十二話 教団
見渡す限り広がる荒野の只中、ぽつんと無残な姿を晒していた建物跡地。
しかし、その跡地の石畳の下には地下へと続く階段が隠されていた。
……なんて、まるで伝説に聞く勇者の旅のようだ。
伝説は伝説に過ぎないけど、それでも私たちが住む世界には確かに伝説の息吹を感じずにはいられない遺物があるらしい。実際に見たことはないものの、伝説は事実存在した出来事だというのがエルフとヒューム、双方の一般的な認識だろう。
慈悲深き女神の恩寵を受けた勇者の手によって魔王は討たれ、支配者を失った暗黒の時代が幕を閉じた。魔王率いる魔物の軍勢は闇とともに姿を消し、光を灯す時代が我々人間の手に収まったという。
もしかすると、オールドーズ教会はその伝説になぞらえ、時代の終焉を謳うのだろうか。つまり次は人間が光とともに世界から退場すると……。
推論を重ねようにも判断材料など無に等しく、何より考える時間が足りなかった。
地下に続く階段はかなり短かったようだ。暗闇のせいで慎重を期したにもかかわらず、数分と経たないうちに広く平らな床を踏み締めていた。
禍福も、もう下ではなく目の前にいる。
地上の柱や今しがた歩いてきた階段と同じく、地下空間も石造りだ。そう見て取れるのは、壁に灯りが掛けられたから。松明ではない。そもそも地下で火を灯すなんて自殺行為だ。
魔法道具、だったか。
ヒュームの技術によって、地下でも安全に灯りを得られるのかもしれない。
気になったけど、のんびり見ている暇はなかった。
「こっちだ、行くぞ」
後ろ斜め上からは未だ階段を降りてくる足音が聞こえるのに、禍福は早くも歩きだす。
ここは廊下か。玄関という概念はないのか、この廊下の先に玄関があるのか。なんにせよ、階段を降りてそのまま真っ直ぐ伸びる通路を進む。
「ここは……?」
「お前は少し黙っていろ。面倒になる」
「……ん、分かった」
尋常じゃない場所なのは確かだ。
石畳は隠し扉……と言っていいのか分からないけど、まぁ隠されていたわけだし、更には符丁らしき足踏みのリズムで内側から開けてもらっていた。ここでエルフだと知られるのは、相当にまずい。
禍福の後ろについて歩くことしばし。
壁掛けの灯りは流石に太陽ほど明るくはなく、私が扉の存在に気が付いたのは禍福が足を止めた後のことだった。
扉は鉄製だろうか。薄暗い中でも感じられる重苦しさがあった。取っ手は同じく鉄製で、水平に伸びた棒のようなそれを禍福が握り、押し下げる。
ガチャリ、と見た目通りの重い音が響いた。
一瞬、ビクリと身が震える。招かれざる客ではないのだ、そこまで怯える必要はない。分かっていても、こう狭く暗いと不安にもなる。
「……ほう」
と呟いたのは禍福だったか、誰だったか。
扉の向こうは、廊下よりも暖かかった。それに廊下と扉で隔てられていたのだから、そこには部屋があると思うのが普通だろう。
違った。
廊下の奥には、まだ廊下が続いていた。
しかし、ただの廊下ではない。ここまでの廊下を縦とすれば、扉の奥は横に伸びている。
天井から下げられた照明は明るく、廊下を一望するに十分だった。
奥行きは三メートルかそこら。幅というか廊下の全長はその三倍か、四倍ほど。正面側の壁には等間隔に四つの扉が並び、それらの間には、やはり等間隔で椅子が並ぶ。
その人物は、そのうちの一つに腰掛けていた。
「二人連れの巡礼者とは、これまた珍しい」
男の声だった。
当然だが、初めて聞く声。先ほどの声はやはり禍福のものだったか。
「ただでさえ巡礼者とて歓迎はできん。珍客なら尚更。なんの用だ」
男は言った。
そう、男だ。私たちを出迎えた禿頭の女と違い、こちらは見た目で男と分かる。
雑に切られた黒髪、その奥から光る細く鋭い眼差し。
顔立ちだけ見れば整っていると言えなくもないが、およそ好意的には受け取れない。髪は汗か油でベタベタに固まっているし、顔には少なくない吹き出物ができていた。はっきり言って、不潔極まりない。
こんな男を頼るのか?
正直、禍福に連れてこられたのでなければ一も二もなく踵を返していた。あるいは剣を抜く覚悟を決めるか、だ。
「貴様に用はない。オッチを出せ」
「オッチ? 馬鹿を言え、オッチなら二年前に死んだ」
「なんだと? あの食えないジジイが?」
「魔獣を狩りに行って、狩られて帰ってきた。だから今、ここの主は俺だ」
「貴様ごときが主? 随分と落ちぶれたものだな」
「アンタはどうしたんだ? 人嫌いの旦那が見るからに旅慣れてねえ輩連れてるなんてなぁ」
人嫌い? いや、それよりも、旦那だって?
男は今、確かにそう言った。
対する禍福は、なんでもないことかのように笑って返す。
「ほう? いつ気が付いた?」
「オッチの名前を出した時に決まってんだろ。他の奴らは俺らの名前なんざ覚えねえ。連中、俺らんこと虫けらか何かかと思ってんのかね? 自分らだけでやるのが大変だからって俺らの手ぇ借りるくせして」
言って、男は唾を吐いた。
比喩ではない。本当に唾を吐いたのだ。元々綺麗とは言い難かった床が余計に汚くなる。
「事実、貴様らなんぞ虫けらだろう? 俺たちオールドーズがどれだけ気を利かせてやったと思っている。それで貴様らが得たものはなんだ? この一帯の荒れ具合か? まだしも見せしめに粛清されんだけ僥倖と思うんだな」
禍福は唾こそ吐かなかったものの、男に負けず劣らず口が悪い。語気だけでなく、態度や醸し出す雰囲気まで最悪だ。
まるで互いに、これが地下の作法だとでも言わんばかり。
「だが、俺らがいなきゃ巡礼の旅も覚束ねえ。違うか?」
「違うな。貴様らがいなければ、貴様ら以外の愚図を貴様ら同様に仕立て上げるだけだ」
「……ッチ。気に食わねえ野郎だ」
男はまたも唾を吐き、それからジロリと私を睨んだ。
「で、なんの用だ?」
答えるべきか、否か。
悩む暇すら、実際には存在しなかった。
「今晩までに部屋を一つ、清潔な状態で用意しろ」
「清潔? 冗談は大概に――」
「なら用はない。駄賃に酒を持ってきたんだが、これは土にでもくれてやるとするか」
男の目がキラリと光り、その色を変えた。
いや、まさか。比喩表現のはずだが、錯覚なのかなんなのか、確かに男の目は先ほどまでと全く違う輝きを宿している。
有り体に言えば、生き生きしている。
「サクサ! おい、おいっ! 仕事だぞ、サクサ!」
男が叫んだ、その直後だった。
「えぇ、聞こえていますよ。それと、何度も言っているではありませんか。あまり大声で叫ばれては耳が痛くなります」
声は背後から聞こえた。
ぎょっとし振り返れば、果たして、私たちを出迎えた禿頭の女が背後に立っている。
いつの間に? 扉を開ける音は聞こえなかった。……そもそも閉めた記憶すら曖昧なのだが。
「んなことより、旦那、酒ってのはマジなんだろうな?」
「あぁ。美味くはないがな。それで町の者も持て余していたらしい」
「町? どこの町だッ!?」
「アーロンだ。ここから南に一日かそこら歩いたところにあるだろう」
「ありゃあ、もう町って規模じゃねえだろ」
「町は町だ。……と、あそこには導児がいる。取引に行くなら、相応のものを持っていくんだな」
導児というのは、あの天導病の子のことだろうか?
取引とは? ただ単純に、酒を求めて物々交換……という認識でいいのか。
気にはなるが、考えても分からないことを気にしても仕方ない。柄の悪い男や禿頭の女……サクサと呼ばれていたか? ともあれ、第三者の目がある状況で禍福に聞くわけにもいかない。
「なぁ、もう一人のオールドーズ」
言いながら、よくも禍福の名で呼びそうにならなかったものだと自分で驚く。
意外と嘘つきの才能があるのかもしれない。町でもそうだった。焦った時でも、というより焦った時の方が咄嗟に言葉が出てくる。
「色々聞きたいことがあるんだが――」
「ここは教団、こいつらは差し詰め教団員だ」
「教団?」
また謎が増えた。
しかし教えてくれるらしいのだから、素直に耳を傾けておけばいいだけマシか。
「いつの時代もオールドーズは敵が多い。だが、敵だからといって救わなくていいわけじゃない」
そうだろう、とでも言いたげに禍福が流し目を向けてくる。
考えるより早く反射的に頷いたが、そんな私たちを見た男はこれ見よがしに肩を竦めた。
「そんなオールドーズに敵する勢力にオールドーズの教えを伝えるための組織、それが教団だった」
「つっても、元々強盗やら詐欺やらで食ってた盗賊団を丸め込んだだけだがな」
「強盗や詐欺に頼らず食っていけるんだから両得じゃないか」
男が零す嫌味たらしい声にも、禍福は意に介す素振りを見せない。
「マナの枯渇は予見されていた。ならば、それによって引き起こされる天導病や干魃も予測できる。オールドーズはそうした情報を各地の反教会派の国や組織に流して、教会の言うことなんて信じないであろう連中にまで届けさせた」
中でも上手いこと手綱を握れた組織が教団だった、と禍福は言葉を結んだが、一つ納得できないことがある。
「反教会派っていうのは、教会に反抗してるんだろう? 教会の流した情報を信じるか?」
至極当然のことを訊ねたつもりだったのに、返されたのは冷たい眼差しだった。
「貴様は自分で考える気がないのか?」
加えて、厳しいお言葉も。
「敵の敵は味方。我々の悪口を言う者は、連中の目には味方に見えたというわけだ」
小汚い……というより普通に結構汚い男にまでニヤニヤと笑われるのは腹が立つ。が、文句も言えまい。
考えれば分かることだ。皆が皆、わざわざ私たちのように巡礼者の格好をしているわけでもないだろう。身分を隠したり偽ったりして近付けば済む。
「けど、だったらここの教団だったか? それが今、こうしてオールドーズに協力しているのはどうしてなんだ?」
そもそも、ここは荒野の只中だ。
禍福がアーロンと呼んでいた、あの私たちが世話になった町からは一昼夜かかる。これでは遠すぎて、情報を広めるも何もない気がするが。
「そりゃあ、中身が元の教団とは違えからに決まってんだろ」
そう答えたのは教団員の男だった。
「ここに元々あった教団は干魃を言い当ててここら一帯を牛耳ったが、それで調子に乗って潰れちまった。十年前だ。生き残りはオッチただ一人。今いる俺たちはオッチに拾われた後、オールドーズの言いなりになって食い繋いできた。昔の奴らとは根っこからして違うわけさ」
干魃を言い当てた……それがオールドーズからの情報だったのだろうか。
禍福を見やれば、肩を竦めながらため息を零された。
「連中、干魃がそんなに長続きするはずがないと思ったらしい。金品に食料、労働力になる若い男手から果ては女まで。干魃を収めるために貢物をせよと要求して、街は従った。だが、見れば分かるだろう? 干魃は収まるどころか悪化し続けた。子や孫まで差し出し、干魃の中で貧しい生活を強いられた人々はどう思う?」
想像できるなんて言えば嘘になる。
禍福の言葉に思い描けたのは、漠然とした喧騒。憎悪か、絶望か、あるいはそれらを煮詰めた末に出来上がる、ドロドロとした何か。
我知らず、喉を鳴らしていた。
唾を飲み込もうとして、ようやく口の中がカラカラに乾いていることを自覚する。
「魔神。……貴様は知っているか?」
知らない、はずだ。
理性が訴えている。魔神。魔物の神か? 魔物とは、かつて魔王に率いられていたとされる化け物の総称である。その神とは、魔王よりも上の存在だろうか。
思考を巡らせる理性を脇目に、しかし本能は冷たい何かを予感していた。
「いや……。魔神など、私は知らない」
「んなわけねえだろ、どんなご令嬢なら魔神を知らずに過ごせるってんだ」
「お姫様ならあるいは、といったところか」
禍福が嫌味に笑う。
教団員の男が笑おうとして、失敗した。触らぬ神に祟りなし。さっと逸らされた横顔に見えたのは、まるでそんな表情だった。
「我々オールドーズが崇める神は天界に住まう。対して魔神は、俺たちと同じく地上に住まう神だ。……いいや、不遜にも神を自称し、否定しようにも我々には手出しできぬ存在。それが魔神だ」
魔神。
嫌な響きだ。想像しようとしただけで背筋に冷たいものが這う。
「かつて、ここの地上には街があった。アーロンの町とは比較にならぬ、大きな街だ。だが人々が呼び起こした魔神によって、街は姿を消した。オッチは唯一の生き残りだった。我々オールドーズですら全容を知り得ぬ魔神の、その実像を見たことのある男だったんだがな」
街一つを消し去る暴威など、想像を絶する。
確かに見た景色に、街の面影はなかった。荒野の只中に教団が祭壇か何かを建てたのだと言われれば納得しただろうが、あの僅かな残骸だけが街の名残だとは到底思えない。
「……待て、待ってくれ」
「なんだ?」
それほどの存在が現にいたとしよう。しかし街を消し去った、その後は?
「魔神は、今、どこに……?」
「知らん。あれらは人間と同じ言葉を操るが、価値観までは共有しない。契約通り教団を壊滅させ、契約にはなかったが余波で街を崩壊させ、契約を終えた後は行方知れずだ」
尋常ではない。
そんなもの、エルフの森では聞いたこともなかった。
ヒュームは当然のように魔神を知っていて、だから時代の終焉だなんて話も信じられるのか?
理解に苦しむ。私の知る常識とはかけ離れすぎていた。
「オールドーズは、魔神とも戦うのか?」
「そんな馬鹿な話があるか。あれらとは適度に距離を取り、また長い眠りに就くのを待つだけだ」
あれら、か。
ぞっとしないな。
禍福には悪いが、早いところ森を救う手立てを見つけて帰りたい。万が一にも魔神なんぞに目を付けられては困る。エルフの森とて、このままマナの枯渇が進めば平穏ではいられない。
否。
生まれてくるはずだった子供の命が失われている今、最早平穏なんて存在しないのか。
「お話中のところ失礼致します。部屋の清掃が終わりました」
二の句が継げずにいた私たちのもとへ、先ほどまでと微塵も変わらぬ声が投げられた。
サクサだ。
禿頭に、目元から下を覆い隠す薄布。服装は、言われてみれば教団という言葉を前に抱くイメージには合っていた。エルフの祭司が着る衣装に、ほんの少しだけ似ている。
「助かる」
と一瞥だけ向けながら言った禍福は、すぐに男へと視線を戻した。
「オッチ亡き今、山狩りは?」
「できるわけがねえ。それでうちの連中も大勢逃げ出した」
「随分と静かだから妙だとは思っていたが、なるほどな」
悲しむ風でもなく言うと、次いで私に眼差しが向けられる。
「出立は明朝だ。このまま北上し、メイディーイルに向かう。異論はあるか?」
禍福とて、分かった上で言っているのだろう。
「ない」
メイディーイルだかなんだか知らないが、それ以外のなんであれ私は知らないのだ。
異論などあるはずがない。
「では、今日はここで休む。……おい、小僧」
「もう小僧じゃねえ、オットーと呼べ」
「ならオットー、ここは畳め。石柱は倒して、残骸の石には土を被せておけ。それが残された者の責務だ」
「……あんた何様のつもりだよ、なぁ、旦那」
「時代の終焉に抗う者、オールドーズ教会の巡礼者である」
避け得ぬと知って、抗うか。
オットーを名乗った男が笑う。禍福は眉も頬も僅かたりとも動かさず、サクサの表情は相変わらず窺い知れない。
残る私は、思わず目を伏せてしまう。
オッチという人物のことは知らない。眼前に立つオットーだって、ろくに知らない。それでもオットーにとって、オッチなる人物が、その人物と過ごしたであろうこの地下が、どれほどの存在だったのかは少しだけ想像できた。
「自分がやりましょうか?」
サクサが口を開く。
「いや――」
「俺がやる、やりゃあいいんだろう?」
オットーは遂に、声を上げて笑い出した。




