2.籠の中の鳥
俺は水面に映った自分の姿に愕然とする。なぜ、俺は埴輪になっているのだろう?
「見えましたか?」
俺の後ろから少女が声をかけてきた。
「埴輪が見えるな……」
問いかけには答えないわけにはいかないと思い、なんとかそう声を出した。
「はにわ?」
少女は尋ね返してくる。俺としては思考が全く追いついていない。
「なんで俺が埴輪に?」
「はにわ……」
少女は反芻する。俺は少女の手の中で呆然としていた。お互い声は出しているが、会話はしていない。
水面に見えるのは少女の手とその手に持たれている埴輪だけ。つまり俺は埴輪ということになる。
「あなたは、はにわさん?」
「いや、人間だと思う。今は埴輪だけど間違いなく人間だ」
混乱のあまり自分で何を言っているのかよく分からない。言うべき言葉が頭の中で纏まらない。
「にん……げん……?」
今度は少女から動揺の声が漏れる。表情は見えないが、俺を握っていた手の力が強まる。
というか痛い。
「えっと、痛いんだけど?」
「あ、すみません」
妙に強く入っていた少女の力が緩む。
俺はと言うと、今の痛みで少し我に返った。俺が埴輪になってしまったことについては後で考えよう。
状況を整理しなくてはならない。視覚と聴覚はある、触覚もあるらしい。だがそれ以外の感覚はない。ただ、俺を手に持っている日本人離れした容姿の少女に対しては何故か言葉が通じる。"ライン"というものの効果だろうか。
「あ……」
思考を巡らせていると不意に少女の手が目に入り、俺の口から声が漏れる。綺麗な腕に反し、その手の先は泥まみれで、さらに言うと爪はボロボロで指先は血まみれであった。多分、俺を掘り起こしたせいだと思うと一気に頭から熱が引き、冷静になれた。
「土に宿った精霊か何かだと思っていましたので……。けど、そう聞くと確かに……」
「俺の言うこと信じるのか? ていうか精霊ってファンタジーだな」
冷静になったゆえに口からは軽口が飛び出すが、この場で一番ファンタジーなのは今の自分自身であることは間違いない。
「とりあえず、ここでは詳しい話はできません。私の家まで走ります」
「え? うお!?」
少女は俺を再び胸の前に抱え込み、再び走り出す。ここに来た時よりも圧倒的に速く樹から樹へと飛び移る。
そして少し高めの木を一気に駆け上がると、その上にあった小さな小屋のような建物に飛び込むように入り込んだ。
「はぁ……はぁ……。うん、よし……」
少女は息を切らしていたが、俺を家の中にあった机に置くと、少し離れたところにあるベッドのような家具に腰を掛けた。
「言いたいことがあるのです」
「奇遇だな、俺もだ。助けてくれてあり——」
「本当にあなたは人間なんですね?」
お礼を言おうとするも、言葉を被せられてしまい、面食らう。
俺は言葉に詰まりながらも、再び弁明を始めた。
「いや、うん。まあこの姿だとそうかもしれないけど、一応人間のはずなんだ」
やはりこれまでの話を全て信じてくれていたわけではないらしい。食い気味に俺の発言にかぶせてくる少女に、一応人間だということをもう一度伝える。
「だって、だって! 人間なんて……いや、けど……」
少女は一人で表情を変えながら何かをぶつぶつと言っている。
そしてしばらくそうした後、ベッドの上から怪訝そうな瞳をこちらに向けてきた。
「人間、なんですか……」
再度同じ問をされる。その問いは弱々しく、先程にも増して覇気がない。
俺はどうすればいいのかわからないが、嘘をつく必要もないだろうと思い直し、言葉を伝える。
「そのはずだ。なんでこんな姿になっているのかわからないけども、ここ何時間かの記憶がないんだ」
少女がベッドのほうから不安げな瞳を向けてくる。本当のことを言ってしまってよかったのか、言ってから不安になってくる。
「いえ……、取り乱しました、すみません。信じます。その陶器に封じられた魂は、確かに人間のものだと思います。そういう気配が感じられますので」
「信じてくれるのか……」
少女は少し離れた場所にあるベッドから、目を細めてこちらを見つめてくる。針のむしろとはこのことだろうか。
目をそらしたくても埴輪の身体ではそれさえ出来ない、俺が文字通り硬直していると、少女が再び口を開く。
「いえ。申し訳ありません。恐らく困惑しているのはあなたの方だと思います、なんでも聞いてください。答えられる範囲で答えます」
かなり警戒気味にこちらにそう告げる。この場合の『なんでも』は『空気を読んだ上なら』という接頭語がつくのは間違いない。とはいえこの際だ、言わないといけないことは言っておかなくてはならない。
「じゃあまず、助けてくれてありがとう」
「え……?」
やっと言えたと思っていると、少女は面食らったという表情で、これまでで一番訝しげな視線をこちらに向けてきたのである。
「ん? え? なんか変なこと言ったか?」
少女は目を閉じて何かを考え込む。そして、再び碧い眼を真っ直ぐにこちらに向けてくる。
「えっと、あなた……、無いのは本当に数時間の記憶だけですか?」
俺を見据えてくるその瞳はあまりにも険しく、下手なごまかしはしてはならないと俺の本能が告げる。
「さっきも言ったけどそのはずなんだ。俺が道を歩いてたら誰かに呼ばれた気がして、それを追いかけてたけど誰もいなくて、そしたらいきなり視界が真っ暗になって、気づいたらこうなってた」
端的に、ただ起こったことだけを伝える。
俺がそう伝えるとフィリーは俺の眼を見据えたまま、再度口を開く。
「一つ尋ねますが、あなたはどこから来たのですか?」
「日本って国だ」
ここで言葉を濁さないのは俺なりの誠意のつもりである。
ここが地球ではないのは明白であり、明らかに俺の知らない場所だとしてもだ。
「知らない国ですね……」
分かっていた答えであった。どう見てもここは日本じゃない。そもそも、少なくとも地球にここまで露骨なエルフは存在しない。
「概ね理解しました。ではやはり自己紹介からのほうがいいですね」
眼の前の少女は居住まいを正す。そして、あまり上手いとは言えない笑顔をこちらに向けてきた。
「私はエルフ族のフィリンシアといいます。呼びにくかったらフィリーか、あるいはシアとでも呼んでいただければ幸いです」
少女の名前を聴くことが出来た。そしてやはり彼女はエルフらしい。
そしてもう一つ分かったことは、やはりここは俺の知っている世界ではない。しかし言葉が通じるらしいことは幸いである。とはいえ奇跡的な言語一致というのはありえないだろう。
ならばやはり最初に施された”ライン”というものは本当に魔法だったのだろうか。
「じゃあフィリーで。俺の名前は——」
「あ、それはまだ言わないでください」
「ええ……?」
名前を言うのも遮られてしまった。するとフィリーは、少々目を伏せながら俺に小さな声で話しかけてくる。
「エルフがこの森の中でエルフ以外から名前を聞くのは契約のあと、というしきたりがありまして……」
「"契約"ってのが何かはわからないが、難儀なしきたりだな……」
「そうですかね……? ところで、あなたは呼ばれたといいましたね」
「え? あ、ああ。そうだな」
目を上げたフィリーは、先程の弱々しさは錯覚かと思えるほど毅然とした表情で俺に尋ねてくる。
唐突に話を戻され、少し面食らいながらも肯定の言葉を返すと、フィリーはまっすぐにこちらを見つめて口を開く。
「一つ、お伝えします。少なくとも呼んだのは私ではありません」
「そうなのか? 君も誰かを探してた気がしたんだけど」
俺の問に、フィリーと名乗った少女は首を縦に振る。だがその表情には影があるというか、あまり明るいものではない。
「はい、ですが呼んだのは一度だけ、あなたに出会った祠に入ったときだけです。あなたはその時には既にこちらの世界にいたのですよね?」
「ああ、間違いない」
「ではやはり、それは私ではないのだと思います」
俺は確かに誰かの声に誘われてここに来た。だが、俺を呼んでいたのはこの少女ではないというのは、今の話を聞く限り間違いないのだろう。
「確かに私は”運命”を探していましたし、こうして出会った以上は何かしらの意思は働いていたのだと思います。それがまさか”はにわ”とかいう人形に封じられた人間の魂なんて思いませんでしたが」
先ほどから話しに出てくる”運命”とやらがなんなのかは分からないが、それよりも気になる発言をしていた。それに対してさらに深く聞いてみることにした。
「封じられてる? 俺の魂が?」
「はい。確かにあなたは何か生き物――おそらくは人間の魂です。その上で肉体と分離され、魂だけが人為的にその土人形に繋がれてしまっています」
「繋がれて……? まて、そもそも身体と魂が分離して俺の体の方は生きてるのか?」
俺のその問いに、フィリーは難しい顔をするが、少し時間をおいて首を縦にふる。
「おそらくは。人間が魂として移動できる距離はものすごく短いのです。なので死んでいるなら身体も近くにあるはずです。ですが身体はありませんでした。ですから多分、生きているとは思います」
「じゃあ俺の身体はいったい……?」
「うーん……」
その問いに少女は眉を顰める。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。
俺は言葉に詰まり、フィリーに恐る恐る問いかける。
「ど、どうした……?」
「いえ……、言っていいものかと思っただけです」
「聞かせてくれ」
フィリーは何かに気づいたらしい。俺は即座に返事を促す。
この話を聞かなければ始まらない。そんな予感のもと、フィリーに頼んだ。
「あくまで、可能性ですが。あなたの身体は誰かに乗っ取られています」
エルフの少女は神妙な顔つきで、俺にそう告げたのであった。




