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98話 その道の果てに

「諸君、よくぞ戦い抜いた!」

 底の抜けた叫び声。

 何が始まるのかも分かっていなかった者たちは、何が始まったのかも分からず戸惑いの色を覗かせる。

 居並ぶのは、戦わぬ戦いを終えた帝国軍の兵士たち。

 彼らの前に立つのは、二人の女。

 一人はエレカ・プラチナム・アーレンハート。見かけにはエルフの小娘でありながら、実態は何か別の異様なものだと既に周知されている。エルフの王という自称を疑う者すらいないほどに。

 そんなエレカに並んで立つのは俺、ではない。

 皇帝の姪、今回の皇宮奪還を画策したフリーデリンデ殿下その人である。

 二十年か三十年前の皇帝を女にしたらこんな姿になるのだろうか。そう思わせる、凛とした高潔さを体現する人物だった。

 その二人が並んで姿を見せたのだから、兵士たちも何が始まるのかと身構えて然るべきだ。

 にもかかわらず、第一声があれ。

 なんと帝国軍、メイディーイル軍の双方に怪我人の一人すら出さないという、奇跡的なまでの不毛な睨み合いを演じてきた彼ら。

 無様と笑われるならまだしも、平和主義者と皮肉られるならまだしも、戦い抜いたと称賛される謂れはないだろう。

 あるいは最上級の嫌味かと、相手が相手でなければ怒号が飛び交っても驚きはしない。

 急ごしらえの壇上で、ゆえにエレカは言い放つ。

「何が戦いかと、諸君は思ったことだろう。戦ってなどいないと。だが、それこそが答えなのだ」

 そして、ちらりと横に目をやる。

 フリーデリンデ殿下は、その視線を小さな首肯で受け止めてみせた。

「国の有事を前にしても隠れ潜んでいたこと、まずはお詫びさせてください」

 開口一番、告げられた言葉にどよめきが広がる。

 皇帝その人ではないにせよ、殿下と呼ばれる者が口にする謝罪が持つ意味は大きい。

 国の舵取りを任された――否、他の者には決して委ねず一族の権限としてきた帝室にとって、国を正しく導くことは目標ではなく義務なのだ。それができなければ、民の上に立つ資格などない。

 なのに、間違えましたと非を認める?

 帝室とてヒュームであり、生きた人間たちだ。絶対は有り得ないと知っていながら、帝国に生まれ育った者はどこかで絶対視してしまっている。

 その謝罪が招くのは怒りでも反感でもない、当惑だった。

「わたくしたちは見誤っていました。敵と味方を取り違え、汚名も顧みず帝国のために立ち上がった方に剣を向けたのです。この罪は、ですから彼のためにわたくしの口から伝えなければなりませんでした」

 帝国のために立ち上がった者、それはいったい誰なのか。

 シュトラウスか、それともフルートか。

 答えを待った兵士たちにもたらされたのは、だが、フリーデリンデ殿下の言葉ではなかった。

「さて、諸君に問おう。諸君の見てきた敵とはなんだ? 諸君の、その家族の、延いては帝国の敵とはなんだった?」

 返される声はない。

 当然だ。兵士たちは耳を傾けることを義務付けられ、一方で発言の権利など与えられていないのだから。あまりの衝撃に囁き声を漏らすことはあっても、エルフの流儀で語りかけられたところで答えようがないのだ。

 そもそも誰も彼もが好き勝手に喋り出したら、これほどの人数に声を届けるなんて不可能だろう。

 この手の常識はエレカにも伝えておいたのだが……。

 流れた沈黙が困惑を呼び、誰かが声を上げるべきなのかと辺りを見回す者まで出始めた頃。

 エレカが、自らがもたらした沈黙を破った。

「今、諸君が思い描いた敵。それは全て幻だよ。欺瞞でしかないのだよ」

 嘲弄めいた声音。

 誰も声には出さなかった。声には出さずに、あれが敵であろうと共有したはずの何か。

 それは何か。

 シュトラウスか、フルートか。魔王や魔神、イスネアやエルフか。――否。

「飢餓が、干魃が、マナの枯渇こそが諸君の国を蝕み、少なくない同胞を死に追いやった最大の敵である。違うかッ!」

 聞き違えようのない、それは怒号だった。

「私の森は滅びた。私が愛した、私を愛してくれたエルフの森は既に滅びたのだ。豊かなマナに支えられてきた我々エルフは、命の源たるマナの枯渇に為す術を持たなかった。ヒュームに、諸君に助けを乞うべきだ。互いの技術と知識で助け合うべきだ。それしかないと悟った時には、手遅れだった」

 真実とは違う言葉。

 しかし、それでいて嘘で塗り固められた言葉というわけでもない。

 だからこそ、届く。届いてしまう。

「元来、マナとは流転するものだ。数百年、数千年という遠大な時の中で、マナは世界中を巡る。私とて己の目で見てきたわけではないがな、これこそマナの枯渇の原因だ。エルフの王たる私であっても、抗うことなど叶わぬ世界の必定だった」

 エルフの王に叶わない。

 では、ヒュームの王であれば? 帝国の皇帝であれば?

 答えは、変わらない。

 皆が思い描ける。既に嫌というほど飢餓を味わわされてきた。干魃も生活していれば気付かないはずもない。その原因にまで繋げて語られれば、否を唱えられる者もいなかった。

「エルフとヒュームは、今この世界に生きる人間同士として手を取り合わなければならなかった。私が気付いた時には既に遅かったが、諸君にはまだ同胞がいる。国がある。未来のために、生まれてくる子供たちのために、武器を向け合うのではなく手を取り合うことができたはずだ」

 微かな違和感に気付けた者がどれほどいるか。

 その人数に、あまり意味はない。気付いた者が息を呑み、隣に立つ者が息を呑んだことで気付かなかった者も何かを悟る。

「どうして諸君は武器を取った? どうして支え合えたはずの同胞と戦場で出会わなければいけなかった? 思い出してほしい。干魃さえも予言し、権力者に取り入った者たちがいただろう」

 疑問を抱く者はいた。

 猜疑心を通り越し、明確な敵意を向けてくる者も。

 そうした考える脳みそを、蹴散らしてきたのが俺だった。

 オールドーズ教会の巡礼者――、禍福と呼ばれていた頃の俺。

 全てを知る者はいなくても、巡礼者とは何者かを知っている……いや、知っているつもりの者は多い。国を守らんとする兵士であれば、全ての者が知っていて当然だろう。

「私は見た。メイディーイルで、たわわに実る果実を見た。優れた知恵と技術を持った者が、本来であれば流転するはずのマナを固着させる方法を編み出したのだ。諸君も口にした、メイディーイル産の果実。それにこそ活路があった」

 エレカは一転、静かな声音でそっと零す。

「森は救えなかった。しかし、帝国は? 幸いにもマナの枯渇が森より遅かった帝国の地は、そうして与えられた時間で活路を見出した。諸君は敵と戦うための武器を手に入れた、はずだった」

 誰もが聞き入る。

 時に絶望してしまうほどに苦しめられてきた飢餓。その原因を語られて、眉唾だと笑い飛ばせる者はいない。ましてや相手はエルフの王だ。己の森を失ったと悲痛に語る。

 その悲痛さが嘘ではないからこそ、言葉は染み渡って心を掴んだ。

「だが、オールドーズの巡礼者が、メイディーイルの森に使われるはずだった薬を外部に持ち出した」

 吐き捨てられた真実。

 真実ではあるが、まさに持ち出した本人が打ち明けているなどと誰が想像するだろう。

「無論、根拠もなく言っているわけではない。宰相が……いや、シュトラウス公爵閣下が証拠を掴んだのだ。そして驚くべきことに、その取引はメイディーイル領主フルート公爵の館にて行われた。なんでも手形とかいう、公爵家が発行する代物が使われたことを閣下が掴んだらしいが、エルフの私には少し難しくてね」

 諸君には分かるのかな、などと自嘲気味に笑ってみせる演技力たるや。

 いっそ反吐が出る。

 それほどまでに、エレカは嘘を真実にすげ替えてみせた。

 手形の意味を理解していないことまで嘘偽りのない真実なのだ。取引に使われたこともまた真実であり、それを今シュトラウスが握っていることも語られはしなかったが真実である。

 どうしたら根底にある欺瞞にまで目を凝らせるだろうか。

「ところで諸君、最早自明ではないか?」

 嫌悪感を露わに獰猛な笑みを作ってみせれば、戦いに赴きながら戦わずに帰った兵士たちは引きずられる。

「蛇の道は蛇だ。魔王と手を組んだ閣下の、その手が綺麗か? 否である。メイディーイルに潜ませていた間者から取引を聞かされるや、閣下は魔物を送り込んだ。目的は当然、マナを凝縮させた薬をメイディーイルの外に持ち出させないためである」

 順番が逆だ。

 ところで、それを知っている者がこの世界に何人いる?

「しかしオールドーズの巡礼者は、この魔物を葬り去った。巡礼者の名は緋色、そして禍福。私も幾度か耳にしたことのある、要するに教会の虎の子というわけだ」

 これほどの喜劇を、俺は人生で味わったことがない。

「それでは諸君、答え合わせをしようじゃないか。諸君の敵はマナの枯渇……の、はずだった」

 しかし、今は違う。

 言外というには直接的すぎる誘導だ。

「マナを固着させ、凝縮した薬は万能薬たり得る。果樹だけでなく、いずれは野菜にも使えたことだろう。その野菜は諸君の口に入るし、家畜を育てる餌にもなった。全ての源たる薬を、どうしてメイディーイルの領主は、フルート公爵はオールドーズの巡礼者に差し出したのか」

 エレカが笑う。

 邪悪と言っていい、あまり見たくはない笑みだった。

「そういえば、メイディーイルで魔物と戦った巡礼者はもう一人いたらしい。名は剣閃。フルート公爵が自ら名付けたという話じゃないか。そして不思議なことに、先の戦いでアカラト湖に姿を見せた男も剣閃と名乗っていたな。あの男は魔剣の使い手だった。人の身でありながら魔物を討ち倒す、まるで勇者のような活躍にも納得がいく」

 毒だ、それは毒。

 答えを、万能の解決策を求める者たちに、一つの可能性を指し示すのだから。

「さて、諸君。先の戦いにおいて、異形の咆哮を耳にした者はいるか? 天を貫く光を目にした者はいるか? なぜ異形どもは、超常の力を持つ者たちは、メイディーイルに味方した? ――いいや、それだけじゃない」

 エレカが、拳を握る。

 力強く、そこに見えない敵がいるかのように、奥歯まで噛み締めて。

 直後に口は開かれるも、拳は強く強く握り締められたままだった。

「あれほどの力、どうやってメイディーイル軍は、フルート公爵は手にできた!」

 叫ぶ。

 悲痛に。

 聞く者を引き込む所作とともに。

「私の同胞はこの戦いで命を落とした。閣下に協力した最後の魔物も敵の前に散った。かろうじて勝利こそ掴めたものの、辺り一帯は見る影もない惨状である。何故だ。どうしてヒュームの軍隊だったはずのメイディーイル軍が、これほどの暴威を振るうことができた!」

 腹の底から震えてくる。

 俺ですら錯覚するほどに、兵士たちが震えていた。拳を握り、足を踏み鳴らし、中には声を上げる者もいる。

 異常、異質、ゆえに皆、引きずり込まれた。

「諸君、よくぞ戦わない戦いに勝利してくれた。諸君の前に待っていたのは、味方なのだ。敵に扇動され、寝返った公爵に命じられ、その意味も分からず戦場に送り出された同胞だったのだ!」

 何か場を支配する、意思を持った熱が漂っているかのようだった。

「支え合うべき諸君を、帝国の剣を他ならぬ帝国に向けさせたのは誰だ! マナが失われゆく時代、その独占を目論んだ者は誰だ! 帝国を分断させて喜ぶ者は誰だ! 自明である! 偽りの救済を叫び続け、その裏で命の源を奪い取ったオールドーズ教会に他ならない――ッ!」

 怒号が、怒号のまま喝采と化した。

 振りまかれた怒りが大地を踏み鳴らし、叫ばれる怒りが扇動者を持て囃す。

 滑稽と笑える者がいたら、そいつに人の心はないのだろう。

 俺にすら、まだ人の心はあったらしい。

 いっそ恍惚にも見えるエレカの瞳に燃える憎悪は、嗚呼、やはり真実なのだ。

「皆さん、わたくしの言葉を聞いてください! 耳を傾けてください!」

 熱気に当てられ、紅潮しながら叫ぶ人物がいる。

 手の平の上で踊っている自覚など、ありはすまい。ともに戦うのだと、生まれ持った高潔さが信じ込んでいる。

「わたくしたちは騙されていたのです。敵にも、そして味方にも。しかし味方の嘘を、その偽りを責めることはできません。何故なら、わたくしはその時、まさに敵に騙されていたのですから」

 決して若くはないが、美しく気高いフリーデリンデ殿下の悲痛な叫び。

 騙されていた。

 帝室が騙され……つまりは、帝国が騙されていたのだと。

 帝国に生き、帝室を信じ、未来を求める者たちは鵜呑みにする。

「誰か、誰でも構いません。魔王をその目で見た人は? わたくしはシュトラウス卿が魔王と手を組み簒奪を企てたと聞かされていました。伝説に謳われる魔王を前にしては、抗う術もないのだと。そう疑いもせず隠れ潜んでいたのです」

 真っ赤な嘘は、しかし、語る人間だけは真実と信じて疑わない。

 ゆえに、傾けられた耳は真実味を聞き取ってしまう。

 有史以来のどんな詐欺でさえ、今ここで繰り広げられている欺瞞と比べたら子供の飯事だ。

「あなた方が戦いに赴いた隙を狙った、卑怯なわたくしを笑ってください。我が身が魔王の前に散ろうとも、この苦難の時代に帝国は再び一つにならなければならないと思ったのです。しかし、皇宮の奪還は無抵抗のまま成し遂げられました」

 麗しく気高い決意。

 それが肩透かしに終わったのは、何故だったのか。

「皇宮のどこにも、魔王などいませんでした。誰一人として、魔王の姿を目にした者はいないのです。反乱を主張した公爵が魔王の名を出し、魔王の配下だったという魔物の力を誇示した。それで誰もが、魔王の存在を信じてしまったのです」

 だが、どうしてそんなことを?

 魔王……ではないが、そう名乗る存在を直に見た俺だからこそ、疑念はより強くなる。

 そんな思いさえも見透かされているのだろうと、あまりに自然にフリーデリンデ殿下の後を継いだエレカの声が教えてくれた。

「だが、諸君なら分かるだろう? 帝国にとって帝室とは、皇帝とは柱なのだ。私たちエルフが森を、神樹を愛したように、諸君もまた帝室と皇帝に誓ったはずだ。その忠誠心は、時に諸刃の剣となりかねない」

 帝国に生きた者の気持ちは、エルフには分からない。

 しかしエルフにも、同じように思う心はあるのだと。

 よくもまぁ、つらつらと耳心地の良い言葉を見つけるものだ。

「反感を承知で、ありのまま言おう。敵に、帝室の利用価値を認めさせなければならなかった。宰相オイゲン・シュトラウスこそが悪であり、帝室は依然として帝国の民とともにある。そう敵に信じ込ませることが、帝室を守る何よりの盾だったのだ」

 だから自らも魔王に招かれたなどと、真実とは異なることを口にした。

 そう弁明したつもりかもしれないが、そこまで気が回った者がいるかは甚だ疑問だ。

 なにせ、彼らは熱狂している。

 己が規律を旨とする兵士であることさえ忘れたか、無邪気な子供のように帝国の民であることを誇りに思い、露わになった敵に闘志を燃やしているのだ。

「しかし、諸君。苦しい戦いは結実した。他ならぬ諸君の奮闘によって、敵は帝国の分断という大目標を断念せざるを得なくなったことだろう。帝国人は、純然たる帝国人である。帝都にあろうと、メイディーイルにあろうと、気高き公爵に導かれようと、裏切りの公爵に騙されようと――。等しく帝国人であると、諸君が自ら証明してみせたのだ!」

 帝国人、帝国人と。

 繰り返し叫ばれる言葉が、光明となった。

 答えが見えたのだ。

 想像を絶する、悪夢の幕開けが。

「諸君、敢えて私が叫ぼう。メイディーイルを解放せよ!」

 凄まじい声の波濤が膨れ上がった。

 解放、解放だ。

 正義の戦いだ。

 国を守るため、国の敵を倒すため、自分を、家族を、同胞を――未来の子供たちを守るために。

 彼らは、どこまで戦える?

 どこまでも、だ。

 振り返ることも立ち止まることも、疑問に思うことさえも許しはしないのだろう。その自由さえも、熱狂で奪い取る。熱狂はやがて狂気となろう。狂気さえも枯れ果てた時、そこには何が残る?

「エルフの森の、またイスネアの二の舞いにはさせぬ」

 ぽつり、呟かれた声は熱狂する兵士たちに届かない。

 エレカや兵士たちから少し離れて立つ俺が聞き取れたのは、ひとえに獣と化した聴力のお陰だ。

 しかし一人、ただの人でありながら声を聞ける者がいる。

「イスネア……?」

 エレカの傍らに立つ、フリーデリンデ殿下である。

「イスネアに何か――いえ、何が……? 彼の国は確かに敵対こそしていましたが、元を辿れば帝国を祖とする同胞です。このような時代なればこそ、再び手を携えたらとわたくしは」

「滅びたのですよ」

 戸惑う言葉は、終いまで紡がれる前に切り捨てられた。

「その反応を見て知りました。閣下は、陛下は、お優しいようだ。あなたもまた、お優しい。フリーデリンデ……閣下?」

「フリーデリンデで構いません。それより、陛下や公爵が何かを知っていたと?」

「知っていたも何も、私の口から報告したことですから。まさか伝えられていなかったとは知らず、彼らの心遣いを無駄にしてしまいましたが」

 判然としない意図に首を傾げる。

 イスネアは滅んだ。それは事実だ。ただ、どうして今そんなことを口にしたのかが分からない。

 その上、敵意を煽るために声高に叫ぶならまだしも、わざわざ呟いてみせる意味がどこにあったのか。

 だが直後、答えではないにせよ意図の一端を嫌でも理解することになる。

 困惑する俺と同じ気配を、立ち並ぶ兵士たちからも感じたのだ。冷めることはないかに見えた異様な熱狂に波紋が広がる。眼前に見える、フリーデリンデ殿下の困惑こそが波紋を呼ぶ最初の一雫だった。

「イスネアは滅びました。私たちがこの目で……ほら、あそこにいる連れも確かに見ています。そうだろう?」

「あ、あぁ……」

 急に水を向けられ、曖昧な返事になってしまう。

 今更俺の姿に驚く者もいないが、予想していなかった展開に俺だけでなく誰もが困惑しているようだった。

 これから何が起きるのか。

 困惑と不安、その中に一抹の興奮が覗いていた。

「そういえば、彼女は帝都の生まれなんですよ。あの姿になるまで暮らしていたそうで」

 フリーデリンデ殿下に差し向けられた言葉は要領を得ない。

 ゆえに、何を思ったのかも定かではなかった。

 俺がヒュームだと知って驚いたか、あるいは脈絡のない言葉に首を傾げたか、それさえ表情に出さないのだから帝室は伊達ではない。

 だが、しかし。

 続く言葉には反応せざるを得なかった。

 否、帝室の者であればこそ、帝都に生きてきた者であればこそ、思い出さずにはいられないのだ。

「魔神の襲撃にも、居合わせています。だから見たことがある。本物の、到底魔物などと見紛うはずのない、魔神という存在を」

 ニヤリと口元を歪ませる。

 そんなエレカの姿を幻視した。

 現実のエレカは、ただ沈痛な面持ちを貼り付けている。

「イスネアも……いいえイスネアは、魔神に滅ぼされました。彼女が証人です」

 しん、と静まり返る。

 それは帝都において、ある種の禁句めいていた。

 誰もが思い出したくないと、思い出させないでくれと声なき声で叫ぶかのように。魔神が残した爪痕は大きく、日常の中で見ないわけにいかないものだった。だからこそ余計、人々には植え付けられている。

 恐怖心。

 喪失感。

 無謀と自覚の上で抱いてしまった、やり場のない復讐の思い。

「理由は分かりません。どんな意味があったのかも分かりません。だからこそ恐ろしい。……違いませんか?」

 エレカが笑う。

 顔も、声も、笑ってなどいないのに。

 どうしてだか、笑っているのだと感じてしまう。

「私たちは教会を討ちましょう。エルフが最早、この地上にいなくても。エルフは、私たちは誇りを胸に生きる者。同胞を亡くし、森を失くし、なればこそ誇りだけは高く高く掲げなければ王たる資格などありはしない」

 静かな言葉が、つい先ほどまで熱狂していたはずの兵士たちにも浸透する。

 誇り。

 そう言葉にしながら、エレカから感じ取れるのは怒りだ。憎悪だ。復讐心だ。

「私が剣となりましょう。私こそが、人類の剣と」

 そして、そっと腰の鞘に手を伸ばす。

 儀礼剣でもない、刃の付いた得物を帝室の前で手にするなど、それだけで罪人と認められても不思議はない。

 無論、あくまでヒュームの法であれば、だ。

 エレカはそれを引き抜き、まるで言葉にした誇りかのごとく、高く高く掲げてみせた。

「この剣こそ、この身こそ、人類の敵を討つもの」

 静かな、ゆえに誰一人として、息を呑むことさえ許されぬ宣誓。

 剣を振り下ろし、然りとて鞘には収めず、誰にも目は背けさせまいとエレカが謳う。

「あなたは盾だ。あなた方こそ盾なのだ。帝国のみならず、人類を守る盾として――」

 フリーデリンデ殿下は何をしようとしたのだろう。

 感極まった眼差しとともに、どうやら声も出せないまま何事かエレカに示そうとした。

 だが、それは無言のうちに切り捨てられた。

 大切な使命を託されるのだと、そう悟った彼女の思いは裏切られた。

「そして、もしも私が散った時には、それでもどうか恐れずに戦ってほしい」

 悲壮感さえ漂わせた声に、きっと誰もが同じ思いを共有する。

「オールドーズ教会は魔神さえ擁する、強大な敵でしょう。ゆえに私も、必ず討ち倒すと宣言はできない。それは嘘だ。嘘はつけない。だから、もしも私が散った時には――」

 エレカが見る。

 己を見上げる、ヒュームの兵士たちを。

「あなた方が人類の盾であり、剣となるのです。世界をオールドーズの、魔神の信奉者どもの思い通りにさせてはいけない。それは今を生きる民のみならず、いつか生まれる未来の子供たちに対する裏切りでもある」

 まるで押し殺すかのごとく静かに紡がれる声がもたらすのは、熱狂ではない。

 熱であれば、いつかは冷める。

 それは決して冷めることのない、鍛え上げられ研ぎ澄まされた刃のように――。

「あなた方という剣は、人類の未来を切り開くためにある。たとえ血で血を洗おうと、どうか決して屈することなく戦ってほしい。人類の未来は、溢れるマナで照らされた世界は、子供たちが無邪気に笑える平和な日々は、」

 そこでふと、エレカがフリーデリンデ殿下を見る。

 それから一同、あたかも兵士全ての顔を見るかのように、視線を巡らせた。

 乾いた喉が水を求める。

 たとえ毒だと知っていても、飲まずにはいられないほどに。

 であれば、美酒を差し出されたら?

 酔いたいだけ酔える、甘美な酒を与えられたら?

「全てはあなた方の奮戦に懸かっている……ッ! 祖国を、子供を、人類を守るために、あなた方の剣で敵を討ち払ってほしい! 痛みに喘いでも、苦しみに藻掻いても、たとえその身が朽ち果てようとも、どうか私の屍の向こうへ、同胞の亡骸の果てへ、未来の人類を導いてほしい――!」

 喝采が舞い戻る。

 ただの熱狂とはかけ離れた、あるいはそう、信仰とも呼ぶべき喝采が。

「人類の名を、その未来を守り勝ち取る己が名を示すのだ! 魔神になど、異形になど、人類を裏切ったオールドーズになど世界は渡さぬと!」

 全てを言ったも同然だ。

 兵士の誰一人として理解できないまま、這い上がれない泥沼に自ら飛び込む。

 名乗りを上げよ、と。

 それを世界が認めるか?

 認めたなら、待っているのは惨劇である。

 どう足掻いたとて、人の身で勝てる相手ではない。エレカも知っているはずだ。

 それなのに。

「戦う意味が、そこにある。戦う力が、その手にある。――我が名はエレカ・プラチナム・アーレンハート! 我らが誇りを共にする者よ、我が名に続け!」

 エレカが散った時、そこに立っているのはルージュだ。

 きっと帝国兵は呑み込まれる。勝ち目のない、屍を積み上げるだけの負け戦に。ルージュからすれば揺るぎようのない勝ち戦か。

 その果てに、やつは何を世界に願うのだろう。

 教会を組織し、帝国建国に関わり、この時代の有史以前から人類を操り続けてきた神の悲願。

 そこに人が必要とされるなら、そして全ての人を敵としたなら、果たして願いを叶えることはできるのだろうか?

 エレカが笑う。

 あれは、だから勝者の笑みなのだ。

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