九十六・五話 覇道
勝ったのだ。
ひどく不満げなカレンとは裏腹、私の胸中には安堵と喜びが広がっていく。
しかし勝者は私ではない。グレイだ。
そして、対する敗者はルージュ。
グレイが賭けに勝ったのだ。
種を明かされてなお、再現しろと言われたら無理難題にも程があると叫んだであろう薄氷の上の勝利。
無論、犠牲は大きかった。
グレイその人は言うまでもなく、アクタが殺され、リューオもカレンの盾となり散っていった。プラチとも最早、言葉を交わすことはできない。
だが、勝ったのだ。
千載一遇の勝機を手繰り寄せ、掴み取った。
然りとて依然、時代の終焉は止まらない。秘策だったはずの分身と引き換えに逃げ延びたルージュが形振りを構うとも思えなかった。
「薄氷の上の勝利……、我ながら言い得て妙だ」
勝利を掴んだとて、未だ足の下に広がるのは盤石な地盤ではない。今にも割れて奈落が口を開けそうな薄氷である。
それはグレイが紡ぎ、プラチとリューオとアクタが繋いだ道だ。
私も、同じだろう。
形振りなんて構う贅沢、いったい誰が許してくれるか。死者が恨み言を零すことはない。プラチの言葉は届かない。カレンはきっと私に味方する。
けれども悲しいかな、他ならぬ私自身が是とはすまい。
戦々恐々、腫れ物にでも触るかのように瀕死のグレイへと歩み寄っていくカレンの背を見やる。
二人には悪いが、不確定要素を残しておけるだけの余裕が私にはなかった。あれだけの力の持ち主、殺しきれないなら確実に眠ってもらわなければ困る。瀕死とはいえ、置き去りにはできないのだ。
巨体の主となったグレイが動き出す前に、記憶にない知識を頼りに親指と人差し指を口に咥える。
ヒュー……、と下手くそな指笛が戦場だった一帯に微かに響いた。
やはりダメだな。
プラチから受け継いだ力が馴染んできたのか、幾らかの知識はいつの間にか脳裏にある。ただ実感や体験を伴わない知識は、そう頼れたものではない。
「ルネ! フシュカ! いるかっ!?」
あまりグレイを刺激したくはないが。
ちらりと目を向ければ、振り向いていたカレンが訳知り顔で前に向き直る。上手くやってくれることを祈ろう。
敵と認められていなくても、あの巨体を誇るグレイをどうすれば湖だった穴に誘導できるのかは私にも分からない。分からないが、できると太鼓判を押すのも私には必要な仕事だ。
そうこうしているうち、グレイが吐いて回ったマグマの陰から二頭の竜馬が姿を見せた。
……二頭?
しばし待つ。
だがルネとフシュカが私の傍までやってきただけで、ここまでアクタを乗せてきたはずの三頭目がいない。逃げたか。ルネたちと違い、懐く時間もなかった。
まぁ、いい。
「よく守ってくれたな」
大きな口で器用にプラチの首元を掴んでいるルネの頭を撫でてやる。それからプラチを抱き上げ、その頭に乗せた。プラチは鳴きもせず、足場を確かめるようにくるりと一周するだけだった。
「守れよ。それがお前の仕事だ」
「ふすんっ!」
良しと横顔をもう一度撫で、続いてフシュカに目を向ける。緋色にグレイ、主人を二人とも失ってなお、佇まいに変化はない。それこそ、最初から私だけを主人と見ていたかのように。
これも森を背負って生を受けたがゆえの力なのか。グレイもいなくなった今、真相を確かめる術はない。
「フシュカ、お前はアクタの匂いを辿ってくれ。捜し物だ。……できるな?」
返事はない。
ただ一、二秒じっと私を見据えたかと思えば、急に踵を返して走り出した。
分からないやつだ。もっとも、嫌いではないが。
踏まれるなよ、と揺れる尾に叫んでみた。余計なお世話と言わんばかりに、その直後だけ尾が大きく揺れる。ルネとは違うところで器用なやつだ。
見上げた空が、不意に揺れた。
違う。
グレイが動き出し、それで地面が揺れたらしい。最後まで一々大仰なやつだ。
寂しくなるな。
口から零れかけたものを、自嘲で覆い隠す。
それは散っていった者たちに思いを馳せる者の言葉であって、これからも散らせようとしている者の言葉ではない。
「お前も笑ってくれるか、この私を」
見下ろし、呟いた。
プラチは何も言わず、ルネはただ首を傾げる。
お陰で落ちそうになったプラチが器用にバランスを取った後、ぺちぺちと前足でルネの頭を叩いたように見えた。気のせいかもしれない。気のせいだろう。
だから、構わない。
私の足元にあるのは、散っていった者たちが紡ぎ、繋いだ道である。
この道を必ずや、覇者の座に届かせなければならない。
たとえそれが積み重ねた屍を踏み固めて作る道だとしても――。




