25.何も出来ないわけじゃない
フィリーとシエルリーゼは互いに十メートルほどの間を空けて立っている。
フィリーは構えをとらず、対するシエルリーゼは拳をフィリーに向けていた。
「構えないのにゃ?」
険しい目つきでシエルリーゼは尋ねてくる。
この戦いは喧嘩ではなく決闘と言ったほうが正しい。故にこれは、不意打ちにならないようにというシエルリーゼからの確認である。
「はい、私は特定の型を持っているわけではないですから」
「分かったにゃ、別にいいにゃ」
フィリーは一切身体を動かすこと無くそう告げる。その集中力はすべてシエルリーゼに向いていた。
おそらくこれで会話は終わりだろうと、そんな雰囲気が伝わってくる。
そしてお互いは一切動くこと無く向かい合い続ける。
一体この時間はいつまで続くんだと、俺が考えたその刹那であった。
「――!」
「っ……!」
俺達の視界の外へシエルリーゼが消えた。
直後に現れた場所はフィリーの真後ろ。
現れると同時、右足による蹴りがフィリーの頭に向かって飛んでくる。
それをフィリーは身体を捻って躱し、同じように右足を蹴り込む。だがシエルリーゼの魔法により、再度後ろへと回り込まれる。
「くっ……」
「にゃぁああ!!」
襟首を捕まれ、フィリーはそのまま投げ飛ばされる。フィリーは樹に叩きつけられるが、受け身をとっている。ダメージは大きくはない。
だが、そこに助走をつけたシエルリーゼが突っ込んで来た。
それを見たフィリーは右手を正面に翳す。
「<クロノス――」
「おせぇにゃ!!」
いや、遅くない、間に合っていた。シエルリーゼが魔法を使わなければ。
投げ飛ばされたフィリーとシエルリーゼの間にはかなりの距離があった。魔法の発動は間に合うと思った。
だが、シエルリーゼはその距離を魔法で詰め、フィリーの魔法が完成する前に蹴りが入る。
「ぐっ……」
だがフィリーは直前で魔法の発動を諦め、身体を地面に倒し強引に蹴りを避ける。
そこにシエルリーゼの追撃が来る。フィリーの真上に現れ、踏み潰そうとしてくる。
「ちぃ……!!」
その舌打ちはシエルリーゼのものであった。
フィリーは己の腕力で体勢を立て直し、シエルリーゼの攻撃を避けながら立ち上がる。
仕切り直しだ。シエルリーゼはその場で拳を構え直し、フィリーも最初と同様、一切動くこと無くシエルリーゼを見据える。
「はぁ……はぁ……。違和感があります」
「違和感?」
息を切らすフィリーに俺が尋ね返す。だが可愛の途中で再度、シエルリーゼがフィリーの真後ろに回り込み、右腕を突き出してくる。
フィリーはそれを躱し、すぐ側に生えている樹の裏へと回り込んでシエルリーゼの視線を切る。
「シエルリーゼの魔法、覚えてますか?」
「ああ、視界内に瞬間移動する、だよな?」
シエルリーゼの魔法には何度も助けられた。その魔法の効果もフィリーに教えてもらっている。
俺はフィリーに教えてもらった通りの魔法の効果を答えた。
「私の真後ろは死角ですよね……?」
「む……、確かに……」
確かに視界内に、と言う割には明らかに視界外に移動している。
思い当たることは他にもあった。この前、フィリーとシエルリーゼが仲直りした日、正確にはあの黒い騎士と戦ったあの夜。
シエルリーゼは部屋の中から、直接黒い騎士のいる樹の下に飛んだ。あの時も明らかに視野の外へ飛んでいた。つまりどういうことだと考える。その結果、一つの考えに至る。
「"運命"が近くにいる……?」
「でしょうね……」
「シエルリーゼの"運命"って?」
「……私は知りません」
"運命"とその主であるエルフは、視界を含む五感を共有することができる。
おそらく、シエルリーゼはその視覚情報を使って瞬間移動しているのだろう。
それにしても、最近まで絶交していたとは言え、フィリーもシエルリーゼの"運命"の正体を知らないということは、やはりエルフは"運命"を極力隠すのだろう。
「何隠れてるにゃ!?」
「隠れてるんじゃ、ありません!」
現れたのはフィリーの真横、フィリーは樹の下から転がり出る。
「私は戦闘に集中します。あなたはシエルの"運命"を探して下さい」
「ああ、分かった」
視線だけは切る訳にはいかない。だが、それ以外の神経は全てシエルリーゼの"運命"を探すことだけに集中する。
フィリーは攻撃を避けつつ、何度か反撃を試みるが、体術は完全にシエルリーゼが上だ。その上その体術とシエルリーゼ本人の得意とする魔法との相性がいい。フィリーは押され続けている。長くは持ちそうにない。
俺が打開しなければならない。姿は見えない、だが"運命"とは姿を消せる者もいるはずだ。
「なあフィリー! 一個いいか!?」
再び樹の下に隠れたフィリーに対し、俺は尋ねる。
「はい、なんですか?」
「族長さんの"運命"みたいに、見えないなんてこと無いよな?」
陽炎のような"運命"を思い出す。膨大な力を持ちながら、直前まで一切姿を見せなかった。
シエルリーゼの"運命"がああいう存在だとすると、俺としてはどうしようもない。
だが、直後にフィリーから帰ってきた言葉は否定であった。
「それはないです、現界していない”運命”自身に視界はありません。感覚を共有しても常に主であるエルフの感覚しか得ることが出来ないはずです」
「分かった、ありがとう」
「はい、急いでください。あまり長くは――、はっ……!」
真横に現れたシエルリーゼの一撃を避け、再度フィリーは樹から離れる。
シエルリーゼは明らかにあらゆる場所へ瞬間移動してきている。
(森の中から見ている?)
俺はまずそれを考える。だが、その可能性は小さいだろう。
ここは小高い丘である。周囲の森から死角が多い。
(じゃあ、森の中を移動しているのか?)
それも違うように思う。二人は丘の頂上を中心に、凄まじい勢いで中央に生える一本の樹の周りを旋回するように戦っている。
そのスピードに追いつく速さで移動しているならばそれなりに大型の動物ということになるはずだ。『素早い』と『速い』は違う、この二人について行ける速さの動物が、遠目とは言え俺やフィリーの眼に一切映らないことは考えづらい。
一体正体は――
「がっ!!?」
突如、後頭部を強烈な衝撃が貫く。そして気づいた時には、フィリーは空中に投げ出され、俺も同様にフィリーの腰から外れて中を舞う。そして、長い長い空中遊泳の末、地面に叩きつけられた。
「かっ……はっ……!」
今度は肺の中の空気が全部抜ける感覚。フィリーはついにシエルリーゼに捉えられ、まともな一撃を喰らってしまったのである。
辛うじて意識は保っているが、人の身ならば確実に意識は飛んでいただろう。だが、身悶えしてくなるような激痛が全身を苛む。これが『痛覚の共有』かと、優しい少女が契約の際に言い澱んだ理由を身を持って知る。
「終わりにゃね」
勝利を確信しているのであろうシエルリーゼが歩いてくる足音が聞こえる。俺の眼には空しか見えない。俺には何も出来なかった。
不意に、前の世界のことが思い出された。代わり映えの無い毎日に絶望し、ふらふらとルーチンワークを繰り返すだけだった日々を。この世界に来て何かが変わる気がした。
だが、結局俺はまだ何も出来ていない。
(考えろ……!!)
何も出来ないのは嫌だと、心の底から思った。
もとより身体は動かない。凄い魔法も使えない。もしかしたらあの謎の探知ビーム(仮)は使えるかも知れないが、それでは戦況は変わらない。やはり俺に出来るのは、最後まで考えることだけだ。
(あれは……?)
目には空が映っている。太陽に雲にそして鳥が飛んでいる。それだけだ。
その時、一つの考えにぶつかった。
これは賭けだ。違ったらフィリーの頑張りはすべて無駄に終わる。だが、この世界に来ても何も出来ない奴になりたくない。フィリーのために、俺だって何かをしたいと心から思った。
(フィリー!! 俺を空に投げてくれ……)
(……、はい)
フィリーと"ライン"を通して言葉を交わす。幸い俺はフィリーの手に届く位置に転がっていた。
眼前には、シエルリーゼが真剣な眼差しでフィリーを見下ろしている。
「降参するにゃ?」
「……」
シエルリーゼの問に、フィリーは一つ深呼吸。そして次の瞬間、地面に倒れたまま俺を掴む。
「いい、え――!!!」
「にゃっ!!?」
そして、腕の力だけで俺を空へと投げ上げた。
「うぉおおおおおおおおおおお!!」
投げられる聞こえたのはシエルリーゼの驚く声。それ以上にエルフの身体能力で天へと打ち上げられた俺は、そのあまりの速度に絶叫する。
だが、次第に勢いは弱まり、俺は上空で一旦静止。その後は自由落下運動へと入る。
さあ、ここからだ。
「(入れ……! 入れ……! 入れ……!!)」
既にフィリーと俺の感覚の共有は絶たれたている。フィリー自身、これで駄目なら後はないと悟っているのである。
だが俺は自分で身体を動かすことが出来ない。見たいと思った物が、たまたま視界に入ることを祈るしかない。
「入れぇえええええええ!!!!!」
視界の中には太陽が映り、雲が映り、森が映る。そして、飛んでいた一羽の鳥が目に入った。
「映ったぁああああああ!!!」
俺は叫び、自らの心の中で魔法陣に触れる。直後、"あの時"と同じような魔力の膨張を感じた。
再度俺の目と口から光が打ち出され、太陽光を凝縮したかのような、とてつもない明るさの紫色の光線が、その鳥に直撃する。
『ピィイイイイイ』と甲高い鳴き声を放ち、鳥は俺と共に地面へ落下していく。
「っと、ナイスキャッチ」
「ではもう少しお仕事をお願いします」
「え?」
落下した俺とその鳥をフィリーは受け止め、俺をその大型の鳥の頭にすっぽりと被せるのだった。
「にゃぁあああ!?」
シエルリーゼは目を覆っていた。今の魔法は探知系魔法であり攻撃力はない。
だがその強烈な光線は目眩ましにはなる。そして"運命"とエルフは五感を共有している。
片方の目が光に眩まされた時、それはもう片方にも及ぶのである。
つまり、シエルリーゼの"運命"とは、この鳥であったのだ。広場を上空から俯瞰してみることで、戦場全体の視界を得ていたのである。
「シエル!!!!」
その様子を見て、フィリーは駆け出した。そして、その勢いのままシエルリーゼを仰向けに組み伏せる。
そして、左手でシエルリーゼの顔を押さえつけた。
「あなたの眼は全て奪いました。あなたの魔法はもう使えない!!」
単純な体格で言えばフィリーがシエルリーゼに勝っている。
シエルリーゼはジタバタと暴れているが、完全に抑え込まれていて、脱出できそうにない。
「にゃぁ!! 分かったにゃ! わたしの負けでいいにゃ!! どけにゃ!!」
そうしてシエルリーゼが負けを認め、勝負は決したのであった。




