6.フラグの対価
結界の綻んだところを抜け、いくつかの言葉を交わしつつ、俺はフィリーに運ばれていく。
「結構な速度で走ってるけどこれで丸一日かかるんだろ? ものすごい数の結界で守られてるんだな、あの樹って」
右手のほうに見えている樹を見上げながらなんとなく呟く。
「ええ、あの樹がなければエルフは生まれませんから。万一のことがあるとエルフは滅んでしまいます」
樹々を飛び移りながらフィリーはそう答える。
ここで、ふと沸いた根本的な疑問をフィリーにぶつけてみることにした。答えてくれるかはわからないが、個人的に気になることであった。
「なあ、エルフって何なんだ? 俺が知ってるエルフっていうのは妖精とか神様だったりするんだけど」
その問いに、フィリーは一瞬戸惑ったように間を開け、しかし言葉を選びながら答える。
「えっと……、そんな上等なものでもないですよ。せいぜい『人間に近い見た目の人間じゃない種族』くらいです」
「そうなのか」
確かにフィリーが妖精や精霊や、ましてや神様かと言うと、そんな感じは一切しない。
となると、エルフとは一体何なのだという疑問が湧く。
「ええ。とはいえ、不死ではないにしてもほぼ不老であり、さらに誕生の方法を考えるとそこに神性を見出している人間の方がいても、不思議ではないのかもしれませんね」
「なるほど……」
老いない、というのは多くの人間の憧れであり、さらにエルフは俺達が目指す巨大な樹になる実から生まれるという。そう考えると、フィリーの言うことも筋が通った話だとは思う。
「この世界、女の人から生まれない生き物ってエルフ以外にもいるのか?」
「いえ、私の知る限りはないです。少なくとも、人間もこの森の生物も母体から生まれます。そもそもこの命もいずれは親に返すことになりますし、繁殖といっていいのかさえ疑問がありますけれど」
実際フィリーの言うことももっともだ。種の繁栄という観点から見てもずれている。なぜ世界樹は自身を増やすための種子ではなく、エルフなんていう存在を生み出しているのだろうか。
そもそも、あの樹が種子ではなくエルフを生み出し続けているのだとすると、元々あの樹自身はどうやって生まれたのだろうなどと考えてしまう。
「さて、休憩所です。休憩しましょう」
俺が考え始めるや否や、フィリーは再度歩を緩める。
休憩してから十分も走っていない気がする。ここまでのフィリーの様子を見るにそれほどの頻度で休憩が必要には見えない。
そんな疑問を投げかけた俺に対し、フィリーは言葉を返す。
「いや流石に早くないか? さっき休憩したばっかりだろ?」
「いえ、あっています。休憩できる場所で休憩したいので」
「そうなのか? そこが何か特別な場所だったりするのか?」
場所は再び短い草が生える草原。そこに生えている、三メートルくらいの樹の下にフィリーは腰を下ろす。そばには先程と同じように、小川が流れていた。
「単に休憩に日光と綺麗な水が欲しいだけです。この森は薄暗い場所が多いですし、結界の都合上、川に行きたくても行けない場合が多いので、条件がそろう場所は貴重なのです」
「水に日光だけでいいのか?」
光合成、という言葉が思い浮かぶ。流石に失礼な気がして言葉には出さなかったが。
「前に言ったとおり、エルフは半分植物なのです。エルフは光と水と空気があれば――、そうですね、一、二週間くらいは普通に生きていけますね。疲労もすぐ取れて、睡眠もあまり必要ありません」
「まじかよすげぇな……」
本当に光合成でもしているのではないだろうか。そんな俺の驚愕には気づかない様子で、今度はフィリーが俺に語りかけてくる。
「実のところ休憩が足りているとも言い難かったので、多めに休めるのは助かりました。睡眠が必要とまではいかないので、少しお話でもしましょうか」
「なんかさっきと雰囲気違うくないか?」
先ほどまでのフィリーならば「では行きましょう」とすぐに出発するところだが、先ほどまでよりも柔らかい口調であり、さらに余裕を感じる。
「えっと、はい。なにせさっきの綻びを抜けたことによって休憩がこれを含めてあと四回です。時間的にかなり余裕ができましたから」
先ほどまで休憩はあと六回と言っていたので、ほぼ二回分休憩を飛ばせるくらい進んだらしい。早く進めるのは俺としても願ったりかなったりではあるのだが、一つ気になることがあった。
「それ、結構大事な部分の結界が消えてるってことじゃないのか?」
俺の質問に、フィリーは苦笑いを含んだ口調で俺の質問に答えてくれる。
「喜んでくれると思ったのですが、割と目ざといですね。あなたの言う通り恐らく最低五個は要石が動かされています。たまたま動かされたにしては少々多いです。単に修復していないだけだとは思うのですが、その理由もわからないですね」
「急いで報告しなくてもいいのか?」
「中央が気づいていないということはないと思います、こういうことの感知が得意なエルフもいますので。一応後で族長様に会ったときに報告はしますが、多分把握はしていると思います。とはいえ、人間がたまたま踏破できる道のりではないのでまだ大丈夫ですよ」
「そうなのか? じゃあいいんだけど」
フィリーがそう言うなら大丈夫なのだろう。実際八割以上の結界が生きているならば大丈夫なのかもしれない。
一抹の不安を覚えつつも、その後も木漏れ日の下に座りながらフィリーの休憩に付き添う。フィリーが何を見ているのか気になったが、俺はフィリーの膝の上に置かれているのでフィリーの顔を見ることはできない。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「おう」
静かにフィリーがそう言って、立ち上がろうとした時だった。
――カッ
俺には何が起きたか理解できなかった。ただ、フィリーは俺を抱えて跳んだのである。
先程までもたれ掛かっていた樹に、何かが突き立ったように見えた。俺の目に狂いがなければあれは矢だ。フィリーは直前に気づいて回避したが、そうじゃなければあの矢に貫かれている。
さらに直後、フィリーが俺を抱いて再び横に跳ぶ。再度短く響く何かが突き刺さる音――今度は何発もの矢がフィリーを襲う。それを躱し、受け身を取って起き上がると、フィリーは森へと向かって走り出した。
「何だ今の!?」
「わかりません! ですが、敵なのは間違いないです!」
フィリーの声には先程までとは一転して緊張が走る。
一直線に森に入り、樹を駆け上り、木の葉を隠れ蓑にものすごい勢いで枝から枝へと飛び移っていく。あまりの速度に再び乗り物酔いのような感覚に襲われるが、泣き言を言っている場合ではないのはいくら俺でも分かる。
ただ森に入ってからは矢が飛んでくることはなく、俺達は逃げ果せることができた。
「さっきのは……?」
「分かりませんが、何者かがここまで入り込んでいますね。とはいえ弓矢を使うエルフ以外の種族など、人間しかいません。敵の姿は見せませんでしたが、鏃が金属製だったこと考えると人間ですね。森に金属製の鏃を使った矢はありませんから」
走りながらフィリーはそう分析する。不意に飛来してきた矢の先端を見ていたらしい。恐ろしい動体視力である。
「結界は?」
「私が考えている以上に綻びがあるのかもしれません。今の様子だとそれに中央が気づいていない可能性もあります。あと三回分の休憩は飛ばします。このまま走り続けますが大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないけど、泣き言も言ってられないだろ……?」
フィリーは中央まで丸一日かかると言っていた。
十回の内の三回の休憩を飛ばすとなると、単純計算で八時間くらいは走り続けることになるのだろう。たとえ気絶しても運ばれておけばいいだけの俺と違い、それを踏破しなければならないフィリーのスタミナは大丈夫なのだろうかと俺は心配になる。
「俺はフィリーの体力のほうが心配なんだが?」
「大丈夫です、多分」
ここにきて曖昧な返事が返ってきた。だが言葉とは裏腹に、フィリーの足運びに迷いはない。
走る速度は更に上がり、時速五十キロメートルくらいは出ているのではないかというスピードで森の中を走り続ける。
「矢は飛んでこないし大丈夫じゃないのか?」
「かもしれません、ですがここまで侵入者が入ってきている方が不安です。人間の足でも訓練された者なら、ここから世界樹まで丸一日かかりません。結界が綻んでいるならなおさらです。中央が気づいて対策をしていればいいのですが……」
「その結界の綻びをさっきみたいに通っていくのは?」
「綻んでいるとはいえ結界の先の気配は全くわかりません、待ち伏せされている可能性があります」
敵がいるとわかった以上、そんな危ない橋をわたることは出来ないとフィリーは歯噛みする。ならば、ただ走り続けるしか無い。
「迷路になってるんじゃないのか? あいつらどうやってここまで」
「結界は人間が感知できる魔法ではないのですが……。とはいえ数年前、とある手段で結界を踏破した工作員がいたので、その際に情報を持ち出された可能性がありますね。全員討ち取ったと思っていましたが、森の外からも工作員を通して偵察していたのかもしれません」
「とある手段って?」
「言葉にするのはちょっと……」
過去に一度、何か碌でもない方法で結界を抜けた人間がいるらしい。それが事実なら、その際に結界の迷宮をマッピングされた可能性は確かにあるだろう。
事態はかなり深刻なようだ。フィリーが脚を早める。
「そもそもその中央とやらはどうやって侵入者に気づくんだ? ここまでエルフに一人も会ってないと思うんだが」
「結界に人間が触れた場合は中央が即座に気づくはずです。あとは偵察系の魔法を持っているエルフが常時様々な手段で情報を集めています。さらに私のように外側から見張っている者もいるはずなので、何かあった場合はすぐに自警団が動くはずなのですが……」
「今って、その"何か"じゃないのか……?」
「そのはずなのですけれど……」
フィリーの発言からは緊張が伝わってくる。
現にフィリーも速度を上げて走っているのだが、見えるのは樹々ばかりである。左のほうに世界樹も見えるし、どんどん近づいてきてもいる。
だがこのペースだと日が落ちるまでに到着するかは怪しい。
これ以上俺が喋ってもフィリーの邪魔になるだけだろう、そもそも酔いが限界だ。せめて妙なものを見つけたときに、フィリーに伝えられるようにしておこうと、フィリーの腕の中でじっとしているのだった