第2話 神様を名乗るへなちょこ少女
抱きしめたら折れそうなぐらいか細い体のどこにそんな怪力があるのか。恵美子が拳と蹴りを繰り出すたびに、大柄の男たちが次々と吹っ飛んでいく。
仲間の四人をあっという間に撃沈させられたいがぐり頭は、「な、なんて女だ!」と悲鳴に近い声を上げた。
「とんでもない女に手を出しちまったぜ。に、逃げ……」
「私の財布、返せぇぇぇ‼」
「うわわ、こっち来るな!」
いがぐり頭は逃げようとしたが、狭い路地で恵美子に道を塞がれているため、逃走など不可能だった。突進してきた恵美子に頭突きされ、いがぐり頭は後方――稲荷神が祀られている小さな祠まで吹っ飛んだ。
どんがらがっしゃーーーん!
吹けば飛ぶような脆い造りだった祠は、物凄い勢いで飛んできたいがぐり頭の重みで崩壊した。粉々のバラバラのぐちゃぐちゃである。
「あーっ! 神様のお家を壊すなんて、何という罰当たりな泥棒さんなのですか!」
あんたがやったんだろう、あんたが。恵美子は、理不尽にも怒った。しかし、いがぐり頭は気絶してしまっているので、反論することもできない。
「あなたがやったんじゃないですかぁ~!」
いや、反論の声はあった。
弱々しい、ひとかけらの迫力もない、涙交じりの声。どこから聞こえてくるのだろうと恵美子はきょろきょろと周囲を見回したが、声の主は見つからない。
「ここです! ここ! このおじさんをどけてください! お~も~い~!」
驚きである。声の主――恵美子と同い年ぐらいの少女は、いがぐり頭の巨体の下敷きになっていた。さっきまで祠の前に少女の姿なんてなかったのに……。
「あなた、どちら様ですか?」
恵美子は、気絶中のいがぐり頭をドゲシッと蹴り、ひんひん泣いている少女からどけた。言葉遣いは大和撫子そのものなのに、どうにも荒っぽいところがある乙女だ。
「どちら様ですかって? 神様ですよぉ! あなたにたった今お家を壊された神様です!」
よろよろと立ち上がった泣きべそ少女は、木綿の着物についた埃を払いながらキャンキャンと吠える。やっぱり迫力はへなちょこである。女神らしい神々しさなんてちっとも感じない。
「神を祀っている祠をどんがらがっしゃーん! しちゃうなんて、近頃の女学校はどういう教育をしているのですか。そんな罰当たりだから十二回も破談になっちゃうんですよ! プンスカプン!」
自称神様の少女は、恵美子が女学生の服装――袴姿だったため、現役の女学生と思ったらしい。彼女が乱暴なのは教師たちの学校教育がなっとらんからだと思い、そう罵った。しかし、こんなにもデンジャラスな(元)女学生は日本中を探しても恵美子ぐらいだろう。
「む、むむむ。これはただの事故です。悪気があったわけではないから、お稲荷様もきっと許してくださるはずですわ」
「だから! 本人が! 許さないと言っているのです! 神罰下しますよ⁉」
「……さっきから自分のことを神だと名乗っているあなたこそ罰当たりだと思うのですが。あっ、もしかして、頭の病気でしょうか? お医者様に診てもらったほうがいいと思いますよ?」
「むきーっ! 神の言葉を信じないとは、不届き千万ですぅ~!」
自称神様の少女は、地団駄を踏んだ。見た目は十八歳ぐらいなのに、言動は小学生並みの幼稚さである。小物臭がプンプンする。
「いいでしょう! 私が立派な神――食物神である証拠を見せてあげます!」
「食物神である証拠?」
「ええ。ここの社は縁結びの神として私を祀っていますが、私は本来、食物を司る女神なのです。あなた、今食べたい物はありませんか?」
「食べたい物? そうですね……。アイスクリーム……とか?」
「贅沢な物を欲しがる子ですね。これだから、女学校に通わせてもらえるような金持ちの家の娘は嫌なのです。……では、手のひらをこっちに差し出してください」
恵美子は、半信半疑ながら、言われた通りに水をすくうように両の手のひらを少女の前に差し出した。材料も何もないのにアイスクリームを作れるはずがないと内心思っていたが、この頭が残念そうな少女が何をするのか興味を抱いたのだ。
少女は「いきますよ……」と真剣な表情で言うと、顔を恵美子の手のひらに寄せ、口をぱっくりと開けた。
「うう……おえ……。おええ……」
「え? 何をしているのですか? ま、まさか、私の手に嘔吐するつもりじゃ……」
「おえええぇぇぇーーーっ‼ げろげろげろーーーっ‼」
「ふんぎゃぁぁぁ⁉」
恵美子は白魚のごとき手に嘔吐されちまったと思い、衝撃のあまりひっくり返った。そして、地面の石に頭をぶつけて気絶してしまった。
「どうですか! こんなにも美味しそうでつめた~いアイスクリームを……あれ?」
少女は出す物を出し切ると、スッキリとした表情で勝ち誇ろうとした。しかし、恵美子は完全に意識を失っている。顔や手、胸元、海老茶色の袴はアイスクリームでべとべとだった。
「もぉ~。食べ物を粗末にするなんて、最近の若い人は困ったさんが多いですねぇ……」
少女は腰に手を当てながら、呆れたようにため息をつくのであった。