26.俺の名は
勝負が決し、フィリーはシエルリーゼの上から退くと、シエルリーゼは一目散に走り出す。
その方向は俺の方――ではなく、俺の下にいる大型の猛禽類、シエルリーゼの"運命"へ、である。
「にゃあぁ、クー! 大丈夫にゃ!!?」
クーとはこの鳥の名前だろう。きっと俺はまた放り投げられるんだろうなぁなどと覚悟したが、予想に反して丁寧に外され、俺の身体は地面へ置かれた。
意外に思っていると、後から歩いてきたフィリーに抱き上げられ、話しかけられる。
「エルフにとって"運命"は大切な存在なのです。当然他のエルフも分かっているので、仲間の”運命”も大切にするのですよ。シエル、あなたの”運命”もちゃんと受け止めたと思ったのですが、怪我でもしてしまいましたか?」
「にゃぁ……大丈夫にゃ……」
その言葉の示すとおり、大型の猛禽類はバサバサと翼を羽ばたかせ、大空へと舞い上がる。そして、先程までと同じく空を旋回し始めた。
「クーっていうのはあの鳥の名前ですか?」
「そうにゃ……、わたしの”運命”にゃ……」
暫しの沈黙。二人はただ空を見上げ続ける。
不意に、シエルリーゼの方から声をかけてきた。
「行くにゃ、ね?」
「はい」
フィリーはいつものように短くそう答える。
そして、その答えを聞いたシエルリーゼはくるりと俺達に背を向ける。
「お前なんてどっか行っちまえばいいにゃぁあああああああああああ!!!」
そして、そう叫びながら走り去っていってしまったのだった。
「これで、よかったのか?」
「あの子はあの通り直情的ですから……、でも分かってくれたとも思います。駄目なら駄目とはっきり言う子でもありますので」
そう言ってフィリーは目をこする。
きっと、もっと話したかったこともあったと思う。もしかするとフィリーは俺の身体を探しに行きたくないのではと少し考える。だとして俺に何か言う資格はあるのだろうか。いや、ないよな……。
俺がどうすればよいのかと考えていると、フィリーは俺を再び抱きしめる。
そして、フィリーは俺の目を見て静かに言葉を紡ぎ始める。
「あなたを言い訳にはしません。もちろん、シエルのこともです。実は私も外に出たいと思っていたのです。リアが見たかった世界、私も気になっていたのです。だから初めてあなたに出会った時、思ったんですよ。『しめた』って――まだ、聞いてもらえますか?」
「ああ、もちろん」
俺がそう返すとフィリーは樹の下に座り、言葉を続ける。
「リアは、最期の瞬間まで笑っていました。辛いこともあったと思います、ですけどきっと楽しいこともたくさんあったと思うんです」
「そう……、だろうな……」
実際のことは分からない。だから、俺はそれ以上の返事を返すことは出来ない。
俺はリアというエルフのことを知らなさすぎる。ただフィリーはその時のことを懐かしむように、ゆっくりと言葉を紡ぎ続ける。
「私はもう逃げたくない。私と一緒に来てくれますか……?」
最後の言葉はあまりにもか細いものであった。
逃げたくない、それはフィリーが幾度となく口にする言葉であった。
もしかして、俺に対して遠慮しているのだろうか。俺の身体を探すと言っ手前、その上で自分の目的の為に森の外へと出るということに、引け目を感じているというのだろうか。
「あほじゃないのか?」
「なっ!?」
フィリーは素っ頓狂な声を上げる。それと同時、俺の返事が予想外だったからか、それともわざとかもしれないが万力のような力で俺の身体は締め付けられる。
ピキッという音が聞こえた気がした。俺の身体にヒビでも入ったかと思ったが、痛みに耐えてなんとか声を絞り出す。
「さ、最初は確かに何が何でも身体を見つけてほしいなって思ってたさ。でも短い期間だったけど、その間にフィリーがやるってことは全部成し遂げてる」
「私は……、そんな……」
きっとフィリーは何度も壁にぶつかって、何度も傷ついて、その結果自尊心がぼろぼろになっている。だからこそここまで自信を無くしていたのだと思う。
それは分かっているつもりだ。けれど、俺はそのフィリーを知らない。俺の知っているフィリーは、全ての課題を突破し、ここまで来ている。
だから、俺は勝手なことを言い続ける。
「きっと何があっても、いつかはフィリーは俺の身体を見つけてくれるって、そう思うんだ。その間にどんな回り道をしたとしても、俺はフィリーと一緒に行きたいって思ってる。行こう、一緒に!」
これが俺の思いだったが、ただこれもまだ俺の照れ隠しが残っている。
本心はただ一つだった。俺は、フィリーと一緒に世界を見てみたい。
「ありがとう、ございます」
「ばーか」
「むぅ、何なのですか……」
「お礼を言うのは、俺の方だからだよ」
俺がフィリーと一緒に行くのは当然と思っていた、だから、そんな言葉が出てきた。
森の外に出たらフィリーはまた壁にぶつかることもあるかもしれない、傷つくことだってあるかもしれない。
もしも何かあった時、少しでも支えることができればと思う。
俺はフィリーの友人が見たかった世界を見てほしい。そして毎日惰性で生きて、既に諦めていた俺を引っ張り上げてくれたフィリーと一緒にいたいと本心から考えていたのである。
再び沈黙の時間が過ぎていく。お互い言うべきことは言った、その余韻に俺とフィリーは浸っていた。
「ところで……、一つ聞いていいですか?」
風と木の葉が擦れる音しか聞こえない広場。
十分、二十分と時間が経った頃、いつまでも続きそうな沈黙を破ったのはフィリーであった。
「ん? なんだ?」
「私、あなたの名前、知りません」
真面目な口調で、不意にそんな事を言われた。
「ああ、そう言えばそうだったな」
俺は名前を言おうとした事があるたびに、何かがあって言う機会を逃していた。フィリーから聞かれることは無かったし、いまフィリーが切り出さなければ俺から言っていただろう。
「俺の名前は、"長瀬 匠"。自由に呼んでくれて構わない」
俺は自分の名前をフィリーに伝える。俺の視線の先にいるフィリーは、やや困惑気味に首を傾げた。
「ナガセタクミ……。変わった響きですね……、それで一続きですか?」
「いや、長瀬がいわゆるファミリーネームで匠がファーストネームだな」
やはりこの名前はこの世界では変わっているのだろう。
フィリーは何度か俺の名前を反芻した後、俺の眼を見つめて話しかけてくる。
「ではまあ……、タクミと呼ばせてもらいますが、かまいませんか?」
「ああ、わかった」
伝えてみるとあっさりしたものだ。何故今まで伝えられなかったのだと振り返る。
簡単だ。俺自信に伝える気がなかったというだけの話である。
何故だとも考える。それもすぐに答えが出た。
俺自身も、自尊心ってやつが欠落していたのだと。所詮俺の名前など些細なものだと、そう思っていたから名乗らなかったのだ。
今はどうだろうかと考える。今はフィリーの"運命"だ。俺自信がしっかりしなければならないと覚悟ができた。『俺なんか』などと言っている場合ではないと、先程のシエルリーゼとの戦いで自覚できた。だからこそ今、名前をまた言おうという気になったのである。
「フィリー、ありがとう」
俺はフィリーへと感謝の言葉を伝える。
その言葉に一瞬眼を丸くしたフィリーだったが、すぐに目を細めて俺を真っ直ぐに見つめる。
「……ばーか」
フィリは―ただ一言そう言うと、俺を胸に抱いて立ち上がるのであった。




