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二話 巡礼者

 町だ。

 町、町。

 馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返していた思考は、きっと声にも漏れていただろう。

 それを誰かに聞かれたかもしれないと不安になった時、ようやく自分が人の気配を感じ取れていることに気が付いた。

 嗚呼、たったそれだけのことなのに、どうしてこんなに嬉しいんだろう。

 喉が上と下とで張り付きそうになっている。何度、この泥水を飲んでやろうと思ったか。

 けれど、そんな日々も終わる。

 町があるのだ。まだ人も暮らしているらしい。ヒュームなら、泥水を飲めるように加工する技術も持っているかもしれない。というより、そうでなければ人が暮らしていられるはずがなかった。

 とっくに力を出し尽くしていたと思った足が驚くほど自然に一歩を踏み出す。

 川に寄り添うように町はあった。

 広さはどのくらいだろう? 草木が生い茂る土地しか知らないから規模は分からないけど、決して小さくはあるまい。

 獣除けだろうか、町は柵に囲われていた。

 その柵を右から左へと眺めていけば、必然、切れ目に行き当たる。町の玄関口だ。

 門と呼べるほど立派なものはなかったが、開閉式の戸が立てられ、そこに門番らしき人物が立っていた。

 今は夜明け、払暁の時分。

 町はほんの僅かだけど高台になっているようで、私はまだ陰の中にいた。町は昇る太陽を背にした方向というわけだ。門番もまだ私には気付いていない。

 といっても、気付かれずに町に入る意味もなかった。

 むしろ逆で、ちゃんと門から迎え入れてもらわなければ何もできない。まずは水と食料だけど、これは肥料をはじめ森を救う手立てを探す旅なのだ。人目に触れず技術を盗むなんて真似はできない。

 町が見えてからもうしばらく歩くと、門番も足音を聞き取ったのだろう。

 逆光のため影にしか見えない人物の頭が左右に揺れ動くのが見えた。そうしている間にも日は昇り続け、陰が薄れていく。やがて門番も私を見つけた。

「~~っ!」

 と、門番が何事か叫んだ。

 まだ距離もあるし、何より突然のことだったから、なんと言ったのかは分からなかった。

 私も叫んで返そうかと思ったけど、大きく息を吸ったところで、そんな体力も残されていないことを知る。諦めて手を振ってみれば、向こうも手を振って返した。

 それどころか、若干の下り坂を駆け下りてくる。

「よかった、よかった……!」

 叫び声。

 一瞬、私が知らず零した声かと焦ったけど、声は男のものだった。私は女。それもまだ若い。ティル曰く笑っていなければ可愛くないらしいけれど、それでもあんな野太い声ではないだろう。

 詰まるところ、これは門番の声だ。

 というか、よくよく聞けば先ほどの明瞭としない叫びと同じ声だった。

 頭がよく回っていない。

 ……。

 ……よかった?

 遅まきながらに叫び声の中身に気が付き、首を傾げる。門番は最早すぐ目の前、夜明けの薄闇でも顔を見分けられる距離にまで近付いてきていた。

「あぁ、よかった、本当によかった。お噂は予々伺っておりました」

 何を言っているのか分からない。

 そんな私の表情を読み取ったわけではないのだろう。リクから受け取った外套はフード付きで、マナを編み込んでいるから一目ではエルフと分からないと言っていた。まさか顔色だけ見て取れるとでもいうのか?

 悩んでいる私に向け、男は思い出したように言う。

「失礼しました、巡礼者様。何分、この日を待ち望んでおりましたゆえ」

 巡礼者?

 なんだ、それは。

 違う、私はそんなわけの分からない存在ではなく、誇り高きエルフだ。

 言いかけた言葉は、すんでのところで呑み込む。ヒュームとエルフはともに脈々と種を残し続けてきた人間同士なれど、決して良好な関係ばかりではなかった。時には戦争もする。なんの前置きもなく素性を明かしては、リクが用意してくれた外套の意味がない。

 だけど。

 私の沈黙は、今この瞬間に限っては最悪の選択かもしれなかった。

「さぁ、こちらへ。皆、巡礼者様が訪れるのを今か今かと首を長くして待っていたのです。私どもの町もこの干魃で……いえ、申し訳ありません。この時分です。宿など大層なものはありませんが、食事を用意しましょう。寝床も、できる限りの上質なものを。その後で、よろしければ病人を診ていただきたく……!」

 男は一息に全てを言い切った。

 干魃と言ったか?

 にもかかわらず名を明かさぬ、それどころか声の一つも発していない旅の者に食事と寝床を用意する?

 対価は、病人の治療。

 巡礼者とは何者だ。

 しかし、だが、食事に寝床という申し出は喉から手が出るほど欲しい。それに病人の治療だって、全く不可能な話でもない。なにせ私はエルフだ。森を維持する以外の魔法は知らないが、森を維持するためには木々やエルフ自身の癒やし方も知らねばならない。

 治癒の魔法には、幾らかの自負はある。

 騙すようで心は痛むけど、ここは誤解に付け入るのも一つの手だ。

 それに……やはり心は痛むものの、この町でエルフの森を救う手立ては見つからないだろう。徐々に辺りが明るくなっていく。その輝きの中、男の顔はあまりにもやつれていた。

 やつれながらも、笑っていた。

 巡礼者とやらを頼る以外の術を持たないヒュームに、どうしてエルフの森が救えよう?

「病人と言ったか」

 一人旅の身にしては些か以上に異質な声だったはずだ。

 だというのに男は驚いた素振りも見せず、「えぇ。えぇ」と力強く何度も頷いた。

「もう何日もまともに水を飲んでいない。よろしければ、水をいただきたい。それから、病人のところへ」

「あぁ……この干魃ですものね。すぐに用意致します。その後、病人のところへ。えぇ、勿論です」

 後半はただ復唱しているだけだった。

 男はそれにも気付かぬ様子で、駆け出してしまう。

 よほど嬉しかったのだろう。まだ朝だというのに「巡礼者様が来た、巡礼者様が来てくださった!」と叫びながら町を走り抜けていく。

 それ以上に驚いたのは、流石に全ての家ではないにせよ、何軒かの家の戸が開いて歓迎や感謝の声が投げられたことだ。何人かは姿を見せ、握手のためにか差し出しかけた手を引っ込めてから深々と頭を下げた。

 何を見ても、ただただ巡礼者という存在への違和感が増していく。

 巡礼者とは何者だ。

 好奇心もそうだが、ここまでくると身を守るためにも知らなければならない。ヒュームに治癒魔法の腕で劣るつもりはないけど、もしエルフには知り得ない技術で病を癒やしているのなら、期待には応えられないかもしれない。

 そして巡礼者でないことがバレてしまったら……?

 ぶるりと肩が震える。

「あぁ、温かいスープもすぐに用意させましょう」

 それを見られたのか、いつの間にやら戻っていた男が善意に溢れた声で言った。

「すみません」

「いえ、いえ、そんな……!」

 大変なことになってきた。

 今なら、まだ間に合うだろうか。

 実は人違いなんだ、巡礼者なんてものは知らない。ただ治癒の魔法は使えるから、水と食料だけでも分けてはもらえないか。

 そう言えば、全てが丸く収まったのかもしれない。

 だが、私は浅はかだ。強欲で、恥知らずだ。

 差し出されたグラスからほんのりと漂う甘い香りに、本当のことを打ち明け、この水が失われてしまったらと恐怖してしまった。

 水を受け取り、口に付ける。

 一口だけのつもりが、一息に飲み干してしまった。

 そんな醜態を見てなお、門番だった男は何も言わない。そこは彼の家だったようだ。すぐ後ろの戸を開けて出てきた女性に「もう一杯だ、早く!」と叫んで、また私の方に笑みを向けてくる。

 今更、誤解だなんて言い出せるわけがない。

 すぐさま二杯目のほんのり甘い水を受け取り、飲み干し、それから家の中に案内されて具の少ない、けれど温かく味わい深いスープを三杯も飲み干してしまった。

 質素なスープだったが、干魃とあっては貴重なものだろう。

 水もそうだけど、具材として入っていた芋や特に香草の類いは別格の価値を誇るはずだ。

 対価は、払う。

 私の全力を賭して、必ず。

 そう言い聞かせ、好意に甘えた。否、付け込んだ。

「巡礼者様」

 男が言う。

「えぇ、病人のもとへ」

 審判の時だ。

 私が彼らにとって価値ある存在か、あるいは有害無益の盗人か。

 一歩、また一歩、男に案内されるまま答えへと近付いていく。

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