3.けれども俺は死にたくない
「俺の身体が乗っ取られてる……?」
フィリーが説いた可能性を、俺は反芻する。
眼の前の少女は口元に手を当て、なにやら難しい顔をしながら話を続ける。
「……例えばですが、あなたが何らかの要因で気絶している間に身体を乗っ取られ、魂を手近にあったその土人形に封じて立ち去られた、という可能性ですね」
「うーむ……、俺の常識だと非現実的すぎて何も言えない……」
やはりそんなことを言われてもピンとこない。
そもそも、肉体と魂を分離する方法も、魂をこんな物に封じる方法もわからないし、そもそも俺の身体を持っていかれてしまった理由となると、なおさらである。
それにはフィリーも同意のようで、一度頷いてから口を開く。
「はい。そう言われるのももっともなことで、古今東西様々な魔法は存在しますが、実は私もそんな都合よく魂を封じる魔法の使い手は知りません」
当たり前のように魔法が存在する世界らしい。ここでは多分俺の常識は通用しないといってもよさそうだ。
「なんにせよ、なんで埴輪なんだ?」
「単純にあなたの身体を持ち去った人物が持っていたのではないでしょうか。あんな祠にそんなものがある理由が分かりませんし……」
なぜその人物は埴輪なんて持ち合わせていたんだ。ということも気になるが、妙な違和感がある。
もしそいつの目的が俺の身体だったのならば、どうしてわざわざ俺の魂を封じて生き延びさせたのだろうか。
「うーん、一応危ない魔法がかけられていないか確認しますね」
そう言うと俺の前まで来て俺を再び抱き上げ、俺の背中に触り始める。こんな姿でも一応触覚があるようで、くすぐったさを感じたがぐっとこらえる。
背中の確認はすぐに終わったようで、今度は百八十度俺の身体を回転させる。
すると今度は目の前のフィリーと目が合った。
「……」
変わっているところもあるが本当に可愛いと思うし、多分すごく真っ直ぐないい子なんだろうなというのが第一印象だった。相手からしたら俺はただの埴輪なのでフラグのフの字もないのが悲しくてならない
「…………」
そもそも俺がこうやってここにいられるのも、手を痛めてまで掘り起こしてくれた彼女のおかげなのだ。妙な状況ではあるが感謝しかない。
と、いうことを考えたところで、神妙な顔で俺の顔を見ていたフィリーが何故か顔を赤くして目をそらす。
「あ、あのですね……、実はなのですが、ここまで近いうえに目もあっているとですね、"ライン"を通している私はあなたの考えが分かってしまうのです……」
「まじか……」
めちゃくちゃ恥ずかしい独白をしていたことになる。脚があったら即座に逃げ出していただろう。
「あの……すみません……あまり褒められ慣れてなくて……」
「いや……、こちらこそ……」
しばし沈黙。
あまりの気恥ずかしさに俺もできるだけ意識をそらそうとするが、耳まで真っ赤なものの、先に気を持ち直したフィリーが俺を見据えて口を開く。
「えっと……、表面上は何も見つかりませんね、痛いかもしれませんが我慢してください」
「へ? ふぁ!?」
そう言うや否や、俺の口に人差し指を突っ込んできた。俺としては何事かわからない。
だが眼を閉じて俺の口の中で指を動かし続けるフィリーは、ある一点で指を止めた。
「魔法の気配が二つありますね。魔法陣が刻まれています」
「ふぁふぉう?」
「はい、一つは魂をつなぐ刻印です。かなり荒く刻まれています、ここまで荒いとよく発動したなと逆に感心しますね」
つまり発動しなければ俺の魂は何処かに飛び去って死んでいたということだ。発動してくれてありがとうと見当違いな感謝の意を心の中で述べる。
「もう一つは精巧……というか精密と言うか、難しいですね。複雑過ぎて私には刻印の意味が読み取れません」
「つ、つまり……?」
「これ以上は私には分かりません。魔法陣の出来に違いがありすぎるので、あなたを封じたのは二人組の可能性がありますね」
フィリーは俺の口から指を抜き、再度俺をテーブルの上に置き、ベッドの方へと離れる。
「どんな魔法かは分からないのか」
俺は改めて尋ねるが、フィリーはすぐに首を横に振る。
「そうですね……、私では殆ど読み取れませんでした。知り合いに魔法が詳しい方がいるので、その人に聞いてみましょう。それより大丈夫でしたか?」
「ああ、大丈夫。別に痛くもなかった」
俺からそそくさと距離をとりながら、フィリーは尋ねてくる。多分、謎の魔法を刻まれた俺を警戒しているのだろう。
「何にせよ、あなたをわざわざこんなところに連れてきた人物というのは、かなり怪しいです。族長にも報告したいですし、その上で一緒に来てほしいところがあります」
「どこにいくんだ?」
俺の問に少女は背後の窓から身を乗り出す。そして、俺の方を向いて口を開く。
「あそこです」
そう言って指さす先は窓の外、そこから見える物は、大樹というにも大きすぎる巨大な樹であった。
雲をも突き抜けんとそびえ立つ巨大な大樹。数キロメートルは離れているであろうこの場所からでもその異質さは理解できた。この樹海に無数に生えている樹も一本一本が数十メートルあっただろう。
それでも、その樹だけは他の樹の何倍もの高さがあるように見えたのである。なぜあの樹だけあんなにも巨大なのだろうと疑問にも思うが、違和感よりもその神木に対する畏怖が勝つ。あの樹に住んでいるのは神だと言われても信じられそうだった。
「あの樹はなんなんだ?」
「……エルフは、あの樹で生まれます」
窓から目を戻した後、フィリーはゆっくりとそう告げた。
「それは、あの木の中に出産施設がある、みたいな話じゃないな?」
「はい、言葉通りの意味です。私たちは『世界樹』と呼んでいます。あの木に実がなって、その実が落ち、その実が割れ、そして中からエルフが出てきます。なので私たちのことも半分植物と思っていただいて構いません」
さもこの世界の常識だと言うかのように、フィリーは淡々と話す。実際に常識のような話なのだろうということも、どういうわけか理解できた。
「なるほど。で、そのどこらへんに問題があるんだ?」
樹から生まれると言われても、エルフや魔法を見た後では「まあそういうこともあるよね」くらいの気持ちしか湧いてこない。俺の感情がどんどん麻痺してきているという気もするが、それはとりあえず置いておくことにする。
「樹はエルフを生み出すのに莫大な生命力を使います。毎年何十、何百ものエルフを産めるわけではないのです。ここまでで質問はありますか?」
「そうだな……、エルフってどのくらい人数が生まれるんだ?」
なんとなく、次の話はそういう内容なのではないかと考え、俺は機先を制そうとする。
どうやら当たりだったようで、フィリーは一度小さくうなずき、再び口を開いた。
「エルフ自身が何もしなければ一年に一人が関の山です。エルフ自体には寿命という概念は存在しないので、それでも増えていくと言えば増えていくのですが……」
寿命が存在しないとはいえ、増加するエルフの人数は単純計算百年で百人。その数に対して率直な疑問を返す。
「何もしなければ一年に一人……。エルフって不死身なのか?」
「いいえ、寿命は確かに長いですが、エルフも病気にかかりますし事故や戦いで命を落とすこともあります。致死性の伝染病を放置したりすると死者は一人や二人ですみません。寿命に反して吹けば飛ぶような種族なのですよ、エルフという種族は」
諦観をはらんだ声色でフィリーは語り、大樹の方へと目を向ける。
「でも滅んでないんだろ?」
「はい」
俺がそう声をかけると、再び無表情のまま碧緑の瞳をこちらへと戻し、再度口を開く。
「エルフを産み落とすために樹が与えるものは生命力です。樹が作り出すそれが追いつかないなら、外から与えればよいのです」
「外から? 栄養剤みたいなのがあるのか?」
「はい、この場合与えるものは当然『生命力』です。私たち自身が生命力を樹へと与えるのです」
身体をはった自給自足だな、などと思いつつも俺は質問を重ねる。
「それ、どうやって?」
「樹の中、正確には木のすぐ傍ならどこでもよいのですが、そこでエルフの心臓を貫きます」
さも当然であるかのようにフィリーは言うが、眉を顰めたくなる方法であった。
「は……? 死ぬってことか?」
「人間の定義で言えば、はい」
フィリーとしては当然の、もしかするとこの世界全土での常識なのかもしれない。
まっすぐにこちらを見据えながら、何の表情もなくこちらに向かって頷いた。
「エルフは長く生きれば生きるほど、生命力という単位で言えば満ち溢れていきます。百年ほど生きたエルフ一人の生命力が間近で開放されれば、三人ほど樹は同族を生み出す生命力を得ることが出来るのです」
「その為に生贄に?」
「そうなりますね」
淡々と話し続けるフィリーは語調を変えることなく、ただ事務的に説明し続ける。先に根を上げたのは俺の方であった。
「何ていうか……、不便というかなんというか……。いくら種族が繁栄しようが同時に自分が死んだら意味がないじゃないか」
自分のいない”繁栄した後世”とやらに何の意味があるのだろうかと考え、ついそんなことを言ってしまう。
「エルフとはそういう種族なのです。この際なのでエルフの三大欲求というものを話しておきましょうか」
「うん? なんで急に」
「まあそう言わずに。エルフの三大欲求は食事に睡眠、そして死ぬことです」
「一つ不穏なものがあったな」
とはいえ、これも予想通りではあった。普通の生物は死を避ける。けれど、これまでの話を聞く限り、死にたくないとエルフ全員が思えばいつかは滅びてしまう種族なのだから仕方ないのだろう。
「エルフは他の生物と違い、性欲はほぼないと言って過言ではありません。そして死ぬことが子孫の繁栄につながるため、長く生きたエルフは強烈な自殺欲求に苛まれると聞きました。勿論私のように生まれてそれ程時間が経っていないエルフがそういう衝動に駆られることはありませんけれど」
「……。大変だな……」
それ以上になんと言えばいいのか分からなかった。
話を総合するに、樹はエルフを生み、同時にエルフを死なせる宿命を背負わせるのである。
何故そのような樹が存在するのか理由がよくわからないが、少なくともこの世界にはそれがあるのだと言うことは頭に入れておかなくてはならない。
「話を戻しましょう。死ぬことが欲求の一つですが、他の生物同様に出来ることなら生きたいとも思っているのです。そして、”運命”の役割の一つには、確実に訪れる死の定めから逃れるというものがあるのです」
そこで"運命"とやらが出てくるのか、と考えて俺は質問する。
「その『フォルタ』とやらはなんなんだ? さっきから何回も話に出てきてるけれど」
「え、あ。そう言えば話していませんでしたね」
”運命”とは幾度もフィリーの口から聞いた単語であった。初めてフィリーと出会った時も開口一番に『あなたが私の"運命”ですか?』と尋ねられたのを覚えている。
俺の問に、きょとんとした顔で彼女はそう言い、コホンと咳払い。そして、居住まいを正した後でゆっくりと説明し始める。
「"運命"……人間の言葉で言うと運命、という意味になりますね。エルフはある時突然、森の動物や精霊の一人とつながりが出来ます。そして、その繋がりができた生き物を運命と呼ぶのです」
「うーん。パートナーみたいな感じか?」
運命とは中々仰々しい呼び方だな、などと思いつつ尋ね返すと、俺の言葉にフィリーは優しく笑みを浮かべながら頷く。だが、それならば一つの疑問が生ずる。
俺は、そちらも質問してみることにした。
「なんでその"運命"っていうのがエルフを死の定めから救ってくれるんだ? 教えてくれるか?」
「はい。”運命”とは、誤解を恐れずに言うとエルフの記憶を保存するための入れ物です。エルフは心臓を貫く前に”運命”に自らの記憶や意識、つまりは魂を移すのです。そして生まれたエルフの一人が自我を持つ前に再度魂を移し、エルフは再生します」
そのような手段があるならば確かに合理的である。死ぬ前に記憶だけでなく意識も移すならば、心臓を貫かれる痛みなども無いだろう。死に対する抵抗は多少薄れるかもしれない。
だがその上で一つ気になることがあった。
「その手段は置いておくとして、一応聞いておくんだけどエルフに意識を移された"運命"側の意識はどうなる?」
「えーっと、ですね……」
今まで淀みなく動いていた口が、急にまごつき始める。目も泳いでいるが、それを俺はじっと見つめる。
そしてしばらくして覚悟を決めたのか、ため息を一つついた後、フィリーは口を開いた。
「エルフの意識に追い出されます、ぽーんって感じです。ちなみに生物の魂は器が必要なので、追い出されたらそのまま消えます」
俺の反応を見ないようにか、あるいは口を挟まなさないようにか、ものすごい早口でそう言いきった。
「……、ぽーんか」
「はい、ぽーんです。そのうえで、一つお願いがあるのですがいいですか?」
このタイミングでされる”お願い”なんて碌なもんじゃないが、一応借りがある、聞かないわけにもいかない。
「まあお願いするのは自由じゃないか?」
それを受けるのも断るのも自由だと思うが。
「あなたに私の”運命”になってほしいのです!」
「頭湧いてんのか!?」
こんな話を聞かされてそんなものになりたいと思う人間はいない。むしろ他の生き物も、なぜそんなものになろうとするのだとさえ思う。
「ひどいです!」
「ひどいのはどっちだ!?」
「むむむ……」
俺としては見ず知らずの人に「私のために死んで下さい!」と言われたも同義である。いくらなんでも許容できるものではない。
流石にそんな訳の分からないものになって、理解不能な死に方をしたくない。フィリーは改めてベッドに座る。そして、真っ直ぐに俺の目を見据え、これが誠意だと言わんばかりに言葉を続ける。
「あなたは追い出されても多分大丈夫ですから安心してください。そうじゃなければこんな話しません、お墓まで持っていきます!」
「埴輪だけにか?」
「んん……?」
フィリーは眉間に小さくしわを寄せながら、首をかしげる。
ハニワ'sジョークは通じないらしい。そりゃそうだ。
俺としては文字通りの死活問題なので一切妥協することは出来ない。とはいえ眼前にいる涙目の少女は俺の命の恩人である、あまり無碍にするのも良心が咎める。
「実は中々いい性格してるな……? まあそれはいいとしてなんで俺は大丈夫なんだ?」
「先ほども尋ねましたがあなたには本当に人間で、器となる本来の身体がある、というのは間違いないですね?」
「ああ。間違いない」
フィリーの問を俺は即座に肯定する。
眼前にいるエルフの少女は涙目でこちらを見据え、むすっとした表情で人差し指を立てて説明を続ける。
「身体を見つけたあと、その身体を魔法で保存し、私が死ぬ時に今あなたが入っている土人形の方に私の魂を納めれば、弾かれたあなたの魂はもとの身体に戻れるはずなのです」
なるほど、一応俺が死なない方法はあるらしい。だがそうなると非常に気になることが一つある。
「ほほう。で、その俺の身体はどこだ?」
「わからないです」
「だろうな」
「……」
「……」
見つめ合ってしばし無言。その間十秒。
「話になんねぇよ!」
「ですから私の"運命"として森を出て一緒に探しましょうって話なんですよぉ……。エルフは"運命"がいないとこの森から出られない決まりなのです」
つい大声を出してしまった自分に反省しつつ、フィリーに再度尋ねる。
「決まりって? さっき言ってた『しきたり』みたいな?」
「いえ、そこまででは……。けれどエルフは"運命"がいないと森の外では魔法が使えません。"運命"には私達が森の外で魔法を使う手助けをしてもらう役目があるのです。もし"運命"がいないと、大半のエルフは森の外では死にたくなるまでずっと生きられる変な小娘に過ぎないのですよ。なので"運命"を見つけるまで森から出ないように、という決まりがあるのです」
「なるほど……」
半泣きになりながらそう語る少女の手が再び目に入る。綺麗な肌は、手首から先だけぼろぼろになっていた。
思えば手を痛めながら俺を探し、こんなよくわからない姿の俺の言うことを信じてくれた存在なのだ。
それを蔑ろにするのも憚られる。
そもそも今の話を鑑みるに、フィリーの"運命"とやらにならなければ俺の身体を探す手段は無いのではないかとも思えるのである。
「……悪かった。俺の身体、探そうとしてくれてたのにな。一応聞いておきたいんだけど、俺の身体が見つからなかったらどうなるんだ?」
その問いにフィリーはふわりと微笑み、意を決したようにゆっくりと話しかけてくる。
「見つけますよ。私の一生をそれだけにかけることになったとしても」
真っ直ぐに、一切の迷いなく碧色の瞳をこちらに向けてそう言ってきた。
無いはずの心臓が高鳴った気がする。
そんな少女に、俺は一切の抑揚なく、淡々と言葉を紡いだ。
「それ、俺の身体が見つからなかったときの答えになってないな?」
「むう……、駄目ですか?」
「駄目っすね」
「そうですか……」
再び目を伏せる。フィリーの顔を見つづていると、瞳がうろうろと動いているので、何かを考えているらしい。
暫くの間眺めていると、フィリーは何かを思い出したかのように「あ」と声を上げた。
「今度は何だ……?」
正直俺としてはフィリーの"運命"とやらになるのは避けられないと思っている。
とはいえ、もう少し背中……というか俺の魂を預けてもいいと思える説得をしてほしい。そうじゃなければ不安でならない。
などと思いつつ、何度目なのか分からない問いをフィリーに返す。
「あ、いえ。言い忘れてた話があるのですが、あなたの魂はもうすぐ死にます」
「……は?」
このエルフの少女は交渉がド下手だ、そして大切なことを最後まで言わない。俺はフィリーへの評価にそう付け加えた。