218話 暴走する愛
ガシャーン、と甲高い音が響いた。
ティーカップが床に落ちて、粉々に砕けた音だ。
「今……なんて?」
ミリフェリアは体を震わせながら、問い返す。
場所は、戦術武闘大会の控え室。
ミリフェリアがわがままを言い、特別に用意させた一人部屋。
そこに家の執事がやってきて……
父と母が、何者かに殺されたことを告げてきた。
「旦那様と奥様が……亡くなられました」
「そんな!? どうして、どうしてそのようなことが!?」
「わかりません。賊に襲われたらしいですが、ついさきほどのこと故、真相は解明されておらず……」
「あぁ……なんてこと。お父さま、お母さま……」
ミリフェリアは、その場に泣き崩れた。
肩を震わせて、涙を流して、両親の死を嘆き悲しむ。
ミリフェリアは優秀な子だ。
学院では上位の成績を収めている。
それだけではなくて、聡明で、時折、未来を見通しているのではないかと思うほどの知識を見せる。
しかし、彼女はまだ子供だ。
18歳の女の子だ。
両親の死という事実は重く、受け止めきれるものではない。
執事は主に襲いかかった不幸を、己のことのように受け止めて、胸が痛むのを感じた。
「お嬢さま。心中、お察しいたします。とても辛いでしょうが、まずは家に……」
「……いえ、そういうわけにはいきません」
「お嬢さま?」
「お父さまとお母さまのことは、とても残念です。心が張り裂けてしまいそうで……できることならば、今すぐに駆けつけたいと思います。しかしそれは、名誉ある大会を棄権してしまうということ」
「し、しかし、今はそれどころでは……」
「私は、こう思うのです。グラスハイム家を継ぐ者として、一度、手をつけたことは、必ず成し遂げなければなりません。そうでなければ、この先、なにを成し遂げられるのでしょうか? お父さまとお母さまのことは辛いですが、しかし、それに甘えて逃げてしまうことはダメなのです。それでは、いけないのです」
「……お嬢さま……」
「もちろん、大会が終わった後は、きちんとお父さまとお母さまと向き合いたいと思います。しかし今は……大会に専念させてください。あなたの娘は、きちんと成し遂げることを知っているのだと、天国のお父さまとお母さまに見せたいのです」
「……かしこまりました。全て、お嬢様の望む通りに」
「ありがとうございます」
強くなられましたな。
そう小さな声でつぶやいて、執事は深く頭を下げた。
自分は、この主に仕えることができて幸せだ。
これから色々な困難が待ち受けているだろうが、可能な限り、支えることにしよう。
それこそ、この身を削ることになったとしても。
執事はそんな想いを胸に抱きつつ、もう一度頭を下げた後、退出する。
……自分の想いも目も、なにもかも間違っていることに最後まで気づくことはなかった。
――――――――――
「……」
一人になったミリフェリアは、指先で涙を拭う。
そのまま、人形のように無表情になり、ピクリとも動かない。
両親の死を告げられて、そのショックのあまり、心が壊れてしまったのだろうか?
否。
ミリフェリア・グラスハイムの心は……最初から壊れている。
「ふふっ」
小さな笑い声がこぼれた。
その声はどんどん大きくなり、やがて、哄笑に変わる。
「あはっ、あははははは! あーっはっはっは!!!」
次から次に笑い声がこぼれていく。
楽しくておもしろくて仕方ない。
そんな感じで、さきほどとは違う意味の涙を流しさえしつつ、ミリフェリアは笑った。
それほどまでにおかしい。
とても滑稽なことであった。
「あはははっ、なんて、なんておかしいのでしょうか。お父さまとお母さまが何者かに殺された? 賊の仕業? まったく……あの執事は、そこそこ仕事ができると思っていましたが、まだまだですね。犯人が目の前にいるのに、まるで気づかないなんて」
未だに笑い続ける。
そんな彼女の顔は、大きく歪んでいた。
悪いことをしているという自覚はなく。
むしろ、正しいことをしているという、堂々とした態度だった。
ミリフェリアの両親を殺害したのは……娘だ。
彼女が手を下したわけではないが、ミリフェリアが独自に編成していた暗殺者によって、両親は殺された。
親殺し。
禁忌に手を染めたというのに、ミリフェリアは楽しそうだ。
こうすることこそが正しい行いなのだと、信じて疑っていない。
両親が死んだことを……否。
殺したことを、こうするべきなのだと喜んでいる。
「あぁ、かわいそうなお父さま、お母さま。まさか、このわたくしに殺されてしまうなんて。娘に殺される人生は、どのようなものでしたか?」
今は亡き両親に語りかける。
泣きながら笑いながら、どんな気持ちなのかと尋ねる。
もしも、ミリフェリアの両親が生きていてこの場にいたのなら、娘の抱える狂気に震えていただろう。
怯えていただろう。
なにもできず、雨に濡れる子犬のように、ただただ縮こまっていただろう。
それほどまでに、ミリフェリアの抱えている狂気は大きく、深く、淀んでいた。
「かわいそうですが……しかし、しかし! お父さまとお母さまが悪いのですよ? 竜の王女の戯言に従い、わたくしに、アルトさまから離れろ、などとおっしゃるのですから」
昨夜のことだった。
突然、両親に呼び出されて……
そこで、ミリフェリアはアルトに付きまとうことを責められた。
セルアとセリスに多大な負荷をかけていることを叱責された。
そして、このような愚かな行為を即刻止めるようにと、注意された。
「わたくしの邪魔をしなければ、まだ生きていられたのに。あぁ、なんてかわいそうで……愚かなのでしょう」
恋路を邪魔されたから両親を殺す。
普通、そのような考えを持つ者はいない。
あまりにも極端で、傲慢で、自己中心的な考えだ。
しかし、ミリフェリアは異端だ。
ありえないはずのカテゴリーに収まり、ありえないことを実行してしまう。
それほどまでに彼女は歪んでいた。
「アルトさま……あぁ、あなたと結ばれる日はあと少し。とても楽しみにしていますわ」
ミリフェリア・グラスハイムの愛は歪んでいた。
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