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十話 旅のお供

 朝、湿り気を帯びた冷たい風によって目を覚ます。

 背中と腰が痛いし、目もしゃっきりと開かない。それでも寒さというか冷たさのせいで意識だけが冴えていく。顔を洗いたいが、水は貴重だ。諦めて、くしゃくしゃと外套の袖で瞼を擦る。

 禍福はとっくに起きていた。

 相変わらず表情を読み取るのが難しい顔をしているが、なんとも暖かそうではある。禍福を抱き締めて寝たら、それはそれは心地良いんじゃないだろうか。恥ずかしいし、頼んだところですげなく断られそうだから口にはしないけど。

 ていうか、禍福の獣毛は全身に生えているのか? それとも顔だけなのか? 顔だけだとしたら、境目はどうなってるんだろう。

 色々気にはなったが、訊ねてしまっていいものかは分からない。

 私たちエルフだって、ヒュームから耳を触らせろと言われて良い気分はしないだろう。

 エルフの耳は長く、尖っている。機能としてはヒュームのそれと大差ないというが、だとしたら何故違う形をしているんだろう。

 謎だ。

 謎といえば、禍福が取り出した小さな包みも謎である。

 黒とも茶とも呼べぬ塊。

 大きさは三センチ弱で、形は丸く、布ではなく植物の葉で包まれていた。オールドーズのみならず、ヒュームの旅人はまずお世話になるものだという。

「そのまま齧るんだ、半日は持つ」

 昨日の晩、そう言われて齧った。

 直後、口の中に広がった甘味と酸味と苦味といったら、筆舌に尽くし難いとしか言い表しそうがない。しかも味わおうと思えば味わえてしまう絶妙な不味さなのが憎たらしかった。

「なんだ、これは」

「人は丸薬と呼ぶが、別に薬じゃない。必要な栄養素を煮詰めて固めたものだ」

 そんなことは分かっている。

 いや、呼び名は知らなかったけど。

 これはどんな食べ物から、要は植物なのか魚なのか肉なのかと聞いているのだ。

 けれど禍福は知らないというより、興味を持ったこともないらしく、億劫そうな顔をするだけでろくに答えもせず『丸薬』を齧っていた。勿論、億劫そうだった顔を顰めることもなく。

 冗談じゃない。

 けれど、食料は貴重だ。水の次に貴重と言ってもいい。丸薬の効能か、あるいは不味さのお陰で食欲がなかったから、昨晩はそれで済ませた。

 ただ、今朝はそんなもので済ませたくない。

 早くも丸薬の取り出していた禍福を手で制し、背嚢から包みを取り出す。

 こちらは三センチどころか三十センチを越すサイズで、有り体に言えば袋だった。紐解いていけば一枚の布になるから正確には違うんだけど、まぁ上手いこと結べば袋として使える。

 その中に詰めてあったのは、それぞれ一センチから二センチほどの塊たち。

 こちらも形は球状だけど、丸薬ほど綺麗にまとまってはいない。ほとんどが楕円形に潰れている。

「なんだ、それは」

 昨日の意趣返しというわけではないのだろう。

 怪訝そうに訊ねてくる禍福に、私は胸を張って答えた。

「これがエルフ流の保存食だ」

「そんなこと見れば分かる。何でできているのかと聞いているんだ」

 昨日同じことを聞いた私に、お前はなんと答えた。

 言ってやりたかったが、時間は時間で貴重である。

「色々入っているが、近いものを挙げるならパンだな。水分を極力絞って、しっかり火を入れたパン。流石に一つで半日とはいかないが、詰まっているから同じサイズのパンよりはずっと腹持ちが良い。あと水分がほぼないから日持ちする」

 味気ないものの、噛んでいけばパンに似た甘みが口の中に広がる。そういう代物だ。

「これを森から?」

「そうだ。渡された荷物の中には干した魚なんかも入っていたが、いくら干していても背嚢に詰めたままじゃ日持ちしないからな。町に着く前に食べきった」

「それ以外は、このちっこいパンもどきだけで過ごしたと? ……エルフのお姫様にしちゃあ、よく我慢したもんだ」

「森長の娘は姫じゃないぞ。そもそもエルフに姫だなんて、伝説じゃあるまいし」

 ヒュームには王様がいるのかもしれないけど、エルフに王はいない。森長もあくまでまとめ役であって、絶対的な権限を持つ支配者とは違うのだ。

「まぁ、昨日の礼ってわけじゃないが、今朝はこれにしよう」

 禍福は少し怪訝そうな顔を覗かせたものの、まさか毒の類いを疑ったわけじゃないだろう。

 すぐに納得する素振りを見せ、小さく笑った。

「んじゃ、有り難く」

 片手で切るような礼の仕草の後、パンもどきを一つ摘んだ。そして口に運ぶ。ほんの二、三回咀嚼して、禍福はまた笑った。

「味はいいな」

「だろう?」

「だが、嵩張るし栄養も偏りそうだ」

 悪びれもせず言うと、禍福は二つ目を手に取る。

「まぁ、時にはいい」

「お前はいつも昨日の、あの……丸薬だったか? あれで済ませてるのか」

「何もなければ、な。町では町のものを食うし、人里離れた場所なら狩りもできる。尤も、獲物も年々減ってきて、最近は丸薬に頼ることも多いが」

「旅だけでなく狩りまでするのか」

「逆だろう? 昔は、それこそ旅人は狩人でもあったはずだ」

 そうなのだろうか。

 そもそも有事でもないのに旅をして暮らすなど、私には想像もできない。

 新天地を求めて放浪するならまだしも、ただ旅をするのが目的の旅となると……やはり無理だ。想像しようにも、あまりに私の知る常識とかけ離れすぎている。

「もう長いのか」

 それで気付けば、変なことを口走ってしまっていた。

「は?」

 禍福も目を丸くし、驚くというよりは怪訝そうに見てくる。

「あぁいや、すまない。獲物が減ってきたと言っただろう? お前も長いこと旅を、巡礼をしているのかと、ふと気になってな」

「狩りの話はどこにいった」

「正直に言うと、よく分からなかったんだ。私は森を救うために旅をしている。もし森の中にいながら森を救えるなら、追放なんて受け入れなかっただろう」

「なるほど」

 納得ではなく、単なる相槌として軽く頷いた禍福は、しばし空を見上げたまま黙り込んだ。

 旅暮らしは時間感覚が乏しくなる。昨日と今日、今日と明日の区別はあっても、先週と先々週の区別は付かない。あるのは朝と昼と夜、そして昨日と今日と明日。何年も旅をしていれば、自分の歳さえ忘れてしまいそうだ。

「十年……、になるのか」

 ぽつり、禍福が呟いた。

 その声に息を呑んだのは、他ならぬ禍福自身だ。

「俺は、自分で巡礼者になると決めたわけじゃない。生きるために、そうすべきだと師に言われた。それに反対した者もいたが、最終的には黙るしかなかった。あの頃は終焉の予兆があちこちに表れていて、身近にも大きな事件があったからだ」

 どこか苦々しい声音だった。

「それが十年前だ。旅に出て何年と数えたことはなかったが、あの事件から過ぎ去った月日は忘れようとしても、知らず知らず数えてしまう。自分たちの生きる世界が終わろうとしているのだと、初めて実感した事件だからな」

 禍福はまた黙り込んでしまったし、そうでなくともどんな事件だったかなんて聞く度胸はなかった。

 それに、聞いたところで何ができるわけでもない。

「そんなことより、そろそろ片付けて出るぞ。時間は有限だ」

 言うが早いか天幕を片付けだした禍福にせっつかれるようにパンもどきを頬張る。

 お行儀なんて意識は旅を始めてすぐの頃に捨てた。くつくつと喉の奥を鳴らす禍福のニヤニヤ顔まで気にせずにいられたかと言えばそんなこともないけど、まぁいい。禍福は善意だけで私に付き合ってくれる、ただの心優しい旅人じゃない。

 巡礼者の評判を落とさないため。

 禍福はそう言っていたが、本当にそれだけか?

 こんなこと考えたくもないけど、禍福から貰うものはあっても、私が与えられるものはない。

 あるいは、エルフの情報を欲しているとか?

 確か妖精剣も知っているようなことを言っていた。あれは伝説の時代の話に過ぎないけど、時代の終焉なんていう未曾有の危機を前にすれば伝説にも縋りたくなるかもしれない。

 そのために情報が欲しくて、私を懐柔しようとしている?

 いや、まさか。

 だとしたら偶然に任せすぎだし、そもそも禍福自身の態度と合わない。

「どうかしたか?」

 どこか苛立ったような、実際にはそんなこともない、いつも通りの声音で禍福が言う。

「なんでも――いや、そうだな」

 旅は道連れ。

 変に勘繰って悶々とするより、面と向かって訊ねてしまった方がいいかもしれない。

「お前はどうして私に手を貸してくれるんだ? 昨日聞いた理由が全てだと言われれば、それで納得する。だが、もし他の理由があるなら教えてほしい」

 どうして急にこんなことを言い出すのか。

 禍福は探るような視線を覗かせたし、私自身なんで昨日のうちに聞かなかったのかと思う。

 その理由は、しかし、自問するまでもなく見つかってしまった。

「言っただろう? 巡礼は己の無力を、救えないという現実を知る旅だ。だから、なんだろうな」

 禍福は笑おうとしたが、笑みを見せる直前で顔を歪め、そっぽを向く。

「俺にも救える者がいるというなら、賭けてみたい。そう思っただけだ」

 照れ隠しだったのか。気にしなければ気付かないくらいに僅かながら、その言葉は早口めいていた。

「……そうか」

「そうだ、悪いか」

「いいや? むしろスッキリした」

 天幕にしていた布を一人で畳もうとする禍福に手を差し出し、布の端を受け取る。

 枯れ木から落ちたらしい枯れかけの葉を払いながら、私はどんな顔をしているのだろうと考えてみた。

 きっと、先ほど禍福が浮かべようとし、すんでのところで引っ込めたそれと同じ顔をしているはずだ。

「どうやら私は、心細かったらしい。森にいれば、いつでも誰かが傍にいてくれた。そうでなくたって暖かい。だが、森を出てしまえばどうだ。身も心も寒々しいばかりだ」

 救ってくれるというなら、救ってほしい。

 私ごと森を、あるいは森ごと私を。

 けれど、それが叶わなくても、構うものか。

「お前はそれじゃ満足しないんだろうが、それでも言っておこう。私はもう救われた。森を救うと大口を叩きながら、その実、町に辿り着くだけで精一杯だったんだからな。感謝してもしきれない」

 思い付いた言葉は全て言ったつもりだった。

 言いたいことを言い終え、それじゃあ今日も旅に出ようかと背嚢を背負うつもりだった。

 なのに、どうしてだろう?

「お前のこと、信じるよ」

 自分が何を言っているのか、よく分からなかった。

「お前が終わると言うなら、終わるんだろう」

 禍福が目を瞠る。

 それでようやく、自分が何を言っているのか自覚した。

「だが、それでも森は救う。救わなくちゃいけない。それが私の、旅の目的だ」

 時代が……世界が終焉を迎える。

 およそ信じ難い話なのに、何故だか当然のごとく受け止めてしまった自分を見つける。

 不思議な気分だ。

 自分が自分でなくなったような、身体が見知らぬ誰かに乗っ取られたような。

「おかしなことを言うな」

「笑わないでくれ、私も自分がどうなってしまったのか分からないんだ」

「そりゃあ、世話ないな」

「まったくだ」

 笑い、笑われ、どちらからともなく言った。

「さぁ、旅だ」

「そうだな、旅だ」

 雨雲の欠片も見えぬ、晴れ晴れしい空のもと。

 私は禍福と、旅をする。

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