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26話 魔の化物・2

 一筋の閃光。

 それが剣撃の軌跡だと見て取れた時には、早くも次の一撃が煌めいている。

 息つく暇もない神速の連撃。

 しかし魔物も決して遅れは取らない。

 腕で弾き、半身を翻し、時に反撃に打って出る。

 何が攻撃で何が防御か、どちらが攻めてどちらが守っているか、外から見ていたのでは判然としなかった。

 だが見ていれば気付くこともある。

 魔物がふっと力を抜き、一歩下がった。それだけでエレカの姿をした何者かは虚を衝かれる。

 剣の間合いが外れ、ならばと強く踏み込んだ瞬間、魔物は既に反転していた。

 振り上げた剣を下ろす間隙もないまま、超至近距離からの殴打が放たれる。その一撃に驚くべき速度で反応し肘を締めるも、あろうことか魔物が放った一撃はフェイントだった。

 直後に放たれた第二撃がエレカの腹を捉え、先ほど俺が魔物にそうしたように、今度はエレカの身体が宙に浮く。

 強烈な炸裂音。

 ただの人間であれば即死どころか全身がバラバラになってもおかしくなさそうなものだが、その者は奥歯を噛み締め、空中から魔物を睨む。

 無論、攻撃はそれで終わりではなかった。

 魔物が人と同じ形の口を、しかし人とは決定的に異なる可動域で大きく開く。何をする気だ。訝しんだその時には目眩を覚え、刹那、答えを得る。

「ハァ・ルァ!」

 裂帛の咆哮。

 空間を歪ませるほどの魔力が放射され、エレカの身体を直撃する。

 だが、やはりあれはエレカの姿をしただけの、全く異なる生き物なのか。

 それは両腕を交差させて魔力の奔流に耐えたかと思えば、地上から十メートル近くは打ち上げられたにもかかわらず、早くも体勢を整えて長剣を大上段に構えている。

 まさか、などと考える暇すらなかった。

 振り下ろされた剣が煌めき、斬撃が飛翔する。

 否、上空から獲物を定めた猛禽のごとく、魔物めがけて一直線に突っ込んだ。

 魔物もまた腕を盾とし斬撃を弾くが、千々に砕けた無数の斬撃はそのまま魔物の全身を切り刻む。

 最早、斬撃というより魔法だ。

 奇しくも妖精剣を思わせる、剣術と魔法の融合。

 しかし、すたっと何事もなかったかのように着地し、構えるでもない剣をだらりと下げた女には、妖精剣などという儚くも美しい名は似合わない。

 邪悪とも呼べぬ、相反するはずの喜悦と落胆を滲ませた微笑。

「それが全力か?」

 挑発する声は、響きこそエレカと似ても似つかないが、やはりエレカのそれだった。

「ルァ、ア」

「しかしまぁ、私も鈍ったものだな。貴様ごとき一蹴できんとは、情けない」

「ルゥ、ルァ……!」

「ほう? 私の言葉が分かるか? だが一丁前に無力を憤るなど、片腹痛い」

「ルァハ、ハゥラ」

「そうか、それが貴様らだったな」

 会話、だったのだろう。

 魔物が並々ならぬ意気を漲らせ、対する女も剣を構えてみせた。

 ――と、その時。

 不意に女の頭が小さく揺れた。罠か? だが、魔物には悩んでいる余裕などなかったに違いない。揺れた頭が元の位置に戻る頃には、既に眼前まで魔物が迫っていた。

 女は、すんでのところで身を翻す。反撃はできない。魔物の追撃が迫り、二度、三度と回避を強いられ、遂に大きく距離を取る。

 それでようやく確信できた。罠じゃない。ならば不調か。

「チィッ」

 もどかしく苛立たしげな舌打ち。

 女の動きは明らかに鈍っていた。振るう剣に冴えがない。柄を握る右拳に異様なまでに力が入っている。言うことを聞かないのか。……どちらが? 腕が? それとも剣が?

 どちらでも、構うものか。

 この隙を見逃してはやらない。

 エレカの姿をしたあれは何者か、未だ分からないが。

 しかし傍観していられたのは、魔物がいたからに他ならない。魔物を倒してしまえば、その後を抑え込む役目を担うのは俺たちだ。だったら満身創痍の魔物を生き残らせ、敵の敵として使ってやる方がいい。

 左腕はまだ痛む。だとしても――。

 無理やりに立ち上がって、戦場を見回す。軍人たちは女と魔物の戦いに意識を奪われていた。当の女と魔物は、互い以外に全く意識を向けていない。それどころじゃないのもあるし、無視していいだけの力量差はあるのだから当然だ。

 だが、だからこそ、付け入る隙はある。

 緋色が俺を見ていた。

 言葉はいらない。ただ頷き、作戦を組み立てる。

 そして戦場に異変が起きるまで、そう時間はかからなかった。

 最早まともに動く体力も残っていないのか、直線的な攻撃を繰り返すばかりの魔物に対し、にもかかわらず回避に徹していた女が力任せに剣を振り上げる。

 乾坤一擲の反撃か。

 運命の瞬間を見逃すまいと、誰もが神経を尖らせただろう。緋色が錫杖を構え、俺が息を潜め、魔物でさえその一撃を受け切れば勝機はあると見たはずだ。

 戦場に生まれた一瞬の静寂の直後、女は剣を振り下ろす。

 剣術などとは呼べぬ、壊れた人形の狂った関節を無理に動かしたかのような、あまりに不自然な所作。

 理解不能の光景を前に迷わなかったのは、恐らく一人だけだった。

「囲え! ()の聖域よ!」

 錫杖を掲げて緋色が叫ぶ。

 硬直した戦場に彼女の名と、何より錫杖の先に輝く宝石と同じ緋色の輝きが走った。

 輝きは凝結し、千々に分かれながら形を結んでいく。緋の六角形が連なり形作るのは、外と中とを隔てる聖域の結界。伝説に謳われる魔王の一撃から勇者を守ったとされるそれは、まさに現代に蘇る奇跡である。

 緋色が、緋色たる所以。

 その意味を本能的に悟ったのか、魔物が狂った吼え声を上げて緋色に突進する。緋色は錫杖を差し向け、光の槍を乱射して距離を保とうとした。それでも長くは持たない。錫杖は伝説の時代の遺物だが、緋色自身は今の時代を生きる一人のヒュームだ。およそ扱い切れる代物ではない。

 だから緋色に限界が訪れる前に、俺が戦いを終わらせなければいけなかった。

 見るからに限界を迎えた女から剣を奪い取り、無力化する。それから返す刀で満身創痍の魔物にトドメを刺す。

 そう、考えていたのに。

「ここで邪魔をするか。そうか、貴様がなァ……」

 ぽつり呟かれた声に、心臓を貫かれた気がした。そんなはずはない。声に魔力が込められた形跡はなく、無論、俺の心臓に魔力が届いた衝撃もない。

 だというのに、動けなかった。

 女が剣を、鞘に収める。

 たったそれだけで作戦が無に帰したことを知った。剣を収めてなお、どうして貴様はエレカに戻らない。何故、その冷たい眼差しを俺に向けられる。

「アハッ、驚いた顔をしているね」

 ずっと気付いていたとでも言いたげに、俺を見据えた女が笑った。

「けれど愚かだ。たかだか到達者の分際で、私の前に立とうなどとは」

「何を、言っている」

「分からないか。まだ誰にも愛されていないとは、新しき勇者の器ではないか」

「……黙れ」

 会話などしている場合ではない。

 だが、他に何ができる? 無視して殴りかかればいいのか?

 俺は、俺たちは、エレカの手から剣を奪えば女を無力化できると思い込んでいた。剣を握り豹変したエレカ。明らかにエルフの、人間の領域を逸脱した力と剣術。

 その源が剣にあると、そうでなければおかしいとさえ考えていたのだ。

「到達者の女」

 エレカの声で女が言う。

 不幸中の幸いなのは、どうあれ結界の展開まで漕ぎ着けたところか。そうでなければ、この会話を全て軍人たちに聞かれていた。巡礼者同士の諍いや、到達者などというオールドーズも知らぬ呼び名。

 それが意味するところは分からない。

 分からないからこそ、是が非でも避けなければいけなかった。

 結界が解けた時、そこには何が待っているだろう。魔物を打ち倒した巡礼者の姿か? あるいは魔物と同胞を屠った、巡礼者の外套を纏う化け物か?

「そう怯えた目で見ないでくれ。私が悲しむ」

「黙れ」

「到達者の女」

「俺は巡礼者だ」

「オールドーズ、か? 私は嫌いだ。勇者と女神と、何より妖精王に肩入れした恥知らずなど、私の傍には必要ない」

 何を言っている。

 何を知っている。

 問い質せば答えてくれたかもしれないが、これ以上に僅かでも言葉を交わしたくなんてなかった。

 確かに俺は怯えていたのだろう。

 怒りによく似た感情が腹の底から俺の全てを握り締め、恐怖も何も追いやられてしまった今。

 ようやく俺は前に進める。

 エレカの口でグダグダ抜かす女に、また一歩近付ける。

「聞け、到達者」

 その頬に平手を見舞うまで、女は微笑を湛えていた。

 パチンと甲高い音が響く。

 女が微笑を崩した。大口を開け、呵々と笑いだす。

「聞けよ、到達者」

「黙れ。それ以上、その口で、その声で喋るんじゃない」

「守れよ、この私を。救うんだろう、この私を。ならば果たせ、到達者。終焉の時代に立つ、脆弱なる者ども。この私を、終焉の時代に連れていけ。()すれば、愛してやろう。ただ立つことしか許されん貴様に、戦う力を、戦う意味を与えてやろう」

 今度は拳で殴ってやろうかと、不意に思った。

 女がそれ以上何も言わなければ、きっとそうしていただろう。

「名乗りを上げよ、到達者」

 女の目が遠くを見た。

 どこだろう。遠く遠く、確かにどこかを見ていた気がした。

「そして祈れ。願え。貴様の名を聞くのは、この私だ」

 そして女は、目を閉じた。

 瞬間、マナが渦巻く。

 流転する。世界中に溢れるはずのマナはどこかへ消えて、どこかから現れる。不思議な気持ちだ。マナを目ではない何かで見極めるようになり、鼻でない何かで嗅ぎ取るようになり、それでもここまで明確に感じ取れるのは初めてだった。

 世界が回る、そんな錯覚を抱くほどだった。

 視界の端に一瞬、炎を見た気がする。気がする、だけかもしれないけれど。

 白く輝く、美しき炎。

 けれど、やはり。

「エレカっ! おい、エレカ!」

 今はまだ、終焉の時代になんて思いを巡らせる余裕はなかった。

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