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三十六話 禁忌の剣

「あなたの剣、わたくしに預けてはくださいませんか」

 予想もしなかった言葉に、指先がピクリと反応する。

 それを一瞥した緋色は笑みを零して、穏やかな声で紡いだ。

「エレカさん。あなたには、やはりそれを持たせておくわけにはいきません」

「あなたにはって……。緋色、お前は何を言ってるんだ?」

 持たせておくも何も、この剣は私の、私たちエルフのものだ。

 正体不明で、禁忌とさえ呼ばれた代物だとしても。

「あなたこそ、自分が何を手にしているか分かっているのですか」

「お前は知っていると?」

「いいえ、確かなことは言えません」

 緋色はそれでも私の目を見据え、一語一語、そっと置くかのように優しく言う。

「メイディーイルでの戦いぶりを見て、もしやと思いました。エルフのあなたが剣を手に、超常の魔法を用いる。妖精剣の伝承を思い出さずにはいられません」

 妖精剣。

 まだ背に羽を持っていた頃のエルフが振るったという、伝説の剣。もし、この剣が伝説に謳われる妖精剣だとすれば……。

 柄頭をそっと撫で、想像の世界から舞い戻る。

「緋色の目には、違うものに見えたと?」

 有り得ないことはないが、現実的ではないだろう。

 それくらい私も承知している、と言外に笑ってみたつもりだったのに、なんと返されたのはため息だった。

「……エレカさんは、やっぱり何も知らないんですね」

 呆れというより安堵に近いほどの声音にカチンと来る。

「やっぱりとはなんだ、やっぱりとは」

「そもそも妖精剣を剣そのものだと思っている時点でお察しです」

 妖精剣は、妖精の剣だ。

 それが剣でなくてなんなんだと言おうとするも、見据えてくる瞳にありありと呆れの色が浮かんだのを見てしまえば言葉に詰まってしまう。

「オールドーズは全てを知る者。……いえ、全てを知らんとする者です。ゆえに妖精剣の全てを知悉しているとは言いませんが、妖精剣がなんであったかは知っているつもりです」

 緋色はそこで言葉を切って、試すような目で私を見てきた。

 そして私が相変わらず何も察しないのを見て取ったのか、ため息を押し殺す声で続ける。

「剣そのものではなく剣術。ただ剣を振り回しながら魔法を放つのとは次元の違う、圧倒的な戦闘技術。妖精剣とは、そういうものです」

 妖精剣が、剣ではない。

 にわかには納得できず、かといって反論するほどの知識もあるはずがなく、思わず黙り込んでしまった。

 それで緋色は一層呆れ、一度は押し殺したため息を今度はこれ見よがしに零す。

「ですから妖精剣は、ただ鞘から抜いただけで超常の力を発揮するなんてことはないんです」

「えっと、私が妖精剣の、そういう技術の使い手だっていう可能性は?」

「あるように見えますか?」

 微塵の情けもなく言い捨てられ、当然のことなのに何故だか妙に傷付く。心が痛い。

 しかし、そこでようやく思い出した。

 妖精剣でないなら、何が問題なんだ?

 剣の正体が不確かなままだというのは問題だろうが、この剣が……ではなく私が妖精剣の使い手であれば、あるいはヒュームやオールドーズにとって脅威たり得るかもしれない。

 だがそうじゃないなら、緋色はどうして私に剣を持たせたくないのか。

「一旦、感情を抜きにして話を聞こうか」

「……えぇ、そうですね。そうしていただけると助かります」

 分からないことは、分からない。

 悔しいけど、森で育った……森以外を見聞きしてこなかった私には分からないことだらけだ。アーロンの町で早くも実感したことで、その時はどうにか誤魔化すしかなかった。

 ただ今、目の前にいて言葉を交わす緋色は誤魔化すべき相手か、否か。

 そんなことまで分からない振りはできなかった。真意がどうあれ、禍福とも表向きは邪険にされつつも実際にはある程度以上通じ合うところのある、いわば仲間なのだろう。

 だったら誤魔化してその場凌ぎに切り抜けるのは間違っている。

「単刀直入に言ってくれ。この剣に、なんの問題があるんだ」

 真正面から瞳を見据え、思うところを率直に訊ねる。

 緋色は少し面食らったように視線を泳がせたが、すぐに平静を取り戻して口を開いた。

「エレカさんは魔剣をご存知ですか?」

「まけん……?」

 知らない言葉だった。

 知らないはずなのに、どこか既視感……いや視ではないか。どこか聞き覚えのある感じがして、不意に点と点が繋がった感触を得る。

「魔神に関わりがあるのか?」

 魔の神に対して、魔の剣。

 そういうことだろうか、と視線で問う。緋色は微苦笑といった表情で応じた。

「魔神とは無関係だと言われていますが、真実は分かりません。しかし膨大な魔力によって尋常ではない力を内包するという意味では、魔剣も魔神の仲間と言っていいでしょう」

 マナとは世界に溢れるもの。

 一方の魔力は、エルフにとってはマナとも同義に等しいが、ヒュームにとっては明確に区別されるらしい。

 水はただ水で、それ以外の何物でもないけど、川を流れれば水車や何かを動かす力になる。

 マナが水なら、魔力は力だ。

 圧倒的な力を内包する剣、それが魔剣なのだろうか。

「知らないのなら、教えましょう」

 錫杖を地に付き――否、錫杖で地を突き、緋色が言う。

「魔剣は邪悪なる遺志を宿した棺。それを手にした者は超常の力を得て英雄にもなれますが、やがては剣に宿る何者かの遺志に囚われ、その身体は剣の持ち主ではなく剣自身によって操られるようになるとか」

 力と代償。

 伝説のみならず、子供向けの寓話にも出てくるような話だ。

「この剣が、その魔剣だと?」

 柄頭を指先で触れ、なんの変哲もない鉄の感触を確かめる。

「分かりません。ですが――」

 言葉を挟ませまいと息継ぎもなく言いかけるも、そこで緋色の声は途切れた。

 しばしの沈黙の末、続く言葉は迷いを振り払う声で紡がれる。

「ですが、あの時のエレカさんは尋常ではありませんでした」

「魔神……じゃなかった。魔物を圧倒したらしいな」

「戦いぶりも勿論、魔物のことを知っている口振りでもありました」

 私は失われた意識の間も喋っていたのか。

 思わず口に手を伸ばしかけ、緋色の視線に気付いて半ばで止めた。遅かったけど。

「竜馬が戻ってきた時のこと、エレカさんは覚えていますか」

「……覚えている」

 何を言いたいのかはすぐに分かった。

 まさかルネが帰ってくるとは思ってもみなかったのだ。禍福の聴覚や判断能力をも振り切る速度で接近してくる何者かに対し、私は剣を抜いて迎え撃とうとした。

 それを止めたのが緋色だ。

 あそこで止められなければ、私はどうしていただろう。反射的に斬り付けていたかもしれない。……あるいは。

「メイディーイルの一件で、既に自我はエレカさんのものではなくなっていました」

 緋色が呟く。

 最早、私に話しているのかも曖昧な口振りだった。

「次にそれを抜いた時、またエレカさんに、あなた自身に戻れるとは限りません」

「魔剣なら、だろう?」

「魔剣以外のなんであると言うのです? 森では禁忌と呼ばれていたのでしょう? もしかしたら正体を知った上で、力欲しさに抜き放つ者がいないよう秘してきたのかもしれません」

 そうまで言われてしまえば、返す言葉はなかった。

 とはいえ、それなら仕方ないなと他人に委ねられるものではない。正体はどうあれ、エルフの森長が持っていたものだ。

「紐か何か持ってないか?」

 訊ねると、緋色はきょとんと目を丸くする。

「紐、ですか? ええと、急にどうして?」

「私が剣を抜かなければいいんだろ? だったら抜けなくすれば解決だ」

 絶対に抜けないような細工はできないけど、紐か何かで上手いこと結んでしまえば咄嗟には抜けなくなる。

「ヒュームには分かるまいが、森か己かと聞かれたら迷う余地はない」

「わたくしのことを信用はしていただけませんか」

「信用する、しないの話じゃない。時代の終焉を謳うのはお前たちだ。ただでさえ森の危機にあって、力があると言われて手放す者もいないだろうさ」

 世界との二者択一を迫られても迷わないはずだ。

 たとえ世界が滅んだ末に森が滅ぶとしても、森を見捨てて他の何かを守るなんて私にはできない。

 その矛盾した、いっそ滑稽なまでの意思を見て取ったのだろう。

 緋色が細く整った眉をキュッと寄せ、一歩踏み出そうとした時だった。

「紐ならあるぞ」

 背後から不意に声が聞こえ、それにしっかりとした足音が重なる。

「まぁ厳密には外套の切れ端だがな。万が一の補修用に回収しておいたのがある」

 振り返るまでもなく、それが誰の声と足音なのか、あるいは今どんな顔で笑っているだろうとまで感じ取ることができた。

 禍福だ。

「……で、見張り番が見張りを放り出して何をやっている?」

 横を通り過ぎ、私たちと間に割って入った禍福が笑う。

 思い描いたままの意地悪な微笑に、緋色も苦い表情を浮かべた。

「盗み聞きとは陰湿ですね」

「生憎、耳には自信があるんだ。……それに、先に内緒話なんて陰湿な真似をしたのは貴様らだろう?」

 それから肩を竦め、禍福が見透かした口振りで言う。

「大方気を遣ったんだろうが、逆効果だな。貴様の竜馬――、ルネだったか? あいつも主人がいなくて余計に落ち着かない様子だった。話し声が聞こえるのは何事もない証だが、見張り番の気配までなくなるのは有事の証だぞ」

 その眼差しが私と緋色を交互に見やり、同罪だと笑ってくれる。

 そう、笑ってはくれた。

 嫌味なところはあるにせよ、口では咎めながらも空気が張り詰めすぎないように気は遣ってくれている。あの禍福が、だ。

「……悪かったよ」

 禍福にではなく、緋色に詫びる。

 頭を下げるわけにはいかなかったが、口では言うべきだ。

 相手も似たような考えを浮かべ、しかし何か思うところがあったのだろう。

「いえ、わたくしの方こそ少し熱くなりすぎました」

 申し訳ありません、と下げられた頭を見下ろす。

 諦観なのか安堵なのか、ともあれ禍福がため息を零すと緋色も頭を上げた。

「我々は他者より多くの知識を持つが、管理者や支配者ではない」

 まるで親と子だ。

 分かっていますよ、と脳内で呟いたであろう声まで想像できて、思わず笑ってしまう。それが声に漏れていて、緋色にキッと睨まれた。視線が泳ぐ。

「しかし、貴様が何を危惧したかは分かる。ちゃんと順を追って伝えればエレカも承知はするだろうさ。少なくとも、命の危機程度で剣を抜く真似はしないだろう」

 命の危機がその程度の扱いとは恐れ入る。

 だが、それほどの危険性を思い描いたからこその、緋色らしくない言動だったのだろう。

 彼女のことをほとんど知らない私でさえ、焦燥感にも似た余裕のなさは見て取れた。

「まぁ、今日のところは寝ろ。イスネアはまだ先だ。話す時間はたっぷりとあるさ」

 笑う禍福を横目でジロリと一瞥し、緋色が私を見据える。

「エレカさん」

「ん?」

「あなたはエルフですが、エルフだからこそ、オールドーズとともに歩むべきです」

 ヒュームとは違う種族なれど。

 しかし、エルフであるならば。

 汲み取れたのはそこまでで、何がどう違い、あるいはどう同じなのかは分からない。その言葉の真意も分からないまま、それでいて続く言葉には頷く以外の答えは用意されていなかった。

「禍福の言う通り、わたくしは先を急ぎすぎていたようです。ですが、それはあなたも同じことでしょう。ゆっくり考えておいてください。森を、エルフを、妖精王の系譜に連なる己自身を誇るのであれば、わたくしたちオールドーズはあなたの味方なのですから」

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