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100話 無法と無法

 どこまでも闇が広がる。

 魔眼王が開いてみせた道と似通っているのは、その闇色だけか。

 足場は今にも崩れ落ちそうな不安定感を覗かせ、どことなく腕に抱えたマオに重なる。

 まさに義眼を用いる当人の心理的、身体的状況が反映されるのかもしれない。

「ぃぐ……っ」

 こんな足場だ。

 気を遣っていても歩く度に振動は腕に伝わり、喉の奥で潰したようなマオの声が零れる。

 そう長いこと歩いてきたわけでもないが、そろそろ限界じゃないのか。もしも道中でマオが息絶えたら、この道はどうなるのだろう。途端に潰れ、俺たちはどことも分からぬ道に埋もれて死ぬのか?

 身の安全を考えてというより、まさか考えなしじゃあるまいな、と釘を刺すつもりで口を開く。

「なぁ、エレカ。これは持つのか? もし――」

「気にするな。その時は私が継ぐ」

 にべもない、気にせずにいられるどころか余計に心配になる答えが返された。

「フハ、ハハハ。あん……あんずる、ことは」

「お前は喋らなくていい」

 喋る体力は残されていた、そう喜べばいいのか?

 雑念を払おうと首を振りかけ、それさえ抱きかかえたマオには負担だろうと前を見る。

 その時、不意に闇が揺らいだ。

 温度のない奇妙な風が頬を撫で、毛を揺らす。背中の方から、俺たちを追い越すように吹く風。

 前に開けた空間があるのに、吹いたのは追い風?

 妙じゃないか、とエレカの背中に言いかけた矢先、その背中越しに声が投げられた。

「そいつを貸せ」

「そいつ?」

「マオだ」

 言われてみれば、俺とエレカの他にはマオしかいない。

 だが、貸せとは?

 意図が分からず逡巡する俺に、エレカが突き付けてきたのは些かの切迫感を帯びた声だった。

「マナが流れ出てるんだ。道が壊れるかもしれない」

 その言葉が意味するところは何か。

 予想できてしまった可能性を、しかし首を振って振り払う。

「出た後の状況が読めない。カレンの両手が塞がるより、私の動きが幾らか鈍る方が対応できる幅が広がる」

 エレカの言葉は正しい。

 そして恐らく、言葉の奥に秘められた判断力も。

 腕の中で力を失っていく少女を有事だからと、あるいは既に事切れたからと、投げ捨てられる自信が今の俺にはなかった。昔なら、できると言い切ったかもしれないが。

「……頼む」

 それ以上のことは言えず、ただ委ねるしかなかった。

 幸いマオも話を聞き、理解するだけの余力はある。俺の腕からエレカの背中に預けるまでに時間はかからなかった。マオの小さな尻をエレカの左手が支える格好になる。

 それで安堵したのか、はたまた単なる偶然がここまでの猶予をくれたのか。

 まるで夜が明けるように、闇に満ちていた道に光が迸る。前から後ろへ。光が吹き抜けたかと思った矢先、生臭いものが鼻を撫でた。

「草……?」

「違う、山だ」

 エレカの声に、はっと見上げる。

 高く伸びた木々の頭上に、また別の木々。その足下を青臭い風が吹き下ろしてくる。

 確かにこれは山だ。

 ただ、果たして――

「あ、……あァ!?」

 瞬時に意識が切り替わる。

 声。男のものだ。そう判断できた時には、反射的に身体を向けていた。右手。

 二人組の男が俺たちを見、愕然とした表情を顔一杯に張り付けている。

「いつの間に――や、その前に誰だッ!?」

「獣化症? 女……妙だぞ? あれがエルフか?」

 素っ頓狂で間の抜けた声が続く。

 どうすべきか。

 一目見た限りでは、二人とも丸腰。佇まいも、なんとまぁ頼りないことか。やろうと思えば一分とかからない。

 ちらりエレカに目配せしようとした、その時。

「聖都は……!」

 そのエレカが、いつにない甲高い声で悲鳴のごとく叫んだ。

「聖都までは、あとどれくらいありますか! 見ての通り、私たちには事情があります。どうか人助けのつもりで――」

「……なに言ってやがんだ、あの女」

 吐き捨てるというより、いっそ怯える声音だった。

 男たちの正気を疑う眼差しが俺にまで注がれる。そりゃそうだ。いきなり聖都? 何を言い出すのかと思えば。

「まぁいい。おい、お前。聖都に用があんだな?」

「はい!」

「なら俺たちに付いてこいよ。ちょうど聖都に向けて山を越えようって」

 と、そこまで言ったところまでが男の人生だった。

 エレカの剣が、空を切っている。

 男の胴は、焼け爛れていた。……否。胴の断面は、と言うべきか。腹から胸までを消失し、かろうじて残った肩と首が地面に落ちる。下半身も後を追った。

「動くな。手を上げろ。逆らえば貴様も殺す」

 マオを背負ったまま、片手だけで全てをやってのけたエレカの言葉。

 もう一人の、まだしもマシな体格だった男が悲鳴も上げられずに仲間の死体を見下ろしている。

「やりすぎだ!」

「ここが聖都ではないと、竜寧山脈を挟んだ反対側と分かった今、誰にどんな容赦がいると?」

 箍が外れたか。

 分かってはいたが、ここまで手が早いとは思わなかった。容赦の必要がないとしても、殺す必要があったか? 一体どこにそんな道理が……。

 しかし、問答に費やす時間がないのも事実だ。

「まっ、待ってくれ!」

「黙れ。貴様は聞かれたことだけ答えればいい。そうすれば殺す手間くらい惜しんでやる」

 咄嗟にはどちらの意味の言葉なのか分からなかったのだろう。

 しばし場違いに思案する顔を見せた男が、一秒か二秒の後に慌てて何度も頷いた。

「分かった! 分かった! なんでも答える!」

「貴様、他に仲間がいるな?」

「あぁ!」

「名は?」

「名? 名前? なま、なま……ロベっ!」

 眼球がぐるぐると回っている。

 今にも血管が千切れて眼窩から零れ落ちるのではないかと見ていて不安になる形相で奇声を上げ、男は動きを止めた。エレカが剣を握り直す。男はそれで現実を思い出したようだった。

「ロベルトって男だ! ろ……ローゼン? そう、ローゼン・ロベルトとかいう左目の、違う、左目がない大男だ! そいつがここら一帯取り仕切ってやがる! 本当だ! 信じて」

「黙れ」

 喉がきゅっと締まる、その音まで聞こえてきそうな表情だった。

 ロベルト。

 ローゼン・ロベルトなる人物は知らないが、ロベルトという名前だけなら知っている。あとはローゼン義勇団。オルサ跡地を居城としていたならず者たちの長だが、こんなところまで南下してきていたのか。

「カレン。使えるか?」

「拙速か巧遅か、選ぶのはお前だ」

「……分からん。分かる言葉で喋ってくれ」

「目の前の道を急ぐか、情報を持っていそうな奴を脅してみるか」

 男は今も生きた心地がしない面持ちで俺たちを見ている。

 心なしか、俺がエレカを説得していると誤解している節があった。眼差しに懇願する色が見えた気がしたのだが、気のせいであってくれたら幾分か慰めにはなる。

「お前はどう思う?」

「俺の知るロベルトなら、どうしてこんなところに居着いているのかは気になる。オルサに何かあったにせよイスネアが無人だ。あそこを通り過ぎて竜寧山脈まで来ながら、どうして聖都まで行かない?」

 心得のない者が容易く越えられる山脈ではないにせよ、あの男が教会への義理立てなど考えるとも思えない。

「し、知ってるぞ!」

 不意に男が叫んだ。

「そうか。情報を持っていそうな奴を脅すとしよう。……ほら、貴様が先導だ」

 今日生き延びたら明日がある。

 明日があるなら明後日だってあるかもしれない。

 まさに今この日まで、そうやって生き延びてきた者たちだ。命を嗅ぎ分ける嗅覚は鋭い。

 ローゼン義賊団で見かけた例外は、そういえばアカラト湖に散った。命の匂いよりも、もっと別の匂いに焦がれて散った。どちらが正しい生き様か、それを語る権利は俺にはない。

 眼前の男は最早、エレカの忠犬であった。見えない尻尾をルネやフシュカよりも振っている。二度言われた『黙れ』の三度目は言葉ではなく剣だと本能的に理解しているのだろう。

 命じられるがまま黙って歩き、俺たちをそこに案内した。

 一帯は起伏が多い。

 赤茶けた土が延々続くせいで少し離れるだけでそうと分からなくなるが、身の丈を越える深さの穴が急に出てくることもあった。

 そんな穴の一つに男がするりと降りていく。瞬間的に逃げるつもりかと背中を追いかけ、そこまでする必要もないと安全な足場を探し始めたところで、ようやく気が付いた。

 穴に天幕が張ってある。全体を覆い隠すほどではないが、奥行きだけで四、五メートルはある。幅はもっとだ。何メートルあるのか、一目では判断できない。

 男はその天幕の脇を降りていったのだ。

「罠の可能性も――」

「無視していい。こんなところに罠を張ってどうする?」

 俺の懸念をエレカが切り捨てる。

 まぁ、それもそうだ。たとえ罠だったとて、結局エレカは歯牙に掛けないだろう。

「じゃあ、俺が先に降りる」

「そんな気張らなくていいのに」

「阿呆。目は俺の方が良い。お前が足を滑らせて困るのはお前じゃないんだぞ」

 背中に抱えた命を忘れるな。

 赤茶けた穴……いや、大地の亀裂とでも呼ぶべき谷間に目を凝らし、微妙な影の濃淡を見極めて飛び降りる。立ち止まれるほどの足場になる場所はなく、そもそも体重をかけ続けたら崩れそうな突起ばかりだ。

 それで獣のように岩から岩へと何度も跳んで、ほんの数メートル下の最下層に降りるまでに三十秒かそこらかかってしまった。

 その俺のすぐ隣にエレカが着地すると、なんとも形容し難い面持ちで待っていた男が口を開こうとする。そして、やめた。死因が無駄口となるのは嫌らしい。

 背を向け、天幕の下へと歩きながら今しがた言おうとしたのとは違うであろうことを口にする。

「ここら一帯、夜になれば鳥の魔獣が襲い掛かってくる。この目隠しなしじゃ、岩の隙間で息を潜めて朝日を拝める時を待つだけだ。だからここじゃあロベルトが我が物顔ってわけだ。あいつが持ってきたもんらしいからな」

 らしい、か。

 こんな辺境にも流れ着く者がいる……というより、行き場を失った者が聖都を目指せば必然的に行き着く場所なのかもしれない。

 だが、何かしらの理由で竜寧山脈を越えることは叶わず、と。

 天幕の下は当然のごとく日差しが遮られ、夜闇を思わせる暗さがあった。といっても、闇ではない。月明かりが注いだ程度には光がある。

 やはり当然、壁面は岩が丸出し。暗さのせいで奥は見通せない。

 ただ、視線は通らずとも声は通った。

「……見回りの時間はまだのはずだが、客か?」

 聞き覚えのある声が暗がりから聞こえてくる。

「女が二人……あぁ、三人。頭に用があるそうで」

「女ァ?」

 下卑た笑い声が岩間に響く。

「それで律儀に案内したってか、貴様」

「まぁ、シーロが殺られまして」

「やられた……? そりゃあ、どういう」

 若干の緊張が走る。

 然りとて、若干でしかなかった。

 エレカもそれを感じ取って、音のないため息を零す。覗き込めば、目にはありありと呆れの色が浮かんでいた。

「狭い上に暗いのは御免だ。貴様が頭目だというなら出てきて話せ。然もなくば拠り所の天幕を斬り裂くぞ」

 脅しと言うには気の抜けた声だった。

 しかし中身はある種の死活問題。

「なんだァ? マジで女じゃねえか」

「頭、どうか出てきちゃもらえませんか! こいつらシャレになってねえんすよ!」

「まぁいいがな。サクサにも飽きてたんだ」

 サクサだと?

 なんだ、都合の良い女がいたのか。だとしたらロベルトよりずっと話が早い。

「サクサがいるってことはオッチもいるな? なぁ、出てきて話をしようじゃないか。次は親切な通りすがりが助けてくれるってこともないんだぜ」

 オッチ。

 巡礼者時代に顎で使い、外套を脱いだ後には半殺しにした男だ。その直後に通り掛かったグレイが助けたとは言っていたから、まだ生きているだろう。

 それ以前に、オッチのいないところにサクサだけいるのは不自然だ。

 サクサはオッチに救われた女。いっそ救われずに死んでいた方が、よほど救いだったかもしれないが。

 どうあれ、答えは一つだ。

「おいジジイ、知り合いか?」

「二度と出会いたくはない類いのな。……今行く。天幕は裂いてくれるな、これがないと」

「無駄口を叩く暇があるのか?」

 エレカの突き放す言葉。

「やれやれ、年寄りの身体が機敏に動くはずなかろうて」

 返される間延びした声に、さしものエレカも降参という顔で俺を見る。あとは丸投げ……もとい、俺に任せてくれるようだ。

「義賊さんは椅子持ってこい。客人だぞ、客人!」

「いらん。時間稼ぎはよせ。わざわざ腰を下ろして先手を譲る気もない」

「……ったく驕らねえか、流石は旦那だ」

 言葉だけ聞けばご機嫌取りだが、そんな間抜けを演じる男ではない。

「旦那? 女ってぇ話じゃねえのか? それに――」

 反応するのは、オッチとは別の聞き慣れた男の声。

 その怪訝そうな声が断ち切られたかと思えば、次の瞬間、呵々大笑と形容する他ない大きな笑い声が反響して聞こえた。

「そうか、そういうことかよ、畜生!」

 そうして見知った男が二人、穴蔵に等しい岩壁の隙間から出てくる。

 オッチとロベルト。

 それぞれ巡礼者時代に関わりを持った、ならず者の中のならず者。

「まさか禍福の兄貴が女だったとはな。外套に騙された……と言いたいが、まぁいい」

 刺青に隻眼、大木のごとき肉体のロベルトが見た目通りの威圧的な態度で俺を見下ろす。

 傍らでは対照的な、枯れ木のように老いぼれて見えるオッチが、面と向かっているにもかかわらず息を潜めて俺たちを観察している様子。

「で、なんの用だ」

「単刀直入に言おう。聖都に用がある。だが道中、かなり特殊な経路でここまで来て、現在地が分からない。ここは竜寧山脈の北か? 西か?」

「西だ」

 ロベルトが即答。

 それから思案顔で間を作る。

「シーロを殺ったって話だな。あんたの連れか?」

 視線で示す先にはエレカ。

 そういえば、暗がりの中からでは俺とエレカのどちらが喋っているのかまでは分からなかったはずだ。しかしロベルトは最初から俺を禍福と決め付けていた。

「話が通じる相手に見えるか?」

「いいや。今だって容赦がねえ。下手なことを言えば斬られると分かる」

「悪いが……や、悪いとは思ってないが、俺の制止を聞き入れるとも限らん」

 肩を竦めて言えば、事の深刻さは嫌でも伝わる。

 伊達に無法の中を生き抜いてきた男ではない。オッチにしてもそうだ。色合いこそ違えど、二人は曲がりなりにもならず者たちの上に立って無法の中に秩序を築くだけの知恵と判断力はある。

「悪口とは捉えないでおこう。それで? 貴様らは何故こんなところにいる?」

 エレカが笑って言うが、言われた側は笑えない。

 性急な物言いすら余裕がないのではなく、わざわざ余裕を見せてやる必要もないのだと言外に漏れ出ている。

「俺らも聖都に用があって、まぁ要するに山越えする気で来たんだがな、そうもいかなくなったわけだ」

「理由は?」

「魔獣だ、魔獣。竜寧山脈は昔っから妙な話が絶えねえ場所で、だから俺らも近付いてこなかったんだが、今はもっとひでえ。あそこは魔獣の巣窟と化してやがる。登り始めてすぐに見たこともねえ魔獣が襲ってきて、逃げ帰った後も夜の度に人食い鳥が一晩中喚き続ける有り様だ」

 人食い鳥。二ツ目烏のことだろう。

 エレカもひどい目に遭ったが、山の麓なら尚更だ。それで天幕が欠かせないのか。

「かといって、北東まで迂回する余力はないと」

 ロベルトが苦々しく頷いた。

 竜寧山脈は大きく湾曲した形の山脈だ。聖都の西から北までをぐるりと囲むように聳え……というか、聳える竜寧山脈を天然の防壁として聖都が築かれたのが正しい順序だろう。

 そんな西から北に湾曲した山脈の東の果てが聖都唯一の出入り口となる。

 実際に目にしたことはないが、緋色を含め何人かの巡礼者は通ったことがあるという話だったから、ルージュが敵を念頭に流した偽情報の線も薄い。

 ただ、そこまで徒歩で向かうのは現実的ではないだろう。

 理由はさておきオルサの跡地を去る決断をしたロベルトたちにしても、マオの義眼頼りでまともな旅支度もしないまま帝都を後にした俺たちにしても。

「なら、答えは一つだ。山を越える」

「自殺行為ですぜ、お連れさん」

 オッチが笑うように言う。

 善意かその類いではあるのだろうが、エレカが聞く耳を持つわけもない。

「私の前に立ちはだかること。自殺行為と呼ぶなら、それこそが自殺行為だ。そも助力を求めるつもりもない」

 実際、ここに立ち寄ったのも現在地の把握が目的だ。

 聖都とは反対に位置する竜寧山脈の西側なのだと分かっただけで、そしてそれがロベルトが咄嗟についた嘘でもない限り、俺たちがここに残る理由はない。

 それに助力を求めたところで足手纏いにしからないだろう。

 思ったが、エレカは予想だにしなかった言葉を続けた。

「しかし、貴様らが助力を乞うのであれば、無下にはすまい」

「なんだと?」

 声を上げてしまったのは他ならぬ俺だ。

 わざわざ足手纏いを連れていく理由がどこにあるのか。まさか善意を差し出せば善意を返してもらえるなどと、以前ならともかく今のエレカが考えるとも思えないが。

「なんの意図があって?」

「餌だ」

 飾ることもなく吐き捨てられた言葉。

「餌?」

 怪訝そうに鸚鵡返しにするロベルトの横で、オッチは片目を瞑って何やら思案する。

「聖都に用があるというなら私たちが露払いしよう。代わりに、貴様らの中で遅れた者がいるなら邪魔な魔獣を引き付ける餌となってもらう」

「お、おいっ! 餌ってマジの――」

 案内役の男が、そこまで言って黙った。

 エレカが腰の剣に手を伸ばしかけたところで、ロベルトが睨んでそれ以上を言わせなかったのだ。

「ここで飢え死にしたいならすればいい。どうあれ、私たちは聖都に行かねばならん」

「理由を、聞いても?」

 それさえロベルトにとっては息が詰まる綱渡りだっただろう。

「オールドーズが謳う神、ルージュという名のそいつが邪魔でな」

「……巡礼者を連れて、か?」

「これはもう教会のものではない。私のものだ」

「背中のガキは?」

「故あって連れてきた。貴様が気にすることではない」

 マオは静かだった。

 喋る余裕もなくなったか、あるいは疲れ果てて眠ったのか。どちらにせよ、ロベルトやオッチに何を言われる道理もない。

「仮にだが、仮に山脈を越えられたら、その後は?」

「好きにするといい。……いや、待て。状況による。助力しろとは言わんが、好き勝手に略奪されても困る」

「従えば、ある程度の略奪は許すって?」

「私は聖都の土地勘がないからな。ただ案内人さえ用立てられれば、あとは私の知るところじゃない」

 ロベルトがちらりとオッチを見やる。

 付き合いはそう長くないはずだが、ならず者同士、通じ合うところでもあったか。オッチの知恵か何かを買っているらしい。

 オッチは思案顔のまま首を横に振った。直後に浮かべたのは、諦観も感じさせる表情。

「出るとすれば、いつだ」

「今」

「十五、いや十分くれ。まだしも登りやすい場所を教える」

「手を打とう」

 頷くエレカには何も言わず、代わりに「支度だ!」と叫びながらロベルトが暗がりに戻っていく。案内役の男は、その言葉に従うというよりエレカから逃げるようにして後に続いた。

 残ったオッチに、エレカが声を投げる。

「貴様はオッチといったな? 先に案内しろ。前に何があったのかの説明も」

「そりゃあオレたちを信用するってことで?」

「頭が回らず鼻も利かない間抜けなら今頃生きてはいまい。それで貴様の頭と鼻は、どうするのが正解だと?」

「オレぁこの通り老いぼれだ。あんたらに付いていけると思うか?」

 それが何を意味する言葉なのか、すぐには判断しかねた。

 エレカも同じはずだが、返す言葉に躊躇は覗かせない。

「ここで斬られるか、山で獣に食われるか、案内だけして逃げ帰るか、今だけは選ぶ自由をやろう」

 元々エレカはロベルトたちを好いてはいなかった。

 そうする必要があるからと見逃していただけで、したくもない容赦など必要がなくなればしないだろう。

「そう急いてくれるな」

「次は斬る」

「山登りってのは最短距離を歩きゃいいってもんじゃねえ。あんたや旦那なら無理すりゃ行けるかもしれねえが、それだけ余計に体力を使うわけだ」

「つまり?」

「道案内ってほどのもんじゃねえが、オレの助言には耳を貸すべきだ。オレのためにも、あんたらのためにも」

 エレカも森は歩き慣れていても、山はどうか。

 そもそも山脈を越えるのに何日かかるかも単純に計算できるものではない。道中で魔獣に襲われるとなれば尚更。昼も夜もなく狙われ続けたら、それこそ山を焼き払う覚悟で進む方がマシな状況になるかもしれない。

 それくらいの計算は頭の中でしていたのか、ちらりと俺を見てくる。まだ理性はあるようで何よりだ。

「その都度、俺が判断する。それでいいか?」

 エレカが頷く。

 当然、オッチも満足げに頷いた。

「だが待つ気はないぞ」

「大丈夫だろう、そいつは見た目の数倍は健脚だ」

 視線だけ返したエレカは、それ以上何も言わなかった。

 オッチもこれ以上は命の危険があると察したか、無駄口を叩くことなく案内を始める。

 山脈の入り口とでも言おうか。

 人為的に切り開かれたと思しき茂みの切れ目は、進む先の険しさを一目で分かる傾斜と足場の悪さで教えてくれていた。

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