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25話 魔の化物

 魔神でないことは薄々分かっていた。

 あの男……名はなんといったか。まぁ俺たちに魔神の一報を届けた男が口にした、砲撃を避けたという言葉。それが何よりの証である。

 俺たち人間にとって、宙を漂う塵とはなんだ?

 顔や身体に当たるからといって、わざわざ塵を避ける者がいるか?

 魔神にすれば、人間の放つ砲撃など塵にも等しい無意味な存在。

 回避行動を取るということは、即ち脅威と認めることに他ならない。

 ――果たして。

 メイディーイルの防壁に迫る存在は魔神ではなかった。些か信じ難いことではあったものの、それは魔物と呼ばれる存在である。かつて魔王が従え、人類の前に敵として立ちはだかった軍勢の一員。

 けど、それは伝説の時代の話だ。

 今の時代には存在しないはずの魔物だが、まぁ何事にも例外はある。伝説の時代から形を残すとされる遺物が存在し、現代の最新技術でも到達できていない超性能を見せるのだから、魔物の生き残りくらいいてもおかしくはない……のかもしれない。

 そして魔神でなければ、どうにかなる。

 エレカの実力は未知数だが、偶然か必然か、心強い味方と合流できた。なんでも俺たちの到着を知り、遠巻きに観察していたのだという。その抜け目のなさは油断できないが、奴がいれば時間稼ぎには困らない。

 帝国軍でも教会側でもいいから、応援の到着まで時間を稼ぎ、数に任せた飽和攻撃を仕掛ければ片がつく。

 そう、思っていたのに。

「なんだ、これは……」

「それをあなたが口にしますか? わたくしこそ説明を求めたいのですが……」

 防壁の外。

 死屍累々さえも覚悟した戦場には、想像とは真逆の静寂があった。

 その静寂が、破られる。

「ルァ、ルァ、ルァアアアアゥ!」

 魔物が吼えた。

 傷を負っていたのか。……エレカに、負わされていたのか?

 半ばで斬られ、だらりと脱力していた腕が力を取り戻す。伝説に違わない再生力だが、そもそも魔物の体皮は、ただの人間には傷付けることさえ叶わない魔力の鎧であるはず。

 それをあいつが、エレカが斬ったと?

「ルァ、ハァ」

 魔物の目に闘志が宿る。

 やる気だ。一方的な狩りや虐殺ではなく、対等な力を持つ者との決闘。その意思を滾らせていることに、あいつは気付いているのか?

「緋色」

「えぇ」

 こいつと合流できていてよかった。

 個ではなく全の中の一として動く巡礼者にもかかわらず、呼び名を得た存在。

 しかも俺と違って、緋色のその名は特別にして明確な意義を持つ。

 呼び名の由来となった緋色に輝く錫杖は、伝説に謳われる遺物の筆頭。

「来い」

「グルァ、ルァアッハァ!」

 エレカと魔物が衝突する、その瞬間こそが狙い目だった。

 戦場にいる誰も――軍人たちでさえも、今この瞬間、俺たちが割って入ることを想像していない。想定できていない。ゆえに、刺さる。

「輝け、我が光槍」

 初撃決着。

 それができたら理想だが、叶わない。分かっていたことだ。誰より緋色自身が分かっていたから、狙ったのは心臓ではなく、今にも地面を蹴ろうとしていた両足。

 前触れのない闖入にエレカも魔物も動きを止める。

 悟られるより早く、駆け出していた。地を這う獣と化して、己を風と一体化させる感覚。バサバサと風に揺れる外套が邪魔だ。早く脱ぎたい。軍人たちの目がある今は叶わないが、そのためにも早く、一刻も早く乱戦に持ち込む。

 何が起きたのかも分からず、光が差した方向へと意識を逸らした魔物に急接近。

 奴がようやく俺を見つけたのと同時、拳を振り抜く。

 乾坤一擲、獣に近付いた全身で生み出す人間離れした一撃が重心を捉えた。奴を地面に結び付けていた緋色の光の槍を砕きながら、逃げ場のない空中へと導く。

「唸れ、我らが光」

 そこへ緋色の強化魔法が到着した。

 腕が、拳が肥大する。狙うは顎。人型の魔物なら、頭部には脳もあるはず。致命傷にはならずとも、ほんの数秒でいい、奴の意識を昏倒させられれば戦場に漂う空気を変えられる。

 だから。

 寸分違わず、顎を捉えたはずの一撃。

 追撃に放たれた緋色の輝きが、俺が見誤っていたわけではないと教えてくれる。

 だが、だというのに。

 逃げ場のない空中で、人間ならば頭蓋が砕けているであろう一撃を受けた魔物は、何もないはずの空中で何かを蹴った。

 不可視の存在。

 まさか、マナ?

 目には見えない、それでいて確かに存在するそれを瞬間的に集め、固め、足場にしたとでもいうのか。

 必中の追撃に見えた光の槍を避けた魔物は、早くも地面に足を付いている。

 否、違う。

 ただ足を付いたのではなく、既に跳躍の体勢に入っていた。間に合わない。

 魔物の、己を砲弾とするがごとき突撃だ。もろに食らえば即死は必至。

 咄嗟に横っ飛びするも逃げ切れず、それを左手に受けてしまった。

 視界が真っ赤に染まる。激痛、なんてもんじゃない。叫び声すら出せず、藻掻こうにも痛みが意識を寸断する。それでも必死に思考を回すが、浮かんでくるのは脈絡のない思いばかり。

 なんだ、これ。

 魔神は天災と呼ぶべき暴威だった。人間には太刀打ちできない、ただ過ぎ去ることを祈るだけの存在。

 しかし魔物は違う。まだしも人間の手でどうにかできる、凶悪なだけの生き物。

 そう、伝わっていたはずなのに。

 だが。

 こんなものの、何が生き物だ。どこが生き物だ。常軌を逸している。明らかに人間とは違う。一線を画している。時間稼ぎができて、その後どうする? 分からない。頭が混乱する。痛い、痛い、痛――

「アハッ」

 笑い声。

 聞き慣れた声の、聞き慣れない笑い。

 それが意識の全てを奪い去った。

 咄嗟に顔を上げる。それは最早、俺のことなど見てはいなかった。

「ルァハ」

 魔物も笑う。

 俺を見たわけじゃなく、己が前に立ちふさがる敵を目にして。

「殺す」

 そう零したのは、いったい誰だ?

 エレカ?

 いいや違う、そんなはずはない。

「まずは、貴様を」

 呼応するかのごとく増した、長剣の輝き。

 まさか。

 いや、だが、だとすれば。

「貴様が魔神? 笑わせる」

 エレカは魔神も魔物も知らなかった。

 だからそれは、エレカではない何者かの言葉。

 わけも分からず戦慄する俺たちには目もくれず。

 その一人と一体は、衝突する。

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