18.再来
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辺りには静けさだけが広がっている。風の音さえ聞こえない。
シエルリーゼとフィリーは向かい合い、二人共目を合わせずに向かい合っている。
「これが、あの日あったことの全てです」
「にゃぁ……」
眼の前でシエルリーゼはがっくりと肩を落としている。その姿に今までの高圧的な態度は一切感じられない。
「私はもう友人を失いたくなかったのです……。だからシエルリーゼ、あなたに本当のことを言うことが出来ませんでした」
「あの時聞いてたら、確かに森を飛び出してたかもしれないにゃね……」
あっさりとフィリーの言葉を認める。なんというか、憑き物が落ちた、という表現が適切だろうか。それくらいの変わり様である。
「ごめんなさい。あの後何度も尋ねて来てくれたのに、私はあなたを避けてしまいました。きっと何があったか聞かれると思い、ほとぼりが冷めるまで誰にも会わなければいいと考えてしまいました」
「……。他のエルフはお前が仲間を見捨てて自分だけ身を守ったって言ってたにゃ。クルルクや族長はそんなことないと言ってその場を抑えてたけどにゃ……」
そう言ってシエルリーゼはそのまま後ろに倒れ込むように寝転がる。
「わたしは悔しかったにゃ。フィリーはそんなやつじゃねーって言いたかったにゃ……。だから、何があったか知りたかったのにゃ……。でもてめーは家に引きこもって出てこねー、せめて”逃げたわけじゃない”って言ってくれてたらにゃー……」
「ごめんなさい……」
多分、全てを話さなかったとしても、その一言で
「てめーを信じきれなかったわたしも悪いにゃ。にしても、この三年間はなんだったんだろうにゃ……」
「三年なんて大した時間じゃないだろ」
思わずそんなことを言ってしまっていた。
「にゃあ……?」
気怠げな声で俺に視線を送ってくる。その目を見ながら、俺は言葉を続けた。
「俺なんて十五年生きてた世界と違う世界に連れてこられたんだぞ? しかも気づいたら"│埴輪《こんな姿》"だぞ?」
自らの姿を思い出しながら言う。
何か自分を変えることが起きないだろうか、物心ついた頃からそんな事を考えていたが、まさか文字通り自分の姿がこんな事になってしまうなんて、誰が思うだろうか。
「こんなもん、俺の十五年はなんだったんだって話だ、けどフィリーに会えてよかったって思ってるよ。きっと楽しいことが沢山あるって思ってるんだ。お前たちだってそうだろ、また友達になればいいだろ? それで楽しい思い出を作っていけばいいだろ? だってもう――」
「けっ……なんも知らねー奴がペラペラと話しやがるにゃ。てめーはわたしのなんなのにゃ」
「あー……、すまん」
確かに言い過ぎたかも、ついつい熱くなってしまった。
だが、そう考えたところでシエルリーゼは起き上がり、俺の額をピンと人差し指で弾いてくる。だが、言動に反して穏やかな表情だった。
「てめーに言われなくても、もうへーきにゃよ」
下手な笑顔ではあったが、もう大丈夫だろうと確信できるくらいには、その声色はさっきまでと別人だった。そして、フィリーの方を向き直って、バツが悪そうに口を開く。
「そうにゃね……。それじゃあまあ差し当たっては――」
その刹那、シエルリーゼの表情が強ばる。
そして視線を俺達から外すと、窓の方へと目を向ける。正確には窓の外、そちらへと目を向けながら、シエルリーゼが震える声を絞り出す。
「なんで、あいつがいるにゃ……?」
「どうしたのですか?」
俺達の間に緊張が走る。フィリーと俺には何が起きているのか全くわからないが、シエルリーゼは明らかに何かを察知していた。
「伏せろにゃ!」
そう言うとシエルリーゼはフィリーを押し倒す。
直後、雷鳴のような音と同時にこの巨大な樹が揺れた。立っていられないような振動だ、だが地震というわけではないようで、揺れはすぐに収まる。揺れが収まった直後、シエルリーゼが叫んだ。
「あいつが、樹の下にいるにゃ!! ”黒騎士”ヴァルドルフが!!」
「なっ……!? 他の自警団のみなさんは?」
「全員出払ってるにゃよ!」
クルルクさんの言葉を思い出す。族長さんとともに一度結界内の見回りに行くと言っていた。
族長さん達ならばあの黒い騎士をなんとか出来るかもしれない、だがここにいない以上、即座に対応できるのは俺達しかいない。
「行きましょう」
「にゃ!? 戦って分からなかったにゃ!? 勝てるわけ――っにゃぁ!!?」
再度、樹が大きく揺れる。何が起こっているか分からない、あの黒い騎士が来ているとしたら少なくとも碌な事をしていないのは確実である。
「――二人なら、時間を稼ぐことくらいは出来るかも知れません。私は今日、私の"運命"に出会いました。私はもう逃げないと、決めたんです」
「にゃあ……」
シエルリーゼは小さくそう呟き、何かを決心したかのような表情で立ち上がる。そしてフィリーの目を真っ直ぐに見て、短く言うのだった。
「行くにゃ」
そして瞬きする刹那、気づいたときには俺達三人は木の根元にいた。シエルリーゼの魔法で移動したのだろう。それと同時、轟音が鳴り響く。眼前の光景に俺は目を疑った。
黒い騎士は剣を打ち付けているだけだった。常識として太さが数十メートルはあるこの巨大な樹は剣では切れない。だが、その黒い騎士が剣を打ち込んだ場所には、深々と刃の跡が刻まれていた。
この騎士を放って置くと、こいつは一時間と掛からずこの大樹を切り倒す。眼の前の光景からそれが確信できてしまう。
フィリーたちも同様に眼前の光景に硬直していると、黒い騎士がこちらに視線を送ってきた。
『止めないでいいのか?』と、そう言っている気がした。数秒後、興味をなくしたのか再度樹に向かって剣を振りかぶり、それを打ち付ける。再度樹の悲鳴とも思える音が鳴り響く。
「バレてるな」
「ですね。行きます、<タイム・ワープ・ゲート!!>」
フィリーが空を指差すと、そこに幻想の太陽が輝き始める。音は響いているだろうし、さらにあの太陽を見たら他のエルフも駆けつけてきてくれるだろう。あとはそれまで耐えなくてはならない。
「お願いします」
フィリーの腰に固定された俺は、フィリーが見ている方と逆側に顔を向けて固定される。これでは俺は何も見えない。
「フィリー?」
「意識を共有させてもらっていいですか?」
契約のときにフィリーは言っていた。
"運命"は五感を共有することが出来る。普段はフィリーが意識してその共有を断っているらしいが、この状況ならば視覚を共有できたほうがよいと判断したということだ。
「構わない、大丈夫だ」
「ありがとうございます」
何も言わず勝手にすればいいのに律儀だな、などと考えていると、突然視野が広がる。
具体的には三百六十度、全方位が見渡せるようになった。そして真っ先に見えた場面は、あの黒い騎士が剣を樹に再度打ち付けるとろこであった。直後、先ほどと変わらない雷鳴のような音が響く。
「行くにゃよ!」
「はい!」
そんな黒い騎士に向かって、シエルリーゼの合図とともにフィリーも駆け出す。
そして左右から挟むように、同時に蹴りを食らわせにかかる。
「……はぁ」
その二人に対して、黒い騎士はただつまらなさそうにため息をついたような気がした。
そして、樹に対して剣を振りかぶっていた黒い騎士は、剣をフィリーとシエルリーゼに対して振り抜いてきた。
「やあ!!」
「にゃっ!!」
だがその剣を、フィリーは身をかがめ、シエルリーゼは魔法で敵の頭の高さまで飛ぶことで避ける。
そして二人は勢いを殺すことなく、フィリーは脚を払うべく、シエルリーゼは騎士の頭に向かって、出した脚を黒い騎士に打ち付ける。
二人の攻撃を同時に捌くことは至難、そう思われた。
「甘いよ」
そう聞こえた黒い騎士の声は、何故か俺の後ろから聞こえた気がしたのである。
そして、さも当然だとでも言うように、二人の蹴りは騎士をすり抜けた。
「残像!?」
「フィリー!! 後ろだ!!」
二人の背後、俺の本来の視線の先には悠然と剣を構える黒い騎士。そいつはこちらに向かって、一呼吸する間もなく突進してくる。
「くっ!」
フィリーは体勢を崩しながらも地面を転がってその場を離脱する。その様子を一切気にも留めず、突進の勢いを殺さずに黒の騎士は剣を世界樹に打ち付けた。
「にゃぁ!?」
魔法で離脱していたのであろうシエルリーゼがフィリーの横に降り立つ。
「とことん私達を無視する気ですね」
「にゃぁ……、そもそもあいつ、どうやってここまで入り込んだにゃ」
族長さんの言葉を思い出す。『あいは時空を跳躍して逃げた』と言っていた。どんな魔法を使ったのかは分からない。
だがシエルリーゼのような瞬間移動系の魔法だったとしたら――。
「逃げた先が帝国ではなかった、ということですね。族長様は黒騎士は時空跳躍で逃げた、と言っていました。ですが逃げた先がこの世界樹付近のどこかで、今まで身を隠していたとしたら――」
「ない話じゃないにゃね。あいつ、隠蔽の魔法も使えるみたいだしにゃ。あの時、てめーの結界も殆どはかいされてたにゃ?」
シエルリーゼは険しい視線を漆黒の騎士に飛ばしながらフィリーに尋ねる。それに対し、フィリーは小さく首を縦に振って答える。
「"迷いの森"以外は全て破壊されていました。歩いてならともかく、空間を跳躍されては"迷いの森"では防ぎようが無いいですね」
「そうにゃね。それにしても空間跳躍なんて簡単な魔法じゃねーにゃ、英雄の通り名は伊達じゃねーにゃねぇ……」
一度魔法について聞いたことがある。
その時フィリーは人間は魔力を吸収する能力はある程度あるが、その吸収した魔力を使う能力は低いと。
眼前の騎士は英雄とは言え人間だろう。ならば、やはりこれほど魔法を使いこなす存在はエルフにとっても規格外なのである。
「来た方法は分かったにゃ、けどどうするにゃ? あいつ、こっちのことなんか見てねぇにゃ」
「だからって何もしないわけにはいきません! ‹クロノス・シェル!›」
フィリーが魔法を叫ぶが、何も起こらない。こちらを一切顧みることなく、黒の騎士は樹に剣を打ち込み続ける。
「何をしたにゃ?」
「彼を私の魔法で拘束しようとしたのですが……。あの剣を持っている限り直接的な魔法は効かないようですね……」
魔法で止めることは不可能ということらしい。クルルクさんはあの剣を"魔力を断つ剣"と言っていた。実際魔法が一切効いていないところを見るに、それは事実なのだろう。
そして、そのことを聞いたシエルリーゼは顔をしかめる。
「何度でも、殴り合いを挑むしか無いってことにゃね……」
「はい」
実力差は一目瞭然である。いつ相手の気まぐれで殺されてもおかしくない。
だからといって引くことは出来ない。引いた時がエルフが滅ぶ時なのである。
「行くにゃよ!」
「はい!」
二人は再び駆け出す。シエルリーゼが瞬間移動し、フィリーの反対側から蹴りにかかる。
だが剣を持っていない側の手でフィリーを掴むと、シエルリーゼに向かって投げつける。
「にゃっ……!?」
「かっ……はっ……!?」
俺は声を上げる。息が止まるような衝撃と、直後凄まじい激痛が走る。今はフィリーと五感を共有している。フィリーの痛覚が伝わってきたのだ。
当の本人のフィリーは声も出さず、受け身をとって立ち上がる。
「ぐっ……っ……」
だがやはりダメージは大きいらしい、フィリーは片膝をついて座り込む。
「大、丈夫……か? フィリー?」
「はい……、すみま……せん……」
俺はなんとか言葉を絞り出す。激痛で意識が飛びそうになる、とても立って歩けるダメージではない。
「てめーは休んどけにゃ、あとはわたしがやるにゃ……」
遅れてシエルリーゼも立ち上がるが、こちらも万全とは言えないだろう。昼間の毒の影響もあるかもしれない。足元がふらついている。
そんな弱った二人を見てか、黒の騎士はゆらりとこちらへ向き直るのであった。
万事休すか、一瞬頭にそんな考えがよぎる。その時だった。
「ああ、やーっと振り向いていただけましたねぇ。お二人の想い、届いたようですよ」
突如背後から聞こえたその声。その声の主はクルルクさんであった、いつもと変わらぬ表情で、飄々と(ひょうひょう)と話しかけてくる。そして、その後ろから一人の長身の女性が現れた。
「ふむ……、自らの情けなさに面目次第もないな」
頭を掻きながらそう言うのは、族長さんであった。
「お二方、時間稼ぎありがとうございます。索敵に時間がかかりまして」
「まったく……、お前が『伏兵がいるかも知れませんね、ここで焦っては二人の頑張りが無駄になりかねませんよ』なんて言うからだ。隠れて見ていた身としては肝を冷やしたぞ」
そういう二人の態度はいつも通りで、まるで黒い騎士がいないかのように話している。一通りそんなやり取りをした後、クルルクさんが黒の騎士を見据える。
「話は終わりかい?」
くぐもった声で感情は分からない。だが、フィリーやシエルリーゼの時とは違い、黒い騎士は明確に二人の方を見据えていた。
「ええ、まあ。お二人の覚悟と稼いでくれた時間です。無駄にしてはいけませんよねぇ、族長殿?」
「そうだな。始めるとしようか。クルルク、少し時間を稼いでくれ」
「はいはい、任されましたよっと。損な役回りですねぇ」
ポンチョのような貫頭衣を身にまとったクルルクさんが、ゆらりと俺達の前に立つ。小柄だがその佇まいは堂々たるもので、英雄と評される黒い騎士に対しても一切臆する様子を見せない。
「さてさて、借りは返さなくてはなりませんねぇ。覚悟はできていますか?」
「ふふ、焼いて食べたら美味しそうだね」
二人は向かい合い、方や剣を、方や拳を構える。
そして、篝火がぱちりと弾ける音を皮切りに、二人は同時に飛び出すのだった。




