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104話 屋根上の視座

 静かに、張り詰めた空気が広がっていくのが手に取るように感じられる。

 目視できただけで二十六人。漏れ聞こえる言葉の端々を読むに、離れたところで息を潜めている者もいるらしい。

 総勢は三十か四十か、それ以上か。

 一度では視界に収めきれない人数が武装し、建物を取り囲んでいる。

 誰一人、気を緩める気配すらない。

 その光景を俺とエレカは、隣家の屋根の上から眺めていた。空には雲。月も星も隠された夜は闇に包まれ、俺たちの姿をも覆い隠す……はずだったのだが。

「エレカ」

 すぐ傍らに身を寄せ、風が吹けば互いの髪が絡み合いそうな距離で呼ぶ。

 向こうも同じことを思っていたのだろう。一層潜めた声で、あぁと頷いた。

「あいつ、私たちが見えているな。それか違和感を嗅ぎ分けたか」

「そこまで分かっていて、様子見を続けるか? 今ならまだ――」

「理由は知らんが、敵対する気のない相手に敵だと名乗ってやる義理もない」

 会話は終わったとばかりにエレカが視線を下に戻した。

 二十六人は皆、巡礼者のそれによく似た外套で身を包んでいる。その中で一人、声からして男と思われる人物が時折こちらを見上げてきた。頭まですっぽり覆っているせいで俺の視力であっても見通せないが、夜空を見上げるのではなく、奴らが取り囲んだ建物の隣の屋根を――つまりは俺たちを見上げているとしか思えない。

 とはいえ今の優先事項は、まさに取り囲んでいる建物の方だ。

 ロベルトたちが暖炉に火を入れ、煙突から立ち上った煙。住人が避難して無人になったはずの民家から上がる人間の痕跡で、奴らは侵入者の居場所を掴んだ。

 わざわざ夜空の明かりすら隠れるまで待っていたのか、人員の準備に時間がかかったのかは分からない。

 ともあれ今、奴らは敵の存在を確信している。

 通用するかはさておき、ロベルトたちを囮としたエレカが選んだのは先手を打っての潜伏。といっても隣家に息を潜めるのではなく、夜闇が隠してくれる屋根の上から状況の変化を見ようとした。

 雲が夜空を覆い尽くしてくれたのは僥倖だったが、それでも見通してくる者がいるとは予想外。下手を打ったと素直に認めるべき状況ではあるものの、焦って攻撃を仕掛ける利点もあまりないのは確かだ。

 エレカは言った、案内役だと。

 ロベルトたちが最初に民家に踏み込んだ時、そこに住人がいたら逃がせと命じた。その時の想定とは違えど、眼下に展開するのはオールドーズ教会が擁する武力の一端。

 酔っ払って寝入ったと思しきロベルトたちを捕縛するか始末するか、どちらにせよ奴らには帰るべき場所がある。まさか仕事を終えた途端に三々五々、自宅に帰るなんてことはあるまい。

 問題は、事がどう運ぶか。

 ロベルトたちが目を覚まして乱戦になってくれればいいが、寝入ったままブスリで終わられてしまえば、あの俺たちに気付きながら無視している男がどう出るか分からない。余裕があるし、次はあちらを……なんてなったら案内役がいなくなる。

 しかし事態は、誰も思い描いていなかったであろう展開を迎えた。

 隣家の玄関の戸が、内側から開かれたのだ。

 姿を見せたのは、禿頭の女。サクサだ。まさか偶然で出てきたはずもあるまい。

「用件は承知しています。ですが互いに語れる口を持ち、考える頭を持っているのですから、荒事は最終手段と致しませんか? まずはこちらから。あなた方の土地に無断で踏み入り、見知らぬ方の家に上がり込んだことをお詫びしましょう」

 してやられた、と遅まきながらに気付く。

 家の外にばかり気を配る余り、中の動きを考えていなかった。いや、そちらに意識を割いていたところで何がどうなったとも思わないが。

 どうあれ、サクサが独断で動くわけがない。

 裏には必ずオッチがいて、つまりは奴も包囲には気が付いていた。息を潜めながら考えを巡らせ、今のこの活路を導き出したわけだ。

 包囲していた教会の者たちも最初は動揺の色を見せたが、どんな想定よりも穏当な展開に再起動を果たす。

「エレ――」

 今なら、まだ奇襲は成る。

 判断か許可か、自分でもどちらを求めようとしたのか曖昧だった声は、だが名を呼ぶ前に遮られた。エレカの細く柔らかい手が俺の口を塞いだのだ。

 屋根の上の出来事など知る由もなく、包囲していた者たちの中から一人が歩み出る。

「私たちは神聖騎士団、聖都防衛隊である」

 騎士団、防衛隊。

 そう名乗りを上げるのは力強くも幾分高い声、女のものだった。

「無論、強いて争いを望むことはないが、ここ聖都の防衛を任ぜられている。語れる口を持つというのであれば、其の方の身分と目的を述べよ」

 答え如何によっては容赦しない。

 厳しく思える言葉だが、言葉であるという一点でもって生易しすぎる。これしきで動じるサクサでなく、一々オッチに助言や許可など求めはしないだろう。

「名乗れる身分などありません。あるはずもありません。ですが教会の方々が巡礼の旅をする折、寝床や食料の援助をしてまいりました。そのような身分の者である、とご理解ください」

 懐柔したかつての敵、あるいは利用してきた敵の敵。

 それは教会に属する身からすれば今更蔑むこともないほどに明確に下位の者たちであり、だからこそ良くも悪くも、警戒に値しない存在にもなってしまう。

 聖都にまで踏み込まれて油断はしないだろうが、わざわざ服従宣言にも等しい名乗りが持つ意味は小さくない。

「そして目的……というより動機になりますが、こちらは至極単純に命惜しさと言う他ありません。どの土地も干魃に見舞われ不毛の大地と化す一方で、帝国は内部争いを繰り広げ、イスネアに至ってはいつの間にか無人の廃墟と化していました。頼れるのは聖都だけ、という有り様だったのです」

 サクサの言葉は巧みだ。

 ただの言葉選びだけでなく、武装した集団を前に慌ても焦りもせず落ち着いて話す語り口調が、その言葉を苦し紛れではないのだと聞く者に思わせる。

「ですが竜寧山脈を迂回するほどの余力は最早なく、一か八か山越えに臨むしかありませんでした。なんとかここまで辿り着いたものの、犠牲となった仲間も多く、既に夜の帳も下りかけていたため一晩だけでも泊めていただけないか頼もうと思ったのですが……」

 訪ねた家が無人だった、と曖昧に濁した沈黙で告げる。

 無人だからといって勝手に上がり込んでいいという道理はないが、それだけで押し通るつもりもないだろう。

 そんなサクサの思惑通り、防衛隊の女も怪訝そうに声を返した。

「つまり其の方は竜寧山脈を越えてきた、と? しかし彼の地は魔獣の巣窟と化している。尋常な手段で越えられるような山ではない」

「えぇ。ですから尋常ならざる者の手を借りました」

 と、そこで視線がこちら……ではなく、俺たちの足元にある民家へと向けられた。

「彼女たちは、そちらの建物に。手を借りたとは言ったものの、山越えの道程においても、今現在も彼女たちは私どもを囮として、敵除けとして考えているご様子。生きるためには、唯々諾々と従う他なかったのです」

 自分たちの罪を認め、その上で真犯人は別にいると密告。

 暴力や詐術で切り抜けられる状況ではない以上、他の手段はないことも分かる。だが武装した集団を前に、ああまで堂々と自分の主張だけを並べ立てられる精神には拍手を送りたい。

 まぁ奴の場合、まともな精神などとうの昔に壊され尽くしただけなのだが。

「どうする、エレカ」

 一部始終を見下ろしながら、一応声を潜めて判断を仰ぐ。

 微かに振り返ってみせたエレカは、小さく首を横に振った。まだ様子見、かと思いきや。

「してやられたな。これ以上は時間の無駄だ」

 呟くやいなや屋根の斜面を歩き出すエレカに釣られて俺も前に出る。あとは止まらず、止めることもなく、その背中を追って屋根から飛び降りていた。

 たかが数メートルで足を挫くほど、俺もエレカも真っ当ではない。

 ゆえに真っ当に物事を捉えようとする者にとって、それは予想だにしない展開となる。

 一足遅れて着地した俺より遅く、防衛隊の面々が纏う雰囲気を一変させた。戦慄、緊張、あるいは――。

 反応の早い何人かが腰に、そこに差した得物に手を伸ばす。

 その時。

「待て」

 と発せられる声を待っていたとは思えないが、まるで呼応するかのごとく口を開く者がもう一人。

「端から信用なんてしちゃいなかったけどな、縋るべき相手を間違えるようでは困る。何より貴様ら自身の命が幾つあっても足りないぞ」

 注がれる明らかな戦意を俺と二分しながら、そんなものは感じないとばかりに笑ってみせるエレカ。

 その声はサクサに向けられ、同時に眼差しは別の姿を捉えている。

 防衛隊の一人、制止の声を上げた偉丈夫だ。屋根から見下ろした時は長身ということしか分からなかったが、同じ地面に立てば必然、見える。二メートルは下らない、真っ当な人間としては巨躯と評して過言はない上背。

 尤も――。

 エレカ然りルージュ然り、真っ当かどうかと背丈にはなんの因果関係もないらしいが。

「災禍か祝福か、どちらか忘れたが……貴様のその獣の目、私たちが見えていただろう?」

 エレカが笑い声を零してみせる。

「それとも鼻か? 耳か? なんにせよ、事情を察して見過ごしてくれるものかと思ったんだが、愚か者が裏切り者を演じたのでは仕方ない」

 対峙する偉丈夫は、諦めるように首を横に振る。

 外套と夜闇に紛れる顔や首元で、深い毛が揺れるのが見えた。

「こちらとしても、動かぬ腹積もりなら後回しでいいかと考えたのだがな……。竜寧山脈を力尽くで越えてきたと聞かされれば放置もできまい」

 呻く声音で言い捨て、偉丈夫がこちらを――いや、俺を見据える。

「……隊長? まさかとは思いますが」

「そのまさかなのだろう」

 続く言葉は、予想できたものではなかったが、驚くものでもなかった。

「巡礼者、禍福。巫女の見習いとして教会に加わり、そして」

「災禍に呑まれた者、とでも?」

 捨てた名に応え、エレカを真似て笑ってみせる。

「同輩と会うのは初めての経験だが、そちらは随分と獣臭いな」

「きさッ――」

「よせ、事実だ。……禍福の名を与えられたお前と違い、自分は災禍のみを背負った身。お前ほどに人の形は残していない」

 返された言葉は些か以上の驚きに値するものだったが、姿の方は確かにその通りだった。

 フードを払い、露わにされた偉丈夫の顔は、人間のそれとは違う形になっている。鼻と口が突き出て、頬が細い。まさに獣、犬や狐のそれである。そんな使いづらそうな口を巧みに動かし、流暢な人の言葉を喋ってみせた。

「先に答えておくと、巫女様により獣化症は沈静化した。前の姿に戻ることはなくとも、生身では得られぬ力を、かろうじて失わずにいた理性を残したままだ。対話はできよう」

 語る言葉は理性的……だけれども。

「さて、それはどうか。対話とは、ただ理性のみで行うものではない。違うか?」

 挑発的なエレカに対し、それでも偉丈夫は己が言葉を守るかのごとく理性的に応じる。

「理性以外の何を求めると?」

「利害、打算、そして切迫。貴様らは落ち着きすぎている。まさか己どもが優位にあると信じて疑わぬわけもないだろう?」

「お前たちが優位にあると?」

 ため息。

 それを零したのはエレカだったが、偉丈夫は獣の顔でも分かるほどに同じ色を見せていた。

「頭が高い、と貴様に言うのは冗談に取られるだろうか」

「話が見えてこないな。巡礼者禍福は教会を裏切り、魔王の側に回った。そう報告を受けている。まさかとは思うが――」

「あぁ、大丈夫だ。魔王は死んだ」

 エレカは吐き捨てる。

「私が生まれる前、貴様らが生まれるよりも前、一体どれほど前なのかも分からない伝説の時代に死んだ。違ったか? 歴史と伝説を語り継ぐオールドーズ教会の犬よ」

 犬、と。

 それは偉丈夫に対する、何より彼を隊長を仰いだ者たちに対する最大級の侮辱となろうが、エレカに分からないはずもない。……はずもないのに言い放ったからこそ、俺も迂闊に口を開けなくなった。

 目的はなんだ。

 防衛隊の総意であろう疑念に俺も囚われる。

「だが、魔王は復活した」

「貴様らは、貴様らに命じた何者かも、オイゲン・シュトラウスの手の平で踊っていると? それは素晴らしい報せじゃないか」

 エレカが手を叩く。露骨なまでに、嘲る態度。

 何人かが再び武器を構えそうになった矢先、それを制するかと思えた偉丈夫が鋭く片手を上げた。直後、数十という防衛隊の面々が一斉に武器を手に取る。

 偉丈夫自身も、背に担いでいた斧槍に手を伸ばした。

 構えはせず、ただ柄を握って対峙し直す。

「愚弄するならば、容赦はしない」

「単なる事実を愚弄と感じたなら終わりだよ」

 飄々と応じるエレカが剣を手にする気配はない。そう見せているだけ、にも見えなかった。

「貴様らは何をしに来た? 誰に命じられて? それでどうして私たちと言葉を交わす? おかしな話だ。殺せ、と。奇襲でも、道連れでも、毒でもなんでも手段を選ばず、ただ殺せ。その命令が出ていないことが全ての答えだ。……なぁ、違うか?」

 武器を構える集団を前に、エレカは然もない風に振り返ってみせた。

 殺せ。

 そう命じるとすれば、誰だ? 否。そもそも、誰を殺せと命じる?

「あぁ、そうだ。そうだった。形振り構わぬはずの敵が、どうして対話などと口にする?」

 偉丈夫が怪訝な顔をする。

 それこそが俺たちを怪訝な状況に追いやるのだ。

「魔王なんて、帝都にはいなかった。当たり前だ。それはオイゲン・シュトラウスが教会の手に落ちかけたメイディーイルを解放するための法螺に過ぎないのだから。帝室すらも騙して、公爵は帝国を救わんとした。……誰から?」

 偉丈夫が眉を顰める。

 敵が語る、敵の内情だ。

 どこまでが真実かなど考えるだけ愚かなことで、それよりも考えるべきは教会の尖兵を前に教会を敵と明言してみせる意味だろう。

 可能性の一つですら、浮かべるには時間が足りなかったに違いない。

「貴様ら教会は、枢機卿だか巫女だか知らんがお偉方は、窮地に陥ったメイディーイルを救ったか? 帝都にまで手を伸ばし、帝室まで手中に収め、その後でもしも本当に復活した魔王が帝国を襲ったとしたら、貴様らは帝国のために戦ったか?」

 巡る思考は、手に取るように見透かせた。

 戦うはずがないと、彼らは即断できてしまう。

「だから帝国の公爵は魔王を騙る羽目になった。本当の窮地で裏切る敵に傾倒した愚か者を排除すべく動く羽目になった。貴様が今の今まで信じ込んでいた強大な敵など、所詮その程度の道具に過ぎん」

「……ゆえに、我らに歯向かうと?」

「愚かしい」

 ただ一言、吐き捨てられる。

「騎士団? 防衛隊? 理性があると豪語しながら、貴様の頭蓋に詰まっているのは盲信だけじゃないか。下らない。全くもって下らない」

 途中までは、また煽っているのだと思った。

 何を考えてのことかは知らないが、激情させて何かをする気だと。

 しかし、違った。

「貴様らに守られる民が不憫でならない。守る力を持ち、守る責務を負った者が、こんなにも愚かで身勝手だとは。貴様らに縋るしかない民のために、半分くらい殺してやるべきなのか?」

 聞きようによっては子供じみた言葉。

 それで不意に思い出した。このエルフは、森長の娘であり、神などと呼ばれてはいたが、思い返せば小娘なのだ。

 ただ憤り、ただただ憤っているだけ。

「貴様らに防衛を命じた者を出せ。いや、いい。そいつの居場所まで案内しろ」

 敵とみなした存在からの、真正面からの呆れと諦め。そしてついでのように付け加えられた、通るはずのない要求。

 馬鹿か、と反射的に漏らさなかっただけで褒めてやりたい。

「そんな要求が通るとでも?」

「通るも通らないもない。貴様らは本当の敵を知らないんだ。オールドーズ教会はなんのためにここまで勢力を拡大した? 無知な幸せ者たちを騙して甘い蜜を吸うためか? 干魃の時代を自分たちだけ生き延びるためか?」

 違う、と誰もが心の中で叫んだはずだ。

 それでいて誰一人叫ばなかったのは、そんな自由さえも奪われていたからだ。

 エレカが見据える、その眼前で偉丈夫でさえも武器を握る手に力を込めてしまっていた。

「貴様らの親玉には、魔王よりも警戒する敵がいるんだろう? でなければ魔王と聞いて動かぬ理由がない」

「……ッ! 我らは動かずとも、解放軍には援助を――」

「援助? 馬鹿か、貴様は。魔王などという伝説の化け物を相手に、挙兵ではなく援助だと? それこそ最初から魔王の復活が虚言に過ぎぬと分かっていたようなものじゃないか」

 それは無論、尋常ではない世界の裏側を知る者の視点に過ぎない。

 だが、だからこそ、なのだろうか。

 俺にも最早、真っ当な視座など手にできるものではない。

 ただ姿こそ獣に変じながら、それでも真っ当に在ろうとしたであろう男は、語られる言葉と知り得た事実を前に何を思うか。

「敢えて、問おう。貴様に理性があるというのなら答えてみせよ」

 大上段に構えるエレカの姿が、その瞬間だけは偉丈夫よりも大きく見えた。

「貴様らは何故、未だに刃を振り抜かない? 侵入者を、外敵を、近寄る全てを殺せと、どうして命じられていない?」

 そんな命令を下す為政者がいるか?

 まともに考えたら、いるはずがない。そんな無法、真っ当な世界では自分の立場を悪くするだけ。

 そう、真っ当な世界では、だ。

 この世界が真っ当ではないと知っている者なら、違う判断を下しただろう。

 にもかかわらず、防衛隊は真っ当な論理で動いている。

「そんな悠長が許される状況なのか? それとも悠長にしている余裕などないから、貴様らは何も命じられなかったのか?」

 俺たちは、答えを知っている。

 オール・ルージュ・オールドーズが、こんな雑兵に構うわけがない。

 未だエレカを仕留められないどころか、斬り掛かる素振りすら見せないことが何よりの証。警戒心は立派だが、実力も挺身も取るに足らぬ。

「答えられないなら、早く巣に帰れ。仕方ないから後を付いていって、自分の口で飼い主と話すとする」

 侮辱、侮辱、侮辱。

 これが交渉術だと人に言えば笑われるだろう。

 交渉にならなければ押し通るだけだと知っているから、唯一割って入れる俺が助け舟を出す羽目になる。

「それで武器を構えられたらどうするつもりなんだ」

 ちらり、と視線を送ってみる。

 向こうからすれば俺もエレカの一味に過ぎず、それどころか教会を裏切ったお尋ね者でしかないのだろうが、それでもだ。

「こいつらが来た方角は覚えてる。行けるとこまで行って、目当てのものが見つからなければその時に考えたらいい。話の分からん奴と話を続けるよりはマシだ」

「随分と頭の悪い作戦だな」

 これ見よがしに呟き、辺りを見回す。

 防衛隊の警戒心は未だ最高潮。号令一つで一糸乱れぬ攻防を発揮できるだろう。……いや、攻撃はさておき防御が成り立つかは怪しいな。

 さておき、もう一方。

 サクサはいつの間にか……というか偉丈夫が臨戦態勢を命じる頃には民家の中に引っ込んでいた。今頃は窓なり裏口なりから四人揃って逃げ出していることだろう。

 一番頭が良かったのは、結局あいつらか。なんとも頭の痛い話だ。

「カレン」

「なんだ?」

「感傷は捨てたと言ったな?」

 最悪だな。

 最悪に頭の悪い手段が目の前だ。

「他の全てを私が抑える。だからそこのうるさい女、遊んでやれるか?」

「意味が分からない」

「は? 爪を剥ぐなり指を折るなり、そういうこと一本ずつやっていけばいいだけだろ。慣れてないのか」

 慣れているわけがない。

 というか発想が過激なのか子供なのかも判断しかねるところだ。

「さて、今の俺の主はこう言っている。極悪非道と罵るのであれば武器を取れ。ただ短くない間オールドーズを名乗っていた俺から助言させてもらえるなら、ひとまず枢機卿に取り次ぐべきだ。少なくとも連中に話を通せば……」

 ひとまず。

 少なくとも。

 これがスタートラインであり、同時に望み得る最大の成果であると信じて疑わなかった俺は、だから時代に取り残された常識人の一人だったのだろう。

「何もかも、承知できた話ではない」

 偉丈夫が吐き捨てる。あまりにも苦々しく。

「だが、理解した。……自分たちが如何に状況を理解できていなかったのかは」

「回りくどい言い方は」

 よせよ、と言いかけた声は、続けられていた言葉に遮られた。

「元同胞として、理解できる言葉で教えてやろう。枢機卿は、いない。気付いた時には、いなくなっていた。今の自分たちに命じるものがあるとすれば、それは防衛隊という所属部隊の名だけだ」

「……は?」

「ん?」

 エレカが首を傾げるも、構っている余裕はなかった。

 枢機卿がいない?

 何も告げず姿を消したと?

 それはつまり、逃げ出したということか? オールドーズその人と象徴的な存在でしかない巫女を除いた、実質的な最高権力者であるはずの枢機卿が揃いも揃って?

 冗談だろう、と笑い飛ばしたくなる真実を、どうすればエレカに伝えられるか。

「エレカ、教会はとっくに内部崩壊してるらしいぞ」

 言葉にしてから、思い出した。

「よかったじゃないか。上の連中もこいつらみたいに危機感がなかったら困っていたところだ」

 あぁ、そうだ。

 エレカは激しく憤りながら、同時にずっと言葉を選んできた。

 目的は明確で、そのために自分が歩むべき道も明瞭で、ゆえに迷うことも間違えることもない。

「お礼ってわけじゃないが、森を失ったエルフから助言をしよう。今、貴様らの家は燃えている。意地を張って武器を構えるべきか、縋れるものなら藁にでも縋るか。答えは、犬でも分かるな?」

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