2-4.はじめての人里
深い草に囲まれた樹、その下で身体を休ませた俺とフィリーは村の入口へと向かう。昨日の男たちは何だったのかという一抹の不安はあるものの、今は気にしても始まらない。
入り口に行くと、革の鎧を身に着けた若い男が話しかけてきた。腰には鞘に収まった剣が見える。見張りの人だろうか。
「よお、ここはアルド村――なんてな。見ねぇ顔だがこの村になんか用かい?」
見張りと思われる人物は、人の良さそうな笑みを見せながらフィリーにそう問いかけてくる。
「はい、近くの街から買い出しに来ました。いつもは父が来ているのですが、最近体調が悪いようで……」
「へぇ、若ぇ娘が大変だな。まあ最近物騒だし、遅くならねぇうちに帰ることだな。それが無理なら泊まっていきな、広場の近くに宿があるからよ」
そう言って男は村の中へと親指を向ける。その後、話は終わりだとでも言うように、男は俺達に背を向けて、村の外へと視線の先を向けるのであった。
「はい、ありがとうございます」
男の背中にフィリーは軽くお辞儀して、村の中へと入っていく。暫く真っ直ぐ行くと、男の言ったとおり広場があった。眼の前には大きな樽が置いてある建物がある。酒場だろうか。そしてその建物の隣には、宿屋のような建物が併設されているのも見てとれた。
フィリーが辺りを見回すと、市場に風車、そして煙突からモクモクと煙が上がっている石造りの建物がある。
ゲームに出てくる村のように家が五軒くらいしかない、なんてことはない。
それなりに人の往来がある。
日本の街のように所狭しと家が密集しているというわけではないが、散村という程ではない。むしろ家が集まっている集村だろう。
目に入る家の数から考えるに、人口は三百人くらいだろうか、平均的な家族構成がわからないので幅はあるだろうが、大きくは外れないだろうと思う。
そして視線の先、小高い丘の上には一際立派な家が見えた。領主の人が住んでいるのかもしれない。この世界での一般的な村とはこういう感じなのだろうかなどと俺は考える。
「さて、ではとりあえず目下の用事を済ませましょうか」
「分かった」
フィリーは真っ直ぐにその煙が上がっている建物へと向かって行った。建物の周りには、薪や何に使うのかよくわからない道具がある。扉を開けて中に入ると、カンキンカンキンと小気味よい音が聞こえてくる。
どうやらこの建物は鍛冶屋のようだ。フィリーが武器を買おうとしていたことを俺は思い出す。
「……なんだい? ここは嬢ちゃんみたいなのが来る場所じゃないが」
中でハンマーを振るっていた職人と思わしき人物がこちらを振り向く。彫りが深い顔の男、その双眸にフィリーは睨まれる。眼の前の人物は、煤で顔が真っ黒になった恰幅のいい男だった。
「弓と矢、あと矢筒をください」
「……客か」
その男に一切物怖じすること無く、フィリーは端的に要件を伝える。
値踏みするような鋭い眼光をフィリーに向けつつも、男は鍛冶道具を置いてこちらへと歩いてくる。そして、入口にあった弓が入った樽を物色し始める。
「ここから選べ、どれがいい?」
「……ではこれで」
フィリーは何本かの弓を触り、弦の調子を確認していく。そして、三本目の弓を男に手渡す。そして、その奥にあった木箱の蓋を開ける。そこにはいくつかの円筒形の筒が入っていた。
「矢筒はこれだ。自由に選べ」
「はい、ではこれで」
こちらに関しては、フィリーはぼぼ迷うことなく装飾が殆ど無い、焦茶色の矢筒を取り出す。
「矢は何本入りますか?」
「それだと十二だな」
鍛冶職人の男は、木箱を片付けながら言う、金床の方へと戻っていく。
そして、金床の前に座ると、再びハンマーを手に取る。
「では入るだけください」
「……今は、ねぇな」
フィリーの言葉に、一瞬逡巡する様子を見せながら、鍛冶屋の男はそう告げるのであった。その様子に、どうしたものかとフィリーと俺は一瞬顔を見合わせる。
「明日までに作っておいてやる。その弓と矢筒も一緒に渡してやるから今は置いてけ、それだけ持ってても邪魔だろ」
「分かりました、お願いします」
矢の注文だけを済まし、ハンマーを振るう男の店を後にしたのだった。
・・・
・・・
・・・
「これからどうする?」
「元々武器を買う予定しかありませんでしたし、特にすることもないですね。宿に行きますか。部屋が空いていればよいですが」
そう言って、フィリーは酒場へと入っていく。宿泊施設は酒場に併設されているらしい。
酒場に入ると、一人の男の人が机を拭いていた。俺達の姿に気づくと、笑顔を向けてくる。
適度に鍛えられた身体に、背筋がピンと伸びている。そして真っ白な髪を綺麗にオールバックに纏めている壮年の男性であった。その姿勢からだろうか、顔には確かに皺が刻まれているためそれほど若くないのかもしれないが、後ろ姿は二〇代前半と言っても通じるかもしれないほど若々しく見える。
その男性は手を止めると、フィリーに向かって言う。
「食事かい?」
「いえ、一泊する宿を」
フィリーがそう伝えると、カウンターの下から帳簿のようなものを取り出し、パラパラとめくっていく。
そして開かれたそれをカウンターに乗せると、優しげな双眸をこちらへ向けてくる。
「一人かな?」
「はい」
「そうか、それなら……。一人部屋、素泊まりで一泊でイルル銅貨五枚、夜ここで食事をしてくれるなら四枚。宿を出る時一枚返すが、それでいいかい?」
「はい」
フィリーが頷くと、酒場の男性はサラサラと帳簿にペンを走らせる。
その間、カバンの中から革袋を取り出し、そこから赤褐色の大きめの貨幣を五枚、カウンターに置いた。
置かれた貨幣を受け取ると、男は背後の棚から何かを取り出し、それをカウンターの上に置く。
「これが鍵だね。そこの階段を登って一番奥の部屋があなたの部屋だ。では、ごゆっくり。夕食は六鐘の時から私が寝るまでだから、よろしく頼むよ」
「ありがとうございます」
微笑みを浮かべる老紳士から鍵を受け取ると、フィリーはペコリとお辞儀をして階段を登っていく。
薄暗い階段を上り、廊下を歩く。ギシギシと木が軋む音が響く。静かだ、泊まっている人間は俺達しかいないのかもしれない。
「おお、これは中々私好みです」
ドアを開けたフィリーが言ったのはそんな言葉。畳六畳分ほどの広さの部屋に、ベッドと机、そして汲み置きの水が置かれている部屋。そして光を取り入れるための大きめの
窓があった。
「簡素だなぁ」
「この簡素さがいいんじゃないですか。私は好きですよ」
そういえばフィリーの部屋も同じくらい物が少なかったことを思い出す。
俺がそんな事を考えている間に、フィリーはベッドに腰を下ろし荷物を傍らに置く。そして、背負っていたカバンの中から小さめのカバンを取り出し、そこに財布を入れると、それを肩にかけ直した。
「いい天気ですね」
「ああ」
窓から見える空には雲ひとつ無い。太陽は天頂に昇っており、燦々と輝いている。しばらく――最低でも今日一杯くらいは天気に心配する必要はなさそうだ。
しかし何故急に天気の話題を? そう思っていると、フィリーは俺の方へと視線を向けてくる。
「明日まで寝て待つのも退屈ですし、村の中を見て回りませんか?」
「お、いいのか?」
俺はつい最近、元々いた世界からこの世界へと飛ばされてきてしまった。いわゆる異世界転移というやつだ。
しかも昨日までいた場所は、エルフしかいない森の中である。
この世界の人間の生活について少しでも多くのことを知りたいと思っていた。そんな折、フィリーから提案してくれるのは願ったり叶ったりである。
「はい、私も森から出ることなどなかったので、人間の国の話は全て伝聞の知識なのです。私も早く慣れませんと」
そう言ってフィリーは立ち上がり、いつものように俺を腰にくくりつける。
「"眼"はどうしますか?」
フィリーが言っているのは感覚の共有をどうするか、ということだろう。
「俺はこのままでもいいけど、フィリーはどうしたい?」
「そうですね……、シエルと戦って思ったのですが、視野が急激に変わるのはやはり違和感がありました。今のうちに慣れておきたいですね」
立ち上がりながらフィリーが言う。そして宿の部屋から外へ出て、扉には鍵をかける。
人間が急に誰かと視界を共有する、なんて事になったら多分立っているのがやっとだと思うのだが、『違和感』の三文字で片付いてしまうのはやはりフィリーがエルフだからなのだろう。
「違和感だけか?」
「はい。視野があれほど広がっているならば、シエルの攻撃と言えど、捌くだけならもう少し出来たはずです」
違和感以外には無かったか? と尋ねたつもりだったのだが、返ってきたのはそんな返事であった。
俺自身はというと、やはり乗り物酔いのような症状が出てしまう。
今のように腰に吊るされているだけなら慣れてきたが、やはり激しく動いたりフィリーの視界を借りている時は酔いが酷くなる。もしかすると、この乗り物酔いのような感覚もフィリーに伝わってしまう可能性がある。大切な時にそうならないように慣れておきたいという気持ちはあった。
「じゃあ、頼む」
「はい、ありがとうございます」
その言葉と同時、視界が広がった。俺達は契約の影響で五感を共有することが出来る。
普段の身体だと視覚と聴覚、あとは触覚しか無いのだが、この時だけは俺もフィリーを通して嗅覚を取り戻せる。
味覚はどうなのだろうと思ったが、そもそも俺が物を食べられないのだからあってもなくても変わらないだろう。
それにしても視野の角度が突如倍になるのだ、運ばれているだけの俺でさえ違和感を覚えるのに、フィリーは特に何も気にしているように見えない。
元々感覚の共有は全ての"運命"が持っている特性のようなので、エルフの遺伝子に刻みこまれているのかもしれない。
「さて、急ぎではないですし、ゆっくり歩きましょうか」
「ありがとう」
「ふふ、いえいえ」
俺の方がこの"感覚の共有"に慣れていないということは、フィリーも分かってくれているらしい。
無我夢中だったシエルリーゼとの戦いの時に対し、今あの速度で動かれると一瞬で音を上げる自信がある。
腰に縛り付けられて固定されている俺は、フィリーに連れられ、宿の外に出るのだった。




