表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/121

十三話 呪われし災禍

 今が昼なのか夕方なのか、あるいは既に夜なのか。

 地下というあらゆる情報から遮断された空間で知る術はない。

 ただ少なくとも数時間かそこら、短くない時間をこの地下空間で過ごしたのは確かだ。

 十年前、地上には街があった。私も目にした石畳は教団が構えていた祭壇の床で、そこに隠されていた地下空間は教団が当時から秘匿していたアジトだという。

 教団のアジト。

 なんとも物騒な響きだが、私と禍福が案内された部屋を見れば、物騒なのは呼び名だけではなかったのだろうと察せられる。

 石畳をそのまま縦方向に伸ばしたかのような、飾り気のない壁。

 室内の幅は四メートルあるかないか。腕を左右に広げることはできても、そのまますれ違うことはできない。奥行きはもう少しあるものの、目測で一・五倍はない。五か六メートルといったところだ。

 地下に窓などあるはずもなく、見た目に受ける印象は牢獄そのもの。

「気を抜けとは言わんが、気張りすぎても持たんぞ」

 笑いながら、禍福が言う。

 ちなみに禍福の声は頭上から降ってきていた。

 部屋にはベッドがあったが、これがまだ曲者だ。一つは膝下ほどの高さで、床や壁と同じ石石材からできている。

 もう一つは厚さ二十センチほどの木材を組んだだけの造りで、一応は壁から斜めの支えが伸びているものの、なんとも頼りない。

 しかも、あろうことか木組みのベッドは石造りのベッドの直上にある。

 あの頼りない木組みが崩れれば、下に寝ていた者は石と木と、ついでに上で寝ていた者の体重とに挟まれ、押し潰されてしまうだろう。

 正直に言えば、私はどちらにも寝たくなかった。落ちるのも潰されるのも嫌だ。かといって本当に寝ないわけにもいかない。

 それで半ば投げやりに禍福に任せた結果、彼女が上、私が下で寝ることになったのだ。

 理由は単純。私の方が背が高く、身のこなしが重いから。

 梯子なんて気の利いたものは用意されていない。木組みのベッドに上がるには、壁から突き出た、ちょっと設計を間違えてしまっただけにしか見えない小さな石の突起を足場に跳ね上がる必要がある。

 私には無理だ。登れないことはないと思うが、勢いを付けすぎれば天井に頭をぶつけてしまう。地下なのだから、天井だって高くはない。

「本当にここで夜を明かすのか」

「野宿よりはマシだろう? それに行き先も考える必要があった。寄らない選択肢は元々ない」

 ほんの少しだが旅をして気付いたことがある。

 それは一人旅といえど、本当の意味で一人だけの旅は不可能だということだ。

 持てる食料や水には限りがある。町に立ち寄って補給しなければいけないし、見ず知らずの相手を頼る以上、どうしても利害を考えなければいけない。

 そういう視点で見れば、顎で使える教団を抱え込んだ教会の判断は分かる。巡礼者とて無垢な人々の善意に付け込むよりは、ああいう明らかに打算で生きている後ろ暗い連中を使う方が気は楽だろう。

 だが、だとしても、だ。

「……なぁ、禍福」

「オールドーズと呼べ」

「お前は魔神、見たことあるのか?」

 禍福は不満顔を引っ込め、怪訝そうな眼差しを投げてくる。

 私自身、少し意外だった。明け透けに言えば教団……というより、あのオットーとかいう男が信じられなくて、そのことを話すつもりだったのだ。

 なのに開いた自分の口から零れたのは、全く別の話。

「直に見たことは、ない」

「というと?」

「あれの暴威は目の当たりにした。……言っただろう? 十年前、俺が旅に出る切っ掛けになった事件だ。俺が住んでいた土地も魔神に襲われた。魔神そのものは見えなかったが、明らかに尋常じゃない暴威が迫ってくるのは屋敷の窓からも見えていた」

 屋敷の窓。

 然もない風に言った禍福は、珍しく私の表情にも気付かず言葉を重ねた。

「まぁ、お陰で俺は巡礼者になれたわけだがな。こんな身体だ、屋敷の中で誰の目に触れることもないまま死んでいくものと決められていた。あの時だって、教会の者が出張ってこなければ屋敷とともに死んでいただろうさ」

 つまり助けられたのだろうか。

 それで禍福は教会を信じ、巡礼者としてその門下に加わることを選んだとか?

 なんというか、あれだ。卑怯だ。確かに命は助かったにせよ、やり口がずるい。

「それで教会に身を投じたのか?」

 我慢できず、思ったことが口を衝いて出してしまう。

「別に? その時にあいつが吐いた言葉をそのまま教えてやろうか? 『殺すのは構わないが、魔神は人なんて食わないぞ』だからな?」

 何が楽しいのか、禍福は心底面白そうに笑って、木組みのベッドに足を投げ出す。

「要するに、たとえ見殺しにしたところで瓦礫を片付ける時に見つかるぞって脅したわけだ。それにビビって俺を差し出したのが親父で、都合よく使ってくれるのが教会だ。多少の恩は感じるが、身を粉にしてやるつもりはないさ」

 辛辣な言葉とは裏腹、その声音はどこか優しげさ。

 私がリクやティルのことを禍福に話す時が来たら、もしかしたらそんな声音にもなるのかもしれない。

「それから親とは会ってないのか」

「あぁ」

「帰る気は?」

「ないな。あそこは魔神に蹂躙されたとはいえ……いや、むしろ魔神に襲われてもなお全滅しなかっただけの大都市だ。一介の巡礼者が用のある場所じゃあないからな」

 それ以上踏み込むなと、そう拒絶する言葉ではなかったからこそ、言葉を重ねることは叶わなかった。

 過去はどうあれ、禍福は今、オールドーズ教会の巡礼者として生きている。

 私も今や旅人だ。一人では満足に旅もできなかった見習いで、しかも巡礼者の振りをしている。その上、森で生まれ森で死ぬ……そんなエルフの生き様からもかけ離れてしまった。

 でも、構わない。

 そこに後悔はなく、ただ信念がある。

 禍福も同じなのだろう。

「似ているのかもな」

 ――私たちは。

 言おうとしたが、言えなかった。どうしてだろう。自分でも分からないけれど、出かかった言葉を思わず飲み込んでしまった。

 禍福が怪訝そうに見てくる。

「おい、なん――」

 その時、ズゥンと空間が震えた。

 ニヤニヤとした眼差しを私に向けていた禍福が、ベッドの上から鋭い視線を放つ。

「なんだ……?」

 禍福が紡ぎかけた言葉を私が漏らす頃には、鋭い視線を宿したままの瞳に確信が宿った。

 笑っている。

 私に向けたのとは毛色の違う、背筋の凍る笑み。

「存外早かったな」

「は……?」

 それはどういうことだ?

 早かったって、何が? 何か知っているのか?

 自分が何を言おうと口を開いたのか、ついぞ答えは見つからなかった。

「来るぞ、構えろッ!」

 誰かが叫んだ。

 誰かも何も、禍福以外に有り得ない。

 そう自嘲する余裕が生まれたのは、低くした腰の左側に左手を添え、そこに右手を伸ばした時だった。

 何百? 何千? あるいは、もっと?

 数え切れないほど繰り返し、馴染ませてきた構え。

 しかし本当の意味で抜き放ったことはただの一度もなく、その瞬間は永劫訪れないだろうと思っていたそれ。

 だが、確かにそれは、私に余裕をもたらした。

 足音が聞こえる。遠く……否、ここは石に囲まれた牢獄のような部屋の中だ。遠いのではない、すぐ近く、しかも巨大な足音。ゆえに私の耳にも届いた。

 直後、眼前――鋼鉄製の扉が震える。

 我知らず、笑い声を漏らした。さっきまで、私は扉を背にして禍福を見上げていなかったか? まるで戦い慣れているみたいじゃないか。

「余裕だなぁ」

「そりゃ、そうだろうとも」

 それを、父は禁忌と呼んだ。

 魔神。

 初めて聞くその呼び名を耳にし、しかし既視感にも似た戦慄を覚えた。

 嗚呼、きっと、そういうことだ。これは禁忌だろう。

 これは十五年前、私たちの森を貪り、私の母を――父が愛した唯一の女性を奪った、その者の遺物か。

 抜き放てば、禍福ではない、ただ災禍のみが解き放たれるに違いない。

「……まぁ、いい。覚悟だけはしておけ」

 禍福が吐き捨てた。

 遂に鋼鉄が悲鳴を上げる。

 ゴンッ、ガンッ――悲鳴の度に扉はひしゃげ、そして遂に、役目を奪われた。

「ウゥ、グゥ」

 枯れ木のごとく鋼鉄をへし折り現れたのは、一体なんだろう?

 だらりと脱力した腕、爪先立ちをする不安定な両足、己が破壊した扉を一瞥だけして、すぐに興味をなくしたらしい濁った瞳。

 カチ、カチと音が聞こえた。それが歯を打ち鳴らしたのかと思ったが、違う。幻聴だ。私の脳裏で何かが音を鳴らす。カチ、カチ。進むほどに理解が深まる。

 男か。

 そうか、男だ。

「ダ、ンナァ……」

 オットー。

 お前か。あぁ、だが、お前は、そんな姿じゃなかったはずだ。

 彼は、服を着ていなかった。あるいは、肘や腰に引っ掛かっているだけの布切れを服と呼ぶのか? しかし、それは既に服としての役目を終えている。

 にもかかわらず、私は目を逸らさずに済んだ。

 オットーの、確かにヒュームだった男の全身を、隈なく獣毛が包んでいたから。

「ア、アァ……。ダンンッ、ンッ、ぐふっ……」

 彼は禍福を呼ぼうとしたが、声が続かなかった。喉が歪んでいるのか。

 と、不意に何かが響いた。

 笑い声。

 誰かと思えば、禍福だった。禍福がベッドの上に座り込み、笑っている。最早認めるしかないだろう、それはあまりに邪悪な笑みだった。

「覚えておけ」

 笑う、笑う。

「これが災禍だ。祝福の天導病と対をなす、災禍の病」

 問い詰めたかった。

 どういうことだ、と。だったら――そうだとしたらお前は、と。

 できなかった。

「ダンナじゃア、なイ?」

 オットーが首を傾げた。眼差しはベッドの上段に向けられている。

 今だ。

――何が?

 腰に伸ばした右腕が動かない。腕どころか、指の関節さえ満足に動かせそうになかった。

 私は今、何をやろうとした?

 私の理性は、何をやれと命じている?

 眼前のそれは確かにオットーで、彼は今、知性らしきものを宿した声とともに禍福を見上げていた。

 それをやってはいけない。

 本能が叫んだ。その逡巡が何もかもを手遅れにさせると分かっていながら、私は踏み出せなかった。

「だから覚悟をしておけと言ったろうに」

 禍福が膝を伸ばそうとした。

 と同時にオットーが膝と踵を低く落とし、そして――。

「ヴェッ、ヴッ……グ」

 今にもベッドに、その上で構える禍福に飛び掛からんとしていたオットーの喉から。

「失礼、後手に回ってしまいました」

 刺突剣の。

 サクサが手にする刺突剣の切っ先が、顔を覗かせていた。

 オットーはもう、息をしていない。首の後ろから、やや角度をつけて貫かれたのだろう。まるで暗殺に使う仕込み針かのように、オットーは己の口から刺突剣を生やしていた。

 その口と、目と、それ以外の穴からも、透明だったり赤かったり黄色かったりする液体が流れ出す。

 相当に臭いはずなのに、何も感じなかった

「この後のご予定は?」

「流石に、ここで寝る気にはなれんな」

「そうですか。丸薬は僅かに残っていたのですが、この調子だと……」

「酒と一緒に呑んだんだろうな。思い切った真似をする」

「何を仰られますか。禍福様、あなたがそう仕向けたのでは?」

「まさか。一晩くらい休ませてもらうつもりだったさ」

「でしたら、そういうことにしておきましょう」

 二人は何を言い合っているんだ?

 理解できない。

 否。

 理解してしまってはいけないと、既に理解できている本能が理性に訴える。

 あぁ、でも、それは無理だ。

 フードの下で、禍福が笑う。

 薄布の下で、サクサも笑う。

「ところで、オッチはどこに行った?」

「さて。隙を見て『死体』を探しには行ったのですが、足跡一つ見つかりませんでしたから」

「厄介だな」

「えぇ、本当に」

 何を言っているのか、さっぱりだ。

 本能と理性が口を揃えてくれたお陰で、私もようやく安堵できた。

「もう一人のオールドーズ」

「エレカだ」

「じゃあ、エレカ。旅に戻ろうか」

「あぁ。そうするしかなさそうだしな」

 今晩は寝られまい。

 明日も、あるいは明後日も、寝ずに夜を明かすだろう。

 まぁ、いいさ。

 慣れている。

 慣れてしまった。

 それが旅というものである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ