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二十九話 剣閃の巡礼者

 巡礼者・緋色の名はある種の象徴ですらあるらしい。

 喝采を上げる軍人たちの中には、(はばか)ることなく英雄の呼び名を叫ぶ者までいた。

 英雄とは大袈裟な。

 しかしメイディールの規模は目抜き通りを馬車から眺めただけでも一目瞭然。もし魔物が防壁を越え、街に入り込んでいたらと考えると背筋が寒くなる。

 と、そうだ。

 その軍を率いていたはずの将軍はどうなった。

 私が最後に見た時はまだ息があったはずだけど、どう転んでいてもおかしくない。

 最悪の事態が脳裏をよぎるも、よくよく考えてみれば、軍人たちの熱狂ぶりが何よりの答えだった。

 誰が求めるでもなく彼らは道を空け、私たちはそこを歩んだ。

 行く先に、なんとも複雑な表情を見つける。

 鎧は既に脱いでいた。門を出た時ではなく、入ろうとした時に見た偉丈夫の顔。それが今は苦痛に歪み、表情は苦々しい心中を隠すことなく伝えてくれた。

「将軍」

 と呼びかけたのは禍福だった。

「自分は将軍などではない。都市防衛軍団・軍団長、ザック・ザッパーだ」

 いっそ恨めしげな声音。だが私たちに恨みがあるわけではないのだろう。

 都市防衛軍団。

 どういう組織なのか細かいことは分からないが、少なくともメイディーイルという大都市を防衛すべく構成された組織なのは明白だった。その長が傷を負い、応急処置は済んでいる様子ではあるものの、未だ一人で立つこともできていない。

 彼を傍らで支えていた若い……幼いと言ってもいいほどに垢抜けない青年が、不安げに私たちと上官とを交互に見やっている。

「しかし、礼を言おう。本来ならば軍団長としての正式な謝状を出すべきなのだろうが、ひとまず個人的な感謝を述べたい。メイディーイルを救ってくれたこと、心より感謝する」

 どこか忸怩たる思いを滲ませながらも、彼――ザック・ザッパーは言い切った。

「御託はいい。それより公爵に謁見願いたい」

「……なぜ?」

「街の者が、あれを魔神と呼んでいた。だが見ただろう。あんなものが魔神であるはずがない」

 禍福が言い捨てる。

 その言葉には軍人たちからどよめきが持ち上がったが、肝心のザッパー軍団長は表情をピクリとも動かさなかった。

「根拠は?」

「俺は禍福だ。そう言えば分かるか?」

 禍福の名。

 緋色のそれと同じような意味を持つのかと思えば、どうやら違ったようだ。

「ッ……。なるほど、これ以上ないほどの根拠でしょうね」

 軍団長の目は大きく見開かれ、心なしか態度まで変わった気がする。

「あれが魔神だったら、今頃ここにいる全員が死んでいる。街は壊滅だ。あの帝都でさえも、魔神の侵攻を前にしては瓦礫の山と化した。あれから十年、今なお復興は終わっていない。終わるかも分からない」

 そこまで聞いて、ようやく思い出した。

 そうだ、禍福は魔神の暴威を目の当たりにしている。禍福という名の巡礼者が魔神の侵攻を目の当たりにしたことは周知の事実として、その名を知る者には刻み込まれているのかもしれない。

「あれは魔神ではない。魔物だ」

 戦場だったそこに、静寂が生まれる。

 しかし、それも数瞬のことだった。

「まさか魔王が復活したと?」

 魔王。

 伝説の時代、女神に愛された勇者が打ち倒したという、人類の敵。

「そうは言っていない。そこに立つ緋色を見てみろ、伝説の時代の錫杖を持つ者だ。魔物の一匹や二匹、伝説の時代から生き残り続けていてもおかしくはない」

「信じ難い話です」

「だったら、奴が魔神だと? 貴様とて分からんわけではあるまい。魔神の襲来とは、それを祈り願った者がいることを意味する。イスネアとの戦争が貴様の望みか?」

 静寂とは違う、張り詰めた沈黙。

 それを破ったのが誰だったか、咄嗟には分からなかった。

「そこまでの度胸、イスネアにはないよ」

 軽い、なんとも軽い、場違いな声音。

 沈黙を破った声の出処を探して反射的に走らせた視線が一瞬、混乱する。

 男が立っていた。小さな男だ。距離のせいもあって、子供かと思った。だがよく見やれば、男は老齢に片足を突っ込んでいる。

 上背は恐らく、一六〇センチにも届かないだろう。

 そんな男に私と時を同じく視線を向けた軍団長が、直後、平伏せんばかりの勢いで片膝を付いた。

「公爵閣下……。なぜ、このようなところに」

「領主に街を捨てて逃げろと言うのかな? 冗談だとしたら面白くないよ」

 声まで子供のようだ。

 しかし、彼が纏う雰囲気は尋常じゃない。背が低く、だから薄くなった頭頂部もよく見えてしまう。だというのに、不思議と滑稽な印象は生まれなかった。

 そして声や上背とは裏腹、童心など微塵も感じさせない眼差しが私たちを見回す。

「お初にお目にかかります、領主様。わたくしは緋色、そちらの今にも噛み付きそうなオールドーズは禍福と呼ばれる者です。魔物の件で、ご相談が」

 視線に応えてみせたのは緋色だった。

 公爵閣下にして領主様らしい男は満足げに頷き、もう一度だけ私たちを順に見る。

「席は既に手配させた。……ただ、少し時間がかかる。なにせ皆、避難してしまっていたからね」

 男はにこりと笑顔を作る。

 笑っているようには全く見えなかったが。

「暇を持て余すのもなんだし、僕から一つ訊ねてもいいかな」

「なんでしょう」

「緋色殿に禍福殿、かくも轟く名の主とこうして言葉を交わすことができて嬉しい限りなんだけどね、僕としては、もう一人の巡礼者殿にも興味がある。彼、もしくは彼女の剣技、あれには惚れ惚れしてしまったよ」

 見ていたのか。

 ……というのは私よりも禍福、禍福よりも軍団長に衝撃を与えたらしい。

「閣下! 遊山気分で戦場に出てこられては困ります!」

「遊山気分なんかじゃないよ」

 温度のない笑みを浮かべ、男は禍福をちらと見やった。

「十年前と少し前、僕はメイディーイルを任された。だから帝都の悲劇に居合わせずに済んだ。けど、禍福殿なら分かるだろう? 僕もこちらが落ち着いてすぐに飛んでいったけど、あれはひどいものだった。麗しき帝都が、ああまでも破壊されるとは……」

 禍福が生まれ育ったと思しき土地、帝都。

 言ってしまえば故郷であり、破壊された故郷を――否、破壊されていく故郷を見た時、彼女は何を思ったのだろう。

 分からないし、分かった気になるのも間違っている。

 ただ、禍福が珍しく神妙な顔を見せたことだけを記憶に刻んだ。

「領主の役目は盾となって街を守ること、ではない。それは君たち軍人に任せた仕事だ。今回、僕に仕事があったとすれば嵐が過ぎ去った後の復興を迅速に進めることだった。……だけどね」

 男が空を見上げる。

 気付かなかった。青い青い、雲一つない晴天の端に、茜色が滲みだしている。

「だけど、もし敵が魔神だったなら、僕にはその仕事も残されなかった。メイディーイルは失われたはずだ。魔神は街一つを消し去る。それは皆、知っていることだ」

 オットーの顔が、ふと思い出された。

「こんなことを言っては怒られてしまうかもしれないけど、帝都が生き残れたのは、単なる奇跡でしかないんだよ」

 防壁の門が開き、中から軍人とは違う装いの男たちが二、三人駆けてくる。

「しかし、魔神でなくてよかった。その上、高名な巡礼者殿が三人も居合わせてくれたのだから幸運と言う他ないよ」

 呆気に取られ、すぐに言い返すことはできなかった。

 何か言うべきだったのだろうか。言ったら変わっていたのだろうか。答えは、彼のみぞ知る。

「剣閃と、そう呼ばせていただいて構わないかな、オールドーズの巡礼者殿」

 男の目が私を射抜く。

 禍福が肩を竦め、緋色が我関せずと目を背けたのが見えた。

「それでは禍福殿、緋色殿、剣閃殿。どうぞ、こちらへ――」

 祭り上げられることになる。

 禍福が口にした言葉を脳裏に思い出し、どうにかそれらしい表情を作った。

 これでいいだろうか。

 どうやら私が思っていた以上に尊敬と畏怖を集めている禍福や緋色と並べるに足る人物だと、誤解させられただろうか。

 そして、しばし。

 外套に隠した私の表情が彼らに届くことはないと気付いたのは、緋色のニヤニヤとした笑みに気付いた後だった。

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