2-5.はじめてのお買い物
フィリーはゆっくりと外を歩く。
知らないものが見れば昼下がりに一人の少女が村を散歩している、そんな光景にしかみえないだろう。
「この世界は、あなたの世界と比べてどうでしょうか」
フィリーが俺に問いかけてくる。深い意味はない、ただの話の切り口だろう。だが、その問いに俺は少し考える。
「まだ分からないな。でも俺はここに来れてよかったと思ってるよ」
「そんな姿になっていたとしても?」
「この姿だからフィリーと出会えたんだろう? それに、フィリーじゃなかったら森の外に俺の身体を探しに行くなんて言ってくれなかったかもしれない。打算的って言われるかもしれないけど、俺はフィリーに出会えてよかったと心から思ってるよ」
俺は埴輪の姿になってしまっている。魂を埴輪型の陶器に封じられた俺は、フィリーの"運命"として契約したことにより、なんとか命を繋いでいる状態なのである。
"運命"の力は、単純な大きさである程度決定づけられる。ただでさえ身体《器》が小さく、その上エルフと仲が悪い人間の霊が封じられている俺は、エルフにとってはあまり都合の良い体ではないはずである。
「そんなに上等なエルフじゃないですよ? 私」
「そんなことはねぇよ。自信を持ってくれ、フィリーはすげーよ」
「あはは……」
返ってきたのは苦笑いであった。
フィリーは昔親友を助けられず、さらにシエルリーゼと仲違いしたことによって、自信を完全に失っていた。
とはいえ仲違いしていたシエルリーゼとも最近仲直りし、出会った時よりは多少笑顔を見せてくれるようになったようには思う。
それでも、やはり引きずっているのだろう。俺の知らない時に起こった話だが、友人を目の前で失うのは多分辛いだろう。
せめて俺がもっと運命として力を持っていれば、『お前はこんなに凄い奴を"運命"にしてるんだぞ!』とでも言えるのだが、現実はこれである。
「……今は何処に向かってるんだ?」
早々に俺はこの話題からの逃走を決め込む。
俺のコミュニケーション能力ではフィリーを励ますことはできそうになさそうだ。
幸いフィリーもこの話題を引きずることなく、俺の質問に対して返答を考えてくれる。
「うーん……。特に目的は無いですね、何処か行きたいところはありますか?」
「うーん、この村に何があるかわからないんだよな――ん?」
鼻腔をくすぐるこの香り……と言っても、俺には元々嗅覚がないため、その感覚はフィリーの嗅覚を通したものだろうが、なにやら美味しそうな香りがする。
芳ばしい言うかなんというか、何かの肉を焼いているのだろうか。
「この匂いは?」
「え? 多分なにか動物を焼いているのでしょう。人はよく食べるそうですね」
その言い方から察するに、フィリーはあまり肉は食べないのだろう。そもそも、人間から見ればエルフは異様に少食なので、狩猟してまで肉を食べる必要はないのかもしれない。
などと思い当たったものの、会話を続けるために俺はあえてその質問をする。
「エルフってやっぱ肉は食べないのか?」
「私はあまり得意ではありませんが好きな同族もいますね。食べますか?」
俺に向かってそう質問をしてくる。フィリーの感覚を通してか、美味しそうな匂いがする。
興味はないと言えば嘘になる。とはいえ俺はこの体である。口はないし、無理に突っ込んでも底に開いた穴から落ちていくだけだろう。
「俺は食べれないからなぁ……」
「ええ、でも私が食べることによって、味を伝えることくらいは出来ると思います」
「なるほど、いいのか?」
「はい、構いませんよ」
フィリーは時々だが果物や、食べられるという野草を食べていた。
だがその際に俺と感覚を共有することは無かった。いったいどうなるのか、興味が無いとはいえない。危ないことはないだろうし、迷わずその提案に乗ることにした。
「では、行きましょう」
「おう」
フィリーは踵を返し、路地を抜ける。
香りと共に、何かを焼く音も聞こえてくる。
暫く歩いていくと、屋台のような店で男が一人ヘラのような物を持って何かを焼いているのが見えた。周囲には、数名の客の姿も見える。
フィリーは真っ直ぐにそちらへと歩いていくと、財布を出しながら店の前で立ち止まる。
「嬢ちゃんも喰うかい?」
店員の男性が笑顔を浮かべながら尋ねてくる。
眼の前には網で焼かれる謎の小動物。これは一体何なのだろうか。
「では、お一つお願いします」
「はいよ、アイト銅貨二枚かイルル銅貨二本ね」
「はい」
そう言ってフィリーは大きめの銅貨を一枚手渡す。それを店主が受け取ると、袋から何枚かの銅貨を取り出しながら言う。
「イルル銅貨一枚か、じゃあアイト銅貨八枚お釣りだ。まいどあり」
「はい、ありがとうございます」
八枚の小さな銅貨を財布に入れながら、紙――というよりは、大きめの餃子の皮のようなもの上に乗せられた、焼かれた肉を受け取る。
フィリーは屋台から離れ、村の中央にある広場まで戻り、ベンチのような椅子に腰を下ろす。
「はぁ……。緊張しました……」
「え、何処に?」
疲労困憊という風に、俺を腰から外して隣に置きながらフィリーは言う。
何処かに緊張する要素はあっただろうかと考えるが、俺には分からない。
「物とお金を交換する買い物は初めてでしたので……。人の国で生きていくには金が絶対に必要、という話は知識としては知っていましたが、やはり初めては不安です」
「ああ、なるほど」
宿をとった時にお金は払っていたが、それとこれとは話が別らしい。
確かにフィリーにとっては何もかもが初めてなのだ、殆どの事をフィリーにしてもらっている俺だが、実際に体験することになれば買い物程度でも緊張するかもしれない。
「ところで、銅貨って種類があるのか?」
「え? はい、そうですね。アイト銅貨とイルル銅貨があり、アイト銅貨十枚でイルル銅貨一枚の価値です。流通している貨幣はあと三種類あって、ウィーヴル小銀貨、エイン大銀貨、オールム金貨というものが通貨として存在しています」
小指の先程の大きさのアイト銅貨と、それより二回りほど大きめのイルル銅貨とやらを俺に見せながらフィリーは説明してくれる。
「ほー、ありがとう。ちなみにさっきイルル銅貨二本って言ってたのは?」
「指二本分ってことですね。イルル銅貨二本と言われてそれで代金を支払った場合、残り八本分の下位貨幣が――、つまりはアイト銅貨八枚がお釣りになって返ってくるということです」
フィリーが指を折りつつそんな説明を俺にしてくれる。
「なんでそんな言い方を?」
「分かりやすいのと、あとそれ以外の貨幣は受け取らないぞっていう意思表示ですね。アイト銅貨での買い物にエイン銀貨やオールム金貨を持ってこられたらお釣りの計算が大変なことになりますから」
「なるほど」
アイト銅貨一枚が日本円で百円くらいの感覚だろうか。ならば最上級のオールム金貨で一枚百万円の価値となる。早々お目にかからなさそうだし確かにお釣りが大変そうだ。商品ごとに使用可能な通貨を指定する理由も分かる。
「ふふ、では食べましょうか」
そう話すフィリーの手には、紙のようなものの上に載せられた肉の塊がある。フィリーの話を聞きつつも、俺の視線はそちらへと向いてしまう。
それを感じ取ったフィリーは、その肉の骨を持って口元へと近づける。小さな動物のようだが、一体何の肉なのだろうか。
「では、食べますね」
「おう!」
少しワクワクする。食事が必要ない身体とは言え、やはり食を欲するのは人間の本能なのだろうか。
串に刺さった肉に、フィリーは小さな口で噛み付く。途端、脳に直接味が伝わるような感覚がした。
「(おお……!)」
はじめの感想は驚きだった。口で食べているわけではないのに味を感じるとは不思議な気持ちだ。
癖は強いのでは、と思ったが意外とそうでもない。むしろ淡白である。何の肉なのだろうか。
「フィリー、うめぇ! これ、何の肉なんだ?」
「え? うーん。多分蛙ですかね。多分その辺の畑にたくさんいるのではないでしょうか」
「え、これ蛙なのか?」
自分で食べるなら抵抗があるかもしれないが、味だけならば抵抗はない。その後数口フィリーはそれを食べるが、感覚は変わらない。不思議な感覚だがとても美味しいと、そう感じられる。
だが、フィリーは肉を食べる手を止めて、じっとそれを見つめる。
感覚をある程度共有している俺は分かる。胸焼けのような感覚が、俺に伝わってきていた。
「フィリー、大丈夫か?」
「え? ああ、伝わってしまいましたか。すみません、少食な上にお肉は苦手で……」
「いや、それはいいんだけど。どうする? それ」
フィリーに尋ねるが、フィリーは眉間にしわを寄せながらそれを眺め続けている。やはり食欲はもうないようで、食事は進まなさそうだ。
捨ててしまうのは勿体無い気がするが、仕方ないだろう。捨ててしまおうと提案しようとしたその時であった。不意に、座っていた俺達の前に立ち止まる人がいた。俺もフィリーも視線を向ける。
「……」
「えっと、あなたは……?」
視線の先にいたのは十歳前後の女の子。ブロンドの髪に金色の瞳、それをこちらに向けている。大きな赤いリボンを頭につけて、空色のワンピースを着た少女であった。
少女の視線の先は、フィリーと肉とを行ったり来たりしていた。俺とフィリーは眼を見合わせる。
「えっと……、いりますか?」
「ん……ん……」
フィリーの問に、少女はぶんぶんと首を縦に振る。
フィリーは恐る恐る、といった風に右手に持った焼かれた肉塊を差し出すと、少女は自らの顔をフィリーの顔にぐいっと近づけたのだった。
「え? あ、あの……?」
その様子を続けること五秒。フィリーの眼前三センチの場所で、少女は瞬きもせずにフィリーを見つめていた。
フィリーは戸惑いながら身体を仰け反らせるが、女の子はそれ追いかけるようにその分顔を近づける。助けを求めるようにフィリーは俺の方へ目を向けるが、それと同時、女の子はフィリーが持っている肉塊をパクリと直接口でかじりつくと、フィリーから顔を離すのだった。
「ん、……ん」
何かを言おうとしているようだが、口で肉をくわえているため当然何を言っているか分からない。少しの間そうした後、少女はペコリと一度お辞儀をして、何事もなかったかのように背中を向けてパタパタと走っていってしまった。
「えっと……、行ってしまいましたね……」
「何だったんだ……、あれ」
俺とフィリーは何が起きたか分からずにいた。フィリーの手には、元々肉が乗せられていた大きな餃子の皮のような物。フィリーはそれを少しずつ手で千切って口に入れながら、女の子が去っていったほう眺めていた。やはりそれは食べられるものだったんだな、などと思いつつ、俺はフィリーの方へと視線を移す。
「今……。いや……、まさか……」
「ん?」
「あ、いえ、なんでもないですよ」
フィリーがそう呟いた気がしたが、笑顔ではぐらかされてしまった。
そして俺を持ち上げ、いつものように腰のあたりに括り付ける。
この後も村を色々と回り、お互いに風景を眺めて感覚を確認していく。少し離れた場所にある立派な――恐らく領主の家と思われる場所まで行こうかと話し合ったが、その頃には日が落ち始めており、帰ってくる頃には完全に夜も更けてしまうということで、やめておくことにした。
「さて、どうしたものでしょうか」
「フィリーは行きたいところとかないのか?」
「あはは……、しいて言うなら疲れたので帰りたいですかね……」
俺は尋ねるが、帰ってくるのはそんな苦笑いであった。
旅の疲れが出てるのか、それとも周囲に漂う魔力の減少に身体が慣れていないのか、やはり昨日からフィリーは本調子じゃないように思える。
「よし、じゃあ帰ろうぜ。別に今日やることは別になにもないんだろう?」
「はい、ではそうさせていただきます。……ん?」
フィリーが何かを発見する。まだ感覚の共有は続いているので、フィリーの視線の先にあるものは俺にも分かった。
「子供?」
「ええ、弓矢を持ってますね。あと身なりがいいような……」
十二、三歳といったところだろうか。そんな少年が、裏路地を走り抜けていくのが見えた。確かにフィリーの言うように、他の村の人とは着ていた服が違ったような気がする。
とはいえ、だからといって追いかけたりする意味も特に見いだせない。フィリーも同じらしく、宿へと歩いて戻るのであった。




