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プロローグ 追放

 また一人死んだ。

 否、生まれてくることさえ叶わなかった。

 これで今年に入って三人目だ。

 無事に生まれてきた子供も、少なくない数が病とも呼べぬ体調不良で命を落としている。

 私たちエルフは森とともに生きる種族だ。

 その森は今、死のうとしていた。

 かつて溢れていたマナが減少の一途を辿り、マナに支えられてきた木々は幹を守るために葉を落とす。だが、葉がなくなれば遠からず幹も枯れるだろう。

 エルフも同じだ。選択を迫られている。

 いずれ訪れる死を先延ばしにするか、生き延びるために足掻くか。

 幸い、木々は大地に根を張るが、エルフには二本の足があった。

 伝説に謳われる蝶のごとき羽は持たずとも、まだ生きていける森を探して旅することはできる。

 遥か昔に枯れ、最早息をしてはいない大木に穴を穿っただけの家。

 家主であり、今しがた生まれてくることのなかった我が子を看取ったであろう男に見送られ、森の重鎮たちがぞろぞろと出てくる。

 そのうちの一人が私を見つけ、天を仰いだ。

 たったそれだけの所作で、今の森がいかに異常か窺える。森長とは、常に威厳を保っていなければならない。それなのに疲れ切った顔で、薄くなった枝葉の向こう側を見やってしまうとは。

 それを非難できる者も、最早いない。

「お父様」

「屋敷にいるよう厳命しておいたはずだが」

 森長にして、私の実の父。

 疲れていながらも威厳ある声に怯みそうになるが、ここで踏ん張らなければ未来はない。私だけでなく、この森に暮らしてきた全てのエルフの未来だ。

「屋敷にいて何ができますか」

「屋敷におらずとも何もできぬゆえ、屋敷にいるよう命じたのだ」

「見届けさせよ、とは言いません。しかし祝福し、あるいは冥福を祈ることくらい、私にもさせてはいただけませんか」

「それは屋敷の中でもできる」

 森長が疲れた調子で手を振った。

 森の全権を握る重鎮たちが左右に分かれ、森長を背に、私の横を通り過ぎていく。森は死のうとしていた。何をしても、悪足掻きにしかならない。そうと知っていてなお足掻き続けるなら、立ち話に耳を傾けている時間とて惜しいだろう。

 本来なら、森長こそ率先して神樹のもとに赴き、森の未来を案じるべきだ。

 その邪魔をしている私は、だから胡乱げな眼差しを向けられても仕方ないのかもしれない。

「言いたいことがあるなら言うてみよ」

 人払いも兼ねていたのだろう。

 今更構う相手でもないが、人目がないなら眼前の男は森長である前に実の父親だ。

「森を捨てるべきです」

 それでも震えかけた臓腑に鞭を打ち、震えてしまった声で言う。

 父は表情を変えず、呟いた。

「我らエルフが誇りを捨てると?」

「命あっての誇りです」

「否。誇りとは、時に命とてなげうつもの」

「ですが、その誇りを誰が見届けます?」

「我々だ。他ならぬ我々自身が誇りを見届け、そして死ぬ」

 押し問答だ。

 話にならない。

 声を荒らげずに済んだのは、決して理解できない話ではないからだ。

 私たちエルフは誇りの一族。今でこそ世界中の森や林に散り散りになっているが、伝説に謳われる時代では武器を取り、ヒュームや今は亡き魔族、亜人たちと世界の覇権を巡り争っていたという。

 その血は、今なお脈々と流れている。

 無様に生き、恥辱を晒すくらいならば、誇りのために死んでみせよう。

 だが、しかし。

「生まれてくるはずだった命が指の間から零れ落ちていく。それをただ見送ることが誇りですか」

 生まれてこなかった命たちは、それでもエルフだ。誇り高きエルフの血族だった。

「彼らは誇りを持てましたか? 彼らとあの世で出会い、私たちは胸を張れますか?」

「……詭弁だ」

「森を捨てるべきです。今なら、まだ――」

「理想は、理想に過ぎぬ」

 父は吐き捨てる。

 私にというより、世界に向けて呪詛を吐くかのようだった。

「我々は森しか知らぬ。森に生まれ、森で死ぬ。最期まで森とともに在る、それしか知らぬ」

「新たに知ることが悪ではないでしょう」

「そうだな、百年……いや、五十年も前ならば頷けたかもしれぬ」

 父は遠くを見ていた。

 それが五十年前なのか、一年後なのかは分からない。たった一年、エルフの寿命からすれば短すぎる時間だが、森が生きられるかは怪しかった。それほどまでに差し迫っていたのだ。

「だが、遅すぎた」

「そんなことは――」

「お前は何も知らぬ。皆、何も知らぬ。それでいい。……だが、それゆえに、森を捨てることなどできないだろう。我らはエルフだ。森と生き、森と死ぬ。それが誇りだ。それが我らだ。他の道を選べる者は、そう多くない」

 父が私を見下ろした。

 父の上背は二メートルを超すが、私はそれより三十センチ以上も低い。

 昔に比べれば差は縮まっているはずなのに、思わず後ずさってしまうほどの差を感じた。

 そんな父の揺れる瞳にある感情は、なんという名で呼ぶべきだろう。

 悲しみか、憤りか、あるいは純然たる失意なのか。

「エレカよ、我が娘よ。森を捨てたければ、捨てればいい。世界を見て、それでもなお森を救えると思うなら救えばいい。だが、ここは最早、貴様がいていい森ではない」

 何を言っているのか、さっぱり分からなかった。

 森にいてはいけない?

 エルフにとって、それは死だ。

 だが、そうであってなお、森を出なければ生きていけない。私たちが、ではない。私たちが受け継ぎ、託していくべき血脈が途絶えてしまう。

 それは誇り高きエルフの、決定的な敗北を意味するはずだ。

「お父様」

「去れ」

 ……今、なんと?

「貴様は今をもって、儂の娘ではなくなった。誇りを失いし、エルフであった者よ。森から去るのだ」

 冷や汗すら滲まなかった。

 理解してはいけない、できるはずのない二文字が脳裏をよぎる。背筋を震わせ、手足の指先を凍り付かせた。

「なんだ、これだけ言っても分からぬか」

 父の目にあったのは、憐れみか。

「森長の名において、貴様を追放すると言ったのだ」



「エレカ様、エレカ様……!」

 痛々しい叫びで我に返る。

 私はいったい、どれだけの間ぼうっと立ち尽くしていたのだろう。

 眼前には私と同じくらいか、やや低い背丈の少女たちが並んでいた。数は五。見慣れた顔が二つほど少ないのは、時間が合わなかったからか縁を嫌ったからか。まぁいい。五人も見送りに来てくれただけ、私は愛されている。愛されすぎている。

「ごめんなさい。少し考え事を」

「えぇ、えぇ、そうでしょうとも」

「エレカ様はいつでも私たちを案じてくれています」

「今回のことだって、誰も追放だなんて信じてないんですよ?」

「こらっ! ティルったらまた!」

「ごっ、ごめん! でも、エレカ様が追放されるはずないでしょっ?」

「あぁ申し訳ありません、エレカ様。こんな時までいつもと同じで……」

 言いつつ、少女の一人も嫌そうな顔はしていなかった。

 もしかしたら、敢えていつも通りの姿を演じてくれているのかもしれない。

「ありがとう。あなたたちの顔を見たら元気が出てきた」

「そうだよ! エレカ様は笑ってなくちゃ! 笑ってたら可愛いんだから!」

「あぁもう、ティルは黙ってて!」

「えっなんむぐごご」

「すみません、すみませんっ……!」

 彼女たちは本当にいつも通りだ。悪意は微塵もない。

 笑っていたら可愛いって、笑っていなかったら違うってこと?

 それを然も言ってはいけないことかのように口まで塞ぎ、必死に頭を下げてくるのはどういう了見だ?

 言いたいことは山ほどあるけど、こんな時まで説教はしたくない。

 小さく笑って、ため息と一緒に吐き出してしまう。

「あなたたちと話していると飽きないね。……だけど、そろそろお別れ。私は行かなくちゃ」

「行ってらっしゃい、エレカ様!」

 誰より元気な、元気と明るさでは誰にも負けないティルが満面の笑みを見せてくれる。

「あたしたち、信じてます! エレカ様は追放なんかされてません! 森長だってエレカ様のことは大好きなんですよ? きっと森を救ってくれるって、信じてます! そのために旅に出るんだって、みんな言ってるんですから!」

 無邪気な笑顔。

 父との――否、森長との会話から二日が過ぎていた。

 森は広いが、それ以上に住民の結束は強い。噂話は一日もあれば端から端まで行き届く。幸せな噂には祝福を、不幸な噂には慰めや手助けを。それが森の不文律。

 ……だけど、こんなに明るいティルまでもが森の未来がないことを知ってしまっている。

 私が笑っていなければ可愛くないことは伏せても、森に未来がないことは伏せる必要さえないと。

「エレカ様?」

「ううん、なんでもない」

 行こう、森の外へ。

 今まで一度も出たことはないけど、いつか森長の座を次ぐために勉強はしてきた。ヒュームの習慣も、街に溶け込む術も心得ている。エルフにとって不治の病でも、ヒュームにとっては有り触れた病かもしれない。

 理想を通り越して空想でしかない可能性でも、ただ死を待つよりはマシだ。

「それじゃあ、行ってく――」

「ちょっ! ちょっと待ったぁ!」

 守るべきエルフの妹たちに背を向け、颯爽と森を出る。

 そんな誇りある別れを邪魔してくれたのは、遠くから響く男の叫び声。誰だろう。聞き覚えはあるけど、声だけでは分からない。

 振り返り、同じく振り返っている少女たちの肩越しに、ようやく相手の顔を見る。

 冴えない男。

 住民百人に聞けば九十九人がそう評し、残る一人からは「そんな奴いたっけ?」とでも言われてしまいそうな人物。

 それでいて、私や父にとっては親しい間柄だった。

 その名は、

「リク? どうしたの?」

「もっ森長が君を破門したって、それどころか追放したって聞いて、昨日からずっと駆けずり回ってたんだよ! なんだって君はそんなに無鉄砲なんだ! バカなのか? バカなんだなっ!?」

 ひどい言い草だ。

 とはいえ、無理からぬことか。

 リクは森長に次ぐ重鎮中の重鎮である家の次男だ。私とは許嫁の関係にある。

 ただ、私はまだ十七。結婚するには早く、リクとも恋仲という感じはなかった。むしろ森長の娘とも対等に話せる立場のお陰で、どちらかといえば友達に近い関係を続けてきた。

 追放とあれば自ずと許嫁も解消され、今では晴れて友達と呼べよう。

 そんな友達が叫び声を上げてまで引き止めたかと思えば、言いたい放題言った後で思い出したように息を切らし、少女たちに介抱されながら肩で息をしている。

 はっきり言って、滑稽だ。

「わ、笑うなよ!」

「笑うなって言う方が無理だと思うけど。……ていうか、それは?」

 肩で息をするリクが、その肩から下げているのは大きな包み。

 布だろうか。くすんだ色をしているけど、汚れた印象は受けない。鞄か何かか。

 森に暮らすエルフといえど、希少な薬などをヒュームの商人から買い付けることはある。その時に私財と交換でヒュームの品を手に入れたがる者は少なからずいて、エルフの森にいながらヒュームの作る品を見かけることは間々あった。

 上質な布は特に人気で、生まれた時には結婚相手が決まっていた私はともかく、どうにかこうにか手に入れた一揃いの服をプレゼントして結婚を申し込む者もいるんだとか。

 最近はそんな幸せな話も聞かなくなってしまったけど、いつか取り戻せたらと思う。

「あ、あの、エレカ?」

「ん? あぁごめん、なんだっけ?」

「エレカが僕に興味ないことは知ってたけどね……。いや、次期森長が森のことを一番に考えるのは大事だし、当たり前のことなんだけど」

「それで、その包みは何? まさか――」

 まさか一緒に森を出ようとでも言うのか?

 リクが義理堅い男だとは知っていたけど、しかし、そこまでされる義理は……。

「あぁ、そのまさかだ!」

 言った途端、私が息を呑むより早く少女たちが黄色い歓声を上げた。

「これまでコツコツ集めてきたヒューム産の品物を持って東奔西走、財産という財産をなげうって君の旅道具を揃えてきたんだ!」

「……んっ?」

 少女たちが首を傾げる。

 その瞳に映る私は目が点になっていた。

「どうせ君のことだ、追放と言われて準備なんかろくにしなかっただろう。だけどね、追放は追放なんだ。死罪じゃない。そんな着の身着のまま出ていったら二日で腹を下して、一週間と経たずに餓死するよ! そんなの森長も望んじゃいない!」

 つまり、ええと……その包みの中身は、まさか。

「だから代わりに集めてきたんだ。まずはなんと言っても外套だね。旅には外套が欠かせない。特に僕たちエルフは、ヒュームにとっては珍しい生き物だ。興味本位であれこれ探られるだろうし、森を出たエルフなんて足元を見てくれって言っているようなものだよ。だからマナを編み込んだ外套を着込むんだ。これを着れば簡単にはエルフだとバレないし、フードもちょっとやそっとの風じゃ飛ばないようになっていてね……って、あれ、エレカ? どうしたんだい?」

 まぁ、うん、そうだろうな。

 リクとはこういう男だ。だから友情は感じても、恋情はまるで芽生えなかった。

 エルフとて人類種の片割れなのだから、両親が揃っていなければ子は生まれない。単純計算で一組の夫婦が二人生まなければ、数は減っていく一方だ。

 とはいえ、エルフは長生きである。

 二十で行き遅れと言われることもあるというヒュームとは打って変わって、エルフは五十やそこらで初めて恋人を作ることも珍しくない。子供なんて百年かけて二人か三人が当たり前。

 そんな中、リクは実の兄と三歳しか違わない。

 ちょっとお盛んすぎやしないかと陰口を叩かれながら、その重鎮の家では長男を徹底的に次期当主として育て上げた。

 対するリクは、私が生まれると同時に次期森長の婿となることが決まり、健康であり問題を起こさず、あとは長男の邪魔にさえならなければいいと放任されてきたのだ。

 結果出来上がったのが、この心優しいだけの青年。

「まぁとにかく、外の水は生で飲んじゃいけない。この森はマナが豊富だから病気になんかならないけどね、ヒュームが暮らすところの水なんて絶対にダメだ。一発で腹を壊す。絶対に沸かすんだ。そのための魔法道具も入れてある。あと、それから――」

 純度百パーセントの善意。

 それでいて、追放される許嫁と一緒に森を出ようとは微塵も考えない、そんな選択肢があることさえ気付きもしない平和な男。

「そうだ、森の外には教会っていう――」

「リク」

「ん、なんだい?」

 話を遮られても嫌な顔一つしないのは、まぁ褒めてあげてもいいけど。

「後ろを見て。なんの騒ぎかって人が集まってきてる。私は追放される身の上。森長に反抗し、ともにあるべき森を去らなければいけなくなった異分子。あなたは私ではなく、お父様のことを考えてあげて」

「君のお父様のことを考える。それはすなわち、君を想うことだ」

「ありがとう。それじゃあ、行くね」

「あぁ、良い旅を」

 リクは笑う。

 途中で遮ってしまったにもかかわらず、まるで全てを言い終えたような顔で。

 今生の別れになるかもしれないと、それだけは少女たちより理解しているようだった。

「あなたたちも、森と、森長をよろしく」

「えぇ、えぇ、勿論です!」

「まだ百と、ええと五十か六十でしたっけ? エレカ様が帰ってくるまでは心配いりませんわ」

「なんなら跡継ぎを生むんだって張り切ってる女の人たちもいるんですよ?」

「こらティル! エレカ様のお母様は亡くなってからまだ十五年しか――」

「あぁはいはい、大丈夫、大丈夫だから。私も弟か妹がいたら安心だしね、うん」

 まったく、これだから……。

 たった十七年、されど十七年。

 私の生きてきた全てが詰まっている森との別れだ。もっと悲しく、寂しく、決意と覚悟だけを胸に歩みだすものだと思っていたのに。

 これだから私は、私たちはこの森を嫌いになれない。捨てたいだなんて、これっぽっちも思えない。

 でも、だけど。

「それじゃあ、」

 またね、とは言えなかった。

 少女たちが首を傾げる。

 リクが何か言おうとして、小さく首を振った。

 続く言葉を待つ少女たちに背だけを向け、始まりの一歩を踏み出す。

 背に届く声と言葉の全てを、私は聞かなかった。

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