心満たされれば、愛しい人の身を満たし。
「ダーリン、目が覚めた?」
目を覚ました王の前に、同じベッドに身体を横たえたグラスが居る。
居なくなっていたら…と不安を抱えていた王は安堵の笑顔を見せた。
そんな王を見て、グラスは青い瞳を細め、微笑む。
彼女に手を延ばした王は目に映った彼女の姿に、言葉を失う。グラスの身体には腕が無かった。
よく見れば無くなった腕の先から細かな霧のようなものが散っている。
「グラス……」
両腕の肘から先が、両足の膝から先が無いグラスは申し訳無さげに笑う。
「ごめんね、あまり見ていていいものじゃないよね?わたしのこの身体って、水で出来てるから蒸発していってるの。…あ、痛くも何とも無いからね?その辺は心配しないで!ほんとに!」
見ていて痛々しい姿をしているのに、当の本人は実にあっけらかんとして弾んだ声を出す。
王は彼女の身体を抱き上げ、膝に乗せる。
「キャー!何かエッチ!男の人に抱っこされたの初めてかも!」
膝の上ではしゃぐグラスを抱き締める。唇が震えて嗚咽が漏れそうになるのを、唇を噛んで堪えた。
「……ウィード……は、この世界の未来なのか……?」
「………ええ…そうよ……。わたしは…仲間と共に、時間旅行が出来るようなマシンを作ろうとしていたのだけど出来なかったのよね。」
時間旅行…マシン…王にとっては聞いた事の無い謎の言葉だ。
「出来たのは、身体は置いたままで意識だけなら時間を越えられる方法で、意識を纏う身体は行った先の世界にある水を使うの。水なら空気中にも含まれてるし、どこにもあるから。」
「水……グラスの身体は、水の塊…なのか?」
グラスは微笑んで頷く。
「切っても切れないし、欠けても大気中の水分を取り込んで半永久的に元に戻れる。…はずだったのだけれど…水を集めて留める機能が長持ちしなかったみたい。」
「……身体が水に変わり消えたら……居なくなるのか……?君の心は何処へ行く?」
グラスを失いたくない。
彼女が、彼女の姿で無くとも構わない。
それが彼女でさえあれば……。
だからと言って……大気に含まれる水の中にわたしは居るから、いつも傍に居るなんて言われても、嬉しくも何ともない。
彼女を感じ、彼女の声を聞き、彼女に触れられなければ……
意味が無い。
「居なくなるわね、この時代からは。わたしの意識はウィードに帰るわ。」
彼女は、正直だ。
私がどんな思いを、どんな考えを持っているかを知った上で、言葉を濁したり誤魔化したりさえしない。
「もう、会えなくなるのか……。」
「会えないわね。もし、ウィードで同じ技術を使って此処に来るとしたら、それはわたしではなく別の誰かよ。」
私が、こんなに…辛そうにしているのに、彼女は平然とした態度を崩さない。
私が、彼女にとってのダーリンではないからか…。
「ウィードには…グラスの本物のダーリンが居るのか……?」
問うたところで、グラスの青い瞳と、バチっと目が合ってしまった。
私は、自身が尋ねた幼い嫉妬にも似た問いかけに顔を赤くして口を押さえた。
「……!!き、気にしないでくれ!!今の質問は……!」
何とも情けない…!
「居ないわよ!ダーリン!」
グラスがニンマリと、いやらしい笑顔を見せる。ニヤニヤと私の膝の上で笑うグラス。
グラスは、宙に目を向けて文字を追い始めた。
何かの情報を得ているようだ。
今、このタイミングで…何の情報を…?
「ステキだわ、ダーリン……」
「ステキ…?何の話をしている……?」
宙に肘までの腕をのばしたグラスに、透明な腕が生える。
私の膝に座っているグラスの膝から下にも透明な足が形作られていく。
「『ウィードから来た少女、グラス。ウィードを創世した賢者ウィードが愛した少女。』……これが、貴方の中のわたしなのね…。」
「っっな!!!」
私の心情が全てバレてしまうのか!?今、さりげなく私の名前、言ってしまっていたしな!
私がウィードの民に残した知識ってのは、そんな個人的な情報まで共有されてしまうのか?
この私が、あ、愛した……少女…。
もう、隠しようがないのか…?参ったな…。
「うふふダーリンたら!今、ダーリン無意識にわたしの身体を造っているの、分かる?ダーリンの魔力で水を集めてわたしにくっつけているの。これって愛のパワー?」
グラスは私の膝から立ちあがり、透明な脚で爪先立ちをし、ダンスを踊った。
そして、私に向けてカーテシーをした。
「賢者ウィード様……わたし、ずっと貴方に逢いたかった…貴方に言いたかった…。わたし達は平和な世界を創った貴方を尊敬しています。でも、もうちょっと一緒に楽しめる世界を残してよ!!って!ねえっ!」
「ぐふっ!!」
グラスは私に飛び付いた。
相変わらず遠慮がなく、全身ぶつかる勢いで飛び付いて来る。
全身水の塊だという彼女は重い。
もう、これは牛や馬にぶつかったようなもんだ。
「イノシシみたいな女だな、お前は!!」
「い、イノピピ?」
そして相変わらず、何処か抜けている。
「あはははは!!イノピピとは何だ!イノシシだ、馬鹿め!!」
抱き着いて来たグラスを抱き留め、そのまま私のベッドに押し倒す。
上から見下ろす格好で、グラスを見詰める。
彼女の青い瞳に、私が映る。
ずっとそうやって……彼女の瞳に私だけしか映らないで欲しい…。
「……グラス……君を愛している。」
「……ダーリン……」
「ウィードと呼んでくれ…賢者ウィード様ではなく、ウィードと。……ウィードの意味を……知っているのだろう?」
ベッドに押し倒したグラスの唇を指先でなぞる。
時々、トプンと彼女の肌に指が沈む。
水を張ったコップに指を入れたかのように。
「…ウィード……雑草ね……」
「雑草と、草だと。フフ…お似合いではないか?」
彼女の唇に、私の唇を重ねる。
彼女の顔が赤くなり、触れた唇は肌の質感から急に水に変わる。
「グラス、急に水になるな。君を飲んでしまう。」
「だ、駄目!緊張して…!自分を保ってらんないの!!……こ、この前のキスと…何か違うもの…!」
顔を赤くして、アワアワと慌てふためくグラス。
初めて見る彼女だ。
何とも滑稽で…私にしか見せないであろう、彼女のその姿が
堪らなく愛おしい。
「ならば、君を飲んでしまおう。」
水の玉と戯れるように、グラスの顔に、身体に、唇を落とす。
時々水になる彼女の一部が、そのまま口に入るので飲み込む。
「ダーリン!お腹パンパンになるわよ!」
「ダーリンではなく、ウィードと呼んでくれ。私のお腹をパンパンにしたくなかったら、水になるのを我慢してくれないか?」
「む、無理ー!!ドキドキ止まんなくて…!ちょっ…!唇をなめないで~!」
長い時間、そうやって二人戯れた後は、二人ずぶ濡れな状態になっていた。
互いを見て笑う。幸せだと思った。
この世に生まれて、初めて自分が幸せであると感じた。
その幸せに溺れていた私は
私達に残された時間が僅かである事を失念していた。