96話 アルトの昔話・その3
それから毎日、アルトはランの講義を受けた。
体を動かすようなトレーニングはしないで、ひたすらに講義だけ。
子供からしてみれば退屈な状況かもしれないが、それでも、アルトは文句を言うことなく、ひたすらに真面目に勉強した。
その姿勢はとても子供のものとは思えず、何度もランを驚かせた。
「こりゃ、将来はとんでもない竜騎士になるかもしれねーな。アルトは、教えられたからじゃなくて、感覚で、竜の心がわかっている子供だ」
ランにそう言わせて、大いに感心させた。
幼馴染のユリアが、最近ぜんぜん遊んでくれない、と拗ねるほどにアルトは一生懸命に勉強をして……
そして、またたく間に一ヶ月が過ぎた。
その日も、講義の約束をしていた。
朝食を食べたアルトは、歯を磨くのもそこそこに、急いでランのところへ向かう。
「師匠!」
ランは、アルトの宿の食堂にいた。
端の二人席で、いつものように食事をしている。
そこで講義が行われるのが、最近のアルトの日課になっていた。
「……」
ただ、この日はランの様子がおかしかった。
朝食を終えたランは、いつもは食後のお茶を飲んでいるのだけど……
湯気の立つお茶を口につけようとはせず、ぼーっとしていた。
「師匠?」
「……ん? ああ……アルトか。わりーな、ちょっとぼーっとしてた」
「えっと……顔色が悪いですよ? もしかして、風邪でも引きました?」
「んなことはねーよ。俺を、腹出して寝るようなアルトと一緒にすんな」
「腹を出して寝るのは師匠ですよね」
この前、昼寝をした時に、ランは腹を出して、おおよそ女性とは思えない格好で寝ていた。
アルトは、その時のことを追求するような目をすると、ランはごまかすように笑った。
「ま、そんなことはどうでもいいさ」
「ごまかしましたね?」
「黙って流されとけ。それよりも、今日の講義を始めるぞ」
「はい!」
「……」
「師匠?」
講義を始めると言うけれど、ランは言葉を続けようとしない。
それどころか、途端に苦しそうな顔をして、胸元を押さえた。
そして……
「師匠!?」
そのまま倒れた。
――――――――――
ランは宿の一室に運び込まれて、ベッドに寝かされた。
すぐに医者が呼ばれるが、診察の結果……手の施しようがないという、残酷な結果が告げられた。
「師匠……どうしてこんなことに?」
部屋に残ったアルトは、辛い現実に泣きそうになりながらも、しかし涙は見せないで、ランに問いかけた。
ランは力なく笑いつつ、いつもの調子で答える。
「ははっ、わりーな。アルトに色々教えてやれるのは、ここまでみてーだ」
「そんなことはどうでもいいんです!」
「おぉ……?」
アルトが真剣に怒り、ランは思わず気圧されてしまう。
「な、なんだよ? なんで怒ってるんだ?」
「俺、子供だからよくわからないですけど……師匠、すごく大きな病気にかかっていたんですよね? それなら、どうして治療に専念しなかったんですか? 俺なんかにかまって、自分を優先しないで……そんな、どうして……」
「……お前は優しいヤツだな」
ランはベッドに寝たまま、手を伸ばしてアルトの頭を撫でた。
本当は抱きしめたいところではあったが、もう体が自由に動かなかった。
「こんな時まで俺の心配をするなんて」
「当たり前でしょう! 師匠は……師匠なんですから!」
「……そっか」
ベッドの上で、ランは大きな吐息をこぼした。
「なら、最後は師匠らしいことはしねーといけねーな」
「最後なんて、そんなことは……!」
「わりーな。最後なんだよ」
ランは竜騎士であり、日々、任務に励んできた。
柄ではないと言われそうだが、自分なりの正義を貫くためだ。
その力は本物。
仲間からも頼りにされていて、将来を有望視されていた。
しかし、そんなランの体を病魔が襲った。
不治の病と言われるもので、どうしようもなかった。
残された時間に限りがあることを知ったランは、竜騎士を辞めて旅に出た。
最後に、この世界がどんなものか、自分の目で見ておきたかったのだ。
その途中でアルトと出会い……
竜騎士を志すアルトに自分を重ねて見て、最後の授業を行うことにした。
……そんな説明をした後、ランは、アルトに笑いかける。
「ありがとよ」
「なんで、師匠が礼を? それは、俺が言うべきことなのに……」
「ぶっちゃけ、俺、人生に絶望してたんだ。突然、あとちょっとで死にますとか言われてな。俺も冷静でいられなかったんだよ。旅に出たのも、じっとしてるのが怖い、っていう子供みたいな理由なんだよ」
「……」
「生きる目的もなんもなくて、ただただ、現実逃避をするだけの旅だった。なんら得るものがなかった。くだらねー、なさけねー限りだ。でもな」
ランがアルトをまっすぐに見る。
「アルトと出会った。アルトが俺を変えてくれた」
「……師匠……」
「俺の人生なんて大したことねーけどな。でもよ、最後の最後で、ようやく満足することができた。意味のあるもんだった、って思うことができた。アルト……全部、お前のおかげさ」
我慢することができず、アルトは涙を流した。
そんなアルトを見て、仕方ないヤツだ、という感じでランが苦笑する。
「ったく……お前の泣き顔なんて初めて見たな」
「だって……」
「でも、アルトはそういう方がいい。お前らしい」
ランはアルトの手を掴む。
その手の感触を得て、アルトは驚いた。
思えば、手を繋ぐのはこれが初めてなのだけど……
なんて細い手なのだろうか。
女性だからという理由ではなくて……肉が落ちて、骨と皮だけになっている。
病気のせいだろう。
今まで、このことに気づかないなんて……
アルトは後悔に襲われるものの、思い悩むのは後回しにした。
今は、ランの言葉をしっかりと受け止めないといけない。
「いいか? これからも、お前はお前らしくあれよ」
「……はい……」
「人生なんてのは、わりと理不尽なもんだ。ふざけんな、くそったれ、って叫びたくなる時がある。でも、そんな時は我慢しろ。堪えろ。そうすれば、わりとなんとかなるもんだ。いつか、道が拓けるはずだ。世の中、善人に甘くないとか言うが……ありゃウソだ。神様ってのは、ちゃんと見てくれてるさ。良いことをしたぶん、良いことがある」
「はい」
「だから、アルトは自分らしさを失うな。どこまでもまっすぐに、いつまでもお前らしくあれ。いいな? 約束しろよ」
「約束します」
「よし、いい子だ。これが、俺からの最後の講義だ。アルトは良い弟子だった。師匠である俺も鼻が高いぜ」
「……師匠……」
「これで、俺の講義を終わりとする。さようならだ」
「……ありがとうございました、師匠!」
こうして、最後の授業が終わり……
その数日後、ランは穏やかな顔をして、全てをやり遂げたような顔をして、静かにこの世を去った。
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