117話 邂逅
何事かと振り返ると、顔を赤くした大柄な男が見えた。
やや頼りない足取りをしていることから、酔っているのだろう。
そんな男に絡まれているのは、子供だった。
12歳くらいだろうか?
メガネをしているからか、利発そうに見える。
子供特有の中性的な顔立ちをしているが……たぶん、男の子だろう。
女の子にはない、どこか鋭いものを感じられる。
子供なので、当然、背は低い。
体も小さい。
彼から見たら、大柄な男は山のように見えるだろう。
それでも、男の子は怯むことはない。
むしろ、不敵な笑みを浮かべて、大柄な男と対峙していた。
「なに?」
「なに、じゃねえだろ、このガキ! 人にぶつかっておいて、ごめんなさいも言えねえのか!」
怒りに任せて怒鳴る大柄な男に対して、男の子はあくまでも冷静に応える。
というか……
呆れているようにも見えた。
大柄な男を呆れるように見て……
ため息をこぼしてから、口を開く。
「あのさあ……ぶつかってきたのは、おじさんの方じゃないか。それなのに、なんで僕が謝らないといけないのかな?」
「あぁ? てめえ、ガキのくせに生意気言ってるんじゃねえぞ!」
「生意気とかそういう問題じゃなくて、常識の話でしょ? これは」
「だから、生意気言ってるんじゃねえ!」
「はぁ……やれやれ、酔っぱらい相手は話が通じないから困るよ」
なんというか……大胆不敵な男の子だな。
大人を相手に、ああも言える子供はそうそういない。
あの子は大柄な男をまるで恐れていない。
むしろ、格下と蔑んでいる。
子供故の無謀なのか。
それとも、確かな自信を胸に抱いているのか。
「てめぇ……その生意気な口、いつまで叩けるか試してやるよ!」
「……へぇ」
大柄な男が激昂して、拳を振り上げた。
そんなことになっても、男の子は動揺することはない。
逆に、さらに冷静になったように見えた。
冷たい冷たい、凍りつくような視線を大柄な男に向ける。
その視線を見た俺は、ゾクリとした感覚を背中に得た。
なんだ、あの目は……?
おおよそ子供がするようなものではなくて、まるで、殺人鬼かなにかのようだ。
あるいは、人を超えた存在。
どちらにしても、普通じゃない。
あの子はいったい……?
いや、考えるのは後だ。
今は止めに入らないと。
「おらぁ!」
「そこまでにしておけ」
間に割り込み、大柄な男の拳を受け止めて、掴んだ。
日頃の特訓のおかげで、まるで痛くないし、簡単に実行に移すことができた。
「なんだ、てめえは!?」
「大の大人が子供を殴ろうとするなんて、恥ずかしくないのか?」
「コイツは俺をバカにしたんだ! ガキのくせして、大人に楯突いたんだ! これは、いわば躾だよ、躾!」
「あんたの方から、この子にぶつかったと聞いたが?」
「うるせぇ! てめえもガキのくせして、この俺さまに口答えするんじゃねえ!」
ターゲットを俺に変更したらしく、大柄な男が蹴りを放つ。
俺に腕を掴まれているのに、なかなか器用な真似をする。
もしかしたら、ケンカに慣れているのかもしれない。
が、大したことはない。
蹴撃の速度は止まって見えるほどに遅く、その動きも技術がまるで感じられない。
力任せに蹴りつけているだけだ。
そんなもの、まともに受け止める意味はない。
軽くバックステップを踏んで、最小限の動きで大柄な男の蹴りを避けた。
それから前へ。
一歩で大柄な男の懐に潜り込み、トン、と腹部に拳をあてがう。
その状態からさらに一歩を踏み込むと同時、拳を勢いよく前へ突き出す。
「がっ……!?」
最小限の動きで、打撃の威力を一点に収束させるという、最近覚えた格闘術だ。
大柄な男は人形のように吹き飛び、ゴミ置き場に着地する。
頭からごみ袋に突っ込んで、そのまま気絶した。
「ふう」
やりすぎただろうか?
手加減はしておいたから、骨折などはしていないと思うが……
それでも、しばらくは意識は戻らないだろう。
まあ……問題はないか。
先に手を出したのは、大柄な男の方だ。
目撃者も多いし、正当防衛として認められるだろう。
「おぉ」
振り返ると、男の子が感心するような目をこちらに向けていた。
「お兄さん、強いねぇ」
「そうか?」
「うん、強いよ。あの酔っぱらいは、まるでなっちゃいないけど……それでも、体だけは大きいからね。体格差のある相手を軽々と吹き飛ばすなんて、なかなかできることじゃないよ」
「ありがとう?」
「あ、そうそう。お礼を言い忘れていたね。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。怪我はしていないか?」
「大丈夫だよ。お兄さんのおかげだね」
果たして、本当にそうだろうか?
この子なら、自力でなんとかできたのではないか?
先程の男の子の反応を思い返して、ついついそんなことを考えてしまう。
「お兄さん?」
「いや、なんでもない。それよりも、相手が悪いとはいえ、無意味に挑発をするようなことはしない方がいい」
「えー、なんでさ。僕、悪くないよ?」
「それはわかる。しかし、世の中、理不尽に暴力を振るう相手もいるものだ」
いじめられていた経験から、そんな消極的なアドバイスをしてしまう。
それが男の子にとっては不満らしく、軽く頬を膨らませていた。
ただ、すぐに気分を切り替えた様子で、元の笑顔に戻る。
「ねえねえ、お兄さん、ヒマ?」
「いや、買い物の途中なんだ」
「そっかー、残念。ならさ、今度、時間ない? 今日、助けてくれたお礼をしたいんだ」
「気にしなくていい。お礼を目的に、キミを助けたわけじゃないからな」
「そうかもしれないけどさー。でも、それだと僕の気が収まらないんだよ。お兄さんは、僕を、恩を返さないダメな子にしてもいいの?」
「むぅ……そう言われると」
断りづらい。
「……わかった。明日なら空いているよ」
「ありがとう、お兄さん。じゃあ、明日のこの時間、ここで待っているよ」
「了解だ」
忘れないように、しっかりと記憶に刻み込んだ。
「あ。僕、そろそろ行かないと。これでも忙しいんだよね」
「そうか。気をつけてな」
「うん。お兄さん、明日の約束忘れないでね?」
「大丈夫だ」
「それじゃあ、また明日……って、そうそう」
立ち去ろうとして、なにかを思い出した様子で男の子が引き返してきた。
「まだ自己紹介をしていなかったね」
「そういえば……俺は、アルト・エステニアだ」
「僕の名前は……」
男の子は笑いながら言う。
「アベルだよ」
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