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二十七話 魔の化身・2

 森が燃えていた。

 美しき、エルフたちの森が。

 森に生まれ、森に生きたエルフの誇りは、森もろともに燃え上がる。



   × × ×



 炎が見えた、気がした。

 視界を覆い尽くす黒煙の向こうへと伸ばそうとした手に脱力感を覚え、途端、意識が覚醒していく。

 誰かが私の名を呼んでいた。

「エレカっ! エレカ……ッ!」

 ……誰?

 分からない。

 分からなくなってしまった。

「禍福……?」

 目の前に懐かしい顔が見えて、何もかもが遠のいていく。あれは誰の声だったんだろう。禍福じゃない気がしたけれど。もう分からない。指の間から抜け落ちた声は、思い出すことも叶わない。

 代わりに、ようやく見えてきた辺りの光景に意識を奪われる。

 赤だ。

 赤一色。

 いや、単純な赤とは違うけど、でも赤い六角形が連なって辺りを覆い尽くしている。

「なんっ……なんだ、これ」

「あ? これは緋色の結界で――って、そんなことはどうだっていい」

 すぐ目の前で禍福が叫ぶ。

 さっきは懐かしい気がしたけど、どうしてだろう。見なかったのはほんの数分、長くても十数分のはずだ。

「ていうか、魔神! 魔神はっ!?」

「はぁ? あれは魔神じゃなくて魔物で……あぁもう、面倒臭い! 正気に戻ったなら治癒をくれ、治癒だ! 貴様は治癒の魔法を使えるんだろう?」

「ちゆ? まほ……? あ、あぁ、そうか、お前は左腕が」

 そうだ、思い出してきた。

 そもそも、どうして忘れていたんだろう。

 ……あれ? 何を忘れていたんだろう。

 思い出せない。思い出せないけど、思い出せないから、今考えることは一つしかなかった。

 禍福は魔神に跳ね飛ばされ、物みたいに地面に転がった。そこまでは覚えている。それで腕をやられたはずだ。見れば、外套の上からでも分かるくらい重傷だった。よくもまぁ、これで元気に叫んでいるものだ。

 ただ、決して余裕があるわけではないらしい。

「早くっ!」

「あ、ごめん」

 急かされ、禍福の左腕に意識を集中……しようとして、はたと我に返った。

「その前に外套! 外套を脱いでくれ! じゃないと上手く治らないかもしれない」

「あ、あぁ。分かった」

 アーロンの長老の時と同じだ。

 治癒魔法は何もかもを都合良く治すわけじゃない。千切れかけた肉と破れた外套がぐちゃぐちゃに絡み合ってしまっていたら、最悪治っていく腕の中に外套が巻き込まれて余計に大変なことになる。

 しかし、そんな状態だからこそ外套を脱ぐのも一苦労だ。

「……くそっ。腕が上手く――っていうか、動かすと痛みが」

「あぁもういい、私がやる。禍福はどっか違うとこ見ててくれ」

「分かっ――ッ!? 痛ァッ! 痛い、痛ったい! 貴様、何をして――」

「いいから一旦歯を食いしばれ!」

 子供じゃないんだから、少し静かにしていてほしい。

 というか、なんだ、この外套。頑丈すぎる。肩口で破れば楽かと思ったけど、ちょっと肉を引き千切るくらいの気持ちで思い切り脱がせてしまった方が早いか。

「悪いが禍福、外套全部脱がすぞ」

「全部っ!? って、外套か。いや、あぁ、大丈夫だ、結界のお陰で視線は遮られ――って最後まで聞」

 ぐぎゃあぁ、と女の子が出してはいけない声で喚く禍福。

 いや、女の子って歳ではなかったか。分からないけど。分からないけど私よりは年上だったはずだし。私もそろそろ女の子を自称するのは大変な歳だ。だからまぁ禍福は女の子ではないはずで、だけど、しかし、これは……。

「かわっ」

 可愛い、と口を衝いて出そうになった言葉を呑み込む。

「かわ? 皮がどうしたっていや待て考えさせるな、早く治せ!」

「わ、悪い。すぐやる」

 まずい、まずい。

 それどころじゃないのは分かっている。分かっている、つもりだ。

 ここは戦場である。禍福と時を同じくして現れた女が錫杖を手に魔神と戦っているのも、視界の端でちらちらと見ていた。

 魔神の動きは鈍く、反対に女の動きは機敏だ。だが、それでもなお長く持ちそうにはなかった。早く禍福の腕を治して、二人で援護に回らないと惨劇は避けられない。

 だけど、でも、だって……。

 眼前に禍福がいる。腕が痛むのかそっぽを向いて奥歯を噛み締めている禍福は、私が脱がしたのだから当然だけど、外套を着ていない。勿論、勿論だけど、服は着ている。でも腕や足、何より顔は隠せていないわけで。

 ふさふさの毛。

 毛の厚みでヒュームのそれより二回り以上も大きく見える耳は、毛の重みで垂れ下がっている。その垂れた耳が腕の些細な動きに合わせてピクリ、ピクリと跳ねるのだ。

 さ、触りたい……!

 絶対言っちゃいけないし、言わずに触ったら激怒されるだろうから堪えるけど、でも、これは――

「エレカ?」

「あ、いや、すまん、えっと、そうだ、ほら、患部の状態を見ていて」

「あまり、じろじろ見るな」

「……分かった」

 嫌がるというより、恥ずかしがる声音。

 それでなんだか、何かが一周回って、冷静になれた。そうだ。禍福は今、想像を絶する痛みと戦っているはずなのだ。

「それじゃあ、魔法をかけるぞ。変な感じがするかもしれないけど、あまり動かないでくれ」

「あぁ」

 指先に意識を向け、魔法を発動。治癒の光が禍福の左腕を包む。

 見るなと言われた以上は見ているわけにもいかなくて、治癒魔法が役目を果たすまでの間、私はじっと戦場を眺めていた。

 見慣れた外套を着た、見知らぬ女。彼女も巡礼者なのか。

 錫杖を手にした女は未だ魔神と一進一退の攻防を繰り広げている。……なんて言えば聞こえはいいけど、決め手に欠ける戦いだ。それでいて何か一つでも狂えば魔神の一撃が女の命を奪い去るだろう。

 とはいえ魔神は全身から血を流していて、動きが重い。

 あと少し、だと思えてしまうのは希望的観測か。

「治療は終わりましたっ? でしたら、そろそろ手を貸していただけると――ッ!」

 私の視線に気付いたのか、女が大声を投げてきた。

 禍福を見る。

 禍福は私を見て、それから左の肘を曲げ、伸ばし、また曲げてみせた。

「助かった」

「あぁ、うん、魔法が効いてよかった」

 禍福を蝕むという二つの病。

 それが治癒魔法を阻害する可能性を考えないではなかったが、杞憂でよかった。

「貴様は大丈夫だな?」

「あ、あぁ」

 私に傷が見えるかと、そう笑いかけるつもりだった。

 しかし、ふと見た禍福の眼差しに、優しげな色はない。

「なら、そこで待っていろ。お陰で、俺たちでもどうにかできそうだ」

「……え?」

 待っていろ?

 俺たちだけ?

「ちょ、ちょっと待ってくれ。私もまだ戦える!」

 いくら治ったとはいえ、禍福の腕にはまだ痛みの残滓があるはず。あの女にしたって、どうにか凌ぐのが精一杯という調子で余裕がありそうには見えない。

 心から言ったつもりなのに、禍福はふっと鼻で笑って一蹴した。

「戦えるかどうかなんて聞いちゃいないさ。戦うなと、そう言ってるんだ」

 禍福が手袋を外す。

 指の先まで獣毛に覆われた、大きくはない彼女の手。

 それだけを武器に、自身に倍する巨躯を誇る魔神と相対するというのか。

「分からないなら、そこで見ていろ。あれがどういう存在なのか」

 見ていろ?

 ただ、見ていろと?

「禍福!」

 女が振り返り、フードの下で苦笑とも微笑とも取れる笑みを零した。

「傷は大丈夫なのですか?」

 風切り音さえ伴う魔神の拳を紙一重で避けながら、女が問うた。禍福は笑う。背中しか見えずとも、それくらいは分かるようになっていた。

「あぁ。だが大丈夫じゃなくても、やる他ないだろうよ。早く強化を寄越せ。緋色、貴様に前衛は荷が重い」

「言われなくても、分かっています!」

 女が錫杖を大きく振りかぶる。

 また、あの光か。赤色……否、そうか、緋色か。

 緋色に輝く光の槍。あれが再び放たれ、足ではなく心臓と脳を貫けば、それだけでどんな生き物でも倒せてしまいそうなものだが。

 しかし現実は、そう甘くはないらしい。

 女――禍福が緋色と呼んだ巡礼者は確かに緋色の光を放ったが、その光はあまりに弱々しかった。恐らく、目眩ましにもなりはしない。黒々とした光沢を宿す皮膚で弾かれた光が、それでも魔神の動きを止められたのは、ひとえに一度足を貫いているからだ。

 魔神とて生き物か。

 防衛本能ゆえに咄嗟の防御行動を取らされ、拍子抜けした時には既に禍福と緋色が立ち位置を入れ替えていた。

「頼みましたよ、禍福!」

「それは、俺の台詞だ!」

 二人が並び、魔神と対峙する。

 それを後ろから眺めている私は、一体なんだ?

 左の腰に伸ばそうとした右手が半ばで動かなくなる。引き抜けば、そして振るえば、雑念なんて追い払えるはずなのに。それでも何故か、私の右手は躊躇っていた。

 禍福と魔神が衝突する。

 一度は跳ね飛ばされたにもかかわらず、果敢に挑みかかっていく禍福。

 それを援護するのが私じゃない誰かだということに、ひどく冷たい感情を自覚する。

 炎が見えた、気がした。

 腹の底で何かが呻く。

 突き上げてきた衝動が喉を焼き、口から溢れそうになっていた。

「――ッ」

 どうにか堪えた言葉が、倍する衝動となって脳裏を反響し尽くすようだった。

 左腰の剣がやけに重い。

 なのに身体は軽くて、軽すぎて、自分の足が地面を踏み締めているのかさえ曖昧だった。

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