103話 手にしたもの、手にする者
白亜の建物。
帝都にすら望み得ない厳かなそれが織り成す街並みは、聖都の呼び名が伊達ではないと知らしめるに足るものだ。
だが、一方で。
「なんだぁ? もぬけの殻ってわけじゃあねえんだろ?」
ロベルトが零すのも無理はない。
竜寧山脈を越え、俺たちが聖都に踏み込んだのは、ちょうど日が沈む頃。活気溢れる時分ではないにせよ、寝静まるには早すぎる。
では未だ家に帰らず働いているのだろうか。だとすれば畑に人影がなかったことが不思議だ。
「先手を打たれたかな」
小さく笑うような声でエレカが呟いた。
「侵入者を察知して住民を避難させたと? ……いや」
言ってから気付いた。察知も何もない。
俺たちは確かに、天然の砦とも呼ぶべき竜寧山脈を越えてきた。
しかし、そのために通ったのは山守の力で開かれた道だ。ずっと山を見続けてきた者なら、不自然に薄くなった木々に気付いたかもしれない。それがほとんど一直線に伸びていれば尚更だろう。
「予定とは違うが、貴様らを連れてきた甲斐があったというものだ」
「いったい何をさせようって? まさか所構わず襲撃しろなんて言わねえだろうな?」
「所は構うさ。手始めに、すぐそこの民家と思しき建物から。ないと思うが、罠には気を付けろよ?」
心配する声音ではない。
使い捨てるには勿体ないと、そう告げているだけだった。
「……あぁ、そうだ。ただ、もしも家主が息を潜めていたら襲わずに逃がしてやれ」
「ほう。あんたでも無辜の民には優しいってわけかい」
「アホか? この状況で逃げ出すなら、向かう先は奴らの守護者。つまりは私たちの目的地だ。土地勘のない敵地で道案内を殺すアホがどこにいる?」
悪趣味に笑う横顔を見て確信する。
最初からそのつもりだったのだ。見るからに無法者な連中に住民を脅させ、頼れる者……ルージュその人でなくとも教会の中枢に繋がる組織か施設にまで避難させようとした。
ただ脅すだけなら俺でもよかったのだろうが、ロベルトたちなら道中の水や食料の毒見役を兼ねさせられる。
非情といえば非情だが、効率的といえば効率的だ。
実際、そうと分かっていてもロベルトとオッチは同道したに違いない。生き抜くために、他の道はなかったのだから。
「さぁ、掛かれ。嫌なら嫌で好きにすればいいが、その時はこちらも好きにする」
今までも好きにしていたじゃないか。
思ったかもしれないが、言って命がある保証もない。
ロベルトとマルコは生返事をしてすぐ近くの建物に歩き出し、ここまで沈黙を貫いていたオッチも沈黙したまま横に並ぶ。その半歩後ろをサクサが続いた。
それを見送った後、エレカが小さく口を開く。
「……あの女はなんなんだ?」
「胸糞悪い話だ、聞いてやるな。ただまぁ、奴にとってオッチは救世主だったわけだ。胸糞悪い詐欺師か、頭のイカれた邪教徒か。それだけの話」
「分からんが、まぁ分かった」
人間はどこまでも残酷になれる。なんと陳腐な話だろうか。
翻って、俺は? エレカは? 一体どこまで堕ちるのかと、夕日も沈んで暗闇に包まれつつある街並みに目を凝らした。
二人揃って口を噤めば、漂うのは静寂。
時折、大きな物音やうるさい騒ぎ声がロベルトたちの消えた民家から聞こえてくる。悲鳴はない。恫喝する声も、不自然に聞こえなくなる声もなかった。隠れていた住民を見つけ、脅し、何かしらしている可能性は低い。
大方久しぶりのまともな食料を見つけ、また役得とばかりに貪っているのだろう。
欲を言えば、俺もそろそろパンを食べたい。帝都を後にし、日数としてはさほど経っていないはずなのだが、随分と長いこと歩き続けた錯覚がある。そも山守の力があったとはいえ、大した準備もない山越えは尋常なことではない。
「カレン」
と、不意に名を呼ばれ、反射的に横を見てしまう。
エレカは前を見ていたが、視線が民家に向けられているだけで、意識が向いているのは全く別のところに思えた。
「お前が敵なら、私たちをどう迎える?」
「そもそも迎え入れたくないのが本音だが、そうだな……」
竜寧山脈を山守や王狼たちが守るものと仮定するなら、今回の山越えは想定外だったはず。
山の外見的な異変で察知できたとしても、捻出できる時間はそう多くない。それこそ山に近い土地に住む住民を避難させることはできても、防壁を築く余裕はできないだろう。
代わりにできるとすれば……、
「兵士を常駐させる、とかか?」
巡礼者としての俺が知る限りの話ではあるものの、教会の権威は絶対的だった。聖都の外を歩き回る巡礼者とは別に、純粋な外敵に兵力も備えていたはず。
はず、などと曖昧な記憶しかないのは、それだけ無意味なことに思えたからだ。
オールドーズ教会に敵はなし。
そもそも帝国と良好な関係を築いている以上、小競り合い程度ならまだしも本格的な武力衝突まで起こす勢力は存在し得ないと信じ切っていた。
「兵士がいない、という可能性は?」
「ないだろう。形だけにせよ、いなければ民はどう思う? それに害獣対策の人手もいる」
エレカの疑念に、俺自身が否定し得ない現実で答える。
……いや、まさか。
脳裏をよぎった疑念は、しかし、こちらもまた現実によって否定されることとなった。
サクサが音もなく、身のこなしまで静かに走ってくる。その向こう、民家の玄関口に寄りかかるようにしてオッチが立っていた。ロベルトともう一人の姿は見えない。
「報告を」
エレカの声で視線を目の前に戻す。
どういう人物かは、俺の説明がなくとも数日間の旅路で理解したはずだ。
「罠なし。生活の痕跡あり。保存食の類いの他、古くなった葉野菜がありましたが、腐敗はしていませんでした。一部の保存食は彼らが口にし、今のところ異常は見られません。異臭もありませんでした」
サクサも自分たちに求められた役割を承知した者の答えを返す。
民家に外敵への備えがなく、当たり前の生活感はあると。
先ほど浮かんだのは、実は聖都に民などおらず、あるのは教会の中枢機能とオール・ルージュ・オールドーズその人だけという可能性だった。だが蓋を開けてみれば、住民は確かに暮らしていたと思える状況。
とはいえ大した調査をしたわけでもなし。偽装工作も難しくはないが、手間には見合わないだろう。ルージュが俺たちをそこまで警戒し、その上でそんな偽装工作が意味をなすと判断するかといえば、答えは否だ。
聖都には当然のごとく民がいて、避難はできたものの保存食まで持ち出す余裕はなかった。
そう考えるのが妥当だろう。
「分かった。続けて隣の家を……いや、床下の確認をしてくれ。万に一つの可能性だが、教会のお膝元だ。地下に避難路や何かしらの道が通されていないとも限らない」
「了解しました」
エレカの声は歯切れに欠けた。
今まで見せてきた態度に比べて明らかに煮え切らないのは、相手が女だからか。そんな馬鹿な理由もないだろう。
対するサクサも詮索せずに頷いたものの、らしくもなく行動に移すのは遅かった。
それどころか、顔色を窺う気配を覗かせながらではあったが、普段では絶対にしないであろう行動を見せた。
「……申し上げにくいのですが、暖炉に火を焚べても?」
「暖炉?」
怪訝そうな声とともに視線を持ち上げるエレカ。
何を見ているのかと思えば、そのまま民家の屋根を見上げていた。
「そうか、煙突……。当然、暖炉もあるわけか」
気付いていなかったのか?
日が沈んだとはいえ、今のエレカは常人ではない。獣化症に蝕まれた俺の目が夜の闇に強いように、エレカもエレカで常人よりは夜目が利くはず。
何そ思ったかは定かでない。
どうあれ続けられたのは、こちらも予想を裏切る言葉だった。
「前言撤回だ。火を起こすなら、ついでに川から水を汲んできて湯を沸かせ。自分たちで使ってもいいが、私たちは隣の家を間借りすることにする。鍋に入れて持ってくるように言っておけ」
「川……。畑に引かれていた灌漑ですか?」
「飲めるならどこの水でもいい。近場に井戸が見つかったならそこでも」
「そういうことでしたら、ちょうど炊事場に水が引かれていました。それを使ってみても?」
「任せる。だが毒見は忘れるなよ」
エレカは平然と応じてみせたが、話の流れからしてサクサの言った炊事場とは家の中の台所だろう。街の発展具合を見ても、屋外の炊事場を共同で使っているようには思えない。
よほど建材や技術者が有り余っているのか……、だとしても整備まで考えたら途方もない話だ。
「随分と豊からしいな、ここの暮らしは」
我知らず呟いてしまう。
ここの住人に罪はない……はずだ。いかに神を信奉しようと、それが実体を伴って同じ地面に立っているとは思うまい。
帝国やイスネア、あるいは森に生きた人々と同じく、世界の真実など知る由もなかった者たち。
「そろそろ感傷は捨てておけ。たとえ立ち塞がらず、私たちの視界に映ることさえなくとも、戦えば巻き添えで死ぬ者は出る。感傷は捨てた方がいい」
見透かす声音で繰り返し、エレカは笑い声を零した。
「それとも、幸運を貪ってきた連中だと思えば躊躇いも減るか?」
「そんなことは……!」
「ふふ、だろうな」
焦って答えれば、待っていたかのように振り返る。
状況には似つかわしくない、柔らかく悪戯っぽい笑みだった。
「さて、私たちも足を伸ばすとしよう」
そして疲労すら感じさせない軽やかな足取りで、白亜の街へと踏み込んでいく。
今この瞬間だけを切り取って見せられたら、それが侵略者の歩みだとは誰も思うまい。
……あぁ、そうか。
不意に気付く。気付かされる。
感傷も躊躇もあるはずない。
覇者とは何者か? 王や神の謂れは知らない。世界のなんたるかなど知る由もない。
だが覇者が何者なのかは、明白すぎるほどに明白だった。
覇者とは、勝者だ。
王だか神だか知らないが、立ちはだかった全ての屍の上に君臨する者である。
世界を冠する、最後の一人だ。
いずれ覇者となる者に、果たして敵地などあるのか?
いずれ全てを手中に収めるのならば、侵略とて前借りした凱旋でしかない。
民が、人が、世界が望むか否かに拘らず、それだけが正義であり答えなのだと定義された運命。
ようやく理解する。理解、できてしまう。
常軌を逸した世界の、ゆえに当たり前の常識を。
夜は更ける。
昼の輝きは建物たちの陰に消え、見上げる空には月と星が輝いていた。
開け放たれた窓から流れ込む風の冷たさを、手にしたカップの熱が際立たせる。
灯りのないリビングに揺らめく湯気は、まともではなくなった俺の目だから捉えられるのだろう。
夜の闇はこんなにも深かったのかと、気を張っていた山の中より、初めて踏み入るはずなのに馴染んで見える日常の景色が思い出させてくれた。
自然、無造作に積んだサンドイッチに手が伸びる。
サンドイッチといっても、塩抜きもしていないせいで塩辛くて堪らない干し肉を、発酵させたのかしてしまったのかも判然としない野菜と一緒に、干からびて埃臭いパンに挟んだだけのもの。
それが何故だか、異様に美味かった。
カップに入っているのもスープとは呼べないような代物である。というより、サンドイッチに挟んだのと同じ肉と野菜に熱湯をかけただけ。口直しにもならないそれを、だが口と胃が求めて止まなかった。
そうして、夜は更ける。
わざわざ窓際まで椅子を引っ張っていったエレカも、夜空を見上げながら手と口を動かしていた。
足を伸ばすとは言ったものの、横になる気配はない。
目だけでも瞑ればいいのに、じっと外を見たまま。気持ち瞬きも少ない。
お陰で……と繋げるのは妙な気もするが、サンドイッチを積んだ皿はすぐに空になった。スープも飲み干し、冷めかけのお湯だけをカップに注ぐ。
隣家からサクサが持ってきた片手鍋をそのまま手にし、またエレカに視線を戻した。
向こうも当然、俺が立ち上がったことに気付かないはずもない。ちらりと視線を寄越し、自分のカップを軽く持ち上げてみせた。
丁寧に注ぎ口まで用意された鍋を傾け、少し残った具材の上にお湯をかける。
と、エレカが口を開いた。
礼でも言われるのかと思ったが、紡がれたのは予想だにしない言葉。
「綺麗な月だ」
微笑し、カップを口元に運ぶ。
まるで答えなど求めていない声に、それでも何かを返したかった。
しかし言葉が見つからない。
当たり前に応じてしまえれば楽だっただろうに、何かを言おうと思った途端に何もかもを見失った。ただ眼前、窓辺に座るエレカの姿だけが目に映る。
ささやかに差し込む夜空の輝きが夜の闇を、冷たさを一層際立たせた。
隣家と違い、こちらの暖炉に火は入れていない。そうしろと言われたわけではないが、夜空を見上げていたエレカの姿から可能性の一つや二つは嫌でも浮かぶ。
いつまで続くかも分からない、けれどもいつかは終わると知っている穏やかな一時。
「これで隣が騒がしくなければ風情もあったんだがな」
結局、返せたのはそんな言葉だけだった。
本当に言いたかった何かが指の間をすり抜けていって、代わりにどうでもいい雑念や雑音が脳に巣食ってしまったようだ。
酒でも見つけたのか、隣家では男どもが騒いでいる。干し肉も明らかに食べきれない分を鍋一杯の熱湯と引き換えに渡してやったが、あんな固く塩辛いものでも竜寧山脈を越えた後ではご馳走なのだろうか。
まぁ、間違いなく死線と呼ぶべき道程だった。
エレカとも顔を合わせずに済むとなれば、緊張の糸が切れてハイになっていても不思議はない。
そんなの、どうでもよかったはずなんだが。
「連中、自分たちが囮にされていると気付かないものかね」
エレカは笑みの色を変え、俺と壁越しに馬鹿騒ぎの様相を見通そうとするかのごとく目を細める。
「どこかでは察していて、だから騒ぐしかないのかもしれないがな」
「なるほど。危険から目を背けるというのも、確かに立派な生存本能だ」
「ほう? 意外と優しいもんだな」
冷たい風がお湯の温かさを一層感じさせ、気を緩ませたのかもしれない。
口が滑っていたと、言葉を返されるまで気付かなかった。
「私たちも、森に生きていた頃はそうだったかもしれないからな」
熱くも冷たくもない声。
眼差しを再び窓の外へと向け、なんでもないことを呟くかのようにエレカは零す。
「目を背けて安心するのは愚か者か? では、そもそも知らぬがゆえに安寧を疑わなかった者は?」
「難題だな、それは」
「そうだとも。答えはない」
夜は必ず明けると疑わずに眠った者たち。
もしも来ることのない朝を知らないまま永遠の眠りに就いたとしたら、それは愚かか? 人生の終幕として、あるいは最も幸運な形かもしれない。
望んで手に入るとは限らないものを、偶然にせよ手にできたなら愚かとは言えないのではないか。
翻って、足掻いても意味などないのに足掻き続け、残された時間を浪費していくことを愚かと言わずなんと言おう。
然りとて、答えはない。
出ないのでもなく、出せないのでもなく、最初から用意もされていないのだろう。
「無知は至福、とは言うけども」
「なんだ? 誰かの格言か何かか?」
「さてな。昔からよく使われる言葉だ。知らないことは幸せなことだと、そういう意味合いで」
よくある話で、時にそうとも言えるし、時にそうではないとも言える。都合の良い時にだけ使われる、大した意味はない言葉。
だから別に、敢えて否定することもない。
しかしエレカは、窓に向けていた視線をこちらに戻してまで笑ってみせる。
「私は嫌だけどな、何も知らないなんて」
もう迷わない、最早悩む余地などないと断言しよう。
爛々と、それでいて昏く輝く瞳の主は、エレカ・プラチナム・アーレンハート。いずれ世界に凱旋する、今はまだその席に就いていないだけの覇者である。
「祖父を友と呼んだグレイの言葉、疑いはすまい。ならば祖父にとって、グレイは友だったのだ。そして凶報を告げた使徒を友としたなら、知ってしまったことを嘆くことはないだろう」
森を神とし、全てを捧げんとした者。
己が使命を果たすため、その森を燃やさんとした者。
そして誇りを守らんと、森を燃やした者たち。
それでも森を守ろうと、身を捧げた者たち。
「知らぬは幸福と暖かい布団で朝を待つ? たとえ祖父が、父が、プラチが認めてくれようと、この私が我慢ならん。いっそ恥ずかしくて顔から火が出かねん」
また目が合う。
笑ってやれればよかったのだが、如何せん冗談としては出来が悪すぎた。
「……まぁ、今のお前なら不可能じゃないんだろうけどな」
「ノリが悪いな」
堂々言われ、肩を竦める。
「無茶を言わないでくれ。災禍と祝福、相反する運命を背負おうとも、カレン・アーレンハートはただ一人。二人いるお前と一緒にしないでほしい」
「む……、プラチはもう妹なんだが」
向こうは向こうで姉ぶっていた気がするが、それは言わぬが花というやつだろう。
「けど、そういうお前ならどうだ?」
火は出せない。
言ってやろうかとも思ったが、エレカの目を見てやめた。笑っていても、笑っていない。
これでノリに合わせろというのだから、我が女神様は我儘が過ぎる。
「五十年前に死んだ者たちを幸運だったと思うか?」
「五十年?」
「終焉の結末など予想だにせず、明日は今日より良くできると信じて疑わずに生きて、そのまま死んでいった世代だよ」
なるほどな。
干魃にも見舞われず、帝国はその隆盛を謳歌し、時に不作や政争はあったにせよ王だの神だのが跋扈することのない世界。
それはなんと素晴らしき世界だろうか。
だが、悲しいかな。
その世界に、果たして月は輝いていたか?
「御免だな、そんな世界」
「理由を聞いても?」
何故、と直截に聞かないのが答えではないか。
「答えると思うか? 馬鹿馬鹿しい」
「どうして? 私はこれでも真剣に話してたつもりなんだけどな」
「それこそ馬鹿げてる。真剣にする話でもないだろう?」
きょとんと分からぬ風な顔をして、これで本当に分かっていないのなら底抜けの馬鹿と呼んでやろう。
俺の女神様は、年端もいかぬ小娘なのだ。
他に理由が必要か?
「待て、カレン。恐らくだが話がどこか……」
「……? 話のどこが、なんだっていうんだ?」
不意に断ち切られた言葉。
漂う沈黙の意味と行方を訊ねようと改めて口を開きかけ、その直前で遮られた。
「星が隠れてきた」
「は……? 星?」
自分で零した声の意味を探るかのように視線が窓へと吸い寄せられ、そこで自覚する。
馬鹿は、俺か。
「空の上に神はいないが……どうだろう、運は私たちに味方すると思うか?」
誰に訊ねるでもなく、エレカが呟いた。
けれど答えるのが、馬鹿を演じた俺の役目なのだろう。
「空の上に神はいなくとも、俺の知る女神様は運など意に介さず力尽くで引きずり出す我儘娘だ」
広がりだした雲は刻一刻と空を覆い、灯りのない屋内を照らしていた輝きも消していく。
人は夜闇を嫌うものだが、その道理は獣と神には通じまい。
「話が噛み合っていないような気がしたが、その分だと余計な感傷は脇に置けたらしいな」
「そんなもの、とっくに置き去りにしていたさ。……ただ、勝手に悩んで、勝手に迷っていただけだ」
「なら、迷路からは抜け出せたと」
「あぁ、お陰様で」
空の月が消えようとも、俺の中で闇は晴れた。
「だから……仕返しってわけじゃないが、無粋を承知で聞かせてくれ」
「仕返しされるような仕打ちをした覚えはないけど、強いて聞くなら答えよう」
尊大に、女神が笑う。
獣毛で顔を覆った俺が台詞じゃないが、差し詰め舌舐めずりする獣のようだった。
しかし獣ではないし、いずれ女神などという呼び名も相応しくなくなる。
「神の一人ではなく、時代の覇者となった暁に、何を世界に願うんだ?」




