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十一話 入り口

 だだっ広いばかりの荒野には何もなかった。

 勿論、上を見れば空があるし、足元には地面がある。地面には土があって、所々に指先程度から拳大程度の石が転がっていた。右手のずっと向こうには稜線が見え、反対の左手には地平線が見える。

 何もない、なんてことは有り得ない。

 だから正確には、私にとって意味のあるものは何もない、ということになるのだろう。

 そして、禍福にとっては違った。

 禍福の目には何かが意味あるものに映り、それが歩みに明確な意思を持たせる。

 目印どころか、特別変わったものは何もなかったはずだ。稜線はあまりに遠すぎて、数十メートルや数百メートル近付いたり離れたりしたくらいでは姿を変えない。

 太陽は相変わらず地上の移ろいなど意に介さず通り過ぎていくし、風が行く先を教えてくれるはずもなかった。

 だというのに、禍福は迷わず足を踏み出す。

 私には真っ直ぐ進んでいるのかどうかさえ分からなかった。

 せめて禍福の後ろを歩いていれば進路を変えたかどうかすぐに見て取れたけど、私たちは今……というか朝からずっと、横に並んで歩いている。

 どちらから言い出したわけでもないが、少なくとも私は意識的に禍福の隣にいた。

 何もかも教えてもらい、それどころか道案内すら任せているのに、こんなことを言うのはどうかと思う。

 けれど、自覚してしまえば抗うこともできなかった。

 どうやら私は、禍福と対等でいたいらしい。後ろから追いかけるのではなく、隣を歩んでいたいらしい。

 道程の大半は沈黙に包まれていた。

 手持ち無沙汰というほどではないにせよ暇は暇で、その暇潰しに考えてみた瞬間もある。結局、答えは見つからなかった。

 私はどうして禍福と対等でいたいのだろう?

 そりゃあ、一方的に助けてもらうばかりというのは居心地が悪い。そもそも上下関係だって元々好きではないのだ。だから対等がいいのか? でも、現に私は禍福の役に立てていない。

 今だってそうだ。

 禍福は目的地を見据え、そこに向かって歩いている。

 対する私は、禍福の隣を歩いているだけで、自分がどこに向かっているのかも知らぬままだ。

 せめて行き先くらい知っておいた方がいい。

 どこに向かっているんだ。――そう口を開きかけ、はっと我に返る。

 禍福に聞いてどうするんだ? 対等でありたいと、助けてもらう一方では嫌だと思った矢先に、どうして禍福に頼ろうとしている?

 いやでも、禍福の向かう先は禍福に聞かなければ分からない。

 ちょっと……ちょっと待って。考えれば考えるほど、自分が何を考えているのか分からなくなってくる。頭がぐるぐるし始めた。

 と、その時不意に視界の端で何かが動いた。

 何かというか、禍福だ。もっと言うと動いたのではなく、止まった。禍福が立ち止まったのに私が変わらず歩き続けたから、視界から消えたのだ。

 必然、禍福の声は斜め後ろから聞こえる。

「貴様、どうかしたのか?」

「ど……どうかって、どういうことだ?」

 私の声は何故か裏返っていた。本当になんでだ。

 それでも、まだしもその時は落ち着いていたのだろう。

 振り返り、すぐそこにある禍福の瞳を認めた途端、頭が真っ白になった。

「まさか調子を崩したのか? 寒気は? 怠さは? 旅では些細な不調も命取りに……って、聞いてるのか? おい、エレカ!」

 何か分からないが、まずい。

 復帰した思考が紡いだ結論は、それだけだった。

「禍福」

「おい、ほんとにどうした」

「どこに向かってるんだ?」

「は?」

「お前は今、どこに向かって歩いてたんだ?」

「はぁ……?」

 理解に苦しむ、とでも言いたげに、というか言外に伝えんと禍福は怪訝そうな眼差しを向けてきたが、私の言葉に嘘や偽りや誤魔化しはない。微塵もない。最早、言葉にした以上の思考は脳内に残されていなかった。

 禍福の眼差しも、程なく事実を見て取る。

「……そろそろ見えてくるはずだ。どこと言われても説明し難いからな、実物を見せてからの方がいいと思ったんだ」

 そう言うと、禍福は再び歩きだした。

 立ち止まったままの私を追い抜き、それから振り返る。

「どうした? まだ調子が悪いのか?」

 フードの奥、瞳のすぐそば。

 顔を覆う獣毛に一際長い毛があることに、今になって初めて気が付いた。あれは睫毛か。意識して見ると少し色も薄い。

 長く柔らかそうな、撫でればむず痒くて嫌がられてしまうだろうけれど、心を強く持たなければ思わず手を伸ばしてしまいそうになる、可愛らしい睫毛。

 だから、どうしたの?

 私の中の私が問い、私の中の私が首を傾げる。

 だから、どうしたというのだろうか。

「分からない」

「貴様、何を馬鹿なこと言って――」

「だが、絶好調だ。根拠なんてないけど、今ならお父様にも一太刀浴びせられそうだ」

 父は剣術の達人だった。

 そも森長たるもの剣にも魔法にも秀でていなければ示しがつかない。私も徹底的に叩き込まれたが、ついぞ届くことはなかった。

 なのに今なら、できそうな気がする。

 気持ちだけじゃなくて、なんだか身体が軽い。ふわふわしている。伝説の時代、エルフの良き隣人であったという妖精にでもなったかのような気分だ。背中から透き通る羽が生えたのかもしれない。

「……よく分からんが、体調を崩したわけじゃないなら行くぞ」

「あ、あぁ、了解した」

 了解したってなんだ、了解したって。

 自分で言っておきながら自分で茶々を入れそうになり、すんでのところで踏みとどまる。禍福は呆れることにも飽きたのか、さっさと歩きだしている。

 置いていかれたくない。

 置いていくはずなんてないのに焦ってしまって、少し早足で禍福の横に並ぶ。

「やっぱり何かあったか?」

「多分、何もないと思うけど……」

「そうか? まぁ、エルフには丸薬がキツかったのかもしれんがな」

「そんなことはない。好んで食べるかと言われたら別だが、食べられないことはなかった」

「あぁ分かってる、分かってる」

「本当に分かっているのかっ!?」

 言い合いながら、二人、道なき荒野を並んで歩く。

 会話は続かず、すぐに沈黙が降り立った。

 静かで、けれど刺々しくはない、心地の良い沈黙。

 それを断ち切り「ほら、あそこだ」と禍福が言ったのは、太陽が天高くに輝く時分だった。



 あそこ、と言われても咄嗟にはなんのことか分からなかった。

 辺りには相変わらず何もなく、上には空、下には大地、右手には稜線、左手には地平線がある。

 そんな私の態度から察したのか、禍福は「あれだ、あれ」と指差して言った。

 あれ。

 手袋に包まれた人差し指の先を見やって、ようやく気が付く。言われなくても視界に入っていたはずなのに、言われるまで気にも留めていなかった。

 あれは岩だろうか。

 違う、石だ。

 近付くにつれ、正体が見えてくる。ただの石ではない。積み上げられた石だ。それも子供が川原で遊ぶような積み方ではなく、まるで建物でも作ろうとしたかのごとく繊細に組み上げられていた。

 というか、実際に建物の一部だったのだろう。

 積み上げられた石……石柱は三本あった。奥に二本、手前に一本。向かって右側にある奥の柱が一番高いが、具体的な高さまでは分からない。

 すぐ近くまで来て、ようやく見て取る。

 石柱は一番高いものでも私の首までしかなくて、低いものは腰ほどの高さだった。これではあまりに低すぎるから、嵐か何かで崩れたのだろう。

 更には三本ではなく四本あったらしく、石柱に囲まれた部分には正方形を描くようにして石畳が敷かれていた。建物の跡地。ここが目的地なのだろうか。しかし柱が三本あるだけで、二ツ目烏とやらの対策になる屋根はない。野営地ではなさそうだ。

 そもそも、跡地はかなり狭い。

 石畳は見たところ正方形を描いていて、その一辺は私が寝そべって少し余裕がある程度だろうか。おおよそ二メートル四方。

 荒野にいきなり現れたにしては大きな跡地だけど、野営地としては勿論、人が出入りする建物としてもかなり手狭だ。

 その割に、雨風さえ凌げればいいという物置小屋のような手抜きは感じない。なにせ石造りの柱だ。いくらヒュームの建築技術がエルフを上回るといっても、そう易々と建てられるものじゃない。

 ここはなんなのか。

 いっそのこと聞いてしまおうかと思い始めた矢先、禍福が石畳を踏み付けた。

「えっ」

 あまりに突然で、声が漏れてしまう。

 禍福は構わず踏み付け続けた。まるで地団駄を踏んでいるよう。ちょっと可愛い。……いやいや、待て、何かがおかしい。そうだ。

 ――ントントン、トントン、トントントン、トントン――。

 見ているうち、聞いているうち、それが一定のリズムを刻んでいることに気付く。二回と三回のリズムだ。間隙もちょうど足踏み一回分。二回踏んで一回空け、今度は三回踏んでまた一回空ける、を繰り返している。

 そしてリズムに気付いたからには、その変化にも気付かないわけがなかった。

 ――トントンドトン。

 一瞬、リズムが乱れた。禍福が踏み外したわけじゃない。そもそも音の響き方が少し違う。なんというか、くぐもっている感じ? ……まさか。

 その、まさかだった。

 禍福が足踏みをやめて石畳を降りた次の瞬間、今の今までビクともしなかった石畳が浮き上がる。

 半分、つまりは一メートルと二メートルの辺からなる長方形の石畳が奥側にずれ、地面の代わりに広がる闇を覗かせていた。否、闇だけじゃない。

 ぬっ、とそれは頭を見せた。

 顔じゃない、頭だ。

 やけに白い頭が天高く輝く太陽に負けじと照り返す。なんだ、これ。

 誰だ、と思うべきだったのかもしれないけど、それが人間だと瞬時には受け入れ難かった。

 禿頭の人物には、顔がなかったから。

 正確には違う。顔はあるのだろう、ただ隠しているだけで。

 眉毛は剃っているのか……いや、眉毛も剃っているのか。本当なら眉毛があるはずの目の上の盛り上がりには、しかし白く光る留め具だけが付いていた。その留め具が何を留めているのかといえば、薄布としか言いようがない何かだ。

 禿頭の人物は当然、息をしている。

 呼吸に合わせて薄布が前後する、それだけがその人物の表情だった。

「何用ですかな、巡礼者様」

「えっ」

「はて?」

「貴様らの流儀では、客を門前に立たせたまま話すのか?」

「いえいえ、滅相もありません。今しがたの言葉は挨拶のようなものでして」

「分かっている。さっさと上がれ。邪魔だ」

「これは失敬……」

 禿頭の人物がぬっ、ぬっと闇から全身を現す。階段があるのか。恐らく石畳がずれた方向、私たちから見て奥側に傾斜している。

 ただ、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「しかし、妙ですね。巡礼者様が連れ立っているとは」

「すぐそこ、アーロンの町で拾った。新参でな、俺が面倒を見てやらねばオールドーズの面汚しになりかねん」

「なるほど、なるほど。では、どうぞ」

 そう言って闇を示す禿頭の声は、決して清らかとは言い難かったものの、然りとて聞き間違えようもない。

 女だ。

 この禿頭、禿げてはいるが女らしい。

「おい、どうした、もう一人のオールドーズ」

 早くも腰まで闇と化した禍福が見上げてくる。

「色々ありすぎて驚いただけだ。すぐに行く」

 といっても、入り口の奥行きは一メートルしかない。

 禍福の頭がすっかり闇に消えるまで、私は禿頭の女の、その全く覗けない表情に見据えられて待つしかなかった。

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