2話 ユスティーナ
女の子の手を取り、走る。
走って、走って、走って……
それこそ、街を一周するような勢いで走り回り、なんとかナンパ男を撒くことに成功した。
「ふぅ……って、おおう!?」
「じー」
女の子はじっとこちらを見つめていた。
あちこち走り回ったのだけど、ぜんぜん息を切らしていない。
学院に通う俺でも、多少は疲れているというのに……
「ねえねえ、なんでボクを助けてくれたの?」
変わった一人称を使う子だった。
「なんで、と言われても……困ってただろ?」
「うん。ものすごく。遊びに行こう、って誘われたんだけど、あの人たち、全然魅力的じゃないし……断っても断ってもしつこく誘ってくるから、困っていたんだ。力づくで追い払ってもいいんだけど、今はお忍びだからなるべく目立ちたくないし……」
でも……と間を挟み、女の子は言葉を続ける。
「そこそこの人がボクのことを見たんだけど、誰も助けてくれなかったんだ」
「マジか」
この街、薄情な連中が多いな。
「でもでも、キミは違ったよ。ボクのことを助けてくれた。ありがとう」
にっこりと女の子が笑う。
とても綺麗な笑顔だった。
この笑顔を見ただけでも、助けた価値はあったかもしれない。
「あー……悪い」
「なんで謝るの?」
「俺も、最初は見捨てようとしたんだよ」
「そうなの?」
「面倒事はごめんだからな……」
「でもでも、助けてくれたよね?」
「それは、目が合ったから仕方なく……」
「ううん、そんなことはないと思うな」
女の子が、再びこちらを見つめてきた。
顔が近い!
「……うん、やっぱり!」
「なにがやっぱりなんだ?」
「キミ、すごく綺麗な目をしているね。心が澄んでいる証拠だよ。そんなキミなら、絶対にボクのことを助けてくれたと思うんだよね」
「……買いかぶりだ」
そんなことを言うのだけど……
内心、俺は喜びを感じていた。
セドリックから女の子を助けたことは間違いじゃないと、肯定されたような気がして……
俺自身を認めてくれたような気がして……
なんともいえない温かい気持ちになる。
「どうして泣いているの?」
「え……?」
頬に手をやると涙の感触が。
「あ、いや、これは……悪い、なんでもない……あっ」
女の子に抱きしめられた。
胸が当たっているのだけど、不思議といやらしい気持ちにはならない。
むしろ、安心することができた。
「いい子、いい子……大丈夫だよ。ボクがいるからね」
「……これ、逆に俺が助けられているみたいだな」
「いいんじゃないかな、それでも。最初にボクが助けられたから、そのお返しだよ」
「……ありがとな」
「ううん、どういたしまして」
女の子に頭を撫でられる。
「どうしたの? イヤなことでもあった?」
「それが……」
不思議と、俺は自分の身に起きていることをすんなりと話してしまう。
今は心が弱っているのか、それとも、相手がこの子だからなのか……
よくわからないけれど、いじめられていることを素直に告白した。
「そっか……大変だったね。辛かったね。がんばったね」
「うっ……」
女の子に抱きしめられて……
頭を撫でられる度に、どうしようもなく涙が出てしまう。
助けた相手に甘えるって、俺、なにをしているんだか……
街を行き交う人に、何事かと見られているのに、でも、涙が止まらない。
「……すまん。もうちょっとだけ、胸を貸してくれ」
「うん、いくらでもどうぞ」
優しく撫でてくれる彼女に甘えて……
俺はもう少しの間、泣いた。
――――――――――
ほどなくして落ち着くことができて……
そうなると、途端に恥ずかしさがこみあげてきた。
顔を赤くしながら女の子から離れる。
「もういいの?」
「ああ、大丈夫だ。その……ありがとな」
「うん、どういたしまして。なんていうか、キミのことを放っておけなかったんだ」
かなり情けないところを見せたのだけど……
女の子は失望するとか、そういう表情を見せることはなくて、優しい顔のままだった。
「あ……」
今になって気がついたのだけど、女の子は肘を擦りむいていた。
たぶん、ナンパ男から逃げる時に、どこかにぶつけてしまったのだろう。
「その肘、大丈夫か?」
「え? ……あ、これ? これくらい怪我のうちに入らないよ。すぐに治るから、放っておいて平気だよ」
「そういうわけにもいかないだろ。じっとしててくれ」
幸いというか、セドリックにちょくちょく絡まれるため、その対応として簡単な治療キットを持ち歩くようにしていた。
女の子の手を取り、傷口を水で洗う。
「んっ」
染みるらしく、女の子がびくりと震えた。
悪いが、我慢してほしい。
薬で消毒して、医療用のテープを貼れば完了だ。
「これで大丈夫だ」
「わぁ……ありがとう」
女の子は手当が終わった肘を何度も見て……
それから、にっこりと笑う。
「ボク、こんな風に優しくされたの初めてかも」
「大げさだな。大したことはしてないぞ」
「でもでも、すごくうれしいの!」
どこか照れている様子で、女の子が頬を染める。
にこりとはにかむ姿は、とてもかわいらしい。
ついつい見惚れそうになってしまう。
「んー」
女の子は、三度、こちらの顔を覗き込んでくる。
「ど、どうした?」
「なんでかな? キミの顔を、こうしてずっと見ていたいの。ドキドキするっていうか、落ち着くっていうか……」
「それ、矛盾してないか?」
「そうなんだけど、そうなんだけどね? でもでも、うー……自分で自分の気持ちがよくわからないよぉ」
女の子が困った顔になる。
力になりたいと思うが、彼女の心の問題っぽいので、さすがに俺にはどうすることもできない。
ただ、支えることくらいはできるかと思い……
そっと、彼女の手を握る。
「あ……」
「手に温もりを感じると、色々と落ち着くことがある、って聞いたから……どうだ?」
「……ますますドキドキが激しくなったかも。ひゃあああ」
「失敗したか……」
「でもでも、胸がぽかぽかするよ。こんなに温かい気持ち、初めてかも」
正体不明の感情と言うが……
女の子はそれを拒むことはなくて、むしろ、大切な宝物のように優しい顔をして受け止めようとしていた。
誇張表現になるかもしれないが……
その姿は聖母のようでもあった。
「って、まずい!?」
気がつけば日が傾き始めていた。
門限にはまだ時間はあるが、買い物をすることを考えるとあまり余裕はない。
「俺はそろそろ行くけど……この後、一人で大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。この辺りは治安が良いみたいだから、たぶん、さっきみたいなことは起きないと思うし……こう見えて、ボク、強いからね」
「ははっ、なら心配はいらないか」
冗談を飛ばせるくらいだ。
心配はいらないだろう。
「じゃあ、俺はこれで」
「あっ、まって!」
女の子に手を掴まれて、引き止められる。
「あのね……名前、教えてくれないかな?」
「俺の?」
「うん。キミのことが知りたいの」
「俺は、アルト・エステニア。さっき説明したように、竜騎士学院に通っている」
「アルト……エステニア……」
しっかりと覚えるように、女の子はゆっくりと俺の名前をつぶやいた。
「アルト……アルト……アルト……なんだろう、ドキドキがどんどん強くなっていくよ。この気持ち、このドキドキ……ボクは……」
「そっちの名前はなんて言うんだ?」
「あっ、そうだね。言ってなかったね、ごめんね」
失敗した、というように女の子が舌をぺろりと出した。
子供っぽい仕草だけど、それが妙に似合っていてかわいい。
「ボクは、エルト……ううん。ボクは……ユスティーナだよ!」
「ユスティーナ……か」
「うん。キミには、ボクのことを名前で呼んでほしいな。よろしくね!」
「ああ、よろしくな」
互いに笑みを浮かべて、握手を交わした。
「それじゃあ、今度こそ俺は行くよ」
「あのっ……また会えるかな?」
「どうだろうな。なんとも言えないが……運命が交差しているなら、機会は巡ってくるんじゃないか」
「……運命……」
「って、ホントに時間がやばい。じゃあ、またな!」
「うん、またね」
自然と再会を約束する挨拶を交わして……
俺はユスティーナと別れた。
――――――――――
一人になったユスティーナは、頬を染めながら、アルトが立ち去った方をぼーっと見ていた。
そっと、自分の胸に手を当てる。
心臓はバクバクと高鳴っていた。
「どうしよう……ドキドキが止まらないよ。それに、今、すごく寂しいや」
自然とアルトのことが頭に思い浮かぶ。
アルトの声、アルトの笑顔、アルトの手の温もり……
それら一つ一つがユスティーナの心を揺さぶり、優しいながらも楽しい刺激を与えてくれる。
名前を呼んでくれた時、心臓が爆発してしまうかと思った。
「アルト……アルト……アルト……」
何度も名前を呼んで……
そして、不意に理解する。
「そっか……これが恋なんだ」
ユスティーナはりんごのように顔を赤くしながら、ふにゃりと幸せそうに笑う。
この日、ユスティーナという女の子は初恋を……
一目惚れを経験した。
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