22.紡がれる記憶
おそらくこれが最後の戦いになるだろう。相手は人でもエルフでもなく、世界樹の幹に刻まれた巨大な魔法陣。その前に立っているのはフィリーである。
「では、行きます」
結局クルルクさんの後押しもあり、フィリーが世界樹へ魔法を使うことに決まった。
フィリーは魔法陣の前でため息を一つ吐く。その横にクルルクさんが魔法陣の解除のために、寄り添うように立っている。
そして、フィリーの背後にはシエルリーゼがフィリーの背中に手を当てている。万が一の時、魔法で退避するためである。
「さてさて、では確認します。ワタシが合図の後、"爆破"の魔法陣を解除します。直後、"斬撃"の魔法発動による魔力収束が始まるので、魔法が発動する前にフィリンシアさんが魔法で樹の時間を戻す。これで構いませんね?」
「はい」
クルルクさんが魔法陣に左手を当て、その隣でフィリーが右手を世界樹に翳す。そして手早くクルルクさんが手早く魔法陣を消去していく。
手を動かすこと数分、魔法陣の右上あたりを触れたところでクルルクさんの手が止まった。
「ここを消去すると"爆破"としての魔法陣が完全に失効し、同時に別の回路が繋がり、"斬撃"の魔法が発動します。消去すると同時にワタシは離脱するので、あとはフィリンシアさん次第です。準備はよろしいですか?」
「はい」
クルルクさんはいつも通りの貼り付けたような笑顔で、フィリーに問う。その問いに、フィリーは先ほどと同じように短く返事を返す。
「では三カウントで行きますよ? 三――、二――」
クルルクさんがカウントダウンを開始する。フィリーは一切の動きを止め、魔法の発動に集中している。辺りにはクルルクさんの声だけがこだまする。シエルリーゼや族長さんも、固唾をのんでこれから起こることを見つめている。
「一――、今!!」
その掛け声と共に、クルルクさんが魔法陣を右手で払う。それと同時、魔法陣が放っていた紫色の光は霧散し、瞬間的に光を失う。だが、直後キーーーーンという耳鳴りのような音と共に、蒼白色の光を放ち始め、急速に輝きを増していく。
それと同時、フィリーが呪文を叫んだ。
「リア、力を貸してください――!! <コール・メモリア!!>」
フィリーが呪文を唱えると同時、樹の傷口が輝き、それと同時魔法陣は白色に光を放つ。
そして、ドンという衝撃と共に、横一線に光刃が走る。
「くっ……」
あまりの眩しさに、目を覆いたくなる。だが、こんな身体になってるせいで瞼がない俺は、目を樹から背けることが出来ない。
眼前では魔法がぶつかっているのだろう、魔法陣があった場所では閃光が飛び散り、視界の先が真っ白に染まる。
時間が極限まで引き伸ばされるような感覚に陥る。フィリーの魔法のせいだろうか、それとも周囲の緊張感のせいか。
数秒か、数十秒か、数分かどれだけの時間が経ったか分からない。だが、目の前では徐々に光が失われていくのが見てとれた。そしてその数秒後には、今までのことが嘘だったかのように、魔法による光が一切失われる。
「どうなったんだ……?」
俺はフィリーに話しかける。
眼前にあるのは昨日見えたのと同じように、壁のようにそびえ立つ世界樹の表皮が見てとれた。刻まれていた魔法陣は崩壊し、煤汚れと見分けがつかない。
退避していたクルルクさんと、同様に遠巻きに見守っていた族長さんが駆け寄ってくる。
「やり、ました……」
「にゃっ!?」
緊張の糸が切れたのか、フィリーはそのままその場にへたり込みかける。それを背後からシエルリーゼが支えた。
それを族長さんが手伝い、クルルクさんは樹の方へと向かう。
「ほ、ほんとにやったにゃ……?」
シエルリーゼが樹へと駆け寄ったクルルクさんへと尋ねる。煤汚れのようになった魔法陣へと右手を当てる。そして別の部分で同様の行為を行うこと三度、こちらを向いたクルルクさんは、ゆっくりと首を縦に振るのだった。
「やったにゃ……! やったのにゃ……!!」
「よくやった、フィリンシア。ありがとう、君のお陰でエルフは救われた」
後ろからシエルリーゼがフィリーに抱きつき、族長さんが肩を貸す。
完全に脱力しているフィリーは二人に身体を預け、右手だけで俺を括り付けていた紐を緩めると、フィリーは俺を胸元に抱きとめる。
「おつかれさん、フィリー」
「ありがとう、ございます……」
視線をこちらに向けてきたフィリーに俺はそう返す。俺がそう言うとフィリーは目を細め、微笑みを向けてくるのであった。
空を見ると太陽が昇り始めている。長い長い夜、エルフは滅びを逃れ、無事朝を迎えることが出来たのであった。
周囲には先程の輝きを見たのか、エルフが帰還しつつあった。彼女たちは一様にフィリー達の様子に呆気にとられていたが、その一人ひとりに族長さんが経緯を説明していく。
「いやいや、お疲れ様でした。フィリンシアさんのお陰でエルフは生き残りましたね」
「ありがとう……、ございます……」
今は族長さんの代わりにクルルクさんがフィリーに肩を貸している。かなり小柄な体格だが、肩を貸す分には丁度いい身長のようだ。この人も相当に働いているはずだし、相変わらず布面積が凄いことになっているのだが、その貼り付けられたような笑顔からは疲労の色は見えない。
俺とエルフ三人は、樹のあたりから族長さんの方を眺めていた。
「ていうかクルルク……、てめーあいつが来ること、予想してたにゃね……?」
「おやおや? どうしてそう思うのですか?」
シエルリーゼの予想外の言葉に、クルルクさんはやや大仰に尋ね返す。その仕草がもはやシエルリーゼの言い分を認めているようなものなのだが、彼女は言葉を続ける。
「フィリーとわたしの二人だけを残したこと、その後族長と二人だけで帰ってきたこと、これはわたしたちだけがあいつと戦って、なおかつ生還したからにゃろ? 他の連中に初見であいつと戦わせたくないって魂胆が見え見えにゃ。そもそも、てめーらが帰ってくるタイミングも良すぎたにゃ」
「ほー……」
想像以上に理路整然としたした推理に、クルルクさんは感心したように声を上げる。
「流石地頭はいいですね。見直しましたよ、シエルリーゼさん?」
「にゃあ……、それ褒めてねーにゃね? 今度から先に言っとけにゃ」
「くふふ。ええ、そうさせていただきます」
フィリーほどではないだろうが、それなりに付き合いが長いのであろう二人は、方やいつもの笑顔で、方や呆れ顔でそう言い合う。
「ですがまあ、先に言ってしまうとフィリンシアさんがプレッシャーで潰れてしまいそうだったので」
「あー、まあそうにゃね。違いねーにゃ」
「あはは……、違いないですね……」
そう言って、結局は三人は笑い合うのだった。
「……」
俺はあの黒い騎士の事を思い出す。
あの黒い騎士は最後ふらついていた。流石にあれは演技ではないだろう。もし演技だとしたら、魔法陣などに頼らず直接樹を折っていたはずだ。それをしなかった以上、あの騎士も余裕がなかったに違いない。
フィリーたちは、戦い勝ったのである。
「さてさて、お日様は昇っちゃってますけど、お酒でも飲みますか? ワタシ、持ってきますよ?」
「え、今からにゃ?」
「うーん、私はちょっと……」
そんな会話が始まったところで、他のエルフたちに今までのことを話していた族長さんがこちらへ歩いて帰ってきた。
そして、今の会話が聞こえていたのか呆れ顔でクルルクさんへと声を掛ける。
「気を抜きすぎだ。貴様は今日二回死んでるんだろう?」
「あはは、確かにそうですねぇ」
「死んで……?」
あまりにも不穏な言葉に俺は耳を疑う。
そこで思い出す、クルルクさんは完全にあの騎士に焼き殺されていた。少なくとも俺の視界にはそう映った。フィリーとシエルリーゼも同じだろう。だからこそ、戦意を失ったのである。
「クルルクさん、あいつの攻撃、どうやって避けたんですか?」
「んん?」
単刀直入に俺は尋ねる。その問に、こちらを向いたクルルクさんはただ首をひねる。
「ヴァルドルフにさっき燃やされてたじゃないですか」
「あっ! あれですか」
クルルクさんは合点がいったというようにぽんと手をたたく。そして、あっけらかんと笑いながら言うのだった。
「あれ、避けたっていうか生き返ったんですよ。ワタシ、そういう魔法が得意でして」
「それしか咄嗟に使えんだけだろ」
呆れ顔の族長さんが、やれやれと首を振りながら横から口を挟む。
それに対してクルルクさんは笑いながらもバツが悪そうに頭をかく。
「えへへ、昔は他の魔法を練習したり勉強したりもしたんですけどねぇ、やっぱこうもちんちくりんだと魔法師としては大成しませんでして、こういう曲芸が関の山なんです。あんまりワタシをイジメないでくださいな」
小柄なエルフは困ったような笑顔を俺達に向けてくる。
"運命"は単純にサイズが重要とフィリーは言っていた。クルルクさんの口ぶりを思うに、エルフ本人もそうなのだろう。
それにしても蘇生の魔法とは、『これしかない』と言う割には凄い魔法を持っているものだ。
「あれ、そういえばクルルクさんの"運命"はどこに?」
「んふふ、それは内緒です」
小柄なエルフは俺の問に、ただ笑顔で俺にそう告げるのであった。
そういえばシエルリーゼの"運命"も同様に見たことがないことに思い当たる。もしかすると、エルフとは個々の持つ魔法や"運命"を極力隠そうとするものなのかもしれない。
「んー! なんにせよこれで勝ちにゃ! さ、帰って寝るにゃよ。ぞくちょー、いいにゃ?」
「ああ、構わんぞ。ご苦労だったな」
「にゃ。かまわねーにゃ」
そう言って、シエルリーゼは左手はフィリーを抱き留めたままの状態で、ひらひらと右手を振る。
フィリーはもう自分の足で立っているのだが、シエルリーゼはフィリーの背中にずっとくっついているらしい。
「フィリー、てめーもくるにゃ?」
そして、いつの間にか旧友のことを愛称で呼んでいた彼女は、事もなげにそう尋ねるのであった。




