三十二話 旅のお供・2
竜馬。
本来は北の寒冷地に生息するという野生の獣だが、帝国ではこれを捕獲、繁殖させることによって長距離移動の足として利用する。
……そう説明されたから、私は自然、竜のように生命力溢れる馬を想像していた。
竜とは勇者が魔王を打ち倒す伝説よりも古い、太古の時代に生きた存在だ。大きな翼をもって空を自在に飛ぶとも、山ほどの体躯でありながら大地を駆けるとも言われる。
実際のところは、まぁ誰も知るはずはないのだけれど。
ともあれ、そんな竜の名を冠する馬だ。
どんな屈強な生き物なんだろうと若干胸躍らせながらメイディーイル東部、駐屯区から防壁を抜けると、そこには――。
「……え?」
なんだか珍妙な生き物が三頭、鎖に繋がれていた。
「……え?」
「二度も言うな、二度も」
思わず見やってしまった先で禍福が白い目をしている。
「いや、だが、おい」
「もう一人の――いえ、剣閃は初めて見るのですか?」
「あ、あぁ、そうだが……」
これが当たり前なのかと愕然としつつ、改めて三頭の生き物に目をやる。
確かに初めて見る獣だ。
足は馬と同じく四本あり、長い尾もある。
しかし首は短く、もっと言うと馬とは違って持ち上げている感じもない。まるで犬だ。
鼻先もまた短く、こちらは猫のよう。
と、猫のようだと思ってみれば、中々どうして的を射ているかもしれない。
竜でもなければ馬でもなく、これは巨大化した猫だ。足も馬に比べれば短く、代わりに柔軟そう。姿勢も低く、研ぎ澄まされた眼差しは今まさに私たちを見定めているようだった。
「……どこが竜なんだ」
「竜とは俗に強靭を意味する言葉だな」
「……どこが馬なんだ」
「馬とは俗に人を乗せて移動する動物を指す」
「いや指さないだろう」
「ですが実際、竜馬は帝国が……というよりオールドーズに知恵入れされた当時の権力者が手懐けるまで、現地では別の名で呼ばれていたそうですよ? 竜馬と名付けられたのは、人が馬の代わりとするようになってからです」
なんだ、それ。
馬の代わりとなる強靭な生き物だから竜馬とは、あまりに身勝手が過ぎないか。
見たまんま大黒猫とか、せめて強靭な猫ということで竜猫くらいにできなかったのか。
まぁ大黒猫と言われて背中に乗りたいとは思えないだろうし、竜猫はなんだか間が抜けているから竜馬という呼び名がしっくり来るといえば、しっくり来るんだが……。
どうにも納得しきれない。
「ま、名前なんざどうだっていいだろう。とにかく馬より長持ちする生き物だ。元々実り少ない北方に生息していただけに粗食にも耐える。マナが枯渇して気温も下がってくる今の時代にはぴったりだ」
「そのために我々が準備させたのですから当然でしょう」
あと、ちょくちょく出てくる緋色の教会自慢はなんなんだ。
別にいいけど。
禍福にも緋色にも、この巡礼者用の外套にも助けられてはいる。感謝はしても文句は言うまい。
しかし、それはあくまで私の話だ。
「準備させた、などと言われては困りますな、緋色殿」
口を挟んできたのは必然、私と違って教会とは最低でも対等であらねばならない人物だった。
「遅かったじゃないか、将軍」
「私は将軍などではありません。……それより、これを」
そう言って将軍、ではなく軍団長が差し出してきたのは、何やら封が施された包み。文書……手紙だろうか。
「これは?」
受け取った禍福が呟くように問うも、返答ははっきりしない。
「閣下から巡礼者殿に、と」
「中身は?」
「何も。今しがた側仕えが持ってきたところで、巡礼者殿に宛てたものとしか」
「だとしたら緋色、貴様が持っていけ。俺よりは適任だろう」
イスネアに着いた後、報告のためメイディーイルに戻ってくる役目を買って出てくれたのが緋色だ。どんな内容であれ、公爵からの便りというなら任せてしまっていいだろう。
「今、ここで確かめても?」
「特に指定はされませんでしたので」
「では、確かに受け取りました」
言いつつ、緋色はちらりと視線を向けてくる。
「竜馬はそちらに任せても?」
「あぁ、それは了解した」
最初からそのつもりだった。
少し距離を取り、文書の封を外し始めた緋色は一旦意識の脇に追いやる。
微妙な立場や関係があってここに来られなかった公爵だが、彼が手配してくれたのが三頭の竜馬だ。
明らかに竜でもなければ馬でもない大猫とはいえ、これから最低でも十日はかかるというイスネアへの旅路を考えると全面的に頼らざるを得ない。そのためには、竜馬のなんたるかを知る必要があった。
北の寒冷地に生息するとかそういう話ではなく、純粋に今ここにいる彼らのことを。
強いて言うなら、こうして馬の代わりにされるのは去勢されたオスだけなんだとか。メスは繁殖や子供の生育に欠かせず、去勢していないオスは気性が荒すぎて長時間の行動を強いるのは厳しいのが理由らしい。
そうした前提で考えると、眼前にいる三頭の竜馬は確かに『彼ら』であり、なおかつ常よりは落ち着いていることになる。
とはいえ、それは無理やり大人しくさせているだけだ。
竜馬本来の生態が分かればまた別なのだが、事前に聞いた限りでは禍福も緋色も知らないとのこと。
結局は面と向かって対話を試みるしかないわけだ。
まぁ幸い、見た目は大きな猫といったところ。細部に違いはあれど、馬に接するよりは猫に接する感じの方がいいだろう。
三頭はどれも首輪を付けられ、そこに鎖を繋がれていた。
だが、三頭とも気にする素振りは見せない。それどころか平然と草を食んで……いや、鼻先で地面をほじくり返していた。何をしているのやら。
「あー、軍団長」
「何か問題でも?」
「竜馬のあれは何をしているんだ?」
「あれ……? あぁ、寝床でも作っているのでしょう」
寝床。
これから移動だというのに、寝床ときたか。
しかし、鎖に繋げられたまま寝ることを考えるくらいには、人に慣れているのか気にも留めていないのか。
「禍福も竜馬に乗った経験はないんだったな?」
「悪いな。乗って御せないことはないと思うが、どうする?」
一瞥すれば、緋色はまだ文書に目を落としている。
「もう少し時間をくれ」
ヒュームは家畜を飼う。
だがエルフの森に、家畜という概念はない。
干し肉の形で行商から買うことはあるから家畜そのものは否定できないけど、やはり一方的な主従よりは、まだしも心通わせた関係でありたいと願ってしまう。
竜馬も同じだ。
見たところ馬ほど強烈な後ろ蹴りは放てそうにないものの、ピクピクと忙しなく耳を動かしている竜馬が一頭いる。耳の形状も猫のそれに近く、だとすれば周囲を警戒しているのだろう。
警戒中の獣に後ろから近付くなど、不信感を持ってくれというようなもの。
前に回り込むと、果たしてその一頭だけが鼻先を上げた。
「大丈夫か?」
「腕を食い千切られるってことはないだろう」
指を噛まれたら持っていかれるだろうが、そこまで呑気な真似をするつもりはない。
ただ前足には気を付けたいな。馬の蹄と違って、あの猫に近い爪は刃物にも匹敵しそうだ。可愛い見た目に絆されてはいけない。見た目より伸びる。……と思った方がいい。
腰を低くし、できるだけ視線の高さを合わせながら近付く。
上から見下ろし、私が主人だと主張するか。
あるいは下手に出て、警戒しなくていいと訴えるか。
どちらも捨て難いが、二者択一だ。そして長旅の足となってもらうからには、主従関係を覚えてもらわなければ困る。
竜馬は鼻をヒクヒクさせながら、上目遣いでこちらを見てきた。
鼻先が近付く。
咄嗟に逃げようとする本能を理性でもって抑え込み、指先を嗅がせてやる。外套越しで感じ取れるだろうか。それとも竜馬の鼻には関係ないのか。
なんにせよ、いきなり噛み付いてくるほど敵対的ではないと信じよう。
それこそ禍福や軍団長の評を信じたかったのだが、気のせいかな、そちらから固唾を呑むような空気が漂ってきているような……。
しかし、今ここで視線を逸らすわけにもいくまい。
直接視線を合わせることはせず、鼻先を見つめる視線を竜馬に見せる。
やがて、ぷいと鼻先が下がった。だが視線はまだ私を見上げている。どうしようか。悩んだのは一瞬だった。
「よし」
小さく声を出し、手を伸ばす。
竜馬はピクリと顔を硬直させたが、すぐに弛緩した。指先が鼻の少し上に達する。ふわりと存外に柔らかい感触が指に届き、思わず頬が緩んだ。
すっ、すっと毛を梳くように撫でてみれば、竜馬が私に向けたままの目を細めた。気持ち良さそう。やはり猫だな、これは。大きな猫だ。
そのまま頭を撫で、調子に乗って首元まで撫でようとしたところで、肩口に来ていた鼻がふすんと鳴らされる。ごめんごめんと声の代わりに優しく叩いて詫びて身を引く。
そんな竜馬の向こうでは、禍福が顔一杯に呆れを浮かべ、軍団長が額に汗してこちらを見ていた。
「アホか、貴様は」
「肝が冷えましたな」
そうは言っても、生き物とは大抵が鏡写しだ。
相手が警戒していると分かれば自ずと警戒するし、敵意がないと分かっていれば無用な諍いは避けようとする。争いを好む生き物など、それこそヒュームくらいしか存在しないのではないか。
そういう意味でいえば、エルフはどちらかといえば彼ら竜馬に近い。
「竜だ馬だというが、どちらかといえば猫だろう? そんなに怖がることもない」
「竜馬が猫だと? 貴様の目はどうなっている」
いやいや猫だろう、と軍団長に目をやれば、眼差しが帯びる温度は禍福のそれと瓜二つ。孤立無援か。
まぁ、竜馬が竜なのか馬なのか、はたまた猫なのかの議論は今することでもない。
「何はともあれ、この子が一番慎重そうだ。それに少しは仲良くもなれた。私が預かっても?」
「構わん。神経質な獣の扱いなぞ、俺には無理だからな」
言いながらも神経質そうにふんと鼻を鳴らし、禍福の視線は脇に流れる。
そちらでは緋色が何やら真面目腐った顔で文書と睨み合っていた。そんなに時間のかかる内容なのだろうか。分からないが、分からないという一点で私と禍福は頷き合う。
「あとの二頭はどっちも似たようなものだろう。将軍、鞍の準備を頼んだ」
「将軍ではないと何度言えば……」
ぶつくさ言いながらも軍団長は部下に指示を出し始める。
帝国と帝国軍の関係は難しいところがあって完全に把握したとは言い難いものの、どうやら竜馬の管理は軍に主導権があるらしい。それで今回も、密約を交わした相手は公爵だが、竜馬の拠出は軍からとなっていた。
軍には当然だけど竜馬を移動手段とした行軍の経験があり、彼らが準備してくれている鞍もそうした知恵の一つだ。
馬よりは図体を大きくした猫に近い竜馬だから、鞍も馬のそれをそのまま使うわけにはいかない。
特に違うのは手綱だ。そもそも手綱を結ぶはずの轡を噛ませてもいないため、代わりの取っ手が前足の付け根から少し下がったところに付けられていた。あれを掴もうと思えば、かなりの前傾姿勢にならなければいけない。
つまりは設計思想からして全くの別物。これでよく竜馬などと呼んでいる。
しかし疑問に思うのは私だけらしく、軍人たちは淀みない手際で鞍を装着した。竜馬も嫌がってはいない。
そして最後に厚い革か何かでできた鞄が持ち出され、鞍の下に取り付けられていく。
あれがエルフの森に持ち帰る調合薬だ。
私が選んだ竜馬ともう一頭に同じ鞄、残る一頭には色の違う鞄。調合薬は瓶詰めにしている関係で割れやすく、保護材も詰めるとなると場所を取る。それで私だけでなく、禍福の竜馬にも運んでもらうことになっていた。
緋色の竜馬が運ぶのは、主に彼らの食料。
ただし当然ながら旅程全てを賄うわけにはいかず、道中で調達する必要がある。私たち自身の食料もギリギリまで切り詰めてあった。いくら竜馬といえど、持ち運べる量は限られる。
根本的に荷物持ちではなく、長時間・長距離移動の足なんだとか。
かといって馬は粗食に耐えらないために餌が荷物を圧迫するし、その上で長時間走れないから旅程も長くなるという。どうにも、ままならない。
「遅いぞ」
「すみません。そちらはもう済みましたか?」
話し声で意識が引っ張り上げられる。
「剣閃の度胸を貴様にも見せてやりたかった」
「まぁ。何をしたんです?」
「竜馬の鼻先に手を出しやがった。あれが猫に見えるんだと」
「それはそれは。伊達に、……じゃありませんね」
ちらと私を見て、緋色は声のトーンを落とした。
そうでなくとも軍団長や周りの軍人たちに聞かれては困ることを言ったのだろうが、ああもこれ見よがしにやられると腹を立てるのも馬鹿らしくなってくる。
「お前が乗るか?」
「遠慮しておきます」
鼻を鳴らし、軍団長に視線を投げる。
向こうも私たちの話が一段落したことを察し、口を開くところだった。
「さて、巡礼者のお三方」
仰々しいまでに改まった声音だ。
作業を終えたばかりの部下たちが自ずから整列する。それを待って、軍団長が本題を切り出した。
「メイディーイルを救ってくださったお三方に重ねて依頼することになり大変恐縮ではあるが、何分こちらとしては……防衛軍団としては、メイディーイルの防衛に人員を疎かにするわけにもいかない。従って、オールドーズ教会に依頼する」
朗々とした言葉は、だがしかし、空虚だった。
誰しも承知の上だ。
竜馬を準備しているのだから必然的に、竜馬に関わる契約も済んでいる。とはいえ耳目を集め、正式なやり取りとして記憶に残すことに意味があるのだ。
無論、その『やり取り』が真実であるとは限らないのだが。
「我々メイディーイル都市防衛軍団は、貴君ら巡礼者……緋色殿、禍福殿、剣閃殿のお三方に三頭の竜馬を『貸与』する。もって依頼したいのはイスネアの情勢視察である。視察の後、帝都にも報告に向かっていただきたい。よろしいか」
慇懃な仏頂面という、なんとも器用な表情を作ってみせた軍団長に、竜馬を『供与』される巡礼者の一人が錫杖を掲げて返す。
「緋の錫杖に誓って、わたくしオールドーズがお引き受け致しましょう」
「俺もだ。帝都までの足に使わせてくれるというなら、遠慮なく」
「私も、右に同じく」
言うまでもなく、私たちは帝都になど向かわない。
これはあくまで茶番。竜馬の供与を知られれば面倒なことになるから、依頼に必要な足として貸しただけだと体裁を整えたに過ぎない。返還は帝都だと言っておけば、メイディーイルに駐屯中の軍人には真実を確かめる術などないという。
仮に知り得る人間でいても、それはそもそも密約をも知り得るのだから竜馬の供与という事実を隠す意味がない。
どこまでも茶番なのだが、波風立てない方策だと言われれば断る理由もなかった。
整列する軍人たちに見守られ、三人の巡礼者が三頭の竜馬に跨る。
果たして、姿勢を安定させようと思えばかなりの前傾にならざるを得なかった。これでは手も振れまい。
鞍の下部に取り付けられた鞄を不要と知りつつも腿で押さえ、取っ手から離した右手で竜馬の前足の付け根を撫でてやる。
フシュルル――、と竜馬が初めて鳴き声を漏らした。
「行って」
言う必要もなかったかもしれない。
竜馬が走り出す。
否、走るというよりは跳ぶといった方が正確だろう。それも上ではなく、前へ。
一瞬にして加速した竜馬は、風さえ置き去りにしたいかのようだった。私は落ちないでいるのが精一杯だ。ぎゅっとしがみつく力が彼には邪魔なのだと分かっていながら、しばらくの間、両手と両足から力を抜くことはできなかった。
ようやく心地良いと感じられるようになった頃、凝り固まってしまった全身を解しながら背後を振り返ってみる。
メイディーイルの防壁は、もう見えなくなっていた。




