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二十八話 戦いの後で

 禍福が肩で息をしている。

 獣と化したオットーと、その死を前にしても余裕を失わなかった禍福が今、立つのがやっとの様子で佇んでいた。

 もう一人の巡礼者、緋色も似たような状態だ。

 私は最初、あの人も特別なんだと思った。見た目は普通だったけど、天導病と獣化症に蝕まれた禍福に匹敵する力を持っていて、だから魔神とも戦えるのだと。

 けれど違った。

 彼女は特別なんかじゃなくて、彼女が手にした錫杖こそが特別なのだ。

 身体の動きではなく、マナと魔力の動きを見ていれば分かる。膨大な魔力は彼女ではなく、錫杖によって生み出されていた。

 緋色。

 皮肉な名だ。

 緋色の錫杖を使う巡礼者ではなく、緋色の錫杖に使われる巡礼者。

 二人と一体の戦いは、だから泥臭いなんて言葉でも言い表せないほどに無惨なものだった。

 禍福の緋色が魔神よりも優れていたことといえば、二人だったことと、身体が小さかったことだけ。

 身体の小ささは、攻めることを考えれば不利になるけど、逃げることを考えれば有利に働いた。

 禍福が攻撃の構えを見せ、それでいて攻め込まずに注意を引くだけ引いて、魔神の攻撃が届きそうになった辺りで緋色が横槍を入れる。かといって魔神が目障りな緋色を先に仕留めようとすれば、その隙を窺って禍福が接近した。

 攻防一体ではない。

 ただ逃げ続けることで、魔神の疲労を誘う戦術。

 魔神が既に満身創痍でなければ到底叶わなかった戦術だが、そうであってなお薄氷の上に立つ心地だっただろう。

 悄然とした二人にかける言葉を、私は持たない。

 いつ、どうして、魔神は満身創痍になったのか?

 それを知らぬ私を見つけて、嫌でも気付かされた。時間が飛んでいる。否、意識と記憶が飛んでいた。私が知らぬ空白を見た禍福は、だから私に見ていろと言ったのだ。

 禍福と緋色が二人がかりで、しかも満身創痍だったところを相手取ってようやく打ち倒せた存在。

 それが魔神か。

 魔神がなんであるかは知らない。

 しかし、死した直後から肉体の大部分がマナへと還り始め、体躯の割に残された死体が小さすぎるところを見るに、尋常な存在ではなかったのだろう。

 左腰に差した、姿消しの魔法を失った剣を撫でる。

 禁忌と呼ばれた意味を、知らないままに理解した。これを抜いてはいけない。今回はまだ一度目。それも目の前に敵がいた。だけど、もし敵がいなければ? 一度目に消えたのは姿消しの魔法だけだったけど、二度目はどうなる?

 私の意識は、次も私の手中に戻ってくるのか?

 頭を振る。

 禍福は何か知っているようだった。だったら後で聞けばいい。……見切りを付けられていなければ、だけど。

 ともあれ、今は二人に手を貸さなければ。

「禍福! それと、えっと、緋色でいいのか? 一度座って休んだ方がいい」

 言いながら歩み寄る。

 二人はそれで我に返ったらしく、じっと見下ろしていた、小さすぎる魔神の死体から顔を上げた。

「ダメだ」

 と言ったのは禍福。

「何がダメなんだ。少しくらい休まないと――」

「いや、違う。座ったらしばらく立てそうにない。今は後始末を考えないと」

 そんなにか。

 だけど、まぁ、声は割と元気そう……でもないけど、私の知る禍福のもの。たったそれだけのことだけど、安心はできた。

「じゃあ手を、いや肩を貸そう。それから……えっと、一応もう一人のオールドーズって呼んだ方がいいか?」

「いえ、構いません。緋色と呼んでください。わたくしはそう呼ばれることの方が多いものですから」

「そう、なのか。えっと、肩を貸そうか?」

「お気遣いなく。わたくしにはこれがあります」

 錫杖に体重を預け、緋色は沈黙した。

 喋るのも大変らしい。そりゃそうか。ただのヒュームの身で禍福の動きに追随したのだ。それなりに鍛えてきたつもりの私でも、あれに付いていくのは難儀しそうだったのに。

 緋色は背が高く、私と同じくらいはあるけれど、私よりも痩せている。エルフよりヒュームの方が肉付きはいいはずだから、これは大変なことだ。痩せすぎと言っていい。なのに外套越しでも分かるボリュームが胸やお尻の辺りにあるのが気になるけど、今はそんなことを気にしている場合じゃないだろう、うん。

 意外にも素直に肩に手を乗せてきた禍福の背中というか腰を支えてやりつつ、改めて口を開く。

「まぁなんにせよ、無事に魔神を倒せたんだから何よりだ。……軍人の方の被害はまだ分からないけど、街に被害はなかった。だから――」

「違う」

「えっ?」

「違うんだ、もう一人の……いや、エレカ。これは魔神じゃない。魔物だ。もし本当に魔神だったら、今頃はメイディーイルが瓦礫の山と化していても不思議はない」

「…………?」

 絶句し、数秒もの間、頭が上手く働いてくれなかった。

「魔神じゃ、ない?」

「そうだ。だが、その話は後でいい。緋色も、錫杖もそろそろ限界だ」

「そうですね。蓄えてきたマナが底をつきそうです。このマナが枯渇する時代に、もう一度これほどの戦いをこなすには何年かかるか」

「年? 年単位で蓄えて、それがこんな一瞬で!?」

 いや、戦闘自体は何十分と続いていたが、何年もの月日を前にすれば一瞬も同然だろう。

「だから分かるだろう、今は無駄に時間を使わせるな。それより緋色、予備の外套はあるか?」

「そんなもの戦場に持ってくるわけないでしょう。あなたはわたくしの外套を着てください。この三人なら、わたくしが一番、中を見られても困りませんから」

 なんの話をしているのかと思ったけど、そうだ、禍福の外套は左の袖がぐちゃぐちゃになっている。顔どころか声まで男か女か分からないほどに誤魔化せるらしい外套でも、原形を留めていない状態で腕を隠せるかは怪しい。

 だからエルフの私と、腕まで獣毛に覆われた禍福は万全の外套を着るべきだと。

 そんな私たちの無言を肯定と受け取ったのだろう。緋色はさっさと脱いでしまった外套を禍福に投げ、自分では禍福が脱ぎ捨てたままだった外套を取りに向かう。道中も足取りは覚束ない様子で、錫杖は依然杖代わりになっていた。

 緋色の名とは裏腹、彼女の髪は深い深い青だった。

 鮮やかな緋の結界の中に揺れる深い青を見送っていると、耳元で小さく声が鳴る。

「聞け。顔は動かすな。あの剣は、なんだ?」

 声の主は禍福だった。

 肩を貸していた都合で、自然と耳元で囁く格好になっている。

「緋色に知られたらまずいのか」

「時間がない。答えろ」

「……分からない。父からは、森長からは禁忌とだけ言われていた。だから常に帯びるようにとも」

「代々のものか?」

「それも分からない。だけど、森の中には知らない様子の者も多かった。森長が受け継ぐべきものなら追放する私にそのまま持たせておくわけがない」

「体よく厄介払いされたと?」

「分からない。ただ、その割には手に馴染んだ。昔から同じ長さ、同じ重心の剣で鍛えてきた。禁忌だが、いずれ使う日が来る可能性は考えていたんだと思う」

 その責務を――、禁忌を背負うべきが森長だった。あるいは追放される森長の娘か。

 どちらにせよ、元々私が持つものと定められていたのだろう。父も若い頃そうやって鍛えられたのかもしれないし、私も追放されなければ次の世代に託す日が訪れたのかもしれない。

「分からないことだらけだな」

「悪いか」

「悪いが、少なくとも今に限って言えば好都合だ。貴様はまだ何も知らなくていい」

「お前は何か知っているのか?」

 禍福は一瞬、沈黙した。

 それが恐らくは本当の答えだったのだろう。

「想像でしかないが、可能性が一つ。だが教えるのは後だ」

 禍福が身を離す。

 何をするのかと思ったら、私の肩を軽く手で押した。

「もう一人で大丈夫だ。それに、寄りかかったままじゃ袖に腕を通せない」

「あ? あぁ、なんだ、そういうことか」

「どういうことだと思ったんだよ」

「や、嫌われたのかと……」

「は……? はぁ?」

 私は本気で言ったし、禍福も本気で呆れていた。

 そこに嘘はなく、だから必然、見透かされるも何もなかった。

「禍福が他の巡礼者と連れ立ってきたと知った時は驚きましたが、中々に仲がよろしいようで」

 向こうも向こうで手間取ったのだろう。

 ようやく外套を着たところだった緋色が笑い、こちらに戻ってくる。

「そんなことはどうだっていい。それより、こいつの剣だが」

「なっ……!?」

「森で禁忌と呼ばれていたらしい。だが、それ以上はこいつ自身も知らんようだ」

「おまっ……禍福! それを言うか! 秘密じゃなかったのかっ!?」

「あらあら、何か話し合っていると思えば、そんなことを」

「まずい話が出てきたら貴様の耳にも入れん方がいいかと思ったが、杞憂だった」

 嘘は言っていない。

 ただ嘘を言っていないだけで、誤魔化しには満ちている。

「しかし、戦いぶりは見られた。貴様は覚えていないだろうが、あれは相当なものだった。あの魔物を圧倒したと言えば、今の貴様にも異様さが伝わるか」

「あ、あぁ……」

 どこまで本当なんだと緋色の顔色を確かめてみたが、どうやら全て本当らしい。

 どういうことだ?

 禍福が魔神……じゃなくて魔物の攻撃で跳ね飛ばされた辺りまでは覚えている。そこから魔物が満身創痍になったところは覚えていない。まさかとは思ったけど、あれを私が一人でやったのか。

 ――否。

 緋色の錫杖と同じか。

 私が剣を操ったのではなく、剣が私を操った。そう考えるのが妥当だ。いくら鍛えてきたとはいえ、気を失ったまま剣は振るえまい。

「そこでだ、貴様のその剣は魔法剣……魔力を練り込んだ剣ってことにしておく」

「そんなものがあるのかっ?」

 それではまるで妖精剣じゃないか。

「魔法道具の延長だ。ただ鋼の強度が落ちるから、実用性はほとんどないがな。しかし貴様の戦い方は、それでどうにか説明がつく」

「私の戦い方?」

「あぁ悪い。覚えていないんだったな。あの剣を振って斬撃みたいな魔法を飛ばす技だ」

 剣を振って斬撃みたいな魔法を飛ばす技。

 なんとも言い難いが、まぁその、それについては心当たりがある。

「それは一閃のことか?」

「……なんだと? 貴様、まさか覚えて――」

「申し訳ありませんが、そろそろ結界も限界です。エレカさん、とおっしゃいましたか?」

「あ? あぁ、エレカだ。姓はない」

「分かりました。わたくしは緋色。ただ緋色とお呼びください」

 そこで一旦言葉を切ってから、緋色は淀みない言葉を並べ立てる。

「わたくしたちが打ち倒した存在は魔物。仮に魔神だという誤解が広まればイスネアの関与が疑われてしまいます。真相はともかく、事実として魔物だったのですから、そこは念を押すとしましょう」

「イスネア……。東にある小国だったか?」

 言ってしまってから、ふと我に返る。

「あぁすまない。続けてくれ」

 緋色はこほんと咳払いを挟んだ。

「そしてエレカさん、あなたの剣は魔法剣と呼ばれるものです。そういうことにしておいてください。こちらも、やはり真相は後回しにしましょう。あなた自身も知らないのなら、どうしようもありませんし。……ただ」

「ただ、あれは貴様の実力、貴様の意図した戦果だ。理性を失い、剣に操られたなどおくびにも出すんじゃない。不本意だろうが、貴様は祭り上げられることになる」

 緋色の言葉を半ばで引き継ぎ、禍福が吐き捨てる。

 否を唱える権利はない。

 私は恐らく、それだけのことをしてしまったのだ。

「分かった」

「ならば、凱旋だ。といっても、メイディーイルは俺たちの故郷じゃないがな」

 禍福が笑う。

 緋色も微笑む。

 無数の六角形に分かれ、崩れ去っていく緋の結界。

 その向こう側に待っていたのは――、

「――ッ! 巡礼者殿だ! 教会のお三方が勝ったんだ!」

 手を突き上げて喝采を叫ぶ、メイディーイルの軍人たちだった。

 見えないと分かっていて、それでも作ってしまった微笑の奥、チクリと刺さる棘を見つける。

 その喝采を、私が受け取ってしまっていいのだろうかと。

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