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十七話 確かなる終焉の歩み

 エルフの森というのは、実のところ、エルフが住む森のことではない。

 まぁ私が過ごしてきた森にはエルフが住んでいたし、他の大半の森にも同じく住んでいるだろうから、結果的には同じことなんだけど。

 しかし細かいことを言うと、エルフの森とは、エルフが住むに適した環境が整っている森のことを指す。

 極端な話、エルフにだけ感染する疫病か何かでエルフが死に絶え、それでいて森は健全に生き残った場所があるなら、そこもエルフの森だ。

 ただ、そんなことを意識して日々生きるエルフはいないだろう。

 エルフにとっては自分が生まれ、死んでいく故郷こそエルフの森である。

 とはいえ厳密には違うわけで、エルフの森とは呼べないただの森にエルフが住み着いたところで、そこはエルフの森にはならない。一つか二つの家族が暮らすことはできても、何百年と続く皆の故郷にはできないのだ。

 マナの濃度や生える草木の種類によって、好むと好まざるとにかかわらず、そうなってしまう。

 そして、なんで急にこんなことを思ったかといえば、エルフにとっての森が、ヒュームにとっての街なのだろうと気付いたからだ。

 ヒュームには、エルフと違って生い茂る木々はいらない。

 だとしても適当なところに腰を落ち着け、家を建て畑を耕し、それを広げていけばヒュームが大勢暮らす街になるのかといえば、そんなことはないようだった。

 果たして、なんという名だったか。

 禍福と出会った、あの町は。

 サクサと話す中で名を出していたはずだが……ア、アー…………。

「アーレン……? いや、これは違うか」

「なんの話だ」

「お前と会った町の名が思い出せなくてな」

「アーロンか?」

 おぉそうだ、それそれ。

「アーロン、アーロンね。似ていて逆に覚えにくかった」

「似ていて……?」

「まぁ、いいさ。気にするな」

 気にされても困る。

 そのアーロンを出て、以前は街があったという教団アジトを出て、そしてどれだけの昼夜を禍福と二人で過ごしただろう?

 指折り数えようにも、私の両手だけじゃ足りないことは明白だった。

 それだけの長い間、街に辿り着くことなく歩いているわけだ。

 とはいえ、毎晩決まって野営したわけでもない。すぐ近くに長く留まれる場所(大抵は泉や川の近くだ)があれば夜通し歩いて、次の休息を長く取る。あるいは教団アジトのような中継地点に立ち寄り、簡素なベッドを借りたり食料を分けてもらったり。

 一方で、一度も街に行き当たることはなかった。

 巡礼者の立場を考えると、わざわざ街を避ける理由もないだろうし、単純にヒュームが腰を落ち着けられる土地が限られていたのだろう。

 だからこそ街は少なく、代わりにオールドーズに顎で使われるゴロツキ紛いの隠れ家がポツポツ点在できる。

 元々一週間や二週間で帰れるとは思っていなかったけど、それにしても長い時間が過ぎ去った。行きと全く同じ時間がかかることを考えれば、これ以上の長旅は厳しい。

 森は逼迫していた。

 間に合うだろうか、と焦燥を拭い去れない夜もある。

「落ち着かん様子だな」

 禍福が笑う。

 オットーの一件以来、目に見えて危険なことはなかった。

 いや、あったのか? どうも二ツ目烏の生息域からは脱したらしいけど、夜には様々な危険がある。ただ地面から這い上がってくる冷気だけでも油断はできない。

 まぁそうした当たり前の危険を除き、命を狙われるとかそういう話に限っていえば、特に覚えはなかった。歩き、食べ、寝て、時折話し、また歩く。それだけの旅だ。

「退屈すると、森を思い出す」

「森はお姫様には退屈だったのか?」

「阿呆。今どうしているか、どうなっているか心配だと言っている」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことって……」

 私にとっては一大事だ。何より大事だ。

 でなければ旅などしていない。

 憂いても行動を起こさなければ、追放もされなかっただろう。

「心配なら帰るのか? 帰って何か変わるのか? 貴様に必要なのは落ち着いた心だ。今の貴様では、子供でも嘘と分かる甘言に釣られて身包み剥がされてしまいそうだ」

「うぐぅ……」

 言い返そうにも言葉など見つからず、変な呻き声が漏れ出てしまう。

「まぁ、そう焦るな。そろそろ街に着く」

 呆れ半分の禍福の声に、抑えようとした衝動は抑えきれなかった。

「本当かっ!?」

「あぁ、あぁ、本当だとも」

 お陰で、完全に呆れられてしまった。

 だが、そんなことは気にならない。街だ。禍福や隠れ家の者たちは『町』と『街』を明確に区別する。発音が違うわけでもないのに、何故だか聞き分けられるほどだ。やっぱりヒュームにとって街は特別で、それと町を一緒くたにはできないのだろうか。

「そこに行けば肥料くらいはあるって話だったよな」

「そうだよ、あぁそうだ」

 道中、退屈する私の足を前に進ませるために禍福が何度か言ったことだ。

 ヒュームの暮らしに畑は欠かせない。エルフにとっても大切だけど、エルフは最悪、森の恵みだけで食い繋げる。だけどヒュームは森や山から離れ、開けた土地に住むことを好むから、どうしても自分たちで作った畑に頼らざるを得ない側面があるらしい。

 その収穫量を増やす肥料もやはり欠かせず、雨が減って畑の実りが減ってなお……否、実りが減ったからこそ増産しているのだという。大切なものだが貴重ではないから、金を払えば譲ってくれるだろう、とも。

「急かすわけじゃないが、そろそろ野宿も疲れた。日が暮れる前には着きたい」

「そうか。私も早く着くに越したことはない」

「なら、近道をしようか」

 そんなものがあるのか。

 思っているうち、鬱蒼とした林に行き当たった。あまりに木々が入り乱れている。自然にできた林でないことは明白だが、だとしたら人の手が入っていないのも妙だ。

「打ち捨てられた人工林だ。元々は建材用に作ったんだが、最近は他の建材も増えたし、そもそも家を建てること自体が減ったからな。手間がかかるばかりの林は放置され、荒れ果てる」

 信じ難い話だ。

 まさか畑だけでなく林まで作った挙げ句、不要になれば捨てるなんて。

 ヒュームは自分たちが何か、自然とはかけ離れた存在になったとでも思い上がっているんじゃないだろうか。

 しかし、どうあれ話は見えてきた。

「ここを抜けるのか」

「そうだ。人工林といえど林は林。マナには特有の流れはあって、俺に読めないそれを貴様なら読めるだろう?」

 エルフは森で生きるが、エルフだけが森に生きているわけじゃない。

 木々をはじめ数多くの動植物が息づき、その全てがマナと密接に関わっている。

 林に一歩踏み込んで匂いを嗅げば、息遣いまでもが感じ取れるような錯覚があった。まだ生きている。創造主たるヒュームに捨てられても、この林は生き長らえていた。

 生きた林は、意図したわけではないだろうけれど、私に歩むべき道を教えてくれる。

 林を真っ直ぐ進むなんて、見上げる高さの木々の上を悠々と飛ばない限りは不可能だ。

 大木を迂回するのは当然ながら、時に倒木を避ける必要もある。地に倒れ伏していれば跨ぐこともできるけど、木材を切り出すことしか考えずに植えられた木々は朽ち倒れることさえ許されていない。

 半死半生の有様で隣の木に寄り掛かるそれは跨ぐことも、潜ることもできそうになかった。

 大木を避ける以上に大きく迂回しながら歩けば、元々進んでいた方向がどちらだったか思い出すにも難儀する。

 見上げ、方角を知ろうにも縦横無尽に伸びる枝葉が空を覆い尽くしてしまっていた。

 人工の林は、自然ではないがゆえに尚更ヒュームの侵入を阻むかのようである。

 しかし、エルフの目と鼻をもってすればどうか。

 生きた林には特有のマナの流れが生まれる。それは川の流れのように純粋ではなく、ぱっと見ただけで読み取れるものでもないけれど、慣れ親しんだ一種の嗅覚を頼りにすれば自然と見て取れるものだった。

「こっち」

 手振りも目配せもなく、ただ進むべき方向に足を運ぶ。

 禍福は時折立ち止まっては耳を澄ませるような、目を凝らすような、それでいて耳も目も意識していないかのような不思議な仕草を見せつつ後についてきた。

「方角は?」

「概ね大丈夫だ」

 完璧に大丈夫でないのは、単純に直線で進んでいるわけじゃないからだろう。およそ、大体、まぁ正しい方向に進んでいる。そういうことだ。

「やはりエルフは鼻がいいな」

「人を犬みたいに言うな」

「俺が同族を嗅ぎ分けるのと同じってわけだ」

 オットーのことを言っているのか。

 そういえば匂いで分かると言っていた。私が読むのは林や森特有のマナの流れだけど、獣化症に蝕まれて己の理性や知性に疑いを持った人間には、独特の視線や仕草が表れるのかもしれない。

 言語化できないそれを感覚的に読み取る嗅覚が彼女にはある。

 同族だから、の一言では説明できない、経験のなせる技だろう。

「待て」

 と、同じく経験に導かれて進めてきた私の足を禍福が呼び止める。

「なんだ?」

「シッ!」

 口元で人差し指を立ててみせ、禍福の視線が左から右、右から上、また左と忙しなく動く。

「やはりか」

「どうした」

「魔獣だ、来るぞ!」

 魔獣? ――などと訊ねている暇は、無論なかった。

 ガサガサッ、と不意に音が鳴る。すぐそこだ。ほんの一メートルと離れていない、目と鼻の先。まさか。そんな距離にまで気付かれないうちに接近されていた?

 だが、耳が捉えた音に間違いはない。

 ガシャッと一際大きな音を立て、黒い影が文字通り飛び出してきた。斜め下から、首か顎を捉える軌道。上半身を反って、どうにか避ける。それは眼前を飛び越え、頭上の木の枝に取り付いた。

 なんだ。

 目を凝らす……がしかし、影の正体を認める前に背後で何かが飛び上がった。

 禍福だ。

 私のすぐ後ろにいた禍福が助走もなくほとんど垂直に跳び上がり、影が取り付いていた枝を掴む。禍福の体重でしなる枝から影が跳んで逃げるも、彼女は逃がさない。

 跳び上がった勢いそのままにぐるりと一回転し、影が向かった木の幹に足の裏から着地する。

 人間離れした動き。

 それを実現するのが人間とは別物に成れ果てた肉体だとすれば、我知らず目を覆いたくなる。

 だが、ダメだ。直視する。禍福が影の尻尾を掴んだ。猿? 違う。犬か。猿のようにしなやかな四肢と長い尻尾を得た、痩躯の犬だ。敵の正体が分かれば、私にもできることがある。

 違和感。急速に動き出したマナの流れを読む。

 辿っていけば、足元で揺れ動く背高の草を見つけるのも容易かった。

 その向こうから音もなく接近する猿、のような犬の姿を脳裏に思い描き、左足に力を入れる。私は右利きだ。手も足も、右側の方が力が入る。だから左足は、軸足とした。

 林特有の柔らかくも頑丈な地面に突き立てた左足に全体重を預ける気持ちで、右足を振り抜く。

「グキャアァン!」

 猿犬が甲高い悲鳴を上げながら舞い上がるも、たかが蹴り、致命傷には程遠い。

 木の幹に背中を打ち付ける寸前で器用に尻尾を動かし、枝を掴む。そして垂直に立つ幹を四肢が踏み締めた、次の瞬間だった。

「グギャッ」

 その脳天を黒い影が斜め上から襲い、一対となった影が揃って地面に落ちる。

 木の枝を揺らし、ふわりと着地したのは禍福だった。

「食うか?」

「猿も犬も食いたくはない」

「ならば見逃してやるとしよう。ここまで見せつけてやれば、他の奴らも襲ってはこないだろうさ」

 見逃すという言葉の通り、二匹の猿犬は大きな怪我もなく確かな足取りで林の奥に消えていった。健康な木も死にかけも木も構わず密集した林では、ほんの数メートル先も見通せない。

「あれは?」

「ウズザル」

「猿なのか」

「いや、犬だ」

「なのに猿?」

「ウズザルは伝説に登場する魔獣よ。ヘンテコな見かけの犬だか猿らしいから、それにあやかって付けられた名だ。あいつらも、元々は野犬か何かだったんだろうさ」

 そういうものなのか。

 野犬に獣化症ならぬ猿化症があるとは思えないが、何世代も経るほど昔からマナに大変動があったとも思えない。しかし名が与えられる程度には、各地で似たような変化を遂げていると。

「……時代の終焉、か」

「信じる気になったか?」

「いいや」

 首を振り、前を見据える。

 そろそろ林も途切れ、再びヒュームの生きる土地に出るはずだ。

「だが、お前たちが言わんとするところも理解できた。あんな生き物がそこら中に溢れるようになるなら、それは確かに、一つの時代の終焉だ」

 禍福は何も言わなかった。

 笑うか、肩を竦めるかくらいはすると思っていただけに拍子抜けだ。

 まぁ、いいけど。

 遠く遠く、光が見えてきた。

 林が終わる。

 ……そういえば。

「いつか時代が終わる時、そこには何があるんだろうな」

 問うたつもりだったが、答えはなかった。

 夜明けのごとく光が差すのか、あるいは沈む夕焼けのごとく闇が這い寄るのか。

 想像してみてもやはり、答えはなかった。

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