十八話 別れの時まで
人工林を抜けてすぐ、それは視界に飛び込んできた。
壁である。
荒野に現れた石柱……街の名残にして教団アジトの目印だったあれにも驚かされたが、こちらは比較にならない。
なにせまだ距離があるだろうに、それでも見上げる高さまでそびえていた。
何メートルあるんだ? 十メートルか二十メートルか、そんな高さを測ったことはないから見当も付かない。
その壁は勿論、縦だけでなく横にも伸びている。むしろ横幅の方が私に驚きを与えた。こちらは何十メートルなのか何百メートルなのかも分からない。
そもそも。
「これ、どこに続いてるんだ……?」
壁は途切れたわけでもないのに途中から見えなくなっている。
禍福の後に続いて右手側、恐らくは東であろう方角に進路を向けると、見えなくなっていた壁の先が目の当たりにできた。
つまりこの壁、湾曲しているのだ。
城壁。
咄嗟に浮かんだ言葉は、しかし適切ではあるまい。その言葉に当てはめるなら、これは街壁。街をすっぽりと包んでしまう、常識外れの壁。
アーロンの町にも柵はあったけど、全くもって比較にならない。
もしかしたらエルフの森の、その木々の壁よりも堅牢なのではないかと思わせられる。少なくとも外部からの侵入者に対しては極めて高い防御力を誇るはずで、獣のみならず同族とまで敵意のやり取りをするヒュームならではの防衛策であろう。
「これがメイディーイル。帝都に次ぐ巨大都市よ」
我がことのように胸を張る禍福に思わず笑みを返しつつ、同時に引きつるものを心中に自覚する。
「こんなもの、どうやって造ったんだ」
「基本は石積みの壁と同じだな」
「そうじゃない。そういう魔法があるのか?」
「あるわけないだろう。中には強化魔法で筋力を底上げする者もいただろうが、それでも人力は人力よ」
なんだそれは、あまりに想像を絶する。
「よくこれだけのものを……」
「造らねばならなかった、ということよ。東にはイスネアがあるからな。奴らはいつでも虎視眈々と帝国の領土を、その富を狙っている。小国とはいえ、一つの街と国の戦争なんぞ考えたくもないだろうさ」
話に聞く、ヒューム同士の戦争。
各地の森に離れて暮らす私たちエルフには、想像することはできても理解することはできないのだろう。他者から奪い、その全てを手にできるならともかく、戦争はいつだって犠牲を生み出すものだ。
「しかし、ゆえに我々も気を引き締めねばならん。厄介なことだ」
気を引き締める?
どういうことだと思っていたら、察してくれたのだろうか、禍福が壁を指差しながら口を開いた。
「メイディーイルの防壁には四つの門が設けられている。無論、東西南北それぞれに、だ。でなければ不便だからな」
「私たちが向かっているのは、まさか東か?」
「そうだ」
アーロンから北上し、各地の教会の手駒を頼りながらも北上を続けてきた。だから今は、メイディーイルの南側に辿り着いたところなのだろう。
にもかかわらず、禍福は壁……防壁に沿って東側に移動していた。
「それが用心になる、と?」
「あぁ。中に入れば分か……らないか。まぁ地図を見れば一目瞭然だが、メイディーイルは大きく四つの区画に分かれている」
「また東西南北だな」
「そうだ」
禍福は頷き、防壁に向けていた指先を僅かに左へ、私たちが歩いてきた方向に逸らしてみせた。
「南は居住区と呼ばれる区画だ。そこ以外に住む者も多いが、まぁ人口の半数近くは居住区に住む。アーロンからの道筋だと最も近い門になるわけだが――」
「国境を跨ぐ巡礼者がいきなり踏み込むのは、ああっと……その、ナントカっていう小国のことを考えると良くないわけだな?」
「イスネアだ」
鼻で笑いながら、しかし嫌味な感じは抱かせずに禍福は続ける。
「北、帝都に向けて開いた一帯は商業区。小国イスネアとは反対、西側は農業区になっていて、街の中は手狭だからと防壁の外にまで畑が並ぶ。私が前に来た時はまだ果樹園もあったが、今はどうかな。一般開放はされていないかもしれない」
果樹園……そのまま果樹を育てる畑なのだろうが、一般開放とはどういうことなのか。
まさか街の者が自由に出入りして果物を食べてもよかった、とか? これほどの防壁を擁する街だ。住民は多いだろうし、そんなことをしては出荷する果物が残らない気もする。どういうことなんだろう。
気にはなったけど、わざわざ訊ねるほどのことでもなかった。
何より、私たちが向かう東側に何区があるのか、そちらの方が重要である。
「そして東は、駐屯区。イスネアに対しても警戒を続ける、帝国軍が支配する区画よ」
「そこに向かってるってことは、要するに……」
「ただの挨拶だよ、挨拶。俺たちに後ろめたいことなどないのだから、堂々と挨拶してメイディーイルに入れてもらえばいい」
禍福は、ちゃんと目の奥まで笑いながら言ってのけた。
帝都だの帝国軍だの言っているし、小国イスネアとやらの西側に位置するここは帝国というらしい。
どうも禍福は帝国に肩入れしているようで、どこか自分の一部か延長線に存在するもののように語っている節もある。故郷は魔神の襲撃にも耐えたというし、もしかしたら帝国の大都市、あるいは帝都の生まれなのかもしれない。
「しかし、こうも広いのに帝国軍とやらの目を気にしなくちゃいけないのか」
「ただの旅人ならともかく、我々はオールドーズ。隠れて入るなら、徹底的に潜伏せねば火種を生むだけよ」
ヒュームの社会は難しい。
エルフはヒュームの目には猜疑心が強く、排他的な種族に見えるというが、それはヒュームが相手だからだ。エルフ同士なら、たとえ違う森に住んでいた者でも同胞である。
……まぁ、実際に他の森に暮らしていたエルフに会ったことはないけど。
「それはそうと」
「なんだ?」
「これ、かなり歩いたんじゃないか?」
もうしばらく我慢するつもりだったのだが、ふと漂った沈黙に耐えきれなかった。
禍福がちらと私を見て、ふぅと肩を竦めながら息をつく。
「もう少しの辛抱だ」
「もう少しって?」
「まぁ数分でないのは確かだな」
「……ここまでの道のりに比べれば、そりゃあ、もう少しだけど」
目の前どころか、さっきからずっと左手に防壁が見えているのに、この光景があと五分か十分も続くのか。
げんなりしながら、然りとて足取りを緩めるわけにもいかず歩き続ける。
前を見てみた。
といっても必然、道標でもある防壁に沿って若干、左側に視線は引き寄せられる。
そして私の左手には禍福がいて、ふとした折に目が合うと、
「なんだよ」
「いや、まぁ、なんでもないけど」
なんて会話が繰り返される。
いつからだろう。
会話と会話の間に考えるのは、その禍福のことだ。いつからか禍福は私の左に、私は禍福の右に立つようになっていた。
勿論、林を抜けた時のように立ち位置が変わることは珍しくもないけど、左を向けば禍福がいるという状況が当たり前になっているのもまた事実。
私は右利きで、どうやら禍福は両利き……本来の利き手ではない側も自在に操れるらしいから、そういう意味では咄嗟の対応範囲を広げられる合理的な位置関係ではある。
けれど実際には、大した理由などないのだろう。
最初はたまたま私が右に、禍福が左に立った。そのまま旅を続けるうち、互いに当たり前となって馴染んでいる。それだけのこと。
なのに何故か、ふと考えてしまう。
何を?
自分でも、よく分からない。
よく分からないままに禍福の右側に立つ意味を考え、よく分からないから答えを見出だせず堂々巡りを繰り返す。
そしてまた、ふとした瞬間に思うのだ。
禍福は今、私の隣で何を考えているのだろう、と。
「もう一人のオールドーズ」
未だ慣れない名で呼ばれ、深い深い思考の森から抜け出す。
「そろそろだ。貴様はただ突っ立っていればいい。何か聞かれても、最小限の言葉で返せ。いいな?」
「あぁ」
「そう、その調子だ」
喉の奥でくつくつと笑い、禍福が一歩前へ出る。
それだけで半身が冷えた気がして、我知らず笑ってしまった。声なき笑いに、禍福は振り返らない。
前方には、何者かの物々しい姿が見えてきた。
鎧、なのだろうか。首元から腰までを覆うそれは太陽の光を鈍く反射していて、嫌いな髪の色を思い出させる。何者かは頭にも同色の兜か何かを被っていて、お陰で人の形をしているのは分かるが、それ以上のことは分からない。
その者は先んじて気付いていたらしく、こちらに顔を向けていた。背後には空洞。そこで壁が途切れ、巨大な顎門のごとく仄暗い薄闇を覗かせていた。
「巡礼者殿、ですかな」
張り上げるような、それでいて落ち着いた声。
その何者かは、男だった。
そして、まぁ間違いなく門番や門衛と呼ばれる立場の者だろう。
「他にどう見える」
禍福はしばし答えずに歩き続け、張り上げずとも届く距離になってようやく口を開いた。
「この頃、巡礼者の装いで街に侵入する者がいますので」
「俺もこいつも巡礼者よ」
「巡礼者殿は基本的に単独で旅をされるものと聞きますが」
「途中で拾った。ろくに旅の指南も受けなかった新米よ。泥を塗られては敵わん」
「それでは、何か身分を証明するものはお持ちで?」
「ない。この外套で不十分なら諦めるしかないな」
「そうですか。しかし、我らがメイディーイルは旅人に門戸を開く街。イスネアの差し金だという疑いがあるならまだしも、巡礼者殿の装いを疑って門前払いしては沽券に関わります」
「そうか。ならば通してもらおう」
「えぇ。今しばらくお待ちを。今、上官に話を通しておりますゆえ」
回りくどい話だと思っていたら、そういうことか。
門衛に限らず守り人の類いは二人一組が基本だろうし、早くに私たちを見つけ、彼とは別の門衛が上官のもとへ走ったのだろう。
だから待つ以外に何もできず、そうなると理由もなく焦りそうになってしまう。
こういう時、禍福は感情の一切を表に出さなくなるから困る。せめて大丈夫だと、背中の裏で指でも立てて教えてくれればいいものを。
それで焦りを誤魔化すように無理やり考えるのは、仄暗い薄闇の向こうに待つメイディーイルの街。
肥料という、ヒューム特有の技術はこの街にもあると聞く。それを手に入れたら、一度エルフの森に帰ることになるだろう。
そんな簡単に森を救えるとは思えない。思えないが、ここまでの旅路を考えると、悠長に次を探している余裕もなかった。
マナは元来、流転するもの。
禍福……否、オールドーズ教会はその枯渇を叫んでいるというが、実際はどうなのか。
どちらにせよ、根本的にマナが不足していることに変わりはない。肥料でどうにか森の命を繋ぎ、そうやって作った猶予で根本的原因の解決策を見出す。できるのか。でも、やるしかない。
――けれど。
あぁ、そうか。
ようやく気が付いた。こんなにも当たり前のことに気付かなかったなんて、私はどうかしていたのだろう。
カツン、コツンと不思議な足音が薄闇から聞こえてくる。
しかし耳が音を捉えるばかりで、脳みそは何も考えていなかった。
そうか。
この街を後にする時、私と禍福は別々の道を往くのか。
私は森を救うため、禍福は全てを知るため、それぞれの旅をしてきた。違う旅路がただ一時交差し、また離れていく。当たり前のこと。
「巡礼者か。名はあるか」
禍福、と呼んでしまいたかった。
眼前に、といっても禍福を挟んで立つ男はかなりの上背だ。二メートルに迫る。ヒュームにしては類稀な偉丈夫。睥睨するかのごとき視線は鋭く、重い。加えて門衛ほどの重装備ではないにせよ、素人目にも業物と見て取れる剣を一振り、腰に提げている。
見る者を圧倒させたであろう威容。
だが、彼を前にしてなお、私の脳みそはまともに動こうとしなかった。
「俺はオールドーズ。こいつもオールドーズ。我々は皆、ただ一人のオールドーズよ」
「強情。ゆえに信用できる。好きに通るがいい」
「助かる。物分りがいいお偉いさんは旅人の友よ」
くつくつと喉の奥で笑って、禍福は言った。
「なぁ、もう一人のオールドーズよ」
私はなんと答えたのだろう。
禍福が満足げに頷いた、それだけが脳裏にこびりついている。




