二十話 ヒュームの森
白状しよう。
私はヒュームを侮り、心のどこかで見下していたのだ。
エルフとヒューム、それぞれ独自の呼び名を持ちながらも、等しく人間である私たち。
外見や文化の違いこそあれ、本質的な部分では変わらないのだと思っていた、……つもりだった。
だが、こうして目の当たりにし、更に己の心中に湧き上がった本音をも見せつけられてしまえば、認めるしかないのだろう。
私はヒュームを侮っていた、見下していた。
「まさか。……まさか、これほどとは」
メイディーイルを四つの区画に分けたうちの一つ、西の農業区。
そこに向かう道中、同じ街の別の場所に向かうだけにもかかわらず馬車に乗った時点で、何かがおかしいと気付いてはいたのだ。
ただ、そこはヒュームの街。
迷路というほどではないにせよ木々が入り組み、その根も張っているエルフの森と違って、誰かが馬車を使った方が楽だし早いと言い出せば賛同する者も現れるのだろう、と大した関心は抱かなかった。
しかし馬車の小さな窓から揺れる街並みを見るうち、何か致命的な思い違いをしているのではないかと、自覚できないままに違和感を抱き始めていたのも事実だ。
そして馬車を降り、禍福に先導されて近くの民家まで行き、快く『視察』を受け入れてくれたヒュームの『果樹園』に足を踏み入れた時、私は何もかもを悟った。
「……これはもう、森じゃないか」
口を衝いて出た言葉に、はっはと穏やかな笑い声が返される。
「確かに。まだ市民に開放していた頃は迷子が絶えず、子連れのお客には子供から目と手を離さんようにと口を酸っぱくして言ったほどです」
声の主はこの森のごとき果樹園の支配人――ではなく、ここを管理する組合の男だ。
代々農業区に暮らしてきた家の生まれだそうで、顔のシワから歳は四十か五十だと推測できるが、体格や身のこなしは三十代、いや二十代と言っても過言にはなるまい。
男はまだ何か言いたげに私と禍福、二人連れのオールドーズに目を向けていたものの、生憎と世間話に付き合っていられるほどの余裕は既に失われていた。
理由は無論、眼前に広がる果樹園――森と何が違うのかと言いたくなるそれ。
メイディーイルに辿り着く前に人工林を見ていたから尚更、ヒュームの言う農業とやらを見くびっていた。もっとこう、なんと言えばいいのかな。自分本位で身勝手な、ただ果実が多く採れればそれでいいと言わんばかりの様相を思い描いていた。
まさかだ。
そんなのは全くの見当違いだった。
「どうです。この規模となると、他じゃ見られないでしょう」
果樹園を管理するうちの一人である男は誇らしげに胸を張る。
取りようによっては傲慢とも取れる態度だが、腹など立てようもなかった。なにせ、事実だ。これほどのものを人力で作ったのだとしたら、子々孫々まで誇るくらいの権利はあっていい。
「ここ最近は干魃続きだが、収穫量はどうなんだ」
唖然とする私に助け舟を出すつもりなのか、禍福が口を開いた。
しかし、そんなもの聞くまでもない。
「減りはしましたが、まだ都市内と帝都に卸す分には問題ありませんね」
「驚きですね……。干魃の中で、これほどの健康を維持できるとは」
「お分かりいただけますか」
「えぇ、それは勿論」
禍福が一人、除け者にされた子供のような目で私をじとっと見てくるが、構ってはいられなかった。
干魃、その原因はマナの枯渇だという。
マナは魔法の源であり、魔法とは(使用者の技量を考慮しなければ)あらゆる奇跡を意のままに操る万能の技だ。火や水、風どころか治癒の力まで生み出せるマナは、言うまでもなく世界の万物に影響を与える。
マナが減れば雨が減って大地は細る……、頷けない話ではない。
とはいえ、こうも健康な森を見せられてしまえば、本当にマナが枯渇しているのかと疑問にもなる。
更に一歩、踏み込んでみよう。
「ちなみにですが、摘果などは通常通りに?」
摘果。
健康な果実を若いうちに摘み取り、残った他の実に栄養を集める行為だ。
エルフの森では雷に打たれて死にかけた木に体力を温存させるために行う程度だが、ヒュームは健康な木にそれをやると、エルフの間でもまことしやかに囁かれてきた。
「いえ、以前と同じってわけにはいきませんね」
「それでは、やはり実りは……?」
「多少、質も落ちているのが実情です。しかし今は、どこだってそうでしょう? せめてまた雨が降るようになるまでは、どうしても量を確保するために質は諦めざるを得ません」
何かを訴える声音。
しばし疑問だったが、男の顔色を見てすぐに氷解した。私は今、オールドーズを背負ってここにいる。男の目にもオールドーズの代表か何かに映っているはずだ。
「あぁ、失礼」
同じことに気付いた禍福が僅かに歩み出て、私に代わって彼に伝える。
「今回の視察の目的は果実そのものじゃない。むしろオールドーズの巫女が、この情勢下で平時と同じものを要求していると思われるのは心外だ」
「あっ、いえ、そういうつもりでは――」
「無論、分かっている。だからこそ訊ねたいが、この果樹園はそんなにも特別なものなのか? 生憎と俺は草木に疎くてな」
嫌な役を押し付けてしまった気がする。
禍福の、心底興味なさそうな声音に男も怯むが、私を一瞥するなり口を開いた。
「え、えぇ」
「私も果樹園には詳しくないが、ここが森と呼んで差し支えない程度には調和が取れていることは一目で分かる。少なくとも南の人工林とは全くの別物だ」
「あれは……ッ」
言いかけ、男が咄嗟に黙り込んだ。
だが私も禍福も見逃す気などあるはずもなく、観念させるまでに十秒とかからなかった。
「あれは軍人連中が主体となって推し進めたものです。木、特に建材用のものとは長い目で付き合わなくちゃならない。なのに連中はすぐにも必要だと言って、無理に推し進めた。結果、管理が大変になって今じゃゴミ捨て場みたいな扱いですよ」
「奇遇だな。俺も軍人は好きじゃない」
「私はそんなことどっちでもいい。それより、この森……じゃない、果樹園が健康な秘訣があればお教え願いたい。勿論、無理にとは言わないが。――言いませんが」
どうも禍福とも話しながらで、男にどんな言葉を向ければいいのか混乱してしまう。
しかし男も男で、私と禍福の関係性や距離感に慣れてきたようだ。すぐさま頷き、果樹園に指先を向けてみせた。
釣られて、私たちも果樹園を一望する。
見事な森だ。エルフの森とは違うが、まさかこれほどの森をヒュームが作り、管理できるとは夢にも思わなかった。
森とは、ただ多くの木が生えただけの土地ではない。
これが自然にできた森で、ヒュームは管理しつつ手を加えてきただけだというならまだしも。
先に街が、メイディーイルという街ができ、後から必要に駆られて作った人工の森だとは到底信じられなかった。
エルフなら誰でも同じように感じ、大半の者はヒュームが嘘をついているのだと思うに違いない。
私だってアーロンの町を見て、数えるほどの旅路だったが禍福と肩を並べて歩き、道中でサクサやオットーといったヒュームたちを見てきたから、眼前の男が嘘つきでないと分かるだけだ。何も知らず話だけ聞かされたら一笑に付しただろう。
眼前に広がる森に秘密があるなら、是非ともエルフの森に持ち帰らなければ。
「オールドーズ教会の、それもここの素晴らしさが分かる方には言うまでもないことかもしれませんが――」
戸惑いがちに、男が紡ぐ。
「商業区に工房を構えている調合師が作った薬がありまして。種を植える前に畑に撒けば実りが増えるって話で、この果樹園でも水に溶かして撒いてるんです」
「薬、ですか」
「あぁ勿論、危ないもんじゃないですよ。その調合師とも元々知らない仲じゃなかったんで、それなら信用してみるかって話になったわけでして」
ただ撒くだけで森が健康になる薬など、はっきり言って眉唾物だ。仮に本当であっても、大地にどんな影響を与えるか分かったものじゃない。
だが、それでも。
「その調合師の工房を教えてもらえるか?」
希望と葛藤。
せめぎ合い、咄嗟に言葉を紡げなかった私に代わり、禍福が無愛想ながらも男に訊ねる。
「我々は旅をしている。そうして見てきた中で、ここメイディーイルほど豊かな街はそうない。その秘訣が薬であり、もし他の土地でも使えるならば交渉したい。決して安いものではないだろうが……」
どうだろうか、と言外の言葉で結んだ禍福に、男は目を丸くしていた。
これほどの森を支える薬を外に持ち出すなど、いくらなんでも無理な話だったか。禍福の佇まいにも諦観めいたものが滲んだ時、しかし男が吐き出したのは、予想外の声だった。
「いえ、大丈夫だと思いますよ。何もかも知ってるわけじゃあないですが、薬の原料も特別なもんじゃなかったはずですし。よければ案内しましょうか。あいつとは今でも時々酒を交わすんですよ」
いっそ素っ頓狂なまでの、なんでもないことを語るかのような声音。
そして彼にとっては実際、なんでもないことなのだろう。
マナが枯渇しているという干魃の時代にあって、畑や森に実りを与える、それこそ魔法のような薬。そんなものが特別な材料もなしに、巡礼者とはいえ見ず知らずの余所者にも分け与えられるほど作れる。
何かの間違いじゃないか。
男が勘違いしているだけで、本当は途轍もなく貴重なものではないのか。
不安に駆られる一方、どうしようもない高揚感が胸のうちに湧くのも自覚せざるを得なかった。
森を救えるかもしれない。
私の……、私たちの故郷を。
「頼む。その調合師のところへ――」
連れていってくれ、と願いのままに頭を下げかけた時だった。
カーン、カーン、カーン、カーンと四つ連なった甲高い音が微かに響き、私の声を遮りながら、禍福と男の視線を上へと持ち上げさせる。
なんの音だ、何か起きたのか。
反射的に上げそうになった声を、直後、禍福たちの表情に気が付いて押し留める。
「あれ、もう四時ですか」
「馬車の手配も考えると、商業区に着く頃には五時を回るな。……時間は大丈夫だろうか」
「えぇ、構いませんよ。折角ですし、話が早くまとまるようならあいつを酒にでも誘いますよ」
「それはいいな。我々は酔うわけにいかんが、この時世だ、酔いに任せて何もかも笑い飛ばすくらいがちょうどいい」
当たり前に言葉を交わす二人を見れば一目瞭然だった。
先ほどの音は、時刻を知らせる鐘の音だ。
だが、だとすれば。
ヒュームは当たり前に時刻を知り、日々を暮らしていることになる。
エルフの森では、正確に時を刻む時計など貴重品も貴重品、森長が代々管理する斎場の広間に一つあるだけだった。
ヒュームの街にはなんでもある。薬も、鐘も、あるいは豊かさまでも。
翻って、エルフの森には……。
「手を――」
取り合わなければ、いけないのかもしれない。
すんでのところで呑み込んだ言葉に、ふと自問してしまう。
ヒュームから何かを得る時、エルフは何を与えられるだろう。
伝統と誇り、私たちが愛する森。それはエルフにとってのみ意味をなすもので、ヒュームが欲しがるものではなく、求められたところで与えられるはずもないものだ。
「どうした、もう一人のオールドーズ」
禍福の声に、はたと顔を上げる。
我知らず地面を見つめていたのだと、そこでようやく自覚した。
「いや、なんでもない」
なんだっていいことだ。
私は森を救う。救わなければいけない。
どんなにエルフの未来を憂いたところで、まずはその未来を守れなければ始まらないのだから。




