十九話 メイディーイルにて
街を囲む防壁は、まるでそれ自体が砦かのようだった。
潜ればすぐ街並みが見渡せると思っていた門の先には通路が続き、数メートルほどの暗がりの向こうに明かりが認められる程度。通路の脇には急勾配の階段があって、私たちを(最大限好意的な解釈をすれば)出迎えてくれた偉丈夫は、その階段を上っていった。
「門の上に見張り台があるんだよ。他には砲台とかの迎撃装置もある。帝都ほどじゃないが、要衝都市として十分な防備は備えられているわけだ」
なんでもない風に禍福が教えてくれた。
ヒュームの戦争への備えは、何度でも私の予想の上をいく。堅固な防壁では満足せず、攻撃性能まで求めるとは。そして、ヒューム同士の戦争にはそうした備えが欠かせないのだろう。
「よくそんな街で暮らす気になるな」
「はぁ? 設備と人員、どちらも整っている方が安心できて当然だろう」
「逆じゃないのか? 防備と人員、どちらも整えなければならない街ってことだぞ」
いくら豊かな土地でも、その豊かさを巡って争いが絶えないのであれば住み心地が良いはずはない。
だったら多少枯れた土地だろうと、静かで穏やかな生活を送れる方がヒュームも落ち着けるんじゃないのか。
「貴様はやはりエルフだな」
門衛や、その上官である偉丈夫がいないのをいいことに、禍福がからからと声を上げて笑う。
「ヒュームにとって街は財産だ。分かるか? 原石から磨き上げた宝石と同じよ。磨かずとも手に入れられる宝石があれば、誰だって欲しくなる」
「開拓するよりも戦争する方が安く楽だと?」
「あぁ。ここや帝都ならまだしも、監視の目も防衛の手も届きにくい辺境では特に、な。だから町は育たず、育った街は毒牙にかかる」
毒牙。
街に染み込む毒とはなんだと声を上げかけ、はっと息を呑む。
答えに辿り着いたのではない。門と呼ぶには長すぎた通路が終わり、遂にメイディーイルの内部へと辿り着いたのだ。
これが『町』とは一線を画す『街』なのかと、我知らず感嘆の声まで漏らしていた。
門ほどではないにせよ、要塞じみた石造りの建物が幾重にも並んでいるのが見える。あの規則正しく並んだ四角いのは、どこからどう見ても窓だ。しかし、窓らしきものは縦に三つもある。
天窓なら垂直の壁にそのまま埋め込みはすまい。普通に考えるなら、建物は三階まであることになる。
「あれは……あれが、ヒュームの住む家なのか?」
思わず問うてしまう。
建物は一望できるだけで五、六棟あった。門と比べてしまえば小さなものだが、それでも一棟造るのにどれだけの人と石と時間が必要になるのやら……。
唖然としてしまう私に、禍福は呆れた表情と声を投げつけてきた。
「アホか。東は駐屯区と言っただろう。あれらは軍用施設だ」
「軍用……?」
「派遣された軍人の宿舎だったり、会議室やら何やらが詰まった支部庁舎だったり。メイディーイルといえど……いいや、帝都であっても民家の大半は木造だ。これを街の姿だとは思ってほしくないな」
もっと誇らしげに自慢でもされるかと思ったが、どうもこの景色が好きではないらしい。
すごいんだけどな、と思いつつも禍福に先導される形で歩を進め、ふと気付く。
「そうか、教団か」
「は? 急にどうした?」
「あぁいや、すまない。さっき言った毒牙というのが少し引っ掛かっていてな」
育った街に染み込む毒。
私たちが立ち寄った中継地点の一つ、アーロンの町から一日歩いたところにあったという街と、そこを牛耳った教団に思いを馳せる。
あの寂れたアーロンと、まだ全貌は見えていないが既に片鱗を覗かせるメイディーイルとでは、どちらが教団にとって魅力的か分かる気がした。
「そういうことか。……まぁ育ち盛りの子供は、えてして反抗したがるものよ」
なるほど、そういうものか。
ティルは素直というか、直截に言ってしまえば子供っぽすぎるほどに無邪気だったけど、中には私にも、森長の娘にも突っ掛かってくるような子供はいた。決まって十歳になったばかりか、もう少し成長したくらいの年頃の子である。
そう考えると、教団に牛耳られた街は不憫に思えた。力を持ちすぎた子供に弄ばれた人々、か。そしてそれを育てたのが……いや、よそう。
今思っても、どうしようもない話だ。
「それより、そろそろ耳目に気を付けろ。軍人は外にばかり目を向けていて街の中のことには疎いが、街に住む者たちは縄張りを見回る猫のごとく我々を見てくるぞ」
猫ときたか。
猫のような住人の眼差しとはどんなものか、抗いようのない好奇心に囚われかけた瞬間。
「おっ……と」
禍福が短い声を上げ、ほんの僅かにだが歩みを乱れさせた。
何かがあるのか。
警戒を最大限に引き上げつつ禍福の横顔を見やり、視線を追いかけたちょうどその時、その喧騒は持ち上がった。
「ンぱ~っい!」
何を言ったのか分からない言葉と、よく似ていながら聞き取ることも叶わない声たちが一斉に叫ばれる。
そこには十数人の男たちが、二……いや三つのテーブルを囲んで歪な円形を描いていた。
彼我の距離は十メートル以上ある。顔立ちはおろか表情も読み取れない距離だ。街中ということもあって警戒度を下げるも、不可解な気持ちに駆られる。
男たちが頭より高く掲げるあれは、一体なんだ。
透明な容器、なのだろう。遠目にも大柄と分かる男の拳を縦に三つ並べたほどのサイズがあり、あまりに勢いよく掲げられたせいか溢れてしまったそれを、男が下顎から突き出すようにして口で迎えた。
飲み物、なのも分かる。
だがあの色はなんだ。まだ角度のある日差しを浴びて、キラキラと輝いている。パンによく似た色にも見えるが、透き通るところを見ると琥珀をも思わせた。
「……あれが猫か?」
どこからどう見ても猫の可愛らしさやしなやかさ、疑り深さは存在しないが。
それでも禍福が言うからには何かあるのだろうと思っていたのに、あろうことか彼女は呆れた声で返してきた。
「馬鹿か、あれは軍人だ」
「規律の欠片もないぞ」
「非番なんだろうさ。終焉は近いが、戦争はない。軍人にも休みは必要だ」
などと私たちが話しているうちにも、男たち――非番の軍人たちは琥珀色の飲み物を呷っている。何人かは酔っ払ったような大声まで上げ、底抜けの笑い声を撒き散らしていた。
……ような、じゃないのか?
「あれ、まさか――」
「……ん? 貴様、麦酒を知らんのか」
「麦? ヒュームはパンから酒を作るのか?」
「待て待て、そもそもパンは……いやいい、そんなことは後だ。今は知ったような顔をしておけ」
急にどうしたと思っていたら、男所帯の中に軍人らしからぬ姿を認める。
若い女だ。
やはり遠目では分かりにくいが、三十はいっていないだろう。ヒュームの外見は見慣れていないにしても、私とそう違わない年頃だと推測できた。
その若い女の細い腕が、筋骨隆々の男たちの拳より大きな容器を何個も同時に持ち運んでいる。琥珀色の飲み物(麦酒だったか?)がなみなみと注がれた容器を持ってきて、男たちが早くも空にした容器を手にした。
すぐに持って帰るものと思ったが、そこで男の一人が何やら話しかけたのだろう。
女は愛想笑いを浮かべるような仕草を見せ、それから何気なく顔を上げた。その眼差しが、偶然か必然か、ぴったりと私たちに注がれる。
目が合った、気がした。
だが女は控えめに会釈しただけで、そそくさと奥へ去ってしまう。
……奥?
よくよく見てみれば、男たちは道端で飲んでいるわけではない。
周りの建物と同じく石造りの、けれど幾分か背の低い建物の軒先。そこが彼らのためのスペースなのだろう。
「あそこは?」
「クラブハウスと言っても……まぁ、分からんのだろうな」
「ヒュームの文化は難しい」
「一言でいえば、軍人用のバルだ」
禍福はそれで説明を終えたつもりらしいのだが。
「……すまない、バルってなんだ?」
そんな当たり前に言われても、エルフの森にはクラブハウスとやらもバルとやらも、なんなら麦酒だって存在しなかったのだ。
そもそもの話、ヒュームの文化をヒュームの文化に例えられても困る。
「エルフの森にはバルもないのか」
驚いた調子の禍福に、不承不承「あぁ」と頷く。
「見たところ、酒を飲む席なのか? 何かの祝いでも?」
「さてね。軍人は飲み会が好きだからな。……ていうか、エルフは飲み会もしないのか?」
「飲み会は知らないが、集まって酒を飲むことならある。それが大抵、祝いや祈りの席なんだが……」
「なるほどな」
禍福は小さく頷き、思案するように視線を彷徨わせてから口を開く。
「バルは、有り体に言えば酒と肴を出す店のことだ。飯屋にも酒はあるが……そうだな、酒を味わうのが目的ならバルに、飯を味わうついでに酒を飲むなら飯屋ってな具合だ。そしてクラブハウスは、軍人だけが入れるバルだ」
そこで言葉を区切って、禍福は半歩、私に近付く。
「だが実態は、軍人の社交場。あそこでは上下の情報が入り乱れる。話を漏れ聞くであろう給仕は決して口を割らず、軍人には街で得た情報を酒とともにそっと渡す。奴らが猫だ。我々は奴らの縄張りに踏み入る、余所の飼い猫よ」
だとしたら随分と礼儀正しい猫がいたものだ。あの給仕、余所猫だという私に挨拶した。
「帝国にとって、オールドーズ教会は敬うべき相手じゃない。なんなら互いに利用し合う仲だ。付け入る隙を与えてやるなよ?」
忠告するようでいて、その実どこか楽しげな声音。
隙を与えるなと言われても、私にはメイディーイルの右も左も分からない。精々分かることといえば――、
「北が商業区、西が農業区だったな?」
このまま直進すれば農業区に着き、途中で右折すれば商業区に着くということくらいか。
禍福は浅く頷いてから、ちらりと顔を覗き込んできた。
「商業区に行けば肥料もある。旅の疲れがあるなら休んでからと思ったが、顔色も良さそうだ」
早速行くか、と言外に投げかけられ、しばし思案。
といっても考え込んでいたのは、ほんの数秒にも満たないだろう。
「まずは農業区に行きたい。ここまでの時間を思えば、一度森に帰る必要がある。だが、だからこそ効果の程も知らぬまま持ち帰るわけにはいかない」
一刻も早く森に帰って、死に絶える木々に手を差し伸べたい。
しかし、それはこの手に森を救う策を握り込んでからだ。早く帰りたい一心で不確かなものに期待するほどの余裕は、今の私には残されていない。
「了解した。交渉は俺がやるから、短気だけは起こしてくれるなよ」
「分かっている。……それと、ありがとう」
肥料など、禍福にとっては大した意味もないことのはず。
それどころか終焉を信じるオールドーズの一員として、真っ向から否定し森を救わんとする私は相容れぬ存在でもあるはずだ。
なのにどんな理由であれともに旅をし、こうして大きな街にまで連れてきてくれた。
それだけで感謝してもしきれない。
心中を知ってか知らでか、禍福は居心地悪そうに視線を逸らしながら呟いた。
「よせ。礼を言われるようなこと、俺はしないしできない」
だけど助けられているんだよ、と。
呟きすらしなかった言葉は無論、禍福に届くことはないのだろう。
代わりに、いつか彼女に伝えよう。
あなたのお陰で――、だから一緒に。




