが、足がダメになった」

 半ば独白めいた声。

 町を救うために負った名誉の負傷ですらなく、ただの不注意、あるいは老化による身体能力の低下が招いた怪我とは。誰より本人が情けなく思っているだろう。

「……だから、こんなになるまで放置したんですか」

 責めるような口調になってしまったかもしれない。

 帰ってすぐに処置すれば、ここまで悪化はしなかっただろうに。それが偽らざる本音だ。

 だが、現実は違った。

「いえ、治療はしたんです。……けど、近くの街もなくなって十分にはできませんで。でも俺たちだって長くここで暮らしている。鍬で自分の足をすっぱり切る奴だっているんです。傷口を洗って、簡単に縫合するくらいはしました」

 でも、悪化した。

 それに男は口にしなかったが、長老には長老の面子があったのだろう。

 畑が不作に陥り、行商も来なくなったなら薬とて有限のはず。ただ足を踏み外しただけとあっては無闇にも使えない。老い先短い老人なら、なおのこと。

「もう何ヶ月もまともに雨が降ってません。貯めてきた水も、あと何日持つか……。それだけなら天候のせいだと言えましたが、長老の傷が全く癒えないとなると、最早祟りか呪いではないかとさえ囁かれる有様です」

 干魃と怪我は無関係だろう。

 治療が甘かったか、歳のせいで治りが悪かったか。

 ただまぁ、そんなことを彼らに言っても始まらない。私にとって重要なのは、これが私の手で治せるかどうかだ。

 幸い、治せる。

 男や妻らしい老婆の様子を見るに流行り病というわけでもなさそうだし、外傷が悪化しただけなら治癒魔法でどうとでもなるだろう。

 問題は……長老が耐えられるかどうかだ。

「冷静に聞いてほしいのですが」

 老婆が一瞬、息を呑んだ。

「治せはします。ですが」

 ぬか喜びはさせない。言葉を切らず、懸念材料があることを付け足す。

「ここまで膿んでしまっては簡単ではありません。まず膿を全て取り除かなければ。そのために傷を開く必要があります。相当な激痛です。血も大量に流れるでしょう。身体が持つかどうか……」

 言わなくても分かることかと思ったが、男たちは目を丸くしている。

 まさかヒュームは膿も分からないのか?

「ま、麻酔はないのですか」

 ますい……?

 それは、なんだ。こういう傷に使う治療薬なのか。それとも、膿を取り出すための道具か?

「お酒、お酒ならあります。かなり強い、もう飲むこともなくなったものですが……おじいさん、大丈夫ですよね? あれで酔ってしまえば、痛みなんて感じることもないでしょう」

「……まぁ、そうするしかないでしょうね」

 老婆の言葉に男が頷き、長老も苦々しい顔ながら否定はしなかった。

 しかし、痛みを感じない……?

 まさか麻酔とは、そのための道具だったのだろうか。痛みを消す道具なんて、ヒュームも恐ろしいものを考える。だからヒューム同士でさえ争いが絶えないのだろう。

「すみません、持ち合わせがなくて」

 とにかく、麻酔とは当たり前に知られているものらしい。

 それを知らなかったことを隠すべく、体裁を取り繕っておく。

「いえ、それは……。ですが、薬を使うのではないのですか? 膿を取り除いても、ただ縫合しただけでは再び膿むだけでは……?」

 話の感じからして、麻酔は薬の一種なのか。

 麻酔も持っていないのに治療薬を持っているのかと不安に駆られたらしい。

「構いません、薬はなくとも魔法があります」

「魔法……ッ!?」

 男が叫んだ。

 長老も今だけは痛みを忘れたのか目を丸くし、老婆に至っては後ろに倒れそうになって咄嗟にベッドに寄り掛かったほどだ。

「え、えぇ、魔法です」

「祈りの、でしょうか……?」

「いえ。長老……御老体の足は病気というより外傷の類いです。でしたら、治癒魔法の領分でしょう」

「ちゆ、まほう……」

 信じられない言葉を聞いたかのような反応だが、分からないはずがないだろう。

 伝説の時代では、ヒュームも魔法を操っていたはずだ。むしろ地上で魔法を使えないのはドワーフとゴブリンだけと言われ、どちらも今は途絶えた亜人の系譜である。

 エルフと並んで現代に至るまで血を繋いできたヒュームにとって、不得手であっても縁遠いものではあるまい。

「申し訳ありません、巡礼者様。差し出がましいことを」

「いえ、構いません。それより、治療の支度をしましょう。まずは細く丈夫な紐を二つ。足を縛り、血を止めます。あとは清潔なタオルを。これも止血のためです。もし余裕があるなら、舌を噛んでしまわぬよう口に詰める布も用意した方がいいでしょう」

 酒がどれだけ信用できるか分からない。

 長老には気力で痛みに耐えてもらうことになる。

「は、はい……っ!」

 私とて森長の一人娘だ。

 森で困っている者を助けるために、手当ての術は一通り身に付けている。

 だからこそ不安を抱えた母親に寄り添い、少しでも出産の手伝いをしたかったけど、お父様や周りの重鎮たちが許してくれなかった。

 そうまで私を遠ざけては、まるで死ぬと決めつけているように見えるじゃないか。

 頭を振る。

 私が今いるのはエルフの森じゃない、ヒュームの町だ。

 目の前にいるのも妊婦のエルフではなく、傷を負ったヒューム。

 追放され、エルフを救うための旅を始めた私だけど、だからといってヒュームを見捨てるつもりはない。

 男と老婆が慌ただしく走り回り、程なく支度は整った。

 さぁ、ここからが私の出番だ。

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