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二十一話 メイディーイルにて・2

 メイディーイルには、東西と南北を貫く大きな十字路がある。

 東西なら東門から西の果樹園まで、南北なら南門から北門まで届く道の交わる中心地に、その時計塔なる四角錐の建物はあった。

 それはあまりに背が高く、お陰で細く見えてしまうが、近付いてみると決して細長いわけではないと見て取れる。むしろ太すぎるほどで、周囲をぐるりと手で囲むには大の大人が何人いるだろうか。

 エルフの森にこれと同じサイズまで育った木があれば、文句なしに大樹と呼ばれるだろう。

 そんな時計塔の天辺、四角錐の四面に向けられた時計の更に上に、やはり大きな鐘がある。といっても、その鐘の音をメイディーイルの端々まで届かせるのは容易なことではない。

 仮に西の端、果樹園まで届く大音響を鳴らせたとしても、それほどの爆音は時計塔の足元にいる者にとっては破壊的な衝撃波となってしまう。

 ゆえに時計塔の鐘の音を各地に届かせるには、ただ鐘を鳴らすだけではいけない。

 各地に専用の魔法道具を設置し、マナの力を用いて鐘の音を反響、メイディーイルの隅から隅まで時刻を知らせる仕組みになっている。

 そして鐘の音は一日に十回鳴る決まりらしい。

 朝の七時に一つ鐘が鳴り、そこから一時間ごとに一つずつ増えた鐘の音が鳴る。

 午前の十一時に五つの連なった音が時刻を告げ、その一時間後である正午は何も鳴らない。昼時は静かに食事を、という計らいだとか。

 午後の一時からは再び鐘が鳴らされ、こちらも一つの音から始まるために奇しくも時刻と同じだけの鐘の音が聞こえることになっている。

 私たちの乗る馬車が十字路を曲がり、果樹園から案内のために同道してくれた男――、アッシュが「そろそろ着きますよ」と言ったしばし後、背後からカーンカーンと連なる音が五つ聞こえた。

 午後の五時だ。

 旅をしている間は細かな時刻など気にする習慣がなくなっていたから、今が何時だと確かに分かるのは変な気持ちにさせられる。

 まぁ、そうは言ってもまだ旅が終わったわけじゃないし、時にはこういうこともあると軽く受け止めておく方がいいのだろう。

 禍福は当たり前みたいな顔で馬車に揺られ、フードの中を覗けなくとも雰囲気から分かるのか、アッシュもリラックスした面持ちで馬車の行き先を見つめていた。

 翻って、私はどうか。

 あれほどの森を支える薬だ。エルフの森も救えるかもしれないし、たとえ及ばずとも時間稼ぎはできるだろう。

 なのに私は、どうしてだか禍福やアッシュと同じように落ち着いていた。

 喜び、舞い上がってしまっても無理はないだろうに、ただじっと汚れで曇った小窓から流れる街並みを眺めていられる。

 何かがおかしい。

 心の中で持ち上がった声に、同調する思いがあった。

 そうだ、こんなのはおかしい。

 私は森を追放された身。確かに森の未来は案じていたし、自分にできることがあるならなんでもしただろうが、追放を言い渡される前から旅の支度をしていたわけじゃない。

 ただ強いられ、避けられなくなってから、その旅に意味を見出しただけのこと。

 そんな私だから最初のうちは大変だった。大変なんて言葉では足りなすぎるくらい大変で、何かがほんの少し違っていたらアーロンにすら辿り着けず野垂れ死んでいたに違いない。

 しかし幸運にもアーロンに行き着き、リクもそうと知らずに渡してきたであろう外套が巡礼者の装いだった。お陰で町の人々に怪しまれることなく出迎えられ、交渉するまでもなく水や食料、寝るところを与えてもらった。

 それどころか、禍福とまで出会えてしまったのだ。

 こんなの、できすぎている。どこかでしわ寄せがくるはずで、それが今じゃないのか。

――余所者には薬をやらない。

 そう言われるだけで私の旅は更に長くなり、森に残された時間を失っていく。そうでなくともエルフだとバレるだけで雲行きは怪しくなるだろう。

 順調すぎることの裏返しが、今の私に落ち着きを与えていた。

 喜んでいてはいけない。嬉しい時、楽しい時、ふと笑ってしまいそうになる時こそ気を引き締めなければ。何か予想外の出来事に、想定外の凶事に見舞われた時にも取り乱さずに済むよう、常に平静を保つ。

 意識はしていなかったけれど、森長の娘として生きた十七年が私に浮かれるなと忠告してくれていた。

 禍福がちらと私を一瞥し、何も言わずまた視線を外す。

 何かを問う必要はない。

 ずっと続いていた揺れが止まる。馬車が目的地に着いたのだと、御者の声で知った。

「では、話を通してきます」

 と言って一番に馬車を降りたアッシュは、だから少し待っていてください、と言外に告げたつもりだったのだろう。

 ただ、そう直接言われなかったことを幸いに、禍福はさっさと馬車を降りてしまった。勿論、私も続くしかない。

 走り去る馬の足音を背景に、商業区を見回す。

 そこは狭い街だった。

 メイディーイル全土が一つの街で、商業区はその一部に過ぎないんだろうけど、私の目にはここから見渡すだけで十分に街だと思えてしまう。

 小さな、きっと十歳かそこらだろう子供が父親らしき人物に手を引かれ、笑いながら歩いていた。隣では若い男女が肩を寄せ、私たちには聞き取れない囁き声を交わす。奥に見えるのは店なのだろう。不意に扉が開いたかと思えば、威勢のいい声に背中を押されたふくよかな女性が紙袋を片手に通りを歩きだした。

 紙袋から飛び出た小麦色のそれがパンだと見て取れ、やはりここは街だと確信する。

 人の、ヒュームの生きる街。

「どうした、もう一人のオールドーズ」

 肩に投げられた声に、ううん、と首を振る。

 きっと彼女には……彼女たちには見慣れた、なんてことはない景色なのだ。

 禍福以外にも二人、そこに立っている。けれど私が見やる先に、特別なものを見てはいないようだった。

「巡礼者さん、彼が先に話した調合師です」

「お初にお目にかかります。……なんて真面目腐った言い方は慣れてないもんで、適当にやらせてもらうけど。ドニです、どうも」

 そう言って右手を差し出してきたのは、アッシュよりも幾分若い男。

 線が細く、どこか頼りないものの、眼差しには力があった。私よりは背も低く、禍福よりほんの僅かに高い程度。

 彼の手を手袋越しに握り返した禍福は、ちらと私に横目を向けてから話しだす。

「我々は今、干魃の時代を生きている。雨が降らず、川は枯れ、畑も不作続きだ。しかし、視察させてもらった果樹園は見事なものだった。その助けとなっているのが、こちらで調合される薬だと聞いた」

 禍福は一度言葉を切り、私の方を見た。

 何か言えばいいのだろうか。思ったが、思っているうちに禍福はドニに向き直っていた。

「それを我々にも分けていただきたい。現金は――」

 そこで再び言葉が切られ、今度ばかりは私にも意図が理解できた。

「現金はあまり持っていない。持ち歩かないんだ。代わりに、幾らか魔法道具は持っている。交渉できないだろうか」

 言葉を引き継ぎ、森を出てからずっとともに旅してきた背嚢を揺らす。

 ドニはしばし丸くした目で私と禍福を交互に見ていたが、やがて笑みを零し、半身を引いてみせた。

「どうぞ。店ってよりは工房なんで、散らかってるけど」

「助かる」

「あ、じゃあ俺は一旦外すよ。終わったら巡礼者さんを宿に案内でも……って、馬車はどこ行った? あの御者、なんで巡礼者さんを置いていくかね!」

 苛立たしげに足踏みしたアッシュは「んじゃあ馬車捕まえてきますわ!」と叫んで、どこぞへと走りだしてしまう。

 気の早い男だ。

 まだ帰りに馬車を使うとも言っていないんだけど……まぁ、もう午後の五時だ。交渉が長引けば夜になる。巡礼者がどんな宿に泊まるのかは知らないが、街の者が手配し馬車で案内してくれるというなら好意に甘えてしまった方がいい。

「慌ただしくて悪いね。ああいう人なんで」

 ドニは言って、身を翻す。

 彼が向かう先には、彼が工房と呼んだ建物があった。周りの建物に囲まれ、全体の中の一部と化した建物。くすんだ茶色っぽい壁に、装飾もない扉。背も特別高くない。何も知らず通りがかったら、気にも留めず通り過ぎていたことだろう。

「失礼する」

「失礼、します」

 禍福の真似をして、工房に足を踏み入れる。

 ここからが正念場だ。

 薬を手に入れ、森に持ち帰る。

 そのために私は森を出て、旅をしてきたのだ。

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