24.好敵手
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「えっと、水と保存食、着替えにお金、ランタンに火打ち石、コンパスに地図、インクに筆に紙……、結構充実してますね」
「そうだなぁ、族長さんが用意してくれたしなぁ」
この荷物は、森を出ると伝えたフィリーに族長さんが用意してくれたものであった。
当の族長さんはというと、戦いが終わった日の昼には森の西側にある山へと行ってしまった。なんでもそれが炎の神との"盟約"らしい。何か儀式のようなことをすると言っていたが、それ以上のことは教えてくれなかった。
憂鬱そうにそう話す族長さんの背後では、いつものようにクルルクさんがにやにやと笑っていたので、あまり悪いことにはならないだろう。……いや、あの人はいつも笑っているから、実際はどうか分からないが。
「あと、準備は……」
「フィリー」
わざとらしく何度も同じ場所を確認しているフィリーを見ていられず、俺は声を掛ける。それに対して、フィリーは俯きながら口を開く。
「そうですね。行かないと、ですね」
フィリーはそう言って言葉を飲み込む。気にしているのは、やはりシエルリーゼのことだろう。
あの日から数日が経っている。何度かシエルリーゼは会って話をしていたようだが、やはり隔たれていた月日は短いものではなかったようで、どうにもぎこちない感じが続いていた。
それに今のフィリーは俺を中心に物事を考えてくれている。つまり、俺の身体を探すために森を出ようとしているのである。先程の荷物もその為のものだ。しかし、それはシエルリーゼと暫くの別れになることになる。それをシエルリーゼに伝えた時、シエルリーゼは何も言わずに走っていってしまった。
フィリーとしては俺とシエルリーゼに板挟みにされている状態なのだ。
それに、フィリーとシエルリーゼにとってはリアのことがある。シエルリーゼは最終的に反対するのではないかとフィリーは考えているのである。
「もう一週間くらい経っちゃったぞ? 急ぎじゃないから俺は別にいいんだけど」
「ありがとうございます……。でも、"運命"に甘えるわけにはいかないのですよね……」
そう言うフィリーは口調とは裏腹に、ごろりとベッドに寝転がる。
出来ることなら何も考えたくないという気持ちが、態度から伝わってくる。
「エルフも大変だなぁ……」
「エルフの、というよりは私自身の矜持といいますか……」
横目でフィリーの方を見ると、憂鬱げに窓の外を見ていた。
「あ」
目に入ったものに、俺は思わず言葉を零す。扉の外、俺の視界の先にいたのはシエルリーゼであった。
俺と目が合った直後、シエルリーゼはずんずんと部屋の中へと入ってくる。フィリーの横に立つと、ため息をつきながら声を掛けけてきた。
「あのにゃ……、言いたいことがあるならちゃんと言えにゃ?」
呆れ顔だが不機嫌というわけではないらしく、口調は穏やかなものだった。口元には微笑みが見える。
そんなシエルリーゼに、フィリーは寝転がりながら小さく言葉を発する。
「すみません……」
「にゃはは……」
前言撤回。シエルリーゼの頬がものすごく引きつっている。先程の穏やかな口調、あれはシエルリーゼなりの演技であり、フィリーへの気遣いだったのだろう。
本心としては相当に苛ついているのが見て取れる。
「おい、そこの"運命"!」
「え、俺?」
「てめー以外に誰がいるにゃ」
シエルリーゼが俺に話しかけてくることは、これが初めてなのではなかろうか。
そうじゃなかったとしても、滅多にないことなのは間違いない。
「フィリーのこと、借りるけどいいにゃ?」
「いいんじゃないか?」
フィリーを指さしながら俺に尋ねてくる。今のシエルリーゼになら任せても悪いことはないだろうと、俺は承諾する。
もとよりフィリーとシエルリーゼは"ライン"を結び直しているため、会話は森の中ならどこでも出来る。
つまりわざわざ彼女がここまで来る必要はないのだが、それでも来たということは相当重要な要件なのだろう。
何にせよ今のままだと埒が明かない気がする。フィリーにとっても一度家から出て気分を変えることは悪いことではないと思う。
「じゃ、決まりにゃ。てめーも一緒に来いにゃ」
そう言うとシエルリーゼに俺の身体は握られ、そしてフィリーに向かって放り投げられた。
俺は宙を舞い、そしてコンマ数秒後、フィリーの胸の中に収まる。
フィリーと俺は目が合うが、フィリーは目を細めて抗議の視線を送ってきた。どうも勝手に決めるなと言っているような気がする、俺もフィリーの心が読めるようになってきたようで嬉しい。
「はぁ……、まあ分かってるなら結構です。行きましょう」
フィリーはため息を一つつくと、俺を持ってベッドから立ち上がり、シエルリーゼの後ろを歩くのであった。
・・・
・・・
「にゃー。ここに来んのも久々にゃねー……」
「……。ここは……」
鳥の鳴き声が聞こえる小高い草原、広場の中央には一本の低めの木が生えている。なんとも気持ちのいい場所だと思ったが、シエルリーゼとフィリーの反応をみるに、おそらくここは「三人」の思い出の場所なのだろう。
「よくリアとフィリーとわたしとで遊んだにゃねー。ものすごく昔な気がしてたけど、まだ三年前にゃ」
「あの時から色々なことが変わりましたからね」
答え合わせはすぐにされた。やはりここは、リアというエルフを含めた三人の思い出の場所なのである。
リアがいなくなり、一度フィリーとシエルリーゼの友情は絶たれ、そしてその友情は再び結ばれた。フィリーとリアは共にそこに立っている。
「そうにゃね。色々なことが変わったにゃ。ほんとうに、色んなことが、にゃ……」
そう言ってシエルリーゼは後ろ向きに歩きながら、フィリーに微笑みを向けてくる。
「フィリー。わたしに気にせず行けばいいにゃ、わたしは止めねーにゃよ?」
「ですが――」
十メートルほど歩いた後、シエルリーゼは立ち止まり、シエルリーゼは笑顔でそう言ってきた。
それに対し、フィリーが何かを言いかけた瞬間だった。
先程まで微笑んでいたシエルリーゼは、キッとこちらを睨みつけてくる。
「なんて、言うと思ったにゃ?」
「シエル……?」
シエルリーゼは険しい口調――、俺が初めてシエルリーゼを見たときと同じ口調でそう言うと、拳を構える。
その目はまっすぐにフィリーを見据えていて、その目には闘志が宿っていた。
フィリーは困惑しながらもシエルリーゼの名前を呼ぶが、その呼びかけに対してシエルリーゼは変わらない口調で言葉を返してくる。
「フィリー……、てめーがリアのことについて何も言わなかったのは、強くなってわたしを止めるためだと言ってたにゃ?」
「はい……」
フィリーはシエルリーゼに向かって短く返事を返す。
確かにフィリーはそう言っていた。シエルリーゼに真実を伝えなかったのは、万が一帝国へ殴り込みに行くとシエルリーゼが言い出した場合、力ずくにでも止めることが出来る力を手に入れるまでの時間を得るためにだと。
「だったら逆に、わたしがてめーより強かったら、わたしがてめーを止めるにゃ」
「――はい」
彼女は本気だ、本気でフィリーと拳を交えようとしているのである。
これはシエルリーゼなりのケジメであり、煮え切らないフィリーに対する発破なのだろう。
だが恐らく、いや確実に、この勝負で彼女が手を抜くことはない。シエルリーゼは言葉通り、力ずくでフィリーを止めようともしている。
そんな親友の思いに答えるべく、フィリーの声色からも迷いが消えた。
「すみません。あと……、またお願いします」
「謝るなよ」
小声で発せられたその言葉は、俺に対してのものである。
フィリーは俺に気を使っているのだろう。俺としては身体を探してもらわないと困るのは確かである。
フィリーは言っていた。『エルフが死ぬ時、"運命"の身体のを借りることでエルフ自身の魂を延命し、次の肉体へ移す』と。同時にその時"運命"の魂は死ぬとも言っていた。
その時俺の本当の身体が見つかっていなければ、俺は今度こそ完全に死ぬ。それを防ぐためにフィリーは俺の身体を見つけに言ってくれると、そう言ってくれていたのである。
不思議なことに、あまり元の世界に帰りたいとか、そういう考えは湧いてこない。だが死ぬ時は人として死にたいくらいは思うのである。
なので俺としてはフィリーに負けてもらったら困る。だがそれよりもフィリーにとって今この瞬間、目の前で起きていることは何よりも大切なことなのだと理解できるのである。
「俺のことは気にすんな、思いっきりやってやれ!」
「はい!」
俺がフィリーにその言葉を伝えると同時、俺の視界は大きく広がる。この瞬間、俺とフィリーの感覚は共有された。シエルリーゼと全力を戦う為、フィリーは"運命"との感覚共有をオンにしたのである。
フィリーの視線の先には、険しい目つきで拳を構えるシエルリーゼがいる。
恐らくこれが、フィリーが旅立つまでに乗り越えなければならない最後の壁になる。それを乗り越えんと、フィリーは親友へと視線を返すのであった。




