205話 八方塞がり
「くそっ!」
誰もいない廊下にセルアとセリスの姿があった。
セルアは痛みに耐えるような苦い顔をして、拳で壁を叩く。
苛立ちを発散させるための意味のない行為ではあるが、やらずにはいられなかった。
それだけ彼の心は乱れていた。
「セルア、落ち着いて」
「でも……!」
「セルアの気持ちはよくわかるわ。私も、同じことを命令されたのだもの」
「……」
「どうしようもない命令で、どうして従わないといけないのかと何度も悩んで……でも、どうすることもできない。私たちの家は、グラスハイム家に仕えているのだから。生きるも死ぬも彼女次第」
そう口にしつつ、セリスは奥歯をギリリと噛んでいた。
あんなわがままで他人を省みない女に仕えているなんて、恥でしかない。
本当ならば、あの傲慢な顔に拳を叩き込みたい。
しかし、そうできない事情がある。
フェノグラム家は、グラスハイム家に仕えることで発展して、生きながらえてきた。
逆に言うと、グラスハイム家の庇護下にあったということになる。
貴族社会は多くの闇と陰謀が渦巻いており、有能な当主でないと、その中で生きていくことはできない。
無能ならば、他家に取り込まれるか、抗争に巻き込まれて潰れてしまうか……
どちらにしても、最悪の結末しか残されていない。
フェノグラム家の現当主である、セルアとセリスの父は、良くも悪くも普通の善人だ。
貴族社会を渡り合うためには、時に悪人になることも求められる。
それができないために、フェノグラム家は没落の道を辿っていた。
そこをグラスハイム家に助けられたのだが、善意によるものではない。
徹底的に忠誠を誓わせて、どこまでも都合の良いように利用するためという思惑があった。
どこまでも善人の父は、グラスハイム家の思惑に気づくことなく、恩人として扱い、毎日を忙しく過ごしている。
そして、その息子と娘であるセルアとセリスも、ミリフェリアのために働いている。
「いっそのこと、あの傲慢な女を叩きのめしてやりたいよ」
「できないことはやめておきなさい」
「そんな度胸は僕にはないと?」
「セルアは優しいもの」
「……」
「そんなことをしたら、家がどうなるか。父さんと母さんがどうなるか。そのことを理解しているから、セルアはそんなことはしないわ。できないわ」
「……はぁ」
セルアは小さなため息をこぼした。
次いで、苦笑する。
「セリスには敵わないなあ」
「双子なのだから、セルアが考えていることなんて簡単にわかるわ」
ふとしたことで、双子の絆を感じた二人は、互いに笑みを浮かべた。
ただ、それも長続きしない。
どうしようもない現実がすぐに目の前に舞い降りてきて、鬱蒼とした気分にさせられてしまう。
このまま、ミリフェリアの命令をきかないといけないのか?
ふざけた命令で、なんの罪もない生徒を傷つけないといけないのか?
それならばいっそのこと、ミリフェリアに逆らい、家を潰されてしまった方がいい。
両親も納得して、受け入れてくれるだろう。
しかし、その後はどうなる?
家が潰されるようなことになれば、両親は路頭に迷う。
両親だけではない。
フェノグラム家に仕えてくれている者や、その他、管理下にいるもの全てが被害を受けることになる。
そんなことになるのならば、我慢した方がマシではないか?
他の者のために自らの身を削ることも貴族の役目。
ミリフェリアがどんなに傲慢でわがままであろうと、それに付き合うことこそが、唯一の道であり……
「……ダメだ」
ごん、と弱々しく、セルアは壁に額をぶつけた。
軽い痛みが広がる。
いつかアルトとアルバイト先で偶然出会った際に、家を出るためにお金を貯めていると言った。
あれは夢のようなものだ。
こんな風に未来が進めば、どんなにいいだろうか?
そんな夢を語ったもので、しかし、実現性の皆無の未来。
グラスハイム家が存在している以上、決して訪れることのない未来。
ただただ虚しい。
「本当に……どうすればいいんだろうね?」
これ以上、ミリフェリアに従うことはできそうにない。
かといって、両親やその他の人を見捨てることもできない。
八方塞がりとはこのことか。
セルアは乾いた笑いをこぼす。
「ねえ、セルア」
「……なんだい、セリス」
「賭けをするつもりはない?」
「賭け?」
「うまくいけば、今のこの最悪な状況を全部ひっくり返すことができるわ」
「そんな方法が!?」
「でも、失敗すれば全てを失うと思う。ハイリスク、ハイリターンね。どうする?」
「……」
セリスの問いかけに、セルアは口を開くことができない。
どうするべきか?
どうすることが正解なのか?
必死に考えるのだけど、答えが見つからない。
「僕は……」
それでも、これ以上逃げ続けるわけにはいかない。
周囲を巻き込むわけにはいかない。
セルアは覚悟を決めて、答えを出す。
「話を聞かせて」
「いいの?」
「いいよ」
セリスの問いかけに、今度は迷うことなく、セルアはしっかりとした声で答えた。
彼の覚悟が定まったことを理解したセリスは、優しく微笑む。
「それでこそ、私の兄よ」
「頼りなくてごめん」
「ううん。今は十分に頼りがいがあるから、それでいいわ」
それからセリスは、現状を打破するための策をセルアに話した。
――――――――――
「アルトー!」
次の試合に備えて選手の控え室で待機をしていると、ユスティーナが現れた。
一直線にこちらに駆け寄り、抱きついてくる。
「どうしたんだ、いきなり?」
「ボクの試合、今終わったばかりなんだ。ちゃんと勝ったよ? だから、褒めて褒めて♪」
なんていうか……竜ではなくて犬のようだ。
カトラのことを連想しつつ、言われるまま彼女の頭を撫でて……
「アルト」
そんな時、セルア先輩とセリス先輩が姿を見せた。
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