290話 ク―フェリア・レイネル
「……え?」
突然のことに、いくらか思考回路が停止してしまう。
この子、今、なんて……?
「サイン、ダメだろうか?」
再びそんなことを言われてしまう。
幻聴? と思ったのだけど、どうやら、サインを頼まれているのは間違いではないらしい。
「ダメということはないが……どうして、俺のサインを?」
俺のサインなんて、なんの価値もないだろうに。
そう思うのだけど、しかし、彼女にとっては違うらしく、目をキラキラと輝かせつつ迫ってくる。
「エステニアくんは、アルモートの若き英雄ではないか! その力は、すでに正規の竜騎士に匹敵する。それだけではなくて、かの神竜バハムートと手を取り、絆を紡いでいる。同じ学生として、憧れない者はいるだろうか? いや、いない!」
「そ、そうか……」
なにやらものすごい勢いで力説された。
全て俺のことだと思うと、さすがに恥ずかしいのだが……
女の子は、こちらの様子に気づかないで、延々と俺の素晴らしさとやらを語る。
それはもう、演説のように語る。
やめてくれ。
新手の精神的な拷問か?
「……というわけで、私はエステニアくんのサインを希望するのだよ」
「……」
「おや? なぜ疲れているのだ?」
「なんでだろうな……」
この子、どことなくユスティーナを連想させる。
マイペースで、一度突っ走るとなかなか止まらないところはそっくりだ。
もしかして、ユスティーナの姉妹じゃないだろうな?
「むう」
なんてことを思うが、視界の端で、ユスティーナが不満そうに頬を膨らませているのが見えた。
どうやら、この子のことはなにも知らないらしい。
頬を膨らませているのは……たぶん、ヤキモチを妬いてくれているのだろう。
彼女には悪いのだけど、うれしい。
それだけ想われている、という証だからな。
まあ、後でなにかしらのフォローはしておかないといけないが。
「アルトくん、サインくらいしてあげたら?」
「気楽に言ってくれるな。サインと言われても、どうすればいいんだ……? ジニーは知っているか?」
「わからないわよ。だって私、サインなんてしたことないもの」
「グランやテオドールは?」
「俺も、そんなものしたことねえな」
「公務のサインなら、何度もしているのだが……」
「アルトさまに求められているのは、そういうサインではありませんね……」
アレクシアも会話に参加して、困ったように言う。
この子が求めているのは、舞台俳優がするようなサインだろう。
しかし、そんなものを書いたことはない。
とはいえ、素直に慕ってくれる子の好意を無下にしたくはない。
俺でいいのなら、できるだけ応えたいとは思う。
「あー……まともなサインなんてしたことはない。それでもいいのなら」
「うむ、構わないぞ!」
「わかった。なら、紙とペンを貸してくれ」
紙とペンを受け取り、じっと睨みつける。
一分ほど悩んでから、『アルト・エステニア』と普通に名前を書いた。
舞台俳優のように、綺麗で味のあるサインなんて書けないから、これで勘弁してほしい。
「これでいいか?」
「うむっ、ありがとう! すごくすごくうれしいぞ。このサインは我が家の家宝にして、子孫へ受け継いでいくぞ!」
「それはやめてくれ……」
「あ、そうだ。せっかくだから、私の名前も書いてくれないか?」
「それは構わないが……そういえば、君の名前は?」
「おっと、すまない。私とあろうことが、名乗り忘れてしまうなんて」
女の子は、一歩後ろへ下がる。
スカートの端を両手でつまみ、丁寧にお辞儀をする。
その姿はとても様になっていて、育ちの良さが伺えた。
「私の名前は、クーフェリア。クーフェリア・レイネルだ」
「クーフェリア……レイネル、だって?」
名前は知らないが、名字は聞いたことがある。
というか、この国でレイネルを知らない者はいないだろう。
なぜならば……
「もしかして君は、五大貴族の一つ、レイネル家の令嬢なのか?」
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